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模型部へようこそ  作者: 裏庭その子
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秋_02

「春ちゃんが、千秋君と仲直りしたみたいで良かったよ…」

いつもの帰り道…陣内くんがそう言って僕の顔を覗き込んで来た。

「え…うん。ちゃんと謝れる機会があってね…。でも、不思議だよ。どうして、そんなに陣内くんが気にするの…。ふふ…!変だね?」

クスクス笑った僕に、彼は真剣な目をしてこう言った。

「…春ちゃん。あの、3年生の女の先輩は、円くんの前には、千秋君にちょっかいを掛けていたって…知ってる?」

3年生の女の先輩…?

真理ちゃんの事…?

僕は陣内くんにコクリと頷いてみせた。すると、彼は言い辛そうに、モゴモゴと話し始めた。

「女バスの彼女から聞いた話なんだけど…千秋君は、あの先輩の事…嫌がってたんだって。でも、絶対…怒らせる様な事や、拒絶する事をしなかった…。八方美人だなんて悪口を言われても、その姿勢を崩さなかったんだって。ねえ、それって…結果的に、君への…嫌がらせを防止していた事にならないかな…?」


え…?


口を開けたまま、僕は陣内くんの顔を見つめ続けた。

確かに…真理ちゃんは、ちいちゃんを狙っていた時には、一度も僕に嫌がらせなんてして来なかった。


「そ…そうか…」

眉を下げた僕は…それ以上、何も、言えなくなった…

小学校の時、散々、君に集まる取り巻きに傷付けられた。そんな僕の姿を見ていた君は、僕を守る為に…敢えて、迎合したの…?

そうする事で、君の傍にいる…僕を守ったの…?


ちいちゃん…


「ねえ、じゃあ…春ちゃん。この話は聞いてる…?千秋君、プロのバスケットチームからスカウトされてるんだって。これが決まれば、彼は国内でプレイするプロのバスケット選手になる。つまり…高校を卒業したら、本拠地に引っ越して…本腰を入れた練習を始める事になるんだ。」


え…?

本拠地に引っ越す…?


目を点にした僕は、意図せずに、口元を歪めて笑った。

「ま、まるちゃんも…そんな事言ってたぁ…!でも…僕は、ちいちゃんから…何も聞いてないよ?お、おお…幼馴染の僕が知らない事を…ど、どうして…まるちゃんや、陣内くんが知ってるのさ…。そ、そんなの…嘘だねっ!おかしいじゃないか…!」

「何もおかしくないよ。結構な噂になってるもん。それに、女バスに居る僕の彼女が、何度もスカウトマンが来てる所を見たって、言ってた…。」

陣内くんは、僕を見つめて、呆れた様に肩をすくめてそう言った。

僕は、ただ…呆然とそんな彼を見つめたまま…立ち尽くした。


だから…ボボちゃんと言い争いをしていたの…?



…だから、僕にあんな事をしたの…?


「そう…」

胸に込み上げてくるのは、ただの不安…

それが胸を覆いつくす前に…僕は、顔を上げて陣内くんに言った。

「…め、名誉な事じゃないか…!ちいちゃんは中学校からバスケットが大好きだもの。きっと、とっても嬉しいに違いないよ?はは…そ、そうか…そうだったんだ…」


…知らなかった。

あんなに傍にいたのに、僕は…彼の何も、知らなかった…

僕を守る為に、彼が苦心していたことも…スカウトを受けて、返答に悩んでいる事も…

何も…知らなかった。


電車の中、吊革に掴まって、いつもの様に目の前を通り抜けて行く景色を、ぼんやりと見つめた。

本拠地へ引っ越して…プロのバスケットボール選手になる…?

僕の傍から、居なくなる…?

赤ちゃんの頃から、一緒に居るのが、当たり前だった彼が…?


