75 エピロゥグ
それから二年が経った。
ようやくイグドラシルカレンダーが確定して、いまは新紀元五年、360日十二ヶ月の5月第一週だ。
おもにコンピューターシステム維持の都合で併用されている旧暦によるといまは二〇九九年だったが、新世紀を祝おうとか、新元号をどうすべきかといった問題はあまり盛り上がっていない。
西暦だと80歳になってしまうユリナも気にしたがらない。それよりも新しいカレンダー上で自分の誕生日を「決める」ほうに手間を割いていた。
ヨシキは家を出る準備中だった。引っ越しではない。まだ移住先を決めていないからだ。
川上邸の庭先で魔法の絨毯に荷物を運ぶヨシキをマサキは手伝うでもなく、ディレクターチェアに座って眺めていた。
「まずどこに行くんだ?」
「シンイズモ。テッドたちにアナからの手紙を渡す。そのあとは――九州かな」
日本人は結局中央集権を断念して、道州制を導入した。去年から北海道、東北州、関東甲信越州、関西州、四国山陰州、九州、以上6ブロックの政治経済管轄に区切られている。
必要なのは国道と鉄道の規格調整くらいだった。学力格差が生じたらどうする?といった旧省庁官僚の抗議も深刻な問題にはならなかった。地域でどんどん競い合って特色を出すべきだ、という意見が圧倒的だった。
片桐アズサはしばらくバァルに留学したのち、九州に渡り政治家として再出発した。もともと旧熊本の出身だから政治基盤はあり、めきめきと頭角をあらわしていた。冷徹だが公正な人物として大多数の市民の支持を受けていた。
先日、彼女からもヨシキに手紙が届いた。
文面はごく儀礼的な挨拶と近況報告だけだったが、アズサが赤ちゃんを抱っこしてこの上なく幸福そうな笑顔を浮かべている写真が添えられていた。
その赤ちゃんについてはなにひとつ語っていなかったが、眼がヨシキに似ていた。
それで、ヨシキはここ数日悶々とした気分だった。
マサキは頭上の地球を見上げた。
母親がサイファーとどこかに去って二年。
いまでも、あの日に起こったことは結局どういうことだったのか思い返す。
サイファーは世界王と相打ちした。死んだはずだった。
しかしなにかがサイファーをギリギリのところで繋ぎ止めたのだ。
(母さんが……母さんの想いがサイファーを繋ぎ止めた?)
だからサイファーはナツミさんの中の地球の記憶に隠棲していたのだ……マサラはそう解説して笑った。
「やれやれ、言葉にすると陳腐なものだ。男女の恋愛模様なぞ学術の俎上に乗せるものじゃないね」
たぶんそういうものなのだろう……だけどそれでは、サイファーは本当に生きていたと言えるのか?
母さんは自分の中の幻影を追っただけじゃないのか?
マサキはそのへんを割り切れないでいる。
あのあと、マサキたちはバァル記憶大聖堂で一週間過ごし、そのあいだにアナとトムがデスペランのテレポーテーションでアメリカ――現在のネオステイツに戻った。
ワシントン暫定政府はCIAによる裏工作を認め謝罪して解散した。そしてやはり、しばらくは各州で気ままにやろう、ということになった。
どの国家も学術機関にお伺いを立てた結果、今後100年間で人口が10~12倍に増えたとしても国内のエネルギー/食料生産で賄える、という試算をはじき出した。
いっぽうでグローバル経済の構築もほぼ不可能という結論に達していた。
この世界は広すぎる。
せいぜい隣国との間で輸出入の遣り取りをするのみ……どの国も豊かで経済格差が生じないため、それ以上に拡大するべき利点はどこにもはなかった。
少なくとも人口増、というのは真実味があった。国内出生率は数十年ぶりに100万人を超して、なお増加中だ。
ヨシキはそれをしみじみ実感していた。
電話会社が数千ものサテライトバルーンを打ち上げ、携帯電話が全国的に通じるようになったのだ。
それで人々は古いスマホを引っ張り出して通話を試しだしたわけだが、知り合いに連絡し合ううちに、タカコから添付画像付きメールが送られてきた。
タカコも赤ちゃんを抱いていた。
どうやらヨシキは若くして二児の父親になったようだ。
