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模型部へようこそ  作者: 裏庭その子
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夏_01

季節は巡り…夏がやって来た。

泳げない僕の、大嫌いな季節だ…

「春ちゃん、今年こそ5メートルだけでも泳げる様になろうぜ?俺が手伝ってやる!あ~はっはっは!」

学校へ向かう道の途中…からかう様にそう言ってくるちいちゃんを無視した僕は、目の前を歩く、長身の彼の背中だけ見つめていた。


…まるちゃん…

もうすぐ、1学期が終わるというのに…僕の恋心は、未だにフィーバーし続けている。

意味も無く、1年1組の前を通ったり…意味も無く、1年1組の体育を覗いたり…ちいちゃんに見つかるから…さすがに、部活を覗きに行く様な事はしてないけど…

それでも…僕は…

君への熱い思いを…持て余している!


「そういや、まるちゃん…彼女と別れたらしいね…?春ちゃん、知ってた?」

「え…?!ほんと…?!」

ちいちゃんの話に聞き耳を立てた僕は、彼の次の言葉を待った。しかし、いくら待っても彼はそれ以上何も言わない。

痺れを切らした僕は、渋々ちいちゃんを横目に見て言った。

「なぁんで!何も言わないんだぁ!」

「だって…春ちゃんには関係ないだろ…?何…?まるちゃんと、お付き合いしたいの…?まるちゃんの彼女になりたいの…?」


そ、そんな訳じゃない…!

からかう様に顔を覗き見て来るちいちゃんにそっぽを向いた僕は、ムスッと頬を膨らませながら、可愛いまるちゃんの背中を見つめた。


…僕と付き合ったって、きっと、まるちゃんはつまらない思いをするに決まってる。

そう、ちいちゃんみたいに…


「否っ!違うっ!」

突然声を荒げた僕は、ちいちゃんがビビッて体をのけ反らせるのを横目に見ながら、口端をニヤリと上げて笑った。


そう…まるちゃんは、ちいちゃんとは違う…彼は、手先の器用な陽キャなんだ!

だから、僕と居ても…つまらないなんて…きっと、思ったりしない!!

「ヒャッホ~~イ!」


それは、神が与えたもうた…奇跡だ!


僕は意気揚々と走ってまるちゃんの隣へ向かった。

まるちゃん…まるちゃん…!!僕と…もっと、仲良くなろうよっ!


「ま、ま、まるちゃぁん!」

勇気を出して声を掛けた僕を、にっこりと微笑んで振り返った君は…やっぱり、神様の奇跡だった…

「春ちゃん…おはよう。」

あぁ…その一言で、僕の足元一面に…黄色い菜の花が咲いたよ…

「ぐふ!…おはよう…ま、まるちゃん…はぁはぁ…」

大好きなまるちゃんの顔を、恥ずかしくて見上げられない…

でも…かろうじて見えた彼の口元が笑っていたから、大丈夫なんだ。


「春ちゃん…走って来たの…?」


息を切らした僕を、まるちゃんは見下ろしながらケラケラ笑ってそう聞いて来た。

違う…

僕は、異常に興奮しながら走ったんだ…だから、少し走っただけでも、息が切れた。


「まるちゃぁん…うん、ちょっとだけ、走ったぁ~!」

僕の言葉にはにかんでほほ笑む、君の笑顔は…10万ボルトだ!