「春ちゃん?」

ふと、背後から声を掛けられて、僕は、電車の窓に反射する笑顔の彼を見つめて、首を傾げて言った。

「…聞いたよ。ちいちゃん…」

振り返りもしないまま、窓に反射する君の戸惑った顔を見つめて、続けてこう言った。


「どうして、僕に…教えて、くれなかったの…」


意図せず、僕は目頭が熱くなった…

ボロボロと涙を落としながら、窓に反射する彼を見つめて、ただ…不安に駆られて泣いた。

「まだ…決まった訳じゃないから…」

ちいちゃんはそう言って、肩を揺らす僕の顔を覗き込もうとした。だから、僕は顔をそらして、乱暴に腕で涙を拭って言った。

「…知らなかった!僕は、何も知らなかった…!!」


先の事なんて何も考えていなかった。

このまま…同じ日常が続くなんて思ってはいなかったさ…

でも…君と離れる日がこんなに早く訪れるなんて、僕は、考えてもいなかったんだ。

そして、自分がこんなに…動揺するとも思っていなかった。

君が離れて行く事が、こんなに怖いだなんて…思いもよらなかった。


「まだ、決まった訳じゃない…」

僕の肩をそっと撫でて、ちいちゃんが眉を下げてそう言った。


一緒に電車を降りた僕たちは、同じ方向に向かって…並んで歩き始めた。

「…ちいちゃん、ソフトクリーム買ってよ…」

この前、ちいちゃんが柏木さんと食べていたアイスクリーム屋の前で立ち止まった僕は、伏し目がちにちいちゃんの靴に向かってそう言った。

「え…?ん、良いよ…」

驚いた様にそう言った彼は、僕の顔を覗き込んで笑って言った。

「…春ちゃん、何味にするの?」

「うんこの味…」

そんな僕の返答に苦笑いをしたちいちゃんは、僕にチョコ味のソフトクリームを買ってくれた。

甘いうんこのソフトクリームをペロペロと舐めながら、僕はちいちゃんと商店街を歩いて抜けた。

隣で僕を横目に伺い見て来る君の視線を感じながら、僕は、ただ前を見据えて…ソフトクリームを舐め続けた。


「ちいちゃんは…僕を守る為に、嫌な奴にも…優しくした…!」

ポツリとそう言うと、ちいちゃんが目を見開いて僕を見下ろした。だから、僕は続けて前を見据えながらこう言った。

「…あ、ありがとう…。僕の為に…ありがとう!」

「春ちゃん…」

肩を落としたちいちゃんは、足を止めて僕を見つめた。だから、僕も…足を止めて前を見据えたまま、こう言った。

「問題は、こっちだ!…ちいちゃんは、中学の時からバスケットが大好きだったでしょ…!」


すると、ちいちゃんは…こう言った。

「だから…何だよ…。」

分からない。

プロのチームからスカウトされるなんて、きっと喜ばしい事なのに…浮かない顔をする君の事が、よく、分からないよ。


「どうして…悩む必要があるのさ…!」


まだまだソフトクリームは上に残っているのに、僕はガジガジとコーンをかじり始めた。すると、そんな僕の暴挙に、ちいちゃんが窘める様に手を差し出しながら言った。

「あぁ…こぼれちゃうだろ?そんな食べ方をするなよ…。まったく…!」

「うっ…うう…!」

僕は、泣きながらひたすらコーンをかじって、ちいちゃんの進言通り…上に乗ったソフトクリームを地面に落とした。


「…あっ、ほらぁ!落としてんじゃん!」

「うう…うっうう…!」

アイスだらけの口を歪めた僕は、僕を見下ろして眉を下げるちいちゃんを見上げて、込み上げてくる言葉をそのまま彼に言った。


「なぁんで、教えてくれなかったの!何で…何で言ってくれなかったの!」


「だぁから…まだ、決まった訳じゃないって…」

「違うっ!…何で言ってくれなかったの!何で、ずっと…言ってくれなかったの!!」

ソフトクリームの乗っていないコーンを握り締めた僕は、戸惑って目を逸らすちいちゃんに詰め寄った。すると、彼は僕の手から粉々になったコーンを取り上げて、こう言った。


「…俺は、何度も言った。でも、春ちゃんが、信じなかった。」


そんな彼の言葉に愕然とした僕は、大人しく背中を丸めて彼の隣を歩き始めた。


俺は何度も言った…


その言葉を、僕は何度も繰り返し頭の中でつぶやいた。そして、思い出す思い出の端々に…胸が痛くなった。


それは、遡れば…幼い幼稚園生の頃から、当然の様に繰り返されて来た…日常の一部だった。

「ちいちゃ…!おかし頂戴?」

「ん、良いよ?春ちゃんは大好きだから、あげる~?」


友達の遊びを断り続けた…小学生の時も、君は…自然に、普通に、僕に言った。

「ちいちゃん…何で遊びに行かなかったの?」

「ん?…俺は春ちゃんと居る方が好きなんだ。だって、春ちゃんが大好きだからね。」


中学生になって卑屈を極めた僕にも、君は変わらず、傍で…こう言ってくれていた。

「…僕と一緒に居たって、楽しくないだろ…?」

「どうしてそんな事を言うんだよ。俺は、好きな人の傍に居たいんだ。」


なのに…どうして、僕はそれを素直に受け止められなかったんだろう。

あまりにも自然で、あまりにも当然で、僕には…その価値が分からなかったみたいだ。

まるで、今日…模型部の1年生に抱いた…後悔と懺悔の気持ちと同じ様な自分の心境に、首を傾げて呆れた。


…本当に大切なものは、既に、持っていたんだ…


「ち、ちいちゃん…!」


こんな事、幼馴染の君にする事じゃない。

雑魚寝をしたり…一緒に温泉に入ったり…今まで、散々…馬鹿みたいに一緒に過ごして来た君に、する事じゃない。


だけど…

僕はいつもの様にちいちゃんに抱き付いて、彼の胸に顔を擦り付けた。そして、いつもとは違う言葉を、口から出して言った。


「僕は…ずっと、ちいちゃんが…好きだったぁ…」


遠く離れてしまうのなら、言っても良いだろ。

もう…離れて暮らすのなら、言っても良いだろ…?


僕は君の事が、大好きだったんだ…


「…は、春ちゃん…」


らしからぬ動揺した声を上げたちいちゃんは、僕を抱きしめてこう言った。


「俺も、ずっと…好きだった…」



いつの頃から…そうだったのか、あまりに自然過ぎて覚えていないんだ。

でも、僕は…君が他の子と遊ぶ事がとても嫌だった。

独占したかったんだ。

大好きな君をひとり占めしたかった。

でも、僕から見ても…君は人気者になる素質を持ってる人だった。

だから、身を引いた…

自分を卑下して、鬱屈して、ひねくれながら…君が誰かと付き合う姿を横目に見て、胸を痛めた。

自分に向けられる事の無い君の愛情を、誰かが受け取っている姿なんて、見たくないだろ…?見たくなかったんだ…。見たくなかった。

だから…君を意図的に避けた。


不思議だ…


告白し合った僕たちは、実は両思いだという事に気が付いた筈なのに、何も話せないまま…自宅まで帰って来た。

そして、何も話さないまま…お互いの玄関を開いた。

横目に見つめ合って、でも、すぐに目を逸らして…逃げる様に家に入った。


不思議だ…


普通なら、もっと…盛り上がる物なんじゃないのか…?!

なのに、どうした事か、あまりに自然にそうして来たせいか…意識し始めると、僕とちいちゃんは途端にぎこちなくなった。

「…まるちゃんの時と、違う…」

僕が彼に抱く恋心は…理性を失わせるリミッターの外れた情熱だ。

だけど、ちいちゃんに…同じ様になる事は無かった。

でも、ドクドクと鼓動する胸の鼓動は…体を揺らす程にけた違いだった。


「ち…ち、ちちちち…ちいちゃん…」

暗い玄関でポツリと僕がそう呟くと、同じ様に暗い玄関の中に立っていたお母さんがポツリと言った。

「…どうしたかね…」


「は…?!な、な、何でもない…!」


顔を真っ赤にした僕は、お母さんから逃げる様に急いで自室へと向かった。すると、お母さんは僕の後ろを付いて来て、様子を伺いながら、こう言った。


「あらぁ…春ちゃん、手を洗わないの…?」


そんな言葉に方向転換をした僕は、急いで手洗いを済ませて自室へと向かった。


「あらぁ…春ちゃん、ご飯を食べないの…?」


そんな言葉に再び方向転換をした僕は、まだ何も揃っていないダイニングテーブルに腰かけて、僕をじろじろ見つめて来るお母さんの餌食になった。


「何したの…?ちいちゃん!なんて…暗い中呟いちゃってさ…。何したのよ…?」

「な、な、なな何でもないよ…。」

どんどん熱くなって行く顔をそのままにして、僕はトボけてそう言った。

いつもなら、僕は、お母さんに、細かい話まで出来るのに…

どうしてか…今日は、違った。

何も言いたくなくて…何も、言われたくなかった。

だから、何も話さなかった。


「へえ…」


舐める様に僕を見つめたお母さんは、ハンバーグの乗ったプレートを僕の前に出して、こう言った。

「どうぞ?召し上がれ?」


「…い、いただきます…」


今日もお母さんのハンバーグは美味しかった。でも、僕を見つめて来るふたつの鋭い視線は、居心地が悪く、少しだけ痛かった。


まるちゃん…僕は、君の事が好きだと思ってた。

でも、どうやら、違ったみたいだ…

違ったみたいだ。


風呂に入って自室にこもった僕は、未だに治まらない胸の動悸を、深呼吸して紛らわせた。そして、窓の外から見える青暗い空を見上げて、ため息をひとつ吐きながらベランダの窓を開いた。

頬に当たる風は少しの湿気を纏って冷たくて心地良いのに…僕の胸の中は、遠くで光る雷の様に…衝撃を受け続けてる。


「春ちゃん…何してるの…?」


そんな声と共に、隣のベランダにいつもの様にちいちゃんが現れた。

欄干に腕を乗せて遠くを見つめながら、そんな彼を横目に見た僕はこう言った。

「…ちいちゃん。遠くで雷が光ってる…」

「あ…本当だ。風が冷たいから、そのうち、こっちもザーザー降りになりそうだな。」

「…ちいちゃん。せっかくソフトクリーム買ってくれたのに…駄目にしちゃった。」

「…あっはっは!見事に落としてたな!あっはっはっは!」


ちいちゃんは、少しの時間で…僕と話す事が平気になったみたいに、いつも通りに話してくれた。そのお陰か…僕も少しのぎこちなさを残しつつも、彼の声と言葉に、目じりを下げて笑えるまでに…リカバリーした。

「…で、ゴジラはいつ完成するの…?」

「ふふ…そうだな。リペイントが終わったら、レジンの板に…こっちと、こっちで固定するんだ。そして、ゴジラの体に白波を立てて…足元には、レジンで作った水流を表現しようと思ってる。ほら…こうして足を掻くとさ、水中で抵抗が生まれるだろ?それを視覚的に表現して…」

つい、夢中になって話し込んだ僕は、ハッと我に返って、僕を見つめて目じりを下げるちいちゃんに苦笑いしながらこう言った。

「…あ、はは…つまらないだろ…?こんな話…」

「全然。つまらなくない…。」


ズッキューーーーーーン!


優しく微笑む彼の表情が、今までずっと見て来た彼の表情のどれとも重ならなくて、僕は一気に胸を撃ち抜かれた。

あ…あわ…あわあわあわあわ…

それは、まるちゃんに感じた衝撃よりも、強くて、大きくて、体を揺らす程のダメージを与える…胸キュンだった。

「…そ、そっか…じゃあ…良かった…」

カクカクと首を動かした僕は、遠くを見つめて、鼻先に当たった雨粒に顔を上げた。

ちいちゃんが言った通り…こっちにも雨雲がやって来たみたいだ。

「雨だ…」

手を伸ばした僕は、ポツポツと手のひらに当たる雨粒を感じながら、ちいちゃんを見た。すると、彼はそんな事気にもしないみたいに、欄干にもたれかかって僕を見て、こう言った。

「春ちゃん。この前…まるちゃんと、遊園地に行ったんだろ?どうだった…?」


え…?


