71 バァル 記憶大聖堂
三日後の夜更けに〈ハーピュレーソン〉はバァル最大のイシバクウゼン市国に到着した。
一万年も存続している都市だ。
その中心部にバァル最高学府〈記憶大聖堂〉がある。
木造で直径300メートルもある球体建築物だ。それだけでも圧倒的だが、聖堂の周囲に同心円状に広がる街もすべて木造の高層建築だった。多くは高さ100メートルくらいの円錐状で、いっけん無計画に増築したように住居が重なり合っていた。
〈ハーピュレーソン〉は木造ビルの間を縫って広場……〈記憶大聖堂〉を囲む幅広い運動場に着陸した。基本的に大学都市なので、当然学生用の運動場があるわけだ。
アナたちは二度目の訪問となる。しかし空からイシバクウゼンを見渡したのは初めてで、前回は魔道士のテレポートに便乗しただけ、〈記憶大聖堂〉関係者とのコネもなかったので、おのぼりさんとして街を眺めただけだった。
今回は歓迎された。
下船したのはデスペランとナツミたちだけで、飛行船はすぐにまた飛び立った。
ナツミたちが頭上にのしかかる大球体をバカみたいに口を開けて見上げていると、トーガやローブ姿の一団が球体の根元、玄関からぞろぞろ歩いてきた。
「やー大賢者協会の皆様、おそろいで」
「デスペラン・アンバー。たびたびご苦労でしたね」初老の女性が進み出てデスペランと握手した。
「こちらはマサラ・ハイデリック。大賢者協会の主任理事。こちらは鮫島ナツミ」
デスペランが紹介すると、大賢者協会の全員が「ほーう」と溜息に似た声を漏らした。
「これは、これは」
マサラ・ハイデリックがナツミを直視して額にしわを寄せた。
「龍翅族の魂を宿した巫女……」
「見ただけで分かるかね?」
マサラはうなずいた。
「これで成すべきことのひとつは分かりましたよ」
権威的な場所だが勿体ぶったところは微塵もなく、地球の病院とかのような「それではまず検査をして、本格的な処置は来週以降……」という話にはならず、ナツミの「霊魂離脱術」執行は今夜さっそく、ということになった。
「れ、霊魂離脱術?」
デスペランがうなずいた。
「あんたの中のアマルディス・オーミを切り離すってことだ」
「そ、それって痛くない?」
「多少痛いかもしれん」
「エーッ!?」
「ま、俺には分からん。そんな施術聞いたこともないんでな」
マサラ・ハイデリックも言った。
「まあ、多少は痛いかもしれないねえ」
「またそんな!だんだん不安になってきたじゃないですかぁ!」
ナツミは高さ一メートルくらいの台の端に腰掛けていた。
「わたしらも試みたことがないのだよ。二千年前に施術した記録はあるのだが」
「ほ、ホントにだいじょぶなんですか?」
「やり方は心得ておる。まあ痛むとしたら、心であろうよ」
「ぜんぜん慰めにならないです」ナツミは溜息を漏らした。「だいたい事前の健康診断とかしないんですか?わたしこれでも100歳なんですけど」
「ああ、まずこれを飲んどくれ」
マサラは陶器のマグをナツミに渡した。いっけん透明な、水らしき液体が注がれていた。
ナツミは胡散臭げに液体を睨み、匂いを嗅いで、それから意を決して飲んだ。
「……わりと美味しい」
「それじゃさっそくはじめるかね」
「その前にマーくんたちと――」
ナツミはかくんと首を落としてうしろにばったり倒れた。
「儀式」には儀式めいた祈祷やお祓いの段階はなく、ただ四人の大賢者が台の上に横たわるナツミを囲んで詠唱するだけだった。
ただし、儀式の舞台は大聖堂のほとんど真ん中だった。
超巨大な球形の建物はほとんど中空で、壁の内側は書棚で埋まっていた。
各階層は中心部に向かう渡り廊下とらせん階段で繋がっている。その通路いっぱいに見物人が溢れていた。学生たちだろう。
放射状の中央回廊は真ん中で差し渡し50メートルほどの円形広場を形成している。
