73 記憶の中へ
カワゴエニュータウンでは連日の復興作業がひと段落して、追悼集会が行われていた。
死者は78名。転移まえの日本に遡っても、暴動犠牲者数は記録的だった。怪我人数千人がすべて治癒したことだけが救いだった。
この夜は野外劇場で報告会が行われ、メインストリートではボランティア向けの慰労会が執り行われていた。全体的に静かだが暖かい友好ムードに包まれていた。
とくに破壊の爪痕が激しかった旅亭前の円形広場もおおむね整備が終わり、いまは並べられたテーブルにたくさんの食べ物が置かれ、人々が語らいあっていた。
「こんなたくさん食べ放題って、この街栄えとるんだのう」
根神たち限界集落の一団も復興ボランティアに加わっていた。
まあ「カワゴエでなんかすごい事件が起こった」という噂を聞いて野次馬として駆けつけ、なし崩し的に参加しただけとは言え。
高田も満足げだった。「来て良かったよ~。こんなに肉食ったの久しぶりだわい」
通りすがりのタカコが言った。
「腹一杯食え、ニートども」
「たかちんも座って食べなや」
「今度たかちんて呼んだら殺すよ」
「けどタカコさんもおたくなんすよねえ?」
タカコは人差し指と小指を立てて高田に突きつけた。
「チッチッ、あたし「元」腐女子なんで。車間距離気をつけようね、よろしく」
「新世界にも我らが文化は脈々と継承されてるってことだよね~」
「話聞いてねーだろくそオタク」
広場がざわつきだして、タカコはなにごとかと周囲を見渡した。
みんな空を見上げなにかを指さしていた。
「何が――あっ!」
夜空、天頂に新しい星が浮かんでいたのだ。
ひときわ大きく明るく、あきらかにさっきまで存在していなかった星だ。
だれかが言った。
「ねえあれ、地球じゃないの?」
「うん……そう見える」
タカコもその場に居合わせた全員ともども、満月のように浮かぶ地球の姿を見あげつづけた。
そして思ったのは、遠くバァルに向かった親友のことだった。
(ナツミ……あんたがやったの?)
シンイズモ大社の広大な境内でも、居合わせた修行僧が空を見上げていた。
「厳津上人。あれはいかなる現象なのでしょうか?」天草カオリが尋ねた。
「賢者協会の方々によれば、あれはある種の蜃気楼なのだそうです」
「蜃気楼……」
厳津はうなずいた。
「このイグドラシル世界のどこかに、新たな土地が生まれた。あの地球は、いわばその新天地の影なのです」
「世界が、広がったのですか?」
「そう……この世界はすべて、悠久の刻を生きて精霊化した者たちが、その最期に形作ったもの。いわばそれら知性体の精神そのものです」
「たったひとつの知性が、地球一個に匹敵するのですか?」
「百数十億年前の爆発から始まりすべては偶然の積み重なり、という話よりはよほど温かみがあるでしょう」
途方もない話だ、とカオリは思った。
だが話が真実なら、あの星々はみなだれかの魂だったのだろう。そしていままた偉大な魂が世界に生まれ変わったのだ。
カオリは現出した地球に向かって合掌するのみだった。
そして祈りを捧げながらふと、思った。
誰の魂だったのだろう、と。
その日、地球人居住域のすべての人間がそれを見た。
人々はかつての故郷の姿を見上げ、それぞれの感慨に浸った。
凶兆と捉える者は皆無だった。淡く白みがかった地球の光は、優しかった。
サイファーの居場所が判明した――ナツミが言うと、マサラは心底安堵した表情になった。
「そうかね……連れ戻せそうかい?」
「戻って来たがるか分からないけれど、でも……」ナツミは頭上の地球のミニチュアを見上げた。
「――わたし、行かなきゃ」
ナツミはそう言って台によじ登った。
思いがけない行動にその場の全員が驚いたが、制止する間もなくナツミは地球に向かってジャンプした。
「母さん!」
マサキが叫んだ。傍目にはナツミが台の奥、エレベーターの穴に向かってダイブしたように見えたからだ。
だがナツミの両手が地球の表面に触れると、その姿が消失した。
ややあって、マサラがぽつんと言った。
「これは、予想外だったわね」
デスペランが地球を指さして言った。
「まさか、ナツミはあの中に飛び込んだのか?どういうことなんだ!?」
「なににせよ、サイファー・デス・ギャランハルトはあの世でもこの世でもない、ある種の隙間空間に逃避していたというわけだ……」
「ヴォイド空間みたいなものか?」トムがアナに訊いた。
「うーん……大きさも時間もなにも意味を成さない究極の無意味空間……世界を創るまえのバッファ空間みたいなものかもね……なんせイグドラシル人は無から地球を含む宇宙空間を作れたんだから、なにかの拍子でそんな物ができちゃうこともあるんじゃない?」
マサラがうなずいた。
「お嬢ちゃん、良い線いっとるよ。今回はそれがナツミさんの意識の中に宿っていたということらしい。そのような無意味な真空がむやみに作られてしまうと世界のバランスが狂うのよ。――それで?誰があの子を追いかけるんだい?」
デスペランが懸念を表明した。
「追いかける必要あるのか?」
マサラがデスペランの尻をぴしゃりと叩いた。
「ぐだぐだ言わんで行っといで!いざとなったらあんたがふたりとも引っ張ってくるんだよ!」
「へいへい……」
「俺も行きます!」マサキが叫んだ。
「あたしも行く!」ユリナも言った。
「俺も行くよ」ヨシキも言って、台に飛び乗った。
マサキもひらりと飛び上がってユリナに手を貸して台に登らせた。
台に乗ってみると足元には丸い穴がぽっかり空いていて、100メートル以上下の地上階が見えていた。ユリナは勇んで行くと言ったことをやや後悔した。
「それじゃ、思い切り飛ぶぞ」ヨシキが言った。「せーので行く」
「うん……せーの!」
三人が同時に飛び上がり、地球に触れると姿が消えた。
デスペランは溜息を漏らして言った。
「そんじゃ俺も行ってくるか……あいつら帰る方法も聞かずに行っちまったし」
マサラがうなずいた。
「よろしく頼むよ、坊や」