「楽しかった…まるちゃんが、焼きそばに…胡椒をたんまりかけて、平気な顔して食べてたのが…衝撃的だった。」

でも…もっと、僕は衝撃を受けたんだ。


「…他には?何した…?」


そんなちいちゃんの言葉と、視線に、僕は首を傾げてこう言った。


「…キスした。」


「へえ…」


「人生初めての…貴重なキッスだった…」


「いや。違うけどね…」


眉を片方だけ上げたちいちゃんは、ベランダから身を乗り出して、僕の顔を覗き込んでこう言った。

「春ちゃんの初めては、俺が大体頂いてるから…。初めてではないよ?」


…へえ。知らなかった…


「そ、そうなんだ…。それは、知らなかった…」


引き攣る顔をそのままにして、僕はちいちゃんから視線を逸らした。そして、音を立てて降り始めた雨を、ぼんやりと眺めた。


「…え、いつ?」

解せない気持ちを解消する様に再びちいちゃんを見てそう尋ねると、彼は肩をすくめてこう言った。

「しょっちゅうさ!デデちゃんも、うちの母さんも知ってる!寝てる間にしたり、泣いてる隙にしたり、事ある毎にした。中学校の時、キャンプに行った時もしたし、高校になった後もした。」


ま、マジか…


「だったら…昨日の、アレも、ちいちゃんには…普通の事だったんだねぇ…」

そう…僕の胸を激しく揺さぶった…あの、キスだ…

「違う。」

すぐにそう断言したちいちゃんは、ケラケラ笑いながら僕に言った。

「キスする時、春ちゃんが俺を見ていたのは…初めてだった…」


はぁはぁ…はぁはぁ…


「そ、そっか~!」

やけに大人な雰囲気を纏ったちいちゃんに、異常に興奮してくる気持ちを誤魔化す様に明るくそう言った僕は、ロボットの様に体を動かして言った。

「あ~!フィギュアを、ぬ…ぬ、ぬ、塗らないとぉ!ちいちゃん、まったね~!」


「うん。また、明日ね…」


やられた…

僕の胸は、心は…ちいちゃんの何気ない一言で、いともたやすく、だらしないはんぺんの様に…デレデレになった。

いつもの彼が…妙にセクシーに見えるのは、どうしてなんだ…?!


そんな時、ふと…頭の中に、ちいちゃんの彼女、柏木さんの姿が浮かんだ。

きっと…彼は、いろんな事を済ませてる。

だから、セクシーなんだ。

僕の事を好きだったなんて言っても…僕は、彼の歴代の彼女を、全て…フルネームで言える。

それに…僕の知らない所で、僕の初めてを奪っていた。


ちいちゃんは…所謂、プレイボーイだったんだ…!!


「はぁはぁ…プ、プ、プレイボーイ…?!」

紙粘土を指先で捏ねながら、僕は自分の幼馴染がプレイボーイだという事実に驚愕して、過去を思い出しながら眉を顰めた。


「…遥ちゃんと、付き合ってるって聞いたぁ…」

ちいちゃんの黒いランドセルに向かって、僕がそう言うと、彼は悪びれる様子もなくこう答えた。

「うん!何となく!」


中学校の時…桃子ちゃんと最後まで行ったと良からぬ噂が立った…

その時も、彼は悪びれる様子もなく、普段通り…ぼくの隣で、へらへら笑ってた。


右手に持った紙粘土をにじり潰した僕は、眉間にしわを寄せて宙を睨みつけた。


…と、と、とんでもねえ男じゃねえかっ!!


沸々とはらわたが煮えくり返った僕は、ちいちゃんの部屋に向かって、自分の部屋の壁に思いきり紙粘土の塊を投げつけた。


ドスン!


そんな鈍い音を響かせた後…ちいちゃんの部屋から、トントン…と、軽快なノックの音が返って来た。

「…はぁ。」

散々、目の前で繰り広げられた彼の恋愛遍歴を全て知っているというのに、それでも、僕は…ちいちゃんが好きなままだった。


これが…所謂、惚れた弱みというやつなのか…


「はぁ…もう、やめよう…」

頭を悩ませる問題から目を背ける方法を、僕はいくつも持ってる。

紙粘土を拾い上げて椅子に座り直した僕は、黙々とフィギュアを制作した。



次の日の放課後…

「春氏!見てくれい!こんなに…こんなに…立派な線路になったでござるよ…?ほらぁ!踏切も!時間で閉じる仕様になっているでござる!!」

部室を分断していたビニールを取っ払った僕は、眼下で大興奮する伊集院くんを見下ろしながらケラケラ笑って言った。

「上出来じゃないかぁ!この駅は、誰が作ったの?とっても造形がしっかりしてる!」

「春先輩!僕が作りましたぁ!」

模型部は、すっかり活気を取り戻した。

各々の制作物を黙々と作る日常に比べて、ひとつの物をみんなで作っているせいか…おしゃべりも、笑い声も、断然増えた。

ジオラマの全景も見えて来た…

残るは細かなディティールの作り込みと、各々の制作物を情景に溶け込ませていく作業のみとなった。


「陣内くん!波を作るから…天面になるレジンの板を美術室へ運ぼう!」

「…はいはい!」

今日は、海のレジンの天面に波打ち際の白波を作っていく。

大きなジオラマが占拠する中、作業スペースの少なくなった僕たちは、大きな造形作業の時は、美術部のスペースを少しだけ間借りしていた。

「強化剤を入れて…どのくらいたってからにする…?」

そう聞いて来る陣内くんを上目遣いに見た僕は、白い絵の具を溶かしながら首を傾げて言った。

「一概に言えない…粘り気を確認しながら、流し込もう。」

既に水色の絵の具がとかされたレジンの板は、それだけでも綺麗な代物さ。でも、海は…波が立ってる物だ。だから…この上に、トロみの強いレジンを再び流し込んで、ドライヤーを当てながら波を作っていくんだ。

これは、失敗したらもう、修正の出来ない…一発勝負の作業さ。


「ほれぇ!春ちゃん、気合いだっぺ!」

南條くんは、気合を込めてそう言うと、僕の口の中にべったら漬けを入れてくれた。

「じゃ…混ぜるよ。」

そんな後藤くんに声に頷いた僕は、手にゴム手袋をはめながらレジンの板の上にゴジラを置いた。

すると、既に配置の済んだ南條くんの連合艦隊に包囲されたゴジラの姿に、思わずみんな目を細めて微笑んだ。

「良いな…」

「ゴジラ、めっちゃ強そうになったじゃん…」

「さすがでござるね…良いクオリティーでござる!」

「核攻撃なんて…こいつにとっちゃあ、餌を貰ってる様なもんだっぺ!」

そんなみんなの声にクスクス笑った僕は、後藤くんの手元で掻き混ぜられるレジンを見つめて、頃合いを見計らった。

「白を入れるよ…」

レジンの中に白い塗料を入れた僕は、掻き混ぜ続ける後藤くんの様子を見つめながら、周りに集まった模型部のみんなに言った。

「僕がこの波打ち際に…曲線を作りながらレジンを垂らしていくから…合図をしたら、みんなでこのレジンの板を…こうやって傾けてくれっ!陣内くんは、割りばしか何かで…白波の前の波の泡を作って…?出来る人は、レジンの固まる前に…彼に習って泡立つ海面を割りばしで作ってくれっ!」

