22 ふたりで歩いていった猫
サブタイは大原まり子著/『ひとりで歩いて行った猫』のもじりです。
ベッドに横たわっていたおばあさんは目を瞑ったまま、涙を流していた。
猫がその涙を舐めとっていた。
「テルちゃん」
おばあさんは瞑目したま,かすかに笑みを浮かべてつぶやいた。「テルちゃんなの~?」
「ニャオ」
「ああ、わたしもあいたかった……」
アナがナツミの腕を肘でつついた。
ナツミが顔を向けると、アナは顎でベッド脇のサイドテーブルを示した。
テーブルには水差しとナイトスタンドのほかに、写真立てがふたつ置かれていた。
納められた写真の一枚は、もっと若い頃……中年時代のおばあさんだろうか、猫を抱いて笑っているカラー写真。
そしてもう一枚はモノクロで、猫……テルの遺影だった。写真立ての両脇に小さなろうそく立てが置かれていたからそう思ったのだ。
ナツミは息を呑んだ。
(それじゃあ、あの猫さんは……)
「テル?お友達といっしょなのかい?」
「ニャー」
シャムリスのニケがおばあさんに屈みこんで、その額に片手を置いた。
「ナニをしよーとしてゆノ?」
ユリナがつぶやいた。
「さあ……」ナツミもつぶやいたが、なんとなく察してはいた。
あの猫を――テルの幽体を抱え上げたときにぼんやり流れ込んできた想い……
ニケがなにごとか詠唱していた。知らない言葉。
おばあさんの額に当てた掌がぼんやり金色に光り始めた。
ナツミたちはその場の厳かな空気に呑まれ、身動きできずにいた。
窓のない室内に陽光が差し込んだ。ナツミたちがそちらに目を向けると、壁の一面が消失して,野原が広がっていた。
見たこともないほど蒼く高い空にピンク色の雲が浮かんでいた。そして野原はどこまでも緩やかに傾斜して、丘の頂が遠い彼方にあった。
丘はすべて、黄色と紫の背の低い草花に覆われている。
キリンに似た足の長い四足歩行動物が、のんびり草を食んでいた。
そよ風と野草の香りが室内に舞い込んできた。
アナが感嘆した様子で言った。
「あれ……投影じゃない。別の世界とじっさいに繋がってる」
「きっとニケさんの世界よ……」
アナがナツミの横顔を見た。
「……そうだね。と言うことはやっぱり――」
おしゃべりしていたのでナツミとアナは決定的な瞬間を見逃した。
ユリナが「アッ!」と短く叫んで、ナツミはベッドに目を戻した。
だけどもうベッドにおばあさんの姿はなく、テルもいなくなって、背筋を伸ばしたニケだけが残っていた。
ニケは野原に顔を向けている。
その視線を追うと、戯れながら丘に向かって疾走してゆく猫たちがかいま見えた……。
「ネコさんいっチャッタ……」
ユリナがうるんだ声でつぶやいて、ナツミは目に涙があふれた。
「そうだねえ……猫さん、おばあさんを連れて行ったんだねえ……」
「転生、したんだね……」アナも口を押さえて涙をポロポロあふれさせていた。
わけもなく、羨ましさを覚えた。それに晴れやか気持ちでもある。
(良かった)ナツミは涙を拭いながらただ思った。(良かった……)
アナがたずねた。
「ニケさん!おばあさんをあなたの世界に招いたんですよね!?」
ニケは答えず、ただ長い尻尾をゆっくり振っていた。
「あ、あのぉ」
ナツミは不意に頭に浮かんだことを言葉にした。
「ニケさんは〈世界王〉の戦いをご存じですかね?」
ニケは今度は振り返った。
「知っている」
「その戦いで〈世界王〉と対決した魔導傭兵ををご存じですか?サイファー・デス・ギャランハルトって、名前なんですが」
「うむ」
「わたし、その人を探しているんです!」
ユリナが目を丸くしてナツミを見上げた。
「なにかご存じありませんかね?」
「そなた……やはりなにか背負っておるね」
「なんでも結構ですから!彼の行方について――」
ニケは重々しく首を振った。
「人間の世界の出来事にはあまり関心がないのでねえ……噂しか聞き及んでないのよ」
「そう、ですか」
「しかして、死力を尽くした戦士が心身を癒やす場所はそう多くはないであろ……しかるべきところで尋ねれば、おのずと答えは得られよう」
「分かりました……」
「それではもう帰るよ」
「チョットマッテ!」ユリナが一歩踏み出して叫んだ。「アタシの呪い解いてヨオ!」
ニケはニヤリと牙を剥きだして言った。
「ひと眠りすれば解けるだろうよ」
そう言い捨てて、ニケは壁の向こうの野原に立ち去った。