すっかり腰砕けになりながら、僕は、まるちゃんの隣を必死に歩いて進んだ。


まるちゃんは僕の事を…春ちゃんって呼んでくれる。

それは、僕がお願いしたからだ…。

だって…大好きな彼に、”先輩“だなんて呼んで欲しくなかったんだ。


「…この前、まるちゃんに教えて貰ったみたいに…針金で素体を作ってみたんだ…」

彼を横目に見ながら僕はそう言った。すると、まるちゃんは、嬉しそうに瞳を細めて、こう言った。

「本当…?どうだった…?」

「すっごく…しっくりきたぁ…」

それは、美術の授業の事…

紙粘土で人体を作って、動きのあるポーズを取らせなきゃいけなかったのに…僕はそれが上手に出来なかった。

美術の先生が、一学期の成績に付けるからって…僕はそれが完成するまで、教室に戻る事を許されなかった。

そんな時…お掃除にやって来た1年生の中に、まるちゃんが居たんだ。

…半べそをかきながら紙粘土を弄る僕を見つけて、彼はすぐに駆け寄って来てくれた。そして、優しく…教えてくれたんだ。

「春ちゃん、針金で素体を作ってさ、おおよその動きを付けて…そこに肉付けする様に粘土を巻いて行ったら…?」

って…


目からうろこだった…

「え…?」

目を点にしてまるちゃんを見つめた僕は、彼の言葉に大きく頷いて応えたんだ。


掃除の時間が終わった頃…まるちゃんの言った通りに、僕は、針金を素体にして粘土を巻きつけて行った。

すると、あんなに四苦八苦していた全体像がつかみやすくなって…あっという間に思った通りに、作る事が出来たんだ。


「やっぱり…まるちゃんは、手先も頭も器用なんだぁ~!」

デレデレになった僕は、さりげなくまるちゃんの腕をポンと叩いて、半そでから覗く彼の素肌に触れて、心の中で絶叫した。

そんな僕の邪な思いなんて…まるちゃんは知らないだろう。

だって、いつもの様に僕を見下ろして…にっこりと微笑んでこう言ってくれたもの。

「ふふ…それは、良かった…」


あぁ、まるちゃん…

初めの頃に比べたら…僕は、君と、普通にお話が出来る様になった気がする。でもね…仲良くなればなる程…もっと、君の傍に行きたいって…欲が生まれるんだ。

それは時として…僕に、変えられない性別を思い知らせて…君への淡い恋心を、徹底的に打ちのめしていく。


恋とは…辛い物なのかもしれない。


でも…君の隣に居るだけで、こんなに嬉しい…

これも、恋が成せる事だよね…?

そんな乙女心を全開にした僕は、潤んだ瞳でまるちゃんを見上げながら歩いた。


…こんなに素敵な人と、一緒になれる人がうらやましい。

いっそのこと…まるちゃんと付き合う女、全員、死ねば良いのにって…切実に思う。


「よっ!まるちゃん!おはよう!」

「あ、千秋先輩。おはようございます!」

僕を追いかけて来たにしては、遅い…

そんなタイミングでやって来たちいちゃんは、僕の顔を覗き込みながら、まるちゃんに話しかけた。

「昨日のフォーメーション、どうだった?」

「先輩の言った通り…あの形でやった方が、パスも、ゴールへの動線も、みんなの動きがスムーズに行った気がします。」

「…だろ?」

こんな暑い夏の朝でも、鬱陶しい先輩に絡まれても…まるちゃんは爽やかだった。

まるで、彼の周りだけ…草原の風が吹いている様な、そんな錯覚さえ覚えてしまう。

僕は、君の事が…大好きだ!



その日の放課後…

僕はいつもの様に部室へと向かって長い廊下を歩いていた。

「…ふん!けしからん!」

「何で…こんな…!!」


ん…何だ…?!


扉が開いたままの部室から、後藤君の怒った声と、陣内くんの悲痛な声が聞こえて来た。

そんな、いつもと違う二人の様子に驚いた僕は、慌てて部室の中に飛び込んだ。

「ど、ど、どうしたの?!…あ、あぁ…!!」


そこにあったのは…バラバラに破壊された…僕たちのジオラマだった。

「あぁ…!なぁんでぇ!」

「誰がやったんだ!!」

伊集院くんのNゲージが破壊されて…陣内くんのロボットは壁に叩き付けられていた。そして、後藤君の戦車は無傷のまま残って…僕の、僕の作った町が、ぺしゃんこに潰されていた…

「あぁ…駄目だぁ…」

「は、春ちゃん?!」

余りの惨劇に…僕は、頭を押さえながら、そのまま突っ伏して泣いた。


みんなで作った…ジオラマ。

ただただ出来上がっていく過程が楽しくて…伊集院くんが考案したハチャメチャな設定を、みんなでケラケラ笑いながら再現したんだ。

電車はどんな非常時でも…通常運転する。逆を言えば…電車が止まる時こそ、非常事態なんだって…伊集院くんが面白い事を言って…僕は、彼がもっと好きになった…

後藤君の戦車への拘りと…その配置への拘り…背景に少しだけ見える空母には、アパッチなんかが停まっていて、軍のやる気をそこはかとなく演出してくる…そんな、どこまでもリアリティを追求する彼に、感嘆して…尊敬のまなざしを向けたんだ。