もしかしたらこの手法は邪道かもしれない。

でも、一度に全ての作業をクリアする事は、僕たちには無理だった。こんな集中する作業は、特に…日を改めてするに限る。

「りょ~かい!」

「春ちゃん、粘って来た!」

そんな後藤くんの声を聞いた僕は、彼からレジンの入ったバケツを受け取って、みんなが固唾を飲んで見守る中、トロリと流し込み始めた。

「均一じゃダメなんだ…アンバランスなのが、自然だから…気張らないで…緩急を付けて…」

ブツブツそう言いながらバケツの中のレジンを流し込んでいると、ふと、両手に抱えたバケツが軽くなった。そして、すぐ真後ろから聞こえた声に、僕は目じりを下げて笑った。

「春ちゃん、凄い事やってるね…?」


まるちゃんだ…


「これから波を作ってくんだ…まるちゃんも手伝ってって…?」

そうこうしていると、いい塩梅にレジンが流れ込んだ。

「はい!ゆっくりと…傾けて!」

そんな僕の合図と共に、模型部のみんながレジンの板を波打ち際の方へと傾けた。

すると、トロリと伸びたレジンの液が、程よい厚みを残しながらランダムな曲線を作った。

よし…これだ…

再び下に置かれたレジンの板を見つめて、思った以上に白い液体が広がった様子に狼狽える1年生に向かって僕は言った。

「これから、この白をドライヤ―で伸ばしていくよ?固まる前に…波打ち際を作り上げる。これは…時間との、勝負だ!」

「イエッサー!!」

「ふふふ!楽しそうだな…」

クスクス笑うまるちゃんの声を背中に聞きながら、僕は、波打ち際にドライヤーを当てて白い色の付いたレジンを飛ばしながら、海面に凹凸を付けた。

「春ちゃん、どこまでやる…?」

「波打ち際から…約10センチくらい…まるちゃん、ゴジラの所にもレジンを流し込んで…?」

「…グルッとで良いの…?」

「良い…」


簡単な言葉だけで、君は実に僕の思った通りにレジンを流し込んでくれる…人はこれを阿吽の呼吸なんて呼ぶんだよ…?

デレデレと鼻の下を伸ばした僕は、ちいちゃんのゴジラの真上からドライヤーを当てて派手に波を作った。すると、まるちゃんは僕の背中を撫でて、こう言ってくれた。

「あぁ、良いじゃん!」

そうだろ…?

すべて、計算通りだ…!

僕が…君意外のちいちゃんにも胸キュンしてしまった事を除いては、全て…計算通りなんだ…


「よしよし…」

レジンが固まって…僕たちの戦いは終わった…

白波が上手くいかなかったところは、後から色を塗って誤魔化してしまおう。

「お疲れ様…みんな、上出来だぞ!」

美術部員のみんなも僕たちの息を飲む一発勝負の作業を、固唾を飲んで見守っていてくれたみたいに、大きな拍手をくれた…


「今日は、もう、ヘトヘトに疲れたでござる!」

そんな伊集院くんのぼやきにクスクス笑いながら、僕はゴジラを板から外して、模型部に戻って行く。

そして、隣で僕を見下ろすまるちゃんを見上げて、こう言った。

「シリコンの粘土があるんだ。あれで、連合艦隊の周りに波を作る。このゴジラの際にも大きな波を立てて…足元に、水を掻いた水流を作るんだ…」


「随分…そのゴジラに入れ込んでるね…?」


そんなまるちゃんの言葉に首を傾げた僕は、彼を見上げたままこう言った。

「このゴジラはジオラマの街を襲う“敵その1”だよ?力が入って当然さ!後は…街中を侵略する宇宙人が、“敵その2”だ。この街は、今、まさに、壊滅状態なんだ。でも…ふふっ!電車が普通に走ってる!あっふふ!その、アンバランスさが…おっかしいでしょ?」

ケラケラ笑った僕を見下ろしたまるちゃんは、不思議と表情を曇らせた。

そんな彼の変化に気が付いた僕は、首を傾げて彼に聞いた。

「…まるちゃん、どうしたの?」


僕の言葉に、押し黙ったまるちゃんは、じっと僕を見つめて悲しそうに言った。

「春ちゃん…俺、君にキスしたけど…あれには、深い意味は無いんだ。」


へ…?


「ぐほっ!」

まず先に吹き出したのは…その場にいた、陣内くんだった…

「ど、どう言う事でござるか…?!」

陣内くんの声が頭の中でガンガン鳴り響いた。

目の前のまるちゃんが、いつもと違う人に見えた僕は、苦笑いしながら声を震わせた。

「…な、何で…そんな事、言うの…」

「…元の、友達に戻りたいんだよ…。だから、もう…俺に、鼻の下を伸ばさないで…」


それは、突然の梯子外しだった…

天国に近い男…まるちゃんの手によって、僕は上空うん千メートルから…一気に、真っ逆さまに落ちて…叩き付けられた。


「…ど、努力する…」


眉を下げたまるちゃんにそう答えた僕は、そのまま猫背を更に丸めてゴジラの彩色を再開した…

目の前を横切って行く思い出たちは…彼と一緒に乗った観覧車を映しだして、楽しそうに笑う彼の顔を一緒にプレイバックさせた…


どうして…?

まるちゃん…僕の事が…嫌いになっちゃったの…?


「…好きだと、思ってたのにな…」

僕の隣に腰かけて、ゴジラの完成度を覗き込んでくるまるちゃんを横目にそう言った。すると、彼は首を傾げて肩をすくめるばかりだった。


「嫌いになったの…?」

「…違うよ。」

「じゃあ…どうして…?」


「春氏!こ、こ、こ、こんな狭い部屋の中でぇ!そ、そんな…プライベートな、色恋を…語らんで欲しいでござるっ!!」

顔を真っ赤にした伊集院くんの制止によって、僕は自分の胸のモヤモヤを抱えたまま、黙らざるを得なくなった。


解せない…


そんな思いを抱えて、隣に座ったまるちゃんの腕に寄り添った僕は、鼻を啜りながらゴジラのクオリティを上げて行く。

「これ…作ったから、使ってよ。」

そう言ってまるちゃんが取り出したタッパーの中には、上出来なフィギュアが沢山詰まっていた。

「あぁ~!まるちゃぁん!!」

タッパーを開いてひとつ手に取った僕は、余りのクオリティにクラクラしながら彼に抱き付いて、頬ずりしながら言った。

「なぁんだぁ!こんなに上手に作ってぇ!やっぱり、君は…」

そこまで言って、僕は、すぐにその先の言葉を飲み込んだ。


模型部に入ってなんて…もう、言わないよ…


「…ぼ、僕の事が、大好きなんじゃないかぁ~!」

「春ちゃん!」

後藤くんの声が、僕の誤魔化しの言葉すら…否定した。

南條くんがジト目を向けてべったら漬けを口に放る中、まるちゃんの作ってくれたフィギュアを手に取った僕は、彼を上目遣いに見つめて体を捩って言った。

「ねえ、まんざらでも無いんでしょ…?」

「…何が?」

「…だ、だからぁ…僕の事、嫌いじゃないでしょ?」

「…それは…」

「じゃ、好きって事じゃないの?そうでしょ?嫌いの反対は…好きなんだよ?」

閉口するまるちゃんを見つめたまま、僕は体を捩ってアピールを続けた。

それは、南條くんのべったら漬けがタッパーから無くなるまで…だ。


「…春ちゃん、もう、これ以上言うなら…明日から、手伝いに来ないよ…?」


そんな、まるちゃんの言葉を最後に…口を尖らせた僕は、大人しくゴジラの下半身の彩色に取り掛かった。

なんだよ…まるちゃん…


君も、ちいちゃんと同じ…プレイボーイだったの…?

深い意味も持たずに誰彼構わずキスする…外人みたいな人だったの?



