64 ゲームオーバー
(師匠……!)
ヨシキは目の前に斜めに突き立った錫杖を見て、構えを解いた。
ノーガードになったヨシキを見てスペイドが怒鳴った。
「なんだてめえ!突然戦意喪失かぁ!?そんなん通用しねえからな!さっさと構え直しやがれ!」
「終わりだ」
「まだゲームセットじゃねえ!来いッ!さっさと来やがれ!」
スペイドはずかずかとヨシキに詰め寄って、戦意喪失の原因とおぼしき錫杖を床から引き抜こうとした。
「バカよせ!」ヨシキが阻止する間もなく、スペイドは錫杖を両手で掴んだ――
「ぐおあッ!?」
スペイドは感電したかのように身体を仰け反らせた。じっさいがくりと膝を折って擱座すると身体のあちこちから煙が立ち上った。
「なん……だ、この……!」
スペイドは錫杖に生命力を吸い取られているかのようだ。やっと手を放すと、そのまま両手を床について這いつくばった。
「おれの……魔導律が……」
「おまえが吸い取られたのはよこしまな心だ」
「フザケ……んなボケ」
「ボス~!立ってください!」
「負けるなー!」
思いがけないキッズたちの声援が飛び、スペイドはゆっくりそちらに顔を向け、部下たちの惨状を目の当たりにした。金髪の幼児たちが巨大な黒豹の背中に昇って足をバタバタしている。
傍らでは1歳くらいの赤ん坊がなぜか巨大なピンク色のうんこをつついていた。アニメの一場面じみて、控えめに言っても元気が出る光景とは言いがたい。
スペイドはがくりとうなだれた。同時に漆黒のアーマーが除装された。
ヨシキの炎皇アーマーも消失した。
「終わったの?」スピーカーから片桐アズサの声が響いた。
ヨシキはそちらに顔を向け、無言でアズサを見据えた。かすかに首を振った。
周囲の光景がふっとぼやけるような感覚があって、ヨシキたちは港の岸壁らしき場所に立っていた。
テレポートされたらしい。アズサたち、スペイドと白人兵士たち、ハリー、それに空中戦艦に居合わせた全員が、倉庫が建ち並ぶ夜の岸壁に移動させられていた。ベータの姿だけはなかった。
ちょうど、数㎞沖合の海で巨大ロボットの胴体に空中戦艦が突っ込むところだった。離れていても耳障りな衝突音がバリバリと響き渡った。
小規模の爆発が起こったが、まるごと吹き飛ぶことはなく、ふたつの怪物は動作停止した。
米海軍潜水艦も艦橋をまるごと破壊され火災を起こしていた。
魔法の絨毯がヨシキの背後に舞い降りた。カオリとタカコ、アナが駆け下りた。
夜の海を染めるオレンジ色を背景にしてひとりの大男が立っていた。錫杖を構え竹傘をかぶった僧侶だった。
「厳津先生!」ヨシキが言った。
男は竹傘の縁に手を添えて会釈した。ヨシキも一礼した。
「ヨシキ君、ご無沙汰しております。遅れて申し訳ありません」
「いえ!先生がこちらに来ていたとは知らず……」
「拙僧、イグドラシルに来てひと月ほどの新参者なのですよ。この世界の様子を見定めるため、少々時間を要しました」
スペイドがふらつきながら立ち上がった。
「なんだ!?また妙ちきりんなコスプレ野郎のお出ましなのかぁ!?」
真空院厳津――厳津上人はスペイドに顔を向け、ひとつうなずいた。
「米国のお方、あなたがたの戦いは終わりました」
「うるさい!」
「終わったのです。あなたのお国はもはや存在しておりません」
スペイドは戸惑い顔になった。
「なん……だと……?」
「ゆえに、あなたは働く事由を失いました。もう諍いは無意味です」
「まてまて待て!どういう意味なんだそれは!?」
「アメリカ合衆国は消滅したのです」厳津和尚は厳かに告げた。
「ワシントン政府は、独立宣言に織り込まれた抵抗権を行使した革命勢力によって倒され、その使命を終えました」
「そっそんなたわごと信じられるかよ!」
厳津和尚は首を振った。
「拙僧もいささか手を貸したので、まず間違いありません。あなたがたも不毛な工作をやめて新たな建国に身を投じるべきでしょう」
「そんな……」スペイドは力なくその場に座り込んだ。「バカな……」
「え~……国が?」アナもまた地べたに座り込んでいた。
その肩にカオリが手を置いた。
「事実よ。わたしも革命勢力に協力した。たった一日でワシントンは陥落した」
「ちょっと……信じられない……けど」
「飲み込むのに時間はかかるでしょうね」
「いや」アナはカオリを見上げて笑った。「わりと朗報かも」
「俺たちはどうすりゃいい……」スペイドは座ったままつぶやいた。
「ご希望であれば、今すぐ祖国に送って差し上げましょう」
スペイドは厳津和尚を見上げ、うなずいた。
「……頼む」
厳津和尚が錫杖を地面に突き立てた。
しゃらんと音が響いて、スペイドとその一味の姿が消失した。
「逃がしてよかったんですか?」ヨシキが訊くと、厳津和尚はうなずいた。
「彼らの未来は茨の道です。我々が沙汰を下すこともないでしょう」
「イッタイナンなのヨォ!」幼児化した実原レイカが癇癪を起こした。「アタシのネコちゃんは!?おふろ使いたいからオウチに帰シテよ!」
カオリが屈んでレイカの頭を撫でた。
「あなたいまこうなってるのよ」手鏡を渡すと、レイカが覗き込んで目を見張った。
「アラっ!」レイカは頬に手を当てながら喜色に満ちた声を上げた。「アタシ若返ってる!ネエ片桐さん!アタシ若返ってるわぁ!」
片桐レイカは忌々しげな顔で、髪を手櫛で梳いた。
「ねえ、なんだか知らないけれどもう終わったのよね?」
ヨシキが答えた。
「まだだ。あんたとは話し合う必要がある」
アズサはふんと鼻を鳴らした。
「そんなことに応じる義務はないわ」
「いや、ある」
アナの傍らに黒猫のハリーが駆け寄ってきた。
「ネコちゃーん」アナは手を差し伸べたが、ハリーはその手を無視して別の腕に飛び込んだ。アナはむっとして、ハリーを抱え上げるその腕の持ち主を見上げた。
長髪の大男だ。上着の派手な刺繍の独特な模様からして異世界人――バァルの住人と思われ――
「――デスペラン・アンバー……?」
男はちらっとアナを見て頷いた。
「見ろハリー、俺有名人だぞ」
「ニャオン」
他の皆もデスペラン・アンバーの出現に気付いた。タカコが口に手を当てて言った。
「あれ?……ですぴーじゃん」
デスペランが厳津和尚に尋ねた。
「終わったかい?」
「おおむね、終わりました」
そして、厳津はヨシキと片桐アズサのほうに目を向けた。