陣内くんの可動域の多いロボットは、素体が完全オリジナルで…皮だけ既製品を使っている。見る人が見たら、驚愕する代物なんだ。

僕は、その素体の構造も…指の第2関節まで動かさせるマニアックさも…そんな飽くなき研究熱心さを見せた陣内くんの姿勢にも、いたく感動したんだ。

そして…そんなみんなに引けを取らない様に…ここ一番の拘りを持って、僕は町を作った。家族構成から…フィギュアの表情まで…ひとつひとつ、丁寧に…心を込めて作ったんだ。


それなのに…


そんな、沢山の思い出が詰まった、大事なジオラマが…大事な情景が…

ボロボロにされた。


「春ちゃん…春ちゃん…!」

そんな呼びかけに重たい瞼を開いた僕は、どんどん潤んでくる瞳を歪めて、後藤くんを見つめて聞いた。

「…だ、だ…誰がやったぁ!!」

「…それは、分からん…ただ、模型部の部員の仕業では、無い筈だ…」

「春ちゃん…とりあえず、先生に報告だ。そして、被害届を出そう。現状の写真を撮るから…そこを退いて…」

副部長の陣内くんは、冷静に携帯のカメラで現場の写真を撮り始めた。

でも、彼の声も…手も…小刻みに震えていて、怒りを押し殺している事は容易に想像が付いた。

「んだぁ?!なんだっぺ!どうなってんだぁ!」

「は……」

南條くんと一緒に現れた伊集院くんは…余りのショックに言葉を失って、その場で膝から崩れ落ちてしまった。

僕は、そんな伊集院くんに駆け寄って、小刻みに震える彼の体を…両手でギュッと抱きしめて、一緒に泣いた…


むごい…むごすぎるっ!!


「部室のカギは、職員室にあった筈だ…」

僕は手に握ったままの部室のカギをみんなに掲げて見せた。

「…僕たちが来た時には、もう、部室の扉は開いてたんだ…様子がおかしいってなって、僕と、後藤くんで…中に入った。そしたら…これだもん…!も、もう…信じられないよっ!」

陣内くんはそう言って肩を震わせて泣き始めた…


酷い…

一体、誰が…


「あ…先輩…これ…どうしたんですか…?!」

遅れてやって来た1年生たちは、現場の壮絶な状況を見て、絶句して固まってしまった。


僕は…曲がりなりにも、この模型部の…部長だ。


長たる者、いかなる状況においても冷静でなくてはならない…

ひとつ、深呼吸をした僕は、腕で涙を乱暴に拭った。そして、不安な様子の1年生を見上げて、なるべく落ち着いて話し始めた。

「…みんな、ごめん…。こんな状況だから、今日の活動は…美術室でやろう…。」

「春氏…!」

分かってる…分かってるよ…伊集院くん…!