下校時間ギリギリまで作業を続けた僕たちは、今日も宿題を持って学校を後にした。

「春ちゃん、まあ、振られる事はよくあるよ…。でも、円くんは…お友達でいたいって言ってくれたんだから、今まで通り…一線を越えない関係でいたら良いじゃないか…!」

陣内くんは、いつも、いつも、僕にリアルな現実を教えてくれる。

そして、猫背に丸まった僕の背中をポンポン叩いて、ケラケラ笑いながら、あの、まるちゃんの暴挙による公開処刑を水に流そうとしてくれている…


「…まるちゃんも、プレイボーイだったのかなぁ…?僕は、プレイボーイに弄ばれる…そんな星の元に産まれた少年なのかなぁ…?」

「さあね…」

興味なさげに陣内くんがそう言った。だから、僕は彼の手を握ってこう言った。

「ねえ、僕と…キスできる?」


「はぁっ!?は、は、春ちゃん?!」


「男の君が、僕に躊躇なくキスする事が出来たなら、僕はまるちゃんを諦める事が出来そうなんだ。ねえ、キスしてよ!」


「絶対に嫌だ!」


そんな陣内くんの言葉と表情に、僕は、無駄に傷付いた。

しかしながら、男相手にキスする事のハードルの高さを、実に正直に教えてくれたではないか…。

これが…現実だ。

だったら、やっぱり…まるちゃんは、あの時は…僕の事を好きでいてくれたんだ。


「はぁ…」


微妙な距離感の生まれた僕とまるちゃんは、それでも以前と変わらない趣味友として、仲良く過ごした。ほんの少しの物足りなさを感じながらも、優しい彼の笑顔に、僕は、鼻の下を伸ばし続けた。


そして…とうとう、模型部の大作…2畳分のジオラマが、完成した…


「や、やったぁ…」

「春ちゃん!よく、頑張ったぁ!」

ヘトヘトにくたびれた僕を抱きしめてくれたのは…なんだかんだ言って、僕の隣に居てくれた…まるちゃんだった。

僕と彼だけ残って作業を続けた真っ暗な模型部の部室の中…

最期の仕上げとして、必死に並べたフィギュアたちは、どの情景にも溶け込んで、更に臨場感を引き出してくれた。

そんな全体を見渡して、僕はへたり込みながら両手を硬く握って言った。

「まるちゃん…まるちゃぁん!!僕は…最後までやり切る事が出来たぁ!」

「うん!うん!春ちゃんは…やり切った!」


これは友情なの…?


君は、副部長の陣内くんよりも、僕の作業をつきっきりでサポートしてくれた。

ねえ、これは、友情なの…?


「ま、ま、まるちゃぁん!」

興奮した僕は、隣でケラケラ笑っていたまるちゃんを、ジオラマの前に転がして抱き付いた。

「は…は、春ちゃん!」

そんな彼の困った声なんて、僕はどうでも良いんだ!

「まるちゃん…僕の事、好きって言ってよ…!好きって言えってばぁ!模型部に入れって、もう言わないからぁ!…好きって、好きって…言えってばぁ!」


「…何してんだよ。」


暗い部室に煌々と明かりが灯った。

目を眩ませながら顔を上げた僕は、そんな呆れた声と同時に現れたちいちゃんを見つめて言った。

「…あ、愛を、紡いでた…」

「ふぅん…。ほら、帰るぞ。下校時間をとっくに過ぎてる。先生に見つかったら怒られるぞ?」

それは、まずい…!

文化祭前に派手に先生に怒られた美術部は、出展内容を変更せざるを得なくなったんだ。

二の舞になっては…みんなに合わせる顔が無くなるっ!

眉を下げたまま僕を見上げるまるちゃんを見下ろした僕は、口を尖らせて悔しがりながら言った。

「…仕方が無い!か、帰ろう!」


「あぁ、ジオラマ、出来上がったの…?凄いじゃん…春ちゃん、頑張ったな…?」

僕の髪を撫でたちいちゃんは、両手で僕を抱き抱えて、軽々とまるちゃんの上から持ち上げた。そして、ゴジラを指さしてケラケラ笑って言ったんだ。

「わぁ~!俺のゴジラが、こんなに格好良くなったぁ!」

「そうだよ?これは…僕が全部、リペイントしたんだ!ふふん!どうだ!凄いだろ!」

白波を立てて陸地へ向かうゴジラは…圧巻の仕上がりになった。

「ね~?まるちゃんも凄いって言ってくれたもんね~?ね~?そだよね~?」

「う、うん…」


「こらぁ~!いつまで残ってるんだ!早く家に帰れっ!!」

そんな先生の声に、僕たちは、慌てて学校を飛び出した。


「文化祭には、たぁくんも来るの…?」

「うん…来るよ。」

「わぁ!…ふふっ!楽しみだ!きっと、喜んでくれるよね?」

「うん…喜ぶよ。」

隣を歩くまるちゃんを見上げた僕は、彼の年の離れた弟…たぁくんの喜ぶ顔を想像して、ひとりで悶絶した。

あの子は…屈託なくて可愛いんだ…

「俺は、焼きそばを作るんだ。知ってるだろ…?春ちゃん、俺の焼きそばは美味しんだ。春ちゃんは大好きな人だから、特別、タダにしてあげるね。」

僕の顔を覗き込んで、ちいちゃんがウインクしながらそう言った。

大好きな人だから…彼の言葉からそのワードを拾った僕は、一気に顔を赤くして、下唇をかんだ。

「う…うぅ…」

僕は、まるちゃんの腕を意図せず掴んで、首を傾げるちいちゃんから視線を外してまるちゃんに言った。

「…ほ、他には…たこ焼き屋も出るんだよ…?」


「あぁ…まるちゃんの彼女がやるんだよね?」


はぁ?!


「まるちゃん!彼女は僕だけだって言っただろっ!」

「そ、そんな事言ってない。春ちゃんとは、友達だって…言った。」


何て事だぁァァァ!!


僕と別れた瞬間、ゴミの様な女が…まるちゃんをハントした。

「その人…多分、すぐ死ぬよ?」

「やめなよ…春ちゃん。別に、付き合ってる訳じゃないんだから…」

「それでも、多分、すぐ死ぬよ?僕のまるちゃんにちょっかいを掛ける女は、みんな死ぬんだ。それは、必然なんだよ?」

「はぁ…参ったな…」

ため息を吐いて項垂れるまるちゃんを見つめて、僕は胸の奥がドクドクと痛むのを感じながら…彼があの笑顔を誰かに向ける事を恐れた。

あの可愛い笑顔は…僕だけの物なのに…!!


「春ちゃんは…まるちゃんが好きなのに、俺の事もずっと前から好きなんだ。」


そんなちいちゃんの一声に、僕は彼を振り返って怒って言った。

「ちいちゃんはぁ…とんでもないプレイボーイじゃないかっ!誰彼構わず色々な事をする様な男、僕は…どうかと思うけどね!」

「でも…好きなんだもんね~?」


く…くそっ!

奥歯を噛み締めたまま、僕はへらへら笑い続けるちいちゃんを睨みつけた。


「じゃ…じゃあ…またね、春ちゃん。」

「ま、まるちゃぁ~ん!駄目だよっ!絶対に、操は守るんだぁ!」

周りの人がギョッと顔を歪めても、僕は…立ち去って行く彼の背中に、そう叫ばずにはいられなかった…

僕と、まるちゃんは…お似合いのカップルなのに…


「春ちゃん、帰りに羊羹買って帰ろうよ。俺、久しぶりに食べたくなっちゃった!」

僕は、プレイボーイのちいちゃんと、一緒に電車に乗った…

だって、家がお隣なんだ。


「どうして…まるちゃんは、僕の事、お友達以上…恋人未満にしたのかな…?」

吊革に掴まって僕を覗き込んで来るちいちゃんにそう尋ねると、彼は首を傾げてこう言った。

「…そういや、ちょっと前…まるちゃんに問い詰められたんだ。千秋先輩は…春ちゃんの事、好きなんですか?って…。」


…な、なぁんだってぇ?!

僕は初めて聞いたそんな話に目を丸くして、ちいちゃんの胸を小突いて聞いた。

「いつ?」

「この前だよ。ほら…春ちゃんが…へへ、1年生に抱き付いて、ビービー泣いてた時!ははっ!」


あぁ…

まるちゃんが、僕の声も聞かずに…先に帰った日だ。


「…それで、俺は…ずっと前から好きだって答えた…。そしたら、まるちゃんは…何て言ったっけな…?あれ~?忘れちゃったな~。」

首を傾げ続けるちいちゃんを見上げながら、僕は、項垂れる頭を起こして言った。

「…きっと、まるちゃんは…僕が二股をかける淫乱だと思ったんだ。だから、僕の事を本命枠から外した…。うっ…うう…ち、ちいちゃんのせいだ…!!」

「へえ…春ちゃんは、淫乱なんだぁ~」

ちいちゃんの言葉を耳に拾った目の前のサラリーマンは、悠々と椅子に座りながら、僕を見上げて首を傾げた。

はんっ!

