20 猫の国の使者
猫は可愛いお尻を振りながら歩き続けていた。
ナツミが危惧したとおり、猫は塔を取り巻くらせん階段を飛び跳ねるように駆け上がり始めた。
階段は階段と呼べるほどきっちりした段ではなく朽ちかけた石の積み重ねだった。いちおう危険だから登らないようにという警告の看板は立っているが、ユリナによれば誰も気にしていないらしい。
階段は幅50センチで手すりもないのでナツミにとっては恐怖だったが、ユリナとアナは軽やかな足取りで昇り続けていた。
「ナツミさんはコケて落ちそうになったらわたしが受け止めてあげるよ」
ベータはナツミの傍らでトラ縞ビキニ娘のごとく宙を飛んでいた。
「そりゃ、ご親切に」
塔を五周するくらいらせん階段を駆け上がると、小さなテラスに出た。
ありがたいことに猫はそこで止まってくれた。
すでに地面から50メートルほど高い場所に来てしまっていた。眼下の川が枝分かれしている岸壁はもっと遠くに見える。
危険を冒した甲斐はあって、眺めは良かったが……。
ナツミは膝に手をついてハーハーしていた。
「ナツミさん若いのに運動不足じゃない?」アナが背中をさすりながら言った。
「つっ……つい最近まで、100歳のおばあちゃんだったの!」
ユリナは猫の傍らに屈みこんでいた。
「猫ちゃん、ここで誰かと待ち合わせなの~?」
「ミャー」
猫が体を起こしてユリナの肩越しに猫招きした。
ユリナが背後を振り返り、「ひゃっ!」と短くあえいで尻餅をついた。ナツミとアナがそちらに目を向けると、大きな人影がユリナを見下ろしていた。
頭巾まである漆黒のマントで人物像を垣間見ることはできなかったが、身長は二メートル以上ある……
「ネ、猫……」ユリナが尻餅をついたままつぶやいた。
「猫?」
マンチカンがユリナの脇を迂回してマントの人物に駆けよると、彼は屈んですくい上げた。
そして猫を抱いたままナツミたちに振り返った。
「猫!?」
猫人間だった。
とにかく、顔はネコ科だ。赤みがかった茶色と白の毛皮に覆われてる。
「猫ではない」もの柔らかな中性の声で、猫人間が言った。
「えっ違うの?」
「猫とはなに?」
アナがマンチカンを指さした。
「その、抱いてる子が猫ですけど……」
「そうなのかい」
「ニャー」
「だがおまえはたしかに我らシャムリスの眷属であるのう……」
ユリナが立ち上がって言った。
「シャムリス?それがあんたがたの種族なの?」
「そうじゃ、短命種よ」
「わ、わたしたちは「人間」よ!」
シャムリスは頷いた。
「おまえたちのことはよう知っておるわ,人間とやら。世を騒がせてばかりおる。我らのように九つの命を持たぬから余裕がないのであろ?」
「九つの命!?」アナが言った。「このヒトまじで猫じゃん……!」
「猫ではない!」
シャムリスの突然の剣幕にアナはビクッとした。
「し、失礼しました」
シャムリスは黙ってその場にいる全員にゆっくりと顔を巡らせた。
ベータを見てスッと目をすがめ、次にナツミをじーっと見下ろした。
(めっちゃガン飛ばされてます……!)
ナツミはたっぷり5秒ほど凝視されて困惑しまくった。
「ニャオ」
猫が呻くとシャムリスは愛おしげに目を細めた。
「よしよし」猫の頭を撫でるシャムリスの手首は長くしなやかな四本指で鋭いかぎ爪付きだ。「可愛そうな我が遠き血族よ。こんなに小さく儚げな姿になって、おまえは人間の世界で愛玩物になっておったのだねえ……」
「ニャアン」猫がぷるぷると首を振った。
「なに?おまえさんを可愛がってくれた者に会いたい?」
「ミャオ」
「そうかい、それでは願いを叶えよう」
シャムリスがナツミたちに背を向けた。
「あっ待って!」アナがその背中に呼びかけた。「シャムリスさん、行っちゃうんですか!?」
「行くよ」
「その前に、あなた方の国はどこなの!?教えてくださいよ!」
「おまえたちの賢者にでもたずねるが良い」
「どこに行くんですか!?わたしたちも連れてってください!」
「ばかをお言い」
ユリナも叫んだ。
「せめて名前を教えて!」
シャムリスは猫科らしくくるりと180度近く首を巡らせてユリナを見た。その顔がニヤリと凄絶な笑みを形作った。
「威勢の良い小娘、そなたその程度の魔導律で我が名を尋ねるのかい?ならばそれなりに代償がいるよ?」
「えっ代償?」ユリナはやや躊躇したが、こくりと頷いた。「じょ、上等よ……おなたの名前は!?」
「我が名は「ニケ」」
ごく普通の声音なのに、名乗った瞬間空気に歪みが生じて波紋のように伝搬した。
そして、黒マントのシャムリス、ニケは崖縁からサッと空に躍り出ると、姿を消した。
「……ナンダ呪いデモ罹るかとオモッタ」ユリナがつぶやいた。
隣のアナがユリナを見下ろして、言った。
「……呪い、かけられてるみたいよ」