広場の真ん中は10メートルほどの穴が開いていて、普段は魔法の絨毯に似たエレベーターで昇降するスペースになっていた。
そこは一階から天井まで吹き抜けになっていて、天井はステンドグラスだがいまは開け放たれ、夜空が見える。
飛行船の船内もそうだったが、電灯もろうそくの明かりもないのに建物の中は明るかった。
マサキたちビジターは広場の端のベンチに座って儀式を眺めていた。ヨシキは少し離れた別のベンチに片桐アズサと座っていた。ここ数日ふたりは微妙な距離感で声もかけづらく、憔悴しきったアズサをヨシキが慰め続けていた。
ナツミは広場中央近く、エレベーター穴の手前に横たわっていた。
儀式には時間がかかると言われたので、マサキたちはとにかく周囲を眺め回していた。驚くべき建造物も、そこに居合わせている「人」たちにも興味津々だった。
トムがとなりのアナに囁いた。
「あきらかに異世界人がいるぞ!それも大勢、何十種類も」
「うん!見たことない異世界人ばっかり!」
「みて見て!」ユリナも囁いた。「あれ、神話の神様だよね……」
渡り廊下をひときわ異形の一団がやってくる。
先頭は身長5メートルはありそうな神様だ……たぶんゼウス。それに腕がいっぱい生えてる女性。頭部が犬の男性……異形だが異世界人ではなかった。現生人類の前に発生した「第二文明人」、つまり地球人だった。
ネヴァダ砂漠に現れたときはもっと巨大だったが、建築基準に引っかかったのかダウンサイジングしていた。
それに続くのはローブを纏い羽根を背負った身長三メートルの巨人……大天使だ。
大天使のひとりは浅黒い肌で漆黒の翼だ。その傍らには古代ギリシャ風衣装の女性が同伴していた。女性はサイズもふつうに見えるが歩幅の大きい一団に遅れず着いてきている……歩いていない。床を滑っているようだった。
「やっぱわたしたち、歴史的な場に立ち会ってるんだよ!」アナが興奮していた。
しかも大天使ふたりはまっすぐこちらにやってきた。
マサキたちは立ち上がった。アナとトムはやや緊張気味だった。
「おやおや、ナツミさんの親族ですね?」金髪の天使が言った。
「えー……ハイ」
天使はお辞儀した。
「わたしはアズラエル。ナツミさんとはいささか親交がありました」
「ああ、アズラエルさん!初めまして!」
「ええ。そしてこちらはこの儀式の公証人を務めるヤハウェ軍曹」
「なんてこと」アナとトムが引きつった声でハモった。
腕組みして儀式を眺めていたヤハウェが、気乗りしない顔でアナたちを見た。
「その名前で俺を呼ぶな!」
「いやあの――」
「おまえたち、アメリカ人か?」
「ハ、ははハイ!」
「よせやい、いまにも平伏しそうじゃないか」
「いやそう言われましても……」
「初対面の相手にへりくだるのはよせ!この前アメリカを訪れたときなど、いきなり足にキスされた。いったいおまえら欧米人という奴らはどうしちまったのだ?やっぱり俺が悪いのか?」
「めっそうもない!」
「キリスト教徒……やはり一度、大鉈を振るわねばならんか?なあヒュパティア?」
アナたちはヤハウェの隣に立つ古代ギリシャ女性……の幽霊を呆然と見つめた。。
「わたしだって極初期の彼らしか知らないのよ」
ヒュパティア……彼女より大図書館にふさわしき者は居まい。
アナはどっと汗が噴き出すのを感じた。ヒュパティアは5世紀頃、原始キリスト教徒に虐殺された世界最初の女性数学・天文・哲学者だった。
「あとでお話を聞きましょ?とりあえずカトリックとピューリタンとはなにか聞きたい。それからイスラム教という宗派についても教えて」
シンプルだがとびきり答えづらい質問だった。
「で、できるかぎりお答えしたい……です」
回答に全キリスト教徒の運命がのしかかっている。アナにとっては歴史的瞬間で間違いなさそうだった。