僕は…こんな地味な見た目でも、きっと…ど淫乱なんだぁ…!!

「あぁ…!僕が、淫乱で…どんな男にもキスを求める輩だから…!まるちゃんは、僕に幻滅して…本命枠から外したんだぁ…!幼い頃から、ちいちゃんに悪戯され続けたせいで…僕の、倫理観は、崩壊してるんだぁ!」

シクシク泣き始めた僕の背中を撫でながら、ちいちゃんが優しく言った。

「そうだね…幼い頃から、俺に悪戯されてたから…。もう、春ちゃんは…俺以外の男じゃ物足りなくなっちゃったんだね。大丈夫、俺はね、責任は取るよ?」

責任…なんて言葉が、1番似合わないちいちゃんが胸を張ってそう言うと、サラリーマンの隣に腰かけたおばさんが僕を見上げて言った。

「…いうて、淫乱には見えんて…どっちかって言うと、ゴリゴリの陰キャ…やで?」

うるさい…!

現実を知らしめてくるのは…陣内くんだけで十分だぁ!


辛辣な乗客の乗る電車を降りた僕とちいちゃんは、とらやに立ち寄って、羊羹を買った。そして、いつもの商店街を並んで歩いた。

ちいちゃんは、嬉しそうに羊羹を両手に抱えて歩いてる。そんな彼を横目に見ながら、僕はモゴモゴと言った。

「…3年生を、卒業したら行くの…?」

「うん…多分ね…」

ちいちゃんは、プロのバスケットボールチームのスカウトを受けた。

それは…僕が、彼に告白した後、決めた事だそうだ…

理由は分からない。でも…あの日の後、すぐに返事をしたそうだ。


だから、ちいちゃんは…高校を卒業したら、僕から離れて…富山へ行く。


「富山って…何があるの…?」

「知らない。」


僕は、1番に彼の選択を彼の口から聞いて、1番に…泣いて、嫌がった。

でも、爽やかささえ感じる、吹っ切れた様子のちいちゃんは、すっかりボボちゃんにも暴言を吐かなくなって、毎日を楽しく過ごしている…

以前と変わらないそんな彼の様子に、僕は時々忘れてしまう…

あと、もう少しで…彼が僕から離れて行ってしまう事を、忘れてしまう。



そして、とうとう…文化祭の日がやって来た…

2日間に渡って行われる、わが高校の文化祭は、文化部の展示品と、各クラスの出し物…そして、運動部による出店が主流だ。

今年の目玉は軽音部と吹奏楽部だそうだ。なんでも、合同で演奏されるクイーンの“Somebody to Love”が、めちゃめちゃ良い仕上がりになっているそうだ。

そんな中…僕たち、模型部は…完成したジオラマを美術室へ移して、最終確認をしていた。

「陣内くん!踏切の具合はどう…?」

「ばっちりだよっ!」

「あぁ~~~~!!春氏~~!ぜひ、このジオラマの前で写真を撮るでござる!!模型部全員と、この…みんなの力の集大成…ジオラマとで、それがしは、写真が撮りたいでござる~~!」

ふふ…!分かるよ…!!

興奮して飛び跳ねる伊集院くんを見つめた僕は、ニヤニヤしながら頷いた。

「よし!じゃあ…みんな、いったん作業の手を止めて…写真を撮ろう!」

みんなに声を掛けた僕は、上出来なジオラマを見渡して瞳を細めた。

畳…2つ分の広さのジオラマは、普通の造形師でもなかなか手を出さない規模だ…

そんな大舞台に、僕たちは…ゴジラと、宇宙人に襲われるひとつの街を再現した。

美しい白浜の海岸線には、物騒な戦車が立ち並んで…海から進行してくるゴジラを迎え撃つ態勢を整えている。そして、海上では、イギリス…日本、アメリカの連合艦隊が、そんなゴジラの背中目がけて主砲を放って…無駄な抵抗を続けてる。

海底には、お宝の眠ったままのアトランティスと、それを目指して…頓挫して、朽ちて行った海賊船が…静かに眠ってる。

僕は、ひとつひとつじっくりと眺めて…満足げに、瞳を細めた。

このひとつ、ひとつに、みんなの思いが詰まってる…!

「春ちゃん…!やって…良かったな!」

そんな後藤くんの激励に無言で頷いた僕は、視線を上に上げて…ジオラマの上を走る”果たして、デゴイチは本当に空を飛ぶのか…2021“を見つめながら笑って言った。


「やって…良かった…!!僕たちは…最後まで、やり遂げたんだ!!」


山の中腹には、トンネルを滞りなく抜けて行く電車と、人の手が加わって人工物を山肌に付けた自然を再現して、山頂まで続く有料道路は温泉街へと向かってる。そこには、呑気な家族連れが笑顔を見せて、はしゃいだ子供が転んで…アイスを落としてる。山の頂上へ向かうロープウェイには、歩きたくない人が列を成して並んで、山の情景を彩っている。

住宅街の上空に現れた巨大な宇宙船の空母は、眼下で侵略活動を始める宇宙人と、逃げ惑う人間を静かに眺めて…運悪く逃げ遅れた人々は、自宅の窓からそんな様子を眺めて震えている。

それでも…電車は…通常運転を続けている。

そんな…非日常を再現した。


「は、春先輩…!!」

いつの間にか…僕は、顔を汚く歪めて…涙を流し続けていた。

一時はどうなる事かと思ったこのジオラマを、みんなの力で、再び軌道に乗せる事が出来た。

苦しかったけど…怖かったけど…僕たちは、新しい一歩を踏み出して、自分の中に、新しい風を巻き起こす事が、出来た…。


それは…誰かがくれる物では無く、自分の中で巻き起こった新しい風だ…!!


「はい!撮るよ~?春ちゃん!ははっ!ん、もう…!笑ってよっ!」

そんな陣内くんだって…僕につられて、泣いてるじゃないか…!!

もらい泣きをする美術部の部長…神原さんによって、僕たちの記念撮影はあっという間に終わった。鼻を啜りながら、お互いの造形を褒め合う…そんな、感慨深げな雰囲気の中…ひとりの声に、僕は途端に笑顔になった。


「春た~ん!たぁくんが来たよ~!」


「たぁく~ん!!」


それは、まるちゃんの年の離れた弟…たぁくんだ。

今日は、お父さんとお母さんと一緒にやってきた様だ。

つまり…僕の義理のお父さんとお母さんになる人たちだ…

僕に駆け寄って来た、たぁくんを抱きとめた僕は、すかさず、お母さんに向かってこう言った。

「あ…まるちゃんの、お母さんですか?僕は、彼の彼女です。」

「…春ちゃん!やめたげてっ!」

陣内くんの制止も聞かずに、僕は、戸惑うまるちゃんのお母さんに続けてこう言った。

「この前…キッスしたんですよ…。」

「春ちゃん!!」

迫力のある後藤くんの低い声は、僕のへらへら笑った顔を強張らせるには…十分だった。

なんだよ…外堀から埋める作戦だったのに…!!

鼻息を荒くする後藤くんを横目に睨んだ僕は、足元ではしゃぐたぁくんを見下ろして、目じりを下げた。

「春たん、たぁくんのはどこ~?」

「ふふ…探してみて?ヒントは…人が沢山居る所にいるよ?」

小さなたぁくんを、いつも彼がそうする様に抱っこした僕は、ジオラマの街中を一緒に見下ろした。


「わぁ…!!」


ふふ…!

その声が聞きたかった…!!

目を輝かせたたぁくんはあちこちに視線を動かして、ジオラマの中の情景を読み取った。僕は、そんな彼の視線を追いかけて…一緒になって笑った。


「あ、いた~~~!」


そう言って、たぁくんが指さした先には、彼が作った…ストロー人間が、沢山の人を驚愕させながら犬の散歩をしていた。

「あ~!見つかっちゃったぁ~!」

ケラケラ笑ってそう言うと、たぁくんは海底の造形に目を輝かせてこう言った。

「海賊船がある~!」

そうだ!