とっても悔しくて…部活動なんて、今日は、出来そうにもないって事くらい…僕だって分かってるんだ…

でも、みんなの活動を止める事は、したくない。

こんな嫌な事があった時こそ…没頭出来る何かに縋る事も…大切じゃないか…

悔しそうに口を歪める伊集院くんを見つめたまま、僕は黙って頷いた。

そして、ふと…彼の後ろに見えた、製作途中のNゲージを見つめて、良からぬ不安に襲われた。

「は…!みんな?今、製作中の作品は壊されていないか、各自、急いで、確認してくれっ!」

そんな僕の言葉に表情を変えた一同は、急いで自分の作品の元へと駆け寄った。

「大丈夫…!」

「こっちも、平気でござる!」

「問題ない!」

「先輩!僕たちのも大丈夫です…!」

所々から上がる無事の知らせを耳で聞きながら、目の前のバリを取ったばかりの自分のパーツを見つめて、ポツリと言った。


「…じゃあ、僕のだけ、壊されている…と、言う事か…」


それは、ものの見事に…

ランナーから外したばかりの、まだ組み立てる前のパーツが、全て…鋭利なハサミでちょん切られていた。

忘れかけていた、得も言われぬ理不尽さと…諦めにも似た絶望を感じた僕は、項垂れながら呟いた。


「…こ、これは…僕を狙った、犯行だ…!」


膝から崩れ落ちた僕は、そのまま、天を仰いでぶっ倒れた…

「あぁっ!春ちゃ~ん!」


信じられない…


信じられない。


「春氏!」

「後藤くん、春ちゃんを…保健室まで運んで…!」

「了解!」

暗くなって行く視界の向こうで…みんなの声が、掠れて消えて行く…


どうして…?


どうして…こんな事をするの…?



「春ちゃんって…ムカつく!死んじゃえっ!」

小学生の頃。

雪ちゃんと、その取り巻きの女子たちは、僕の下穿きを二足とも、躊躇する事なく公園の池に放り込んだ。

慌てた僕は…池に放り込まれた自分の靴を長い棒で引き寄せようと、必死に体を屈めた。すると、誰かに背中を押されて…そのまま池に、頭から落ちた。

その当時から泳げなかった僕は、足の付く池の中でも…自分が水の中に落ちた事が、とても、怖くて…

意図せずに…漏らしながら泣いてしまった。

そんな僕の様子を、沢山の人が指を差して笑った…


僕のせいじゃない…


雪ちゃんや、他の子が僕に向ける悪意は、僕が彼らに何か酷い事をしたからじゃない。

ただ…僕が、ちいちゃんと仲が良かったから…向けられた悪意だった。


泣きながら家に帰る僕を見たちいちゃんは、友達とのサッカーを中断して僕に駆け寄って来た。そして、眉を吊り上げて聞いて来たんだ…

「春!誰にやられたぁ!」


もう…嫌だった…


もう…巻き込まれたくなかった…


君の周りで、君を求める人たちに、傷付けられたくなかった…

「…う、うるっさい!ちいちゃんなんて…大っ嫌いだぁ!」


僕のせいじゃない…なのに、悪意を向けられる、そんな恐怖を感じた事はある…?

理不尽で…不愉快で…解せない。

そんな事の連続を…君の傍にいると、必ず感じなければいけないんだ。


だから、僕は…君が大嫌いなんだ…


もう、僕に…関わらないで…他の誰かと、楽しく暮らして…



「春のだけ…?一体、誰がやったの…」


ちいちゃんの声がした…

ここは、どうやら保健室の様だ。僕は、余りのショックでぶっ倒れたみたいだ。ちいちゃんの問いかけに、聞き慣れた唸り声をあげて伊集院くんが言った。

「それがしにも…それは分からんでござる…」

「部室のドアぁ見たら…強引にこじ開けた形跡があっただ!ふんづかまえてぇ、ぎったんぎったんにしてやらにゃ、腹の虫が治まらんだぁ!」


「も…良い…」

僕は重たい瞼を開いてそう言った。そして、僕を覗き込んだちいちゃんの頬を思いきり引っ叩いて言った。

「も…僕に、近付くなぁ!お前なんて…大っ嫌いだ!大っ嫌いだぁ!」


「春氏!千秋氏は何も…」

「違う!違う!僕が狙われる原因は…いつも、こいつの事ばかりだぁ!こいつの傍にいると、嫉妬した誰かが…僕に…酷い事をするぅ…!!いつも…いつもぉ…!」

堪え切れない悲しみと悔しさを…僕は、全て…ちいちゃんにぶつけてそう言った。

「消えろっ!僕の前から…!消えてくれっ!!お前の顔なんて…も、見たくもない!!僕の前に来るな!僕の傍に来るなっ!話しかけるなっ!馴れ馴れしくするなぁ!あぁあ~~ん!!」

突っ伏して泣いた僕の視界の隅で…ちいちゃんの足が…何も言わないまま、僕から遠ざかって行くのが見えた。


やっと消えてくれた…

やっと、離れてくれた…

だって、彼の傍にいると、僕は酷い目に遭ってばかりなんだ。


「春ちゃん…ふたりの間に何があったのかなんて、僕たちには分からない。でも…それはあんまりじゃないか…。千秋君は、君を心配してたんだ。ただ…心配していただけなんだ。」

