36 サム・スペイド
寺をあとにしたアナは外国人が大勢居る穴蔵のような地下の店を見つけて、遅めの夕食をとった。表通りに比べて食事は半額以下、比較的手頃な価格だった。
隅のボックス席でバーガーとコークの夕食を楽しんでいると、向かいの席に男が滑り込んできた。
「やあ」
アナはバーガーをかじりながらチラリと見た。
「アメリカ人?」
「キミもだろ」
アナは肩をすくめた。
男は身長6フィート3インチ、筋肉質でタンクトップとパリッとしたズボン、軍用ブーツを履いていた。短く刈り上げた金髪で、俳優のグレッグ・ジャーマンかジェイソン・ペギーに似た爬虫類系だ。歳は30代半ばか。
(それに真っ白だ)
「なにかご用なんで?」
「単なるナンパかもしれない」
「ハハ~ン」
「なにかおごろう」
「けっこうですよ」
男はバーテンに合図して自分のドリンクだけ注文した。カクテルが届くと乾杯するようにグラスを掲げた。
「それで、わたしなんかになんのご用で?」
「いや、いまからパーティーなんだが本当にキミを誘おうと思ってたのだ。興味ある?」
アナはバーガーを食べ終え、紙ナプキンで唇を拭った。コークをひとくちすすった。
「――どこでやるかによるかな」
「ホテルニュートウキョウのスカイラウンジ。それはそうと、わたしはスペイド。サミュエル・スペイドだ」
「よろしくスペイドさん、わたしマルタよ」
スペイドはにやっと笑った。
「若いのに口が達者だ」
「楽しいパーティーなの?」
「そうさ。アルコールに音楽……」
「いいんじゃない?連れてってよ」
通りに出るとスペイドは無人タクシーを捕まえ、アナに手を貸して乗り込ませ、自分も乗り込んだ。
「ホテルニュートウキョウ」
『かしこまりました。発進します』
タクシーが音もなく走り始めると、スペイドは言った。
「さて、きみの話を聞かせてくれ」
「わたしはただの旅行者よ。それにアメリカ人じゃなくて、カリフォルニア人。あんたたち「正統派」とはいささか相性が悪いかも」
「ウム……まあ見解の相違というやつだな。じつは、君のことはちょっと知っているんだ。ジョアン・ロドリゲス元シールズ一等兵曹の娘、アナ・ロドリゲスだろう?ずいぶん遠くに来たものだが、いったいなにが狙いなのかね?」
こんな遠い国でアナの個人データを持っているとは、この男は情報機関の人間なのだろうか?アナの警戒レベルが急上昇した。
「狙いなんてない。本当にたまたま立ち寄ったのよ!知人のつてを辿って」
「知人て、鮫島兄弟のことか?」
「――まあ、そうよ」
「キミも彼らも我々の好ましからざる人物リストの上のほうに位置しているのだよ」
「それでなに?わたしとママがあんたたちの強制収容所から脱走したから逮捕するって?ここは治外法権だよ?」
「どうかな。まあそれはたいして問題にしてないから安心してくれ」
「それじゃあどうして――」
「キミに声かけたか?まあ気まぐれというか……わたしたちはある人物を探していてね。キミのママと関係ある人物だ。だからキミの身柄を確保しておけば、なにか役に立つかもしれないと思ったのだ」
「お役に立つとは思えないなあ……」
「いいんだ。キミはいわば不確定の変数なのでね、手元に置いておくほうが安心できるというだけだ」
「ねえスペイドさん、勝手にわたしの自由を奪う話してるようだけど、超迷惑なんだけど!?」
「それは申し訳ないが代わりに……退屈しない話をしてあげよう。我々の最終目標についてだ。キミのママもご存じだろうが、この世界にはイエスが実存なされている」
アナは盛大に顔をしかめた。
「イエス・キリスト実存説」はかつて、デスペラン・アンバーと彼に仕えていた秘密諜報部隊Aチームの拠点から漏れ出でた話だ。
大天使アズラエルが何気なく語った逸話が徐々に関係者から広がり、いまでは公然の秘密としてアメリカ社会に浸透していた。
「終焉の大天使協会」織天使突撃部隊の一員に「彼」がいる。
大天使ヤハウェ軍曹……またの名をイエス・キリスト。
イグドラシルから二千年前の地球に人間として降臨して、処刑されたという本物のイエス・キリスト。
欧米圏でその説を信じた者は(無理もないが)数多く、冒険者の多くが「彼」に会うことを究極の目的としている。とくにローマカトリック信者とユダヤ教徒のあいだでは苛烈な競争と化しているらしい。
恐竜ハンターの一件でじっさいに織天使突撃部隊が出現してからは、なおさらヒートアップしていた。彼らはじつに恐ろしい連中だったらしいのだが、ある種の恐怖は畏敬を伴う……
アナは失笑気味に言った。
「まさか、スペイドさんも「彼」に会いたいわけ?」
「会うだけではないぞ」
サミュエル・スペイドはアナを見据えてにんまりした。「わたしたちは「彼」に玉座をご用意しているのだ……アメリカ合衆国再興のために」
男の眼に一瞬、狂信者的な光が宿った。
アナは反論した。
「そんなの無理……「終焉の大天使協会」はわたしたち地球人にそれほど関心を持ってないんだから。不祥事を起こさないよう見張ってるだけなんだよ?」
「なあに……それは我々がなんとかしてみせるさ」
「相手は精霊よ!?交渉次第でなんとかできる相手じゃない――」
「我々だってこのデタラメな世界を否定しているばかりではないんだよ。研究は進んでいる」
スペイドは身を乗り出してアナに顔を近づけた。
「それにだ、あのふざけた〈ハイパワー〉やギリシャ、アステカなんぞの神様ぶった連中に対抗するには、イグドラシル勢力のひとつと手を結ぶのがもっとも手っ取り早く、かつ効果的なのだ。
我々はそのためにまず、世界各国の政治体制が復権するまえに介入しすることにした。なんと言ってもバァルやアルトラガンは巨大だ……対等に渡り合うには世界連邦を樹立する必要がある。それから君等――」
アナを指さした。
「魔女をコントロールせねばな……放置すれば君等は核弾頭以上の脅威になりうる。合衆国の完全支配下に置かなければ安眠できまいよ」
「あんたCIAなんだ。アメリカが世界じゅうにスパイを送り込んで傀儡政権をつくろうとしてるって話、マジなんだね……?」
「流石だな、よくご存じじゃないか!」
「それに、たぶん白人至上主義者でしょう?そんな希有壮大な与太話、他じゃ思いつかないよ」
「まさしく、まさしく」
「なんで……」アナは額に汗していた。「わたしにそんな話わざわざ打ち明けてる……?」
スペイドは笑った。
「お恥ずかしながら、わたしは小生意気な茶色いケツが好物でね……だから本当にナンパだったのだ。同志には秘密だがホテルに行くのも本当だよ」
「ふざけんなよこの白んぼ野郎……」
「あと、たまに計画を喋りたくてたまらなくなるんだ!だからぶっ殺すまえの小娘に聞いてもらった!おかげですっきりした!ありがとう」
アナは素早くナイフを繰り出してスペイドの首を狙った。
だがスペイドのほうが早かった。
胸にスタンガンをあてがわれ、アナは失神した。