さすが、たぁくんは…一味違う!

「触らないで見るんだよ?すぐに…壊れる物だからね?」

「ほ~い!」

コロコロと跳ねるたぁくんを床に下した僕は、笑顔でジオラマを眺めるあの子の笑顔にクラクラして、満足げに笑った。


「凄いね…。これ、作ったの…?はぁ~!若さとは…かけがえのない才能だ。」

そう言って僕の顔を覗き込んで来たのは…まるちゃんにそっくりの彼のお父さんだ。

「はっ!!」

ここで、僕は重大な事実をひとつ思い出した。

まるちゃんのお父さんは、プロモデラーで…模型屋の店主だ。

そんな人が、僕たちのジオラマを見て…感嘆の声を上げた…!!

フォ~~~~~!

叫びたいのを必死に我慢した僕は、眉を上げながら、ぎこちなく言った。

「…はぁはぁ…あ、あぁ…えっとぉ…その…はぁはぁ…はぁはぁ…!!」

「ふふ…!レジンを大量に使えないながらに、水中の様子を表現しようと創意工夫されている…。感心するね。」

フォ~~~~~~!!

握った手に汗をかきながら…ぎこちなく指をさして、僕は説明を始めた。

「…はぁはぁ…あ…ああ…はぁはぁ…ゴクリ…」

「あぁ…本当だね、この岩肌には…ウッドチップを使ったんだ。へぇ…いい味が出るもんだ。参考にさせてもらうよ?」

フォ~~~~~~!!

1年生の功績を褒められた僕は、いてもたってもいられずになって…口から唾を飛ばしながらまるちゃんのお父さんを見上げて言った。

「…こ、こ、これは…い、1年生の子たちが…模型の本を熟読して…調べて、挑戦して、表現した部分です…!彼らは、模型作りなんて初めてだった…もっぱらNゲージの改造に夢中になっていた子達です。」

「へえ…」

まるちゃんのお父さんは、顎に手を当てて興味深げに体を屈めた。そして、踏切を走り抜けて行くNゲージの車両を見つめて、にっこりと笑った。そんな笑顔に緊張が解けた僕は、楽しそうに上を見上げるたぁくんを見つめながら続けて言った。

「この規模のジオラマ作りは…ハッキリ言って、無謀だった。それでも…みんなが、協力してくれて…みんなの得意分野と、未知の分野への関心を…強める事が、出来たぁ…!それだけでも…それだけでも…やった甲斐はあった…!!うっうう…!!」

涙腺の緩くなった僕は、再び、ボロボロと涙をこぼしながらケラケラ笑った。

そんな僕に驚いたまるちゃんのお父さんは、彼と同じ様に眉を下げて、優しく言ってくれた。

「…本当に、模型が好きなんだね?」

「はい…まるちゃんはその次くらいに好きです…」

「はは…君みたいな子が、いてくれて…嬉しいよ。」

そのお父さんの言葉を、僕は、まるちゃんとの結婚を認めてくれたものと、解釈した。

周りがドン引きする中、僕はまるちゃんのお父さんの両手を握って、真摯な瞳を向けて何度も頷きながらこう言った。

「あぁ…お父さん。ありがとうございます。…甲斐性は無いですが、必ず幸せにします!」

「春氏!いい加減にするでござるよっ!」

伊集院くんの制止によって、僕はまるちゃんのお父さんから引き離された。

「円くんのご家族がいなくなるまで…しばらく…!どこかに消えてるでござる!」

そんな言葉と、冷たい視線を僕に寄越しながら、伊集院くんは美術室の扉を僕の目の前で閉めた…

ひとり、取り残された廊下…

僕はおもむろに足を校門前へと向けて、トボトボと歩き出した。


「焼きそば、やっすいよ~!お、春ちゃん!来たな?」

そんなちいちゃんの掛け声に、焼きそば屋の前で足を止めた僕は、鉄板の上の焼きそばを汗を流しながら作るまるちゃんの姿に、デレデレと鼻の下を伸ばした。

「まるちゃんが作った焼きそばが食べたぁい!」

「はは…誰が作っても…変わらんだろ。」

そんなまるちゃんの声にさらに鼻の下を伸ばした僕は、体を捩って興奮した。


「まるちゃんはね、そういうのが…きっと、嫌なんだよ。」


僕の背中に抱き付いたちいちゃんは、クスクス笑いながらそう言った。

そういうの…?

「そ、それは…こうやってもじもじする事…?」

背中の彼を振り返って尋ねると、ちいちゃんは眉を上げて、僕の鼻の下を指で撫でながら言った。

「ここが伸びる…変な顔が、きっと、嫌なんだよ…ぶっさいくだから。」

「違いますけどね…」

まるちゃんの声に再び顔を彼に向けた僕は、鼻の下を伸ばさない様に口を尖らせながら彼の手元を見つめて体を捩らせた。

「まるちゃん、お父さんとお母さんが、たぁくんと一緒に模型部に来てくれたよ?」

そんな僕の言葉に首を傾げたまるちゃんは、上目遣いに僕を見て言った。

「…どうして春ちゃんはここに来てるの?ジオラマの傍にいなくて良いの…?」


それは…

興奮して追い出された。なんて…言えない。


「きっと、まるちゃんのご両親に興奮して…結婚の挨拶でもしたんだ。それで…他の模型部員に怒られて…追い出されたんだ。」

ちいちゃんのズバリの答えに、僕は彼のお腹に肘鉄を入れて、振り向きざまに頭を引っ叩いて、ケラケラ笑う彼を追い掛け回しながら怒って言った。

「ちがう!」

「そうだ!」

「ち、ち~がう!」

「絶対そうだ!」

やっと捕まえたちいちゃんを何度も引っ叩きながら、僕はまるちゃんを見つめて、しょんぼりと眉を下げた。

だって…挨拶は、大事じゃないか…

そんな僕の視線から顔をそらしたまるちゃんは、たこ焼き屋の女子と仲良くおしゃべりなんて始めた…

「ちいちゃんのせいで…まるちゃんが、どんどん僕の事を嫌いになって行くみたい…」

「いやなの…?」

僕の顔を覗き込んだちいちゃんは、口を尖らせて不貞腐れた僕を見つめて、クスクス笑った。

嫌…?

嫌に決まってる…

「そうだ。春ちゃん。後で、一緒に軽音部のライブ見に行こうぜ?」

「う。うん…」

ちいちゃんの言葉に頷いて答えた僕は、ずっと下を向いたまま焼きそばを熱心に焼くまるちゃんを見つめて、眉を下げた。


帰還命令を受けて美術室へ戻った僕は、まるちゃんのご両親とたぁくんを見送った後、お客さんの案内と、作品の紹介に汗を流した。

僕は、相変わらず…知らない人と上手に話せなかったけど、伊集院くんや、南條くんが、サポートしてくれたおかげで、お客さんに引かれずに済んだ。

やはり、このジオラマの目玉は、ちいちゃんのゴジラと、たぁくんのストロー人間だった。そして、何よりも…圧巻の空飛ぶデゴイチは、乗り物好きの少年の心を鷲掴みにしていた!

上を見上げて笑顔になる小さな子供を見つめて、自然と、僕も笑顔になった。

凄いでしょ…?ねえ、凄いでしょ?

これを全部…ここに居る人たちが作ったんだよ…?

すっげー、カッコいいだろ…?惚れるだろ…?