陣内くんの言葉が分からない訳じゃないんだ…

でも、昔からちいちゃんのせいで嫌な思いばかりして来た僕には…そんな言葉は、全て、何も分かっていない人が話す偽善にしか、聞こえなかった。


フラフラと体を揺らしながら、魂が抜けてしまった様にぼんやりした頭を抱えて…僕は学校を出て、家路についた。

僕のプラモデルのパーツを壊した犯人は…僕が、何よりも大事にしている…模型部のみんなのジオラマを壊した。

僕の、拠り所を…壊した…

きっと、ちいちゃんの事が好きな誰かが、僕に意地悪をしてるんだ。


「春ちゃん…どうしたの…?」


そんな声が耳に聞こえた僕は、重たい頭を持ち上げて視線を上げた。

そこには、目をまん丸に見開いたまるちゃんが居た。彼の右手の先には…僕を見て眉を下げるたぁくんの姿もあった。

あぁ…どうやら、まるちゃんは、たぁくんを保育園にお迎えに行った帰りの様だ。

そんな彼の元にフラフラと歩いて向かった僕は、震える声で言った。


「僕のだけ…僕のだけ…壊されたぁ…!」

ボロボロと落ちて来る涙を止める事も、抑える事も出来ないまま…まるで、告げ口するみたいに、顔を歪めて…僕は、まるちゃんに必死に訴えた。

「小さい頃から…そうだった…!ちいちゃんの傍にいると、僕は酷い目に遭ってばかりいる…。人気者の彼と仲良くなりたい人が、僕を邪魔に思って…嫌がらせをするんだ…!だから…だから…僕は、彼の事が…大っ嫌いだった!!ずっと、ずっと…大嫌いだった!!」

