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74 別離

 この章を書いているあいだじゅうなぜか、Cocco『樹海の糸』を無限リピートしてました。


 おかげで危うくまたビターエンドになるところだったぜ……


 ナツミは妙な場所にいた――いや、じっさいにはよく知ってる場所だった。

 ここは地球だ。

 日本の、埼玉、西川越駅前……線路と並行する二車線道路だ。


 だけど宵闇のように視界が青くフィルターがかっていた。

 モノトーンの世界は人の気配もなく、世界全体が静止しているかのように静まりかえっている。地面を歩く音さえくぐもって、実感がない。


 だがナツミは確信した。

 ナツミが大昔に住んでいたアパートまで歩いて五分ほど。

 サイと一緒に過ごした場所――

 そこが、目的地だった。


 ナツミは駆けだした。




 マサキたちもまたモノトーンの世界に行きついていた。

 

 「ここって……」

 「地球、だよな?」


 地球だとはすぐ分かったが、妙になじみのない色合いなので、記憶のなかの埼玉とはなかなか結びつかなかった。

 しかし途方に暮れてあたりを見回しているうちに、見覚えのある建物の配列に焦点が合い、ここがかつて母親が住んでいた地域らしいと思い至った。


 マサキとヨシキは、物心着いた頃には鶴ヶ島の新居に引っ越していた。

 しかし川越のアパートは政府管理物件となって保存されており、両親はしばしば子供たちを連れてアパートを訪れた。

 母親が住んでいたという201号室には普通の人には見えない不思議なドアがあって、「黄泉の国」に通じていたのだ……

 幼いヨシキはその場所を怖がったものだが、異界の砂浜を歩いて別のドアをくぐると、埼玉奥地の山の別荘にでるのは面白がった。


 「ナツミさんはあそこに行ったんだよね、そうでしょ?」

 「間違いない」

 三人はアパートに向けて走り出した。


 「たしかここの角を曲がってすぐだ」

 横丁に入ると、こぢんまりした4世帯アパートがあった。マサキたちの記憶にある金網に囲われた状態ではなかった。


 静まりかえった世界に人の姿はなく、郵便受けに放り込まれた広告とか物干しの洗濯物とか、かつて人が暮らしていた気配もない。

 大賢者マサラが言っていたようにここは本物の地球ではなくその記憶、あるいは記録なのだ。

 おそらく母親の記憶から生成された仮想世界だ。


 階段を登って201号室に辿り着くと、ドアは開いていた。玄関の踊り場にはナツミのサンダルが揃えて置かれていた。

 マサキたちはブーツを脱ぐのももどかしく、土足で部屋に上がった。

 浴室の突き当たりにはあの魔法の扉があった。


 (いよいよだ)

 マサキは心搏が上がるのを感じた。

 ゆっくりドアを開け放つと、昔の記憶どおり砂浜が広がっていた。

 夜の砂浜だった。しかし極彩色の空……かつて投影されていたイグドラシルの幻影はなくなっていた。その代わり地球の夜のような明るい星空が広がっていた。

 

 三人は砂浜に出て、周囲を見回した。

 「兄貴、足跡だ」ヨシキが掌に光を灯し、間もなく砂に刻まれたかすかな足跡に気付いた。まっすぐ椰子林に向かっていた。

 しかし三人が足跡を追おうと走りかけると、それを塞ぐように大きな影が立ちはだかった。隙を突かれたマサキたちは驚いて立ち止まった。

 「だ、誰だ!?」

 影は3メートルほどあろうか。禍々しい角と翼を持っている。赤く暗い眼の位置からして明らかに人間ではなかった。

 巨人は気怠げな口調で言った。

 「今宵は客人がよう来る。我が死出のまどろみを妨げる貴様らこそ何者か?ここは生者が来る場所ではない」

 「俺たちは、ここからふたりの人間を連れ戻さなきゃならないんだ」

 「ならば急がれよ。ここは間もなく我らの魂と共に永久消失しよう」

 「我ら?あなたの他にも誰かいるんですか?」

 悪魔的な翼の巨人は長いかぎ爪を持った指先を干上がった大河のほうに向けた。

 木造の桟橋の方向だ。

 目を懲らすと小さな、子供らしい後ろ姿が、桟橋の縁に座っているのが見えた。


 「あれは……人間?」

 「さよう」巨人は言った。「あの者はかつて世界王と呼ばれた荒ぶる魂よ。余は永らく彼の者に仕えていた」

 「せっ世界王!?」

 「そうよ……」巨人はやや自嘲気味に言った。

 「一族のはぐれ者として我も彼に尽力し世界を書き換えようとした。短いが愉快な生涯であったよ。デスリリウムによって魂ごと滅殺されかけたが、我は奇妙なかりそめの魂と成り代わり、決着の場にかろうじてはせ参じた。しかし最期は天敵サイファーによりこの黄泉に流され、我はすべての魔導律を失い、世界王は自分がだれかも覚えていない無垢な子供に戻った……」


 「あなた……」ユリナが言った。「――ひょっとして龍翅族のヘルドールですか?」

 影は一度だけうなずいた。

 「そんな仇名で呼ばれていたこともあった」


 恐るべき邂逅にマサキたちはしばし言葉を失っていたが、やがてヨシキが言った。

 「おい、行こうぜ」

 「……ああ」

 マサキとヨシキがヘルドールの影を回って走り出した。ユリナもヘルドールに会釈して走り出した。

 走りながら振り返ってみると、その姿はもう消えていた。



 やがて三人は椰子林の中にたたずむコテージに辿り着いた。

 ナツミは戸口の前、階段の途中に立ち、室内に向かって必死な様子でなにか呼びかけていた。


 「サイ!お願いよ!」


 コテージにドアはないが、オレンジ色の帳に塞がれて中に入れないようだった。ナツミは帳を叩いたり押したりしていたが、手応えがないようだった。

 「サイ――!ここを開けて!」

 

 マサキたちはその背後に並び立ち、しばし逡巡した。

 ナツミが階段で力尽きたように膝を折ると、ユリナが駆け寄って背中を支えた。

 マサキはヨシキに顔を向けた。

 ヨシキも兄を見て、ひとつうなずいた。

 「ぶち破るぞ」


 ふたりは拳を突き出して構えた。

 「あのオレンジ色の膜は魔導障壁だ。焼こう」ヨシキが言い、マサキがうなずいた。

 ふたりが右拳に念を込めた。

 間もなく戸口を塞ぐ膜の中央に青い炎が生じて、円状に延焼し始めた。


 「ナツミさん、開くよ!」ユリナが言うと、ナツミは顔を上げて戸口を見上げ、それから振り返って息子たちを見た。

 「マーくん、ヨシくん……」

 「もうすぐだ、母さん」

 「ごめんね――」

 ナツミの泣きはらした顔を見てヨシキは自分に腹が立った。母親の泣き顔なんて記憶にない。泣かせた諸々の原因すべてに腹が立っていた。


 少なくとも笑顔にすることはできるはずだ――



 オレンジの帳がすべて消失して炎が消えた。

 ナツミは開け放たれた戸口を見上げ、また振り返った。


 「ふたりとも、ほんとうにごめんなさい……わたし――」

 「いいから」ヨシキが言った。「行けよ、かーちゃん」


 ナツミはうなずき、目尻を拭うと、階段に一歩踏み出した。

 

 母親の後ろ姿が戸口に消え、「サイ」と呼びかける声が聞こえた。




 それから数分が経って、ユリナは階段の脇からコテージの中を覗いた。


 そしてつぶやいた。


 「ナツミさんとサイファー、行っちゃったね……」

 


 次回で最終回です!

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