「おぉ…春氏の昼食は、豪華でござるな?」

模型部のみんなと一緒に、部室でお昼休憩を取った。

みんなは自前のお弁当を広げているというのに、僕は、ちいちゃんがくれた焼きそばと…ちいちゃんが買ってくれた…クレープ。そして、ちいちゃんの作ってくれた…かき氷が昼食なんだ。

ちいちゃんが昨日の夜、うちのお母さんに言ったんだ…。今日の僕のお昼ご飯は俺が用意するから、何もしなくて良いよっ?…って。

それが、これだ…

「焼きそばだけで、お腹いっぱいになりそうだ…!」

「じゃ、少し…いただくっぺ。」

南條くんはそう言うと、器用に箸でクレープを切って、口の中に入れた。

「ほほ!あまっ!うまっ!」

どうやら、彼は…ブルーベリーソースの沢山かかったクレープが気に入ったみたいだ。バクバクと食べ続けるから、僕は、慌てて最後の一口だけ食べた。

「世の中には、べったら漬けよりも美味いもんがあるだろ?」

そんな後藤くんの問いかけに、南條くんは首を傾げながら言った。

「甘いもん食ったら…しょっぱいもん食いたくなってくる!そう考えたら…おらの食ってるべったら漬けはどっちも兼ね備えてっから…万能だな?」

「あ~はっはっは!おかしなことを言う!あはははは!!」

僕たちは、そんな南條くんの言葉に、腹を抱えて大笑いした。


「春ちゃん、迎えに来たよ?」

午後の穏やかな日差しの中、中庭から美術室を覗き込んだちいちゃんが、僕にそう声をかけて来た。

そして、沢山のお客さんが笑顔で眺めるジオラマを見ながら、瞳を細めて言った。

「あぁ…凄いね。春ちゃんの執念が実って、大繁盛じゃん。」

「ふふ!そうだろ?ねえ、見て?ちいちゃんのゴジラをもっと近くで見てよ!」

彼の手を掴んだ僕は、美術室に引っ張り上げて、ちいちゃんの顔を覗き込みながら言った。

「この戦艦は…イギリスと、日本…あと、アメリカの連合艦隊なんだ。彼らが必死に制止しようとしても…ちいちゃんのゴジラは、全然、聞かない。この島に上陸しようとしてる。それを…迎え撃つのが、この戦車だ!見てよ?凄いでしょ…?こんな有事に外国から侵略される事も想定した自衛隊は、迎撃ミサイルも配置してるんだよ?」

「へぇ…ふふ…面白いじゃん…」

目じりを下げて微笑む彼の笑顔に、僕の胸はギュッと締め付けられて、彼の手を掴んだ手に自然と力がこもった。

「…この電車は、そんな中でも通常運転をして…海岸線を平気な顔して走ってるんだ。あ、あと、ここも見て?これは…温泉なんだ。つまり…ここは、活火山なんだ!こんな立地に街を作って…本当にお馬鹿さんだよね。だって、噴火でもしたら…あっという間にマグマに晒されるんだもん!」

「ふふ…趣味が悪いな…」

へへ…!


「あ…、春ちゃん。めっけ!」


そんなちいちゃんの声に顔をあげた僕は、彼が指さしたフィギュアを見つめて、瞳を細めて言った。

「あ~あ、見つかった。どうして分かったの…?」

まるちゃんの為に用意した僕のフィギュアを、ちいちゃんはあっという間に見つけてしまった。肩をすくめたちいちゃんは僕を見下ろしてこう言った。

「ここが温泉だったら、春ちゃんなら絶対行くと思ったんだ。でも、歩く事が嫌いな春ちゃんは、ロープウェイを使うと思った。そしたら、ロープウェイ乗り場に立ってた。」

ご名答だ…!

「ふふっ!あっはっはっは!!おっかしい!その通りだ!」

お腹を抱えて大笑いしていると、ちいちゃんは一緒にクスクス笑って、僕を持ち上げた。そして、そのまま…何の迷いもなく美術室から僕を連れ去った。

「あ~~!春ちゃ~ん!」

そんな後藤くんの声が、あっという間に遠のいていく…

「なぁんだ、ちいちゃん!強引だぞ?」

「急げ!急げ!」

僕の言葉なんて聞こえていないのか…ちいちゃんは、何かに急いでいる様子だった。


体育館に着くと、そこはいつもの様子とは違った、熱を帯びたコンサート会場に変わっていた。

ちいちゃんに担がれたままの僕は、慣れない空気と、周りの視線に顔を赤くして言った。

「ちいちゃん…ちいちゃん…降りたい…!」

「急げ!急げ!」

体育館に着いたというのに、ちいちゃんは相変わらず…急いでいる。

そんな彼に担がれたまま、僕は、いつの間にか…壇上へ上がっていた。

ここは所謂、陽キャと、生徒会長…そして、校長先生しか上がれない特別な場所だ。

「はっ!…ち、ちいちゃん?!」

やっと下に下ろして貰えたけど、僕は目の前に広がった知らない人たちの視線に、一気に体を固めて強張ってしまった。

「あ…あわ、あわあわ…」

僕を見上げて不思議そうに首を傾げる人たちを見て、場違いな自分に…僕は顔を真っ赤にして、ぎこちなく体を動かしながら、必死にちいちゃんを目で探した。

「ち…ちいちゃ…ど、どこ…」

すると、何故か軽音部と共に袖から現れたちいちゃんは、ギターなんて肩からぶら下げた姿で僕に言った。

「春ちゃん…君に曲をプレゼントさせてくれ…!」


は、はぁ~~~~~?!


「いや…あの、その…ええっと…」

モゴモゴする僕を他所に、ちいちゃんはステージのスタンドマイクを自分の目の前に移動させて、僕を見つめてこう言った。

「…春ちゃん…俺の幼馴染で、俺の初恋の人。」


「ファーーーーッ!!公開告白キターーーーー!」


会場を埋め尽くす人の歓声にこたえる様に頷いたちいちゃんは、再び、僕を見つめて話始めた。その瞳は穏やかで…声は、とても、優しかった…

「…俺は、君が、男の子だと知ってる。だから、こんな事を言ったら…君に嫌われてしまうんじゃないかと…この年になるまで伝える事が出来なかった。でも、もうすぐ俺は君と離れた場所へ向かう。だから…言わせてくれ…。大好きだって…」


はぁはぁ…はぁはぁ…ど、どういう事だ…?!

初めての興奮に動悸が激しくなった僕は、胸を押さえながらちいちゃんを見つめて、何となく…頷いた。すると、彼は肩にかけたギターを構えて…エルビスプレスリーの“Love me tender”を歌い始めたではないか…!!

軽音部に至っては…そんな彼の演奏をサポートする様に、コーラスを入れている…


「千秋~!頑張れ~~!」

「ちいちゃん、何でよ~~!ばっか~ん!」

沢山の激励や、女子の悲鳴を聞きながら…僕は目の前で僕を見つめて、歌を歌うちいちゃんに目が釘付けになった。


す、素敵やん…


歌を歌い終わったちいちゃんは、僕の目の前に跪いて言った。

「春ちゃん…大好きだ…!俺と、付き合ってくれ…!!」


は、は、は、はぁ~~~~~~?!


昔から君の事が好きだった…

君の後姿を目で追いかけては、誰かに笑いかける笑顔に…心を痛めた。

ひとり占めしたくて…でも、出来なくて…僕はどんどん、卑屈になって行った。


そんな僕を…そのまま優しく包み込んでくれたのは…まるちゃんだった。


「ぼ…僕は、まるちゃんも好きなんだ…」


「知ってる…」

小さな声でそう言ったちいちゃんは、僕を見上げてクスクス笑った。そして、僕に手を差し出して、こう言った。

「それでも…傍に居たいんだ…。大好きな君の傍に居たいんだ。」


あぁ…神様…


「なら…良いよ…?」

顔を赤くして、もじもじと体を揺らした僕は、ちいちゃんの手を握り返して微笑んだ。すると、彼は満面の笑顔になって、僕を抱き上げてクルクル回して言った。


「やった~~~~~!!」


「千秋~~~!なんだか、妙だが、と、とりあえず…おめでとう!!なのかぁ?!」

「ちいちゃんの、ばっかぁ~~ん!なぁんで、よりによって…男なのよ~~!」

会場が妙などよめきに包まれる中、僕はちいちゃんを見下ろして、彼と目を合わせてクスクス笑った。

僕を抱き抱える彼の手が…いつもよりも、あったかくて…大きく感じる。それは、僕が今まで抱き上げられてきた時の、何倍も、だ。


嬉しそうに微笑む彼の顔が…幼い日のあの頃のままだった…

だから…僕も、幼い頃の様に…彼に笑いかけた。




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