58 ガーデンパーティー10
何度目かの試みがすべて失敗して、アナは椅子に縛り付けられたままぐったりしていた。
ウォッカが揮発して室内に充満している。その空気を吸ったアナも軽い酩酊状態だ。気分が悪い。
うなだれていると、視界の片隅に黒猫が映った。
(幻覚かな?)
猫は優雅に尻尾を立ててアナにお尻を向け、ウォッカの瓶に向かって歩いてゆく。そして床に溜まったウォッカをペロペロ舐めはじめた。
「ハリー、そんなもの飲んではいけないよ」
背後で威厳に満ちた声が聞こえ、アナはハッと振り返った。
背丈2メートル強の黒マント姿が立っていた。
「し、シャムリス!?」
声の主は微かに首を傾けて頭巾を引き下ろした。猫に似た顔が現れたがこの前のニケとは毛並みが違う。
「わたしたちを知っている地球人とは、珍しい」
「せ、先日お目にかかりました!あの、あなたのお仲間のニケという方に……」
「そうかい」
「あのー……たいへんお手数ですが、わたしのこの魔導縄、解いていただけませんかねえ?」
「おまえは悪さして拘束されているのでないのかえ?」
「違います!不当拘禁されてるんです!」
「なら解いてやるが――」
シャムリスはカチッとかぎ爪を鳴らした。アナを縛っていた縄がはらりと床に落ちた。 「――わたしを謀ったと判明したら、たいへんな災いが及ぶよ」
「そ、それはある程度存じてます」
アナは立ち上がり、軽い目眩に襲われ椅子の背に両手をついた。首をぶんぶん振った。
「――あの、シャムリスさん、なぜここにいらしたんですか?」
「そのハリーに案内されたのよ」黒猫を指さした。「この建物にわたしの眷属がたくさん囲われていると教えてくれてね……その場所に挨拶に行く前にここに寄り道したいと頼まれたのだ。気まぐれな子だよ」
「おかげで助かりました」
部屋の入り口がガチャリと音を立てて開いた。白人が戻ってきたのかとアナは緊張したが、現れたのはベータと、ベータに似た年配の女性だった。
「あ、開いた、結界が消えてる」
「ベータ!」
「あらアナ、無事だった?それに……シャムリス?」
「今日はやけに私の種族を知っている者に遭うな……」
ベータに似た女性が進み出た。
「あなたがジョー・ロドリゲスの娘さん?」
「母をご存じで?」
「むかし、お仕事でご一緒したわ」
仕事で一緒だった日本人、というならそれはサイファーとデスペランがらみということだろう。
「わたしは天草カオリ。お母様は元気でいらっしゃる?」
「ええ、元気元気で!どうも、アナです」
「おーい、挨拶はあとにしてよ、まずはこれ……」
隣部屋に向かったベータが円錐形の物体を抱えて戻ってきた。大きさも形も道路交通整理に使うコーンに似ていたが白い。
「それが核弾頭?」カオリが聞いた。
「かっ核ッ!?」アナが驚愕した。「CIAども、そんなもん持ち込んでたのかよ……」
「そう核兵器。500キロトンの水素爆弾」ベータが抱えた物体をポンポン叩きながら答えた。ずっと核兵器のそばに居たと知ってアナは身震いした。
「とりあえず上の階にマーくんが捕まってるみたいだからさ、さっさと挨拶に行くよー」
「ニャーオ」黒猫がそばに寄ってきて鳴いた。
シャムリスが猫を見下ろして言った。
「おや、わたしたちの目的地もそこなのかい?」
「ミャー」
「それじゃあついて行ってみるかね」
ジョーンズがサディスティックに目を輝かせながらヨシキに手錠をかけた。さらに足首を灰色のダクトテープでぐるぐる巻きにして、ソファーの片桐アズサの傍らに突き飛ばした。
タカコと実原レイカも向かいのソファーに座らされたが、拘束はされていない。レイカは猫を抱いて、まるっきり罪のない顔であたりをキョロキョロしている。だれかが銃を突きつけて自分を脅す、という状況がうまく飲み込めていないようだ。
部屋を掌握した白人集団のボス、サム・スペイドはしかめ面で部屋の中をうろうろしていた。時折カーテンをサッとはらって外を覗いていた。
そのうちに携帯電話の着信音が鳴り、スペイドは尻ポケットのスマホを取り出して応答した。
「なんだ?」
スペイドはしばらく聞き入っていた。
「なに?なんと言った!?」
スペイドはしかめ面で、ジョーンズに向かって指を鳴らして注意を引いた。
「ジョーンズ、テレビを付けろ」
「イエッサーボス」
ジョーンズがテーブルからリモコンを拾ってなにか操作すると、壁の悪趣味な絵画がふたつに割れて60インチモニターが現れた。
ニューアカサカでさえチャンネルの大半は古い映画や音楽を流すケーブルチャンネルばかりだったから、テレビ放送はひとつかふたつしかない。
ニュース速報が流れていた。
『カワゴエニュータウンで大規模な暴動発生』
そんな字幕と共に映し出された光景に一同は唖然とした。
「なっなんでえあのロボは」ジョーンズが戸惑っていた。アニメチャンネルと間違えたのかと思ってリモコンをさらに操作したが、やはり映っているのはおなじ画面だ。
夜を背景に燃える住宅、暴走車両、そして日本政府が極秘裏に開発した暴動鎮圧ロボット――暴動に華を添えるはずだった虎の子が、真っ二つに切り裂かれる様子……
最後には一面モザイクがかかった意味不明な画像……しかし切迫した大人数の悲鳴が重なっている。リポーターらしき声も聞こえた。
『暴徒たちがまた……ああ酷い!また暴徒が殺されました……何百人がとびきりむごたらしい方法で……これ幻覚じゃないの?もう見てられないんだけど!?』
画面が切り替わり、破壊された広場を背景に女性レポーターが告げた。
『えー、繰り返しお伝えしている映像は約20分前に終息した暴動の様子です。暴走集団は魔法のようなちからで討伐されたようです――』カメラがパンしてリポーターの背後にズームした。
広場一帯に人間が横たわり、あるいは座ってしきりに身体を揺すりすすり泣いている。ごく数人が重い腰を上げて老人のようにとぼとぼ歩き去っていた。
『ご覧のように、もう暴力に訴えてくる者は皆無です……全員あきらかに戦意を喪失していまして……それどころか、みな一様に憔悴しきっています。無理もありませんが……町長によるともはや暴動の再発はなく、暴徒の身柄を拘束する手間も必要ないとのことでした』
「なんだこれは……!」スペイドは怒り心頭だ。「グランドスラム作戦が失敗したってことなのか?あのクズどもはちょっと暴れる程度もまともにできんのか!?」
ヨシキも画面を観て言った。
「どうやら、正義の味方が現れておまえらの陰謀を阻止したようだぜ?」
スペイドがつかつかと走り寄ってヨシキの頬を思い切りビンタした。ヨシキはアズサの膝に顔を突っ伏し、起き上がりざまに言った。「失礼」
「くそどもが!こうなったら首都機能を壊滅させてこの国の行政を後退させるしかないだろう!そうだそうしよう!」スペイドが部下に振り返って言った。「MIRVを暖めろ。我々が港を出発し次第、ここを吹っ飛ばす」
「イエッサーボス!」
「核ミサイルが必要?」
部屋の奥から声がかかって、アメリカ人が一斉に振り返った。
「持ってきてあげたよ!そら受け取れ~」
ベータが抱えていた核弾頭をジョーンズに放った。




