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69 海洋横断飛行

 

 飛行船〈ハービュレーソン〉号は高度を上げつづけ、斜めにかしいだ甲板上では慌ただしい操船作業が続いていた。


 ユリナはマストの根元近くでロープにしがみつき、船体が振動に突き上げられ軋みたてるたびに身をすくめた。


 船長は船首楼に仁王立ちして操船指示を飛ばしていた。後部の楼閣の天井で操舵輪を握っているのはデスペランだ。

 だれも「船室に戻れ」と言わないことを良いことに、ユリナは甲板でがんばっていた。しかし今はだれかがそう言ってくれないかと内心祈っていた。


 やがて飛行船は雲海を突き抜け、船体の傾きが復元した。

 「帯流層到達まであとふた拍!メインマストの用意!」

 「メインマストよぉーい!」

 船員総出でロープを引っ張ったりハンドルを巻き上げたりしているうちに巨大なマストが前方に傾きはじめ、同時に抽象彫刻のような支柱がパラソルのように展開してゆく。ついには船体より大きな傘の骨組みが船首を中心に広がっていた。

 それでユリナは悟った。

 この船はぜんぶ魔導律で操っていて見た目よりずっと安心な乗り物だと思い込んでいたが、違った。

 あくまで魔導律で船体を浮かせているだけだ。

 進むためには風が必要なのだ。


 「間もなく帯流層到達!縦帆用意!」

 「右舷左舷掌帆長!縦帆よぉーい!」

 両舷のマスト支柱に帆が張られてゆく。

 モノグラムが刺繍された鮮やかな帆……だが布製に見えなかった。網の目に沿って緑色の光が脈打っている。

 その帆が追い風を受けて膨らみ、〈ハービュレーソン〉は蹴飛ばされたように加速した。


 腹立たしいことに、ユリナがビビっているあいだじゅうヨシキとマサキはずっと船縁に立ち、世間話しながら空を眺め続けていた。


 「すげえな。いま高度5000メートルってとこか?」

 「たぶん。気象学者がそのくらいの高さに帯状のジェット気流域があるって言ってた」

 ふたりとも飛行機に乗った経験はない。魔法の絨毯で高度3000メートルくらい昇ったことはあるが。

 「息苦しくないな」

 「どうなってるのかまだ分からないが、エベレストの高さでも呼吸はできるらしい。地球だったら大気の重さで地上はもっと高圧になるはずなのに」

 「それで、学者さんたちはフルーツの皮理論を立ち上げたんだっけ?」

 マサキはうなずいた。

 「イグドラシルの地表を剥かれたリンゴの皮に例えてる。地表が真っ平らなのに重力があるのは、地面がとてつもなく大きな惑星……重力源から引っ剥がされていて、ちょっと離れてるから……空気密度が地球ほど圧縮されていないのはそれでじゃないかって」

 「それだと、空に星がある説明にもなるか……」


 とは言え、イグドラシルの空には昼も夜も月ぐらいの大きさの天体がいくつも浮かんでいて、いわゆる「星空」はない。惑星にしては公転軌道がまばらだったり、まったく動かない星もある。