(鮫島ヨシキ、百発百中の男……)自嘲気味にそう思った。
問題は、母親ふたりともヨシキを頼る気配がない、ということだった。
かろうじて名前は教えられたものの、誰も責任取れとか養育費をよこせと言ってこない……アズサもタカコも経済的に余裕があるとは言え。
ややほっとした反面、父親としての役割をまったく期待されていないのは、男としていささか複雑な心境だった。自分でも意外だったが、どこかで父親のようなしっかりした親になりたいと思っていたのか……
とにかく青二才と見做されたのは確かだ。
川上邸を出ようと思ったのはそのせいもあった。
(どのみち兄はヨウコさんと同棲したがっていたから、部屋を開けたほうが良いのだ)
ヨシキは荷物の最後に黒い石版、ベータのラップトップコンピューターを置いた。
「なんだそれ?無くしたんじゃないのか?」めざとく気付いたマサキが尋ねた。
「ああ!」ヨシキは忌々しげに答えた。
「ニューアカサカのホテルに置きっぱなしだったんだよ。だけど自分で歩いて返ってきやがった」
ある朝細い足を生やした石版がクモみたいに歩いて現れたときは軽く悲鳴を上げたが、旅に持っていって損はない。充電の必要は無いし、携帯電話の代わりになる。暇つぶしの動画やMPデータ、ゲームも山ほどインスコされている。
ヨシキが軍手を外しながら言った。
「さーて、荷造りは終わった」
「今すぐ出発じゃないよな?」
「あ?パーティーでもやるってか?」
「ちょっと挨拶くらいしていけよ」
「そういうの苦手だ――」
ラップトップコンピューターがジージーと耳障りな音を鳴らして振動し始めた。マサキとヨシキはハッとして、黒い石版を凝視した。
「あれ……着信音か?」
ヨシキは躊躇いつつ、石版の表面に掌を押しつけた。
『出るのおせーよ!』ベータの声が響いた。
「なにか……用なのか?いま忙しいんだが」
『忙しい用事とやらは後回しにして!これから歓迎会するよ~』
「歓迎会って」
マサキがゆっくりと腰を浮かして立ち上がった。
「なんだあれ?」
黒く細長い、サンマみたいなシルエットが川上邸上空に飛来した。
マサキたちが口を開けて眺めている間に、それがどんどん降下して、庭先の川面に着水した。
デスペランの〈ハーピュレーソン号〉に匹敵する飛行船だ。同様の船は何度か国内に寄港していたので、マストに掲げられた旗印によりアルトラガン船籍だと分かる。
橋板が渡された。赤毛を肩まで伸ばした男性が、白い繭みたいなものを抱えた女性の手を取りながら橋板を渡り、庭に降り立った。
「上陸許可を願う!」
マサキはそのふたりに向かって歩きながら返答した。
「許可します!」
よく見ればおなじ人類とは思えないほどハンサムだ。歳はマサキたちと変わらない。ヨシキは即座に敵愾心を抱いた。それほどの美形だった。
そのハンサムと仲睦まじく手をつないでいたのは――
「ありがとうマーくん!」
「母さん!?」
「ご無沙汰してごめんね~」
「それじゃあこの人……」
「うん、サイファー・デス・ギャランハルト。サイ、こちらがわたしの息子たち、マサキとヨシキくん」
「初めまして」サイファーが手を差し出した。
「ああ……どうも」ややぎこちない握手。
「それとね、こちらが」ナツミが抱えていたおくるみを差し出した。「シャール。あななたちの妹だよ」
おくるみには気難しげな寝顔の赤ちゃんが納まっていた。
マサキとヨシキは呆然と顔を見合わせた。
「マジか」 ヨシキが言った。
おしまい
というわけで、完結しました。
ハッピーエンドでしたよね?
ハッピーですよ。
たぶんハッピーじゃないかな?
まちょっと覚悟はしておけ(意味不明)
半年に渡るお付き合いありがとうございます!ラストは『わたスロ』~『まるスロ』に至る集大成的なイラストで締めさせていただきました。
もともと『わたスロ』エンドカードとしてサトミ☆ンさんにいただいたイラストなのですが、奇跡のように結末近くに現れる「地球」が描かれていたので「ここに使うしかないっ!!」とわたしの独断で貼りました。
サトミ☆ンさん、そして最後までお付き合いしていただいた皆様、改めて感謝!!