32 陰謀
ニューアカサカの繁華街は若者で賑わっていた。
クラブに各種飲食店、カラオケボックス、ゲーセンに、カジノまであった。
「わーこりゃすげえ、21世紀初めに戻ったみたいだ」
誰かが言った。たしかにその通り……タイムズスクエアのやや縮小版という趣だ。
歓楽街を歩いているうちにアナたち一団はひとり、またひとりとお目当ての店に消え、やがてひとりになっていた。
若い女が夜にひとりで歩いてもアメリカや他の国より安全、という点はかつての日本と同じだ。とくに南米系のガイジンだとナンパの声もめったにかからない。
ドラッグストアを見つけて、アナはしばらく店内を物色した。
「おほ!売ってるよ!」
生理用品と……ゴム。
イグドラシルではなかなか入手しづらくなった地球製の品物だ。お値段はやや張るが、買い置きして損はない。
噂によれば、イグドラシル人の女性には月経がない。
愛で結ばれると、はじめて赤ちゃんを宿す用意が整うのだという。これは男性にも言えるそうで、しばらく連れ添った相手でなければ絶頂時に射精を伴わないらしい。
事実なのかなかなか確認しづらいことだが、生殖サイクルが限定されている生き物は地球でも珍しくないが……
だがアメリカのキリスト教徒はそれも土着のイグドラシル人を軽蔑する理由にしていた。なにかにつけて彼らを地球人より下等と見なしたいのだ。
いつでも妊娠可能なことが高等生物の証なのか……やや男性主観の価値基準であり、女性の立場としては断言しかねた。
少なくとも、イグドラシルの女性はレイプで妊娠することはない。
アナは暗い笑みを浮かべた。
(レイプ事件がゼロとは行かないだろうが、その罪は極めて重い。それに地球のように強姦魔とその弁護団が理屈をこね回して無罪放免になることもない……)
アメリカ人が誇る裁判システムが通用しないことも、イグドラシル人を軽蔑し――憎む要因だった。
アメリカ人――というかアメリカの上位1%、いわゆる上級市民だけが、腹を立てているのだが。
彼らは吐き気を催すほどの金持ちで、その力で黒を白だと強弁するのに慣れきっていて、影響力によって国内の世論を誘導し、世界がかれらの思い通りのダンスを踊ることに満足感を得ていた。
何もかも思い通りにできないこの世界で、彼らがどれほど惑乱しているか――想像を絶する。
「入国」時に渡されたガイドブックには地図もあって、それによれば「センソウ寺」は歩いて10分ほどだった。
仏教寺院なら厳津和尚がいるかもしれない、というやや短絡的な推測によりアナはセンソウ寺に赴いた。
夜だったがセンソウ寺はなにか催し物の最中だった。
白黒の段幕に献花、黒塗りの高級車の車列から降りる黒い背広姿……葬儀だ。
レギンスに半袖チュニック、買い物の紙袋を抱えたアナはちょっと浮いた存在だった。境内に入り込める雰囲気でもなさそうだ。
喪服の女性の一団がなにやらおしゃべりしていた。
アナは2~3歩近づいて耳を傾けた。
「ねぇねぇお聞きになった?稻川のダンナ、毒殺なんじゃないかって……」
「キミコさん!やめなさいよそんなこと言うのは!」
「でもさあ……片桐アズサ、あの女がいろいろ動き回ってるじゃないの……日本から真っ先に逃げて、どこに行ったと思ったら急にしゃしゃり出てきてさ、ここで政権握ろうとしてるんじゃないかって、うちの旦那も怪しんでるのよねえ」
「怖いわね~、けどあの人どこにそんな後ろ盾があったの?」
「ほらこの前アメちゃんの軍艦が訪れたでしょ?なんでもあのおフネにこわ~い人たちがいっぱい乗ってたとか……」
「ヤダそんな人たちと結託してるの?怖いわあ」
黒いサングラスに背広、という男がアナを目にとめ、威嚇するように肩をそびやかせて歩いてきた。
「ガイジンのネーちゃん、ここは見せモンちゃうで。はよ失せな」
「ソーリー、わたし人捜ししててさあ……えらいお坊さんにお会いしたくて」
「ここにゃいねえよ」
「厳津和尚って方よ?知ってるの?」
「ガンツだあ? んなふざけた名前の和尚いるかよ」
「ねえ、ひょっとしてジャパニーズヤクザのえらい人のお葬式なの?」
「失せろ!シッシッ!」
退散する頃合いのようだった。
アナは愛想笑いで頷くと、きびすを返して繁華街に戻りはじめた。
ご婦人方の井戸端会議をどれほど真に受けるものか迷うが、ちょっと前にスコットランド人から聞いた話と妙に符合する……
(サム叔父さんは何をしようとしてるのか)
アナは舌打ちした。いまほどスマホが要ると痛感したことはない。テッドに知らせて相談したいところだが、知らせられるのはサイタマ帰還後、明日以降になってしまう。
(そうだ、ヨシキもこっちに来てるんじゃなかったっけ?……そもそもあいつ、なんでこんなとこにノコノコ出かけたんだか)