 そもそも惑星じゃない、という意見もある。望遠鏡を向けても実態が掴めないでいる。

 そして太陽。

 空が青暗くなる高さまで昇るとそれがよく見える。

 光源はあきらかに恒星ではない。うっすら白っぽく空を覆う枝……葉脈のような模様に沿ってその光点が移動する。それによって昼夜が訪れるのだ……


 「バァルとか別の世界の学者に尋ねれば、この世界の構造が解明されてるんじゃないの?誰も聞きに行かないのか?」

 「先生方は自力で解明してなんぼだって意気込みらしいよ」

 「そりゃ立派な姿勢だ」

 「今のところって話だけどな……いずれ好奇心に負ける人もいるだろうし」



 ユリナが甲板に張ったロープを伝ってマサキたちのあいだに滑り込んだ。

 「うわ!すごい景色……」

 ちょうど陸地が終わり海に出るところだった。海岸線が急速に後退してゆく様子にユリナは心細そうな顔だった。旅客機の小さな窓から眺めるのとは訳が違う。

 行く手は果てしなく広がる海と、空だけ。

 「なんだ、思ったより風が激しくないじゃん」

 「追い風は楼閣で遮られてるから」

 「まだ上昇してるよね?」

 「ああ」わずかにエレベーターで上昇するような加速が足裏にかかっていた。

 速度や高度については聞いても無駄だ。バァル人が使う単位が分からないからだ。ただ到着予定時間から、船が音速に近い速度で飛ぶらしい、と分かるだけだ。


 「ふいー」

 アナとトムがラッタルを昇って現れた。疲労困憊のようだ。

 「お疲れさん」

 「お客は楽でいいな!あたしらひたすらロープを巻いてた……」

 「員数外の無賃乗船じゃ仕方ない」

 「まあ……身体鍛えるにはちょうどいいや……」アナは船縁から両腕を垂らしてもたれかかった。トムは座り込んで水を飲んでいた。

 「すんげー!あの巨大なパラシュート、どっから沸いてきたの?100ヤード四方はある」

 「あんたらが張ったんじゃないか」

 「いや、ずっと下の船艙で駆けずり回ってたけどあんなのどこに仕舞ってたんだか見当もつかない」

 「おれはなんとなく気付いたぞ」トムが立ち上がりながら言った。「あれはマジックアイテムだ。生物だけが魔導律を纏ってるわけじゃないんだよ。無機物にも宿るんだ」

 「なるほど、剣や石みたいにか」

 「たくさんある同心円模様を見てみろ。ケツの穴みたいに収縮してるだろ。ありゃスロットルみたいなもんだ。まるで生き物だ」

 「船体もロープもものすごい荷重に耐えてるはずだからな……俺たちの知らない材質をたくさん使ってるようだ」

 

 

 マサキは楼閣の船室に戻った。

 マサキとヨシキ、母親とユリナがそれぞれひと部屋を割り当てられていた。向かいの扉をノックすると中から「は~い」と元気のない声が聞こえた。

 ドアを開けると、ナツミがベッドの上で枕を抱いて縮こまっていた。

 「大丈夫?」

 「な・なんとかね!」

 船はひっきりなしに軋み、時折ドンと突き上げるような振動が走る。母は必死に耐えている様子だ。

 マサキは笑った。

 「この船は心配ないよ。それより夜の晩餐の用意しなきゃ」

 「分かってる……けど」

  


夜を迎え、船長主催による晩餐が執り行われた。


 テンペスト・マリスタル船長が上座で反対側にデスペランが座る。

 デスペランから向かって左側にアズサ、ユリナ、マサキ、ナツミが座り、反対側には一等二等航海士、海兵隊隊長、三等航海士〈士官候補見習いで13歳くらいのまるっきり子供)が就いた。

バァル側はみな洗練された紳士淑女で、気軽なおしゃべりで、とくに緊張していたユリナとナツミをリラックスさせてくれた。

 アズサもふてくされた態度を取ることもなく、いっけん上品に振る舞っていた。デスペランが送った深紅のドレスをきちんと仕立て直してもらっている。

 ナツミは遠いむかしサイに仕立ててもらったドレスを着ていた。ベータのパソコンと一緒に転移者に託していたものだ。

 食事は西洋のコースに似ていて、前菜、スープ、肉料理が順に給仕された。どれもとても美味な料理で、ナツミは内心、サイやですぴーは地球の食べ物なんて本当は美味しいと思ってなかったんじゃないかと疑うほどだった。


 (ヨシくんも来れば良かったのに……)

 ヨシキはタキシードを持ってこなかったからという理由で晩餐を辞退した。いまごろはアナたちと下士官用食堂にいるだろう。


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