18 街頭演説
ツルガシマニュータウンは差し渡し3㎞の客船のような形で、舳先に当たる上流のほうは高さ200メートルほどの尖塔がそびえている。
商店が建ち並ぶメインストリートはその塔に向かってかすかに勾配していた。
古い橋の橋脚が残っていたので比較的初期に橋が架けられたため、中州のこの町は流通の要衝になり、食品加工会社が工場を作ったので企業城下町として大いに栄えていた。
対岸の鉄道は一部試験的に開通している。なのでグンマ旅行の出発点にもなっていた。
「鉄道か~それも良いかな……アメリカじゃまだ走ってないんだ」
「日本から持ち込んだ車両だけなんで本数は少ないけどね」
奇妙な話だ、とナツミは思った。
むかし読んだ本では異世界に電車は走ってないし、コスメが売ってるとも書いてなかった。マヨネーズはやたら作ってたのだが。
とは言えやはりというか、化粧品売り場は木造の雑貨店の一区画だった。
広々とした売り場面積で、昔のドラッグストアに極力似せようとしていた。店名もキヨシだし。
化粧水は小さなガラス容器入りで、コルクや蝋で栓をしていた。
口紅は貝殻に収まっていた。
高級品だけは日本から持ち込んだプラスチックケースを使っているらしい。いずれにせよ種類は大幅に減っていた。
「材料が特殊だからねえ……サメとか。代替品はいま研究中だろうね」
アナもユリナも、化粧品は地球から持ち込んだのをちびちび使っているという。
衣料品店も似たような案配だった。ポリエステルがまだ再生産できないため、絹や木綿製品ばかりだった。少々お高い。
「雑貨はぜんぶ高いよ……手作りで100%国産だし」
「まあ食料は事欠かないから、バランスは取れてんじゃない?」
たしかに食べ物は安い。屋台の売り物はほとんど100円均一状態。飲み物はお客が容器持参なので50円だ。
みんな「旧貨幣」で取引していた。紙幣は魔法で偽造しやすい、という本当かデマなのか分からない噂が飛び交ってて、小銭が重宝されているという。
「だから、非公式通貨として金銀のコインを使ってるわけ」
アナが小さな金貨を一枚、取り出して見せた。
「これで100ドル……日本だと一万円くらい?」
日本から持ち込まれた品物を専門に売ってる店もあった。客は少ないという。
「保存の利く食糧も尽きてきたから……去年あたりはカップラーメンを食べようってブームが起きたけど、イグドラシルの食事に慣れるとあまり美味しくないの。お菓子もね」
「順応が進んでるのよねえ」アナが言った。
「アメリカでも映画のソフトが売れると見込んでたんだけど、早くも地球を懐かしがる風潮は廃れてるよ……観てもピンとこなくて」
「それ分かるぅ!もうここの生活に慣れちゃってるんだよ。テレビは放送するものがあんまり無いからドラマの再放送で時間埋めてるんだけど、みんな興味ないよ」
(なるほどねえ)ナツミは若い人たちの会話に耳を傾けながら思った。
早くも地球の生活は記憶の彼方にあるらしい。少しせつないが、前向きではある。
ランチは岸壁に面した公園のベンチで、屋台の食べ物をおのおの好き勝手にチョイスした。
ナツミは焼き饅頭と「グヤーシュ」と呼ばれているごった煮スープ、スカイメロンと呼ばれている果物(昨日のケーキに入っていた青く半透明の果実だ)の串を選んだ。
アナは野菜をいっぱい挟んだターキーサンドイッチ、ユリナはホットドック。ベータは食事は遠慮して、ときどき猫の餌をつまんだ。
食事していると、広場の中央に白いバンが止まって、なにやら演説の準備が始まった。
白いスーツ姿の女性がバンの前に設えたお立ち台に登って、マイクで演説を始めた。
『ツルガシマニュータウンの皆様、おはようございます!』
「あら、あの人見覚えがあるわねえ?」
ナツミが言うと、ユリナが答えた。
「政治家さんだよ。わたしが中学生だった頃、ワイドショーで異世界転移に猛反対してた人。だけどある非突然失踪して話題になったの」
「ああそれ!なんとなく覚えてたわ。けっこう大騒ぎになって。……やっぱりここに転移してたのねえ」
『本日は不詳片桐アズサ、こうして皆様に直接、お願いにはせ参じました』
片桐ミサは深々とお辞儀した。
『ご承知のように新しい日本国はまだ政府機能が一部樹立しておらず、皆様にはたいへんなご不便をおかけしております。日々生活のため費やされている貴重な時間をこうしてお邪魔するのはたいへん恐縮ですが、わたくし片桐は、そのような不便さを是正すべく全力で挑んでおります――』
彼女は背筋を正して続けた。
『ごく一部ですが国の結束を快く思わないかたもいるのは事実であります。ですが皆様!現実を見据えたとき、そのように国の体を成していないでは、この国に未来はないとわたくしは思うのです』
ギャラリーは30人くらい集まっているだろうか。しかし大半はベンチで昼食を続けていた。
『考えてみてください。皆様の多くは新型インフルエンザの流行とその対処を国が主導したことを覚えていらっしゃるでしょう?あるいは地震災害の際の対処。
たとえ国難の時期ではなくとも、政府中枢は皆様が想像する以上に様々な仕事に携わっていたのです。
ですから地方行政任せでガバメントリーダーシップはいらないという考え方には、わたくしは必ずも賛同できません。われわれはより慎重にダイバーシティと考慮し、日本という素晴らしいレガシーをサスティナブルな状態でリバイバルさせなければなりません。
あえて言わせていただくならいま現在こそが国難の時期であると!』
聴衆の拍手はまばらでじつに冷ややかだったが、片桐アズサは満面の笑顔でお辞儀した。かつて第二の都知事候補とまで言われた美貌は健在だった。
『さて皆様、本日はもうひとつ、可及的速やかにパッセージせねばならない法案をご理解頂くため参りました。政府はこのところの市民間の格差を是正するため〈魔導律〉と呼ばれている不法能力を規制する必要に迫られております。わたくしはこの法案『イグドラシル新法』を一刻も早く可決させ、明確なコンプライアンスを樹立しなければなりません。
わたくしはそのため皆様の署名を集めているのです。何とぞご協力お願いいたします!』
「とんでもないこといってるぞ」アナがつぶやいた。