「大丈夫…大丈夫…落ち着いて…春ちゃん、落ち着いて…」

「春たん…落ち着け…は~るたん。落ち着け!」

僕は、まるちゃんに抱きしめて貰いながら、何度も何度も優しい声で宥めて貰った。

そんな彼の声と…一緒に混ざったたぁくんの声が、胸に穏やかに響いて…僕はまるちゃんの胸に頬を付けて項垂れた。

「誰も分かってくれない…僕の気持ちを…。みんな責めて来る…。僕がいけないんだって…。」

「春ちゃんは…いけなくないよ…。」

「んぁ!春たんはいけなくない!たぁくんが、やっつけてやるっ!!」


まるちゃんは、優しい…

そして、その弟のたぁくんも、彼と同じ…優しい遺伝子を受け継いでる。

そんなふたりに慰めて貰った僕は、きっと…ラッキーだ。

だって…流れて来る涙の全てが、粘り気を持たないサラサラの涙なんだ。

君は、僕の悔しさも…悲しさも…やるせない理不尽な気持ちも…全て包み込んでくれる。

だから、僕は…汚い涙を流さなくても良いんだ。


「まるちゃん…君が、大好きだ…」


こんな事を言ったら、君が困ると分かっている。

でも、言うだけはタダだ…。

それに、こんなに優しくして貰った僕は、そう言わずには居られなかったんだ。

だから、こんな僕の言葉に…何も返さなくても良いんだ。

独り言だと思って…流して貰って構わないんだ。


「春ちゃん…」

それだけで…十分だ。

困った様に声を曇らせたまるちゃんの言葉にクスクス笑った僕は、恥ずかしくて見上げる事が出来ない彼の顔を想像して…胸を痛めた。


僕は、まるちゃんの胸に涙の痕を沢山つけてしまった。

そんな彼のTシャツの涙じみを、誤魔化す様に何度も手で払った僕は、彼の足元で僕を心配そうに見上げるたぁくんに笑顔で言った。

「元気出たぁ!」

「嘘だぁ!」


嘘じゃない…


嘘じゃないよ…


「まるちゃん…たぁくん、またね…」

そう言って、踵を返した僕の背中は、少しだけ真っすぐになった気がするもの…


大好きなまるちゃんに、人気者の幼馴染に劣等感を抱く…卑屈な自分を見せてしまった。

でも、彼は…普通の人の様に、僕を責めなかった。

僕の気持ちを分かってくれて、寄り添ってくれた…


それが、とても…嬉しかった。



「…ただいま…」

「おっかえり!今日は、遅かったじゃないの…!」

お母さんは、新しい健康器具を買ったみたいだ。

玄関の前に置かれた空になった段ボールを見下ろした僕は、足の踏み場もなくなった廊下を歩いて、洗面所で手を洗った。

ふと、鏡を見つめて、指先で自分の顔を撫でた。

泣き過ぎたせいか…目元が赤くなっていたんだ。


「今日はふわふわオムライスだよ?お母さんはね、減量してるから…ビールは飲んでない!」

聞いてもいないのに、お母さんはそう言って健康器具に跨って揺られ始めた。


「…それ、運動になるの…?」

食卓に着いた僕は、お母さんを横目に見ながらそう言った。

「なる!」

断言するんだ。きっと、確証を得ているんだろう。

お母さんはテレビショッピングが好きだ。すぐに買うくせに…すぐに飽きる。だから、たまに帰って来たお父さんが、お母さんの知らない所で不用品として処分してる。

きっと、この健康器具もそのうち使わなくなる。


「なぁんだよっ!好きって言ったじゃん!真美ちゃぁん!」

そんな男になりたがってる妹の声が彼女の部屋から漏れ聞こえて、お母さんが聞き耳を立て始める中…僕は、ため息を吐いて美味しいオムライスを食べた。

静まるリビングで…ウインウインと稼働するお母さんの健康器具のモーター音だけ、耳の奥に響いて消えて行く。

「ありゃ、振られたな…」

そんなお母さんの声に首を傾げた僕は、男と付き合うよりも女と付き合う事を選び続ける妹の将来を憂いた。

見た目は悪くないんだ…でも、妹はかたくなに女と付き合いたがってる。


「…なんかあった…?」

風呂に入って自室へ向かう僕の背中に、健康器具に乗ったままのお母さんが、首を傾げながら声をかけて来た。

「…何も。」

僕はお母さんを振り返りもしないでそう言った。そして、逃げる様に部屋に入った。


春…持ち直せ…持ち直せ…

ベランダに出た僕は、明るい月を見つめながら夜風を顔に受けて、何度も自分に言い聞かせた。

お前は、模型部の部長になったんだ。

自分の事だけを考えちゃ駄目だ…

模型部の未来の事を考えないと…駄目なんだ。

まず、壊れた模型を片付けよう。そして、犯人を特定して罪を償わせよう…

それが終わったら、夏休みの部活動のスケジュールを考えないといけない…そして、秋に行われる文化祭に向けて、模型部の出品する物を決めないといけない。

課題が山積してる。


…卑屈でしつこい、そんな落ち込んだ気持ちに拘ってる場合じゃないんだ…。


ふと、隣に点いたちいちゃんの部屋の明かりを横目に見た僕は、そそくさとベランダを後にして、自分の部屋に戻った。


言い過ぎた…

あんな風に、言うなんて…酷かったかもしれない…

陣内くんが言った通り…ちいちゃんは、僕を心配していただけなんだ。


でも、今は…君の顔を見たくない。


ベッドに横になった僕は、壁におでこを付けて、向こう側のちいちゃんに聞こえる筈も無いのに言った。

「…ちいちゃん…ごめん…」

それに何の意味があるのかなんて、分からない…

ただ、あの時の君の顔を思い出すと…胸が痛くて、苦しくなってくるんだ。

だから、僕に謝らせてくれ…

「千秋…ごめん…」

僕は、意図せず落ちてくる涙をそのままにしながら、眠りについた。



次の日の放課後…

僕は現場の証拠写真と陣内くんのまとめた破損リストを手に持って、彼と一緒に職員室へと向かった。

名ばかり顧問の“大谷先生”へ、この事件を報告するんだ。

「大谷先生!先日、我が模型部に不法侵入した不届き者が居ました!被害は以下の通りです。現場の写真はこちらです!そして、破損したもののリストはこちらです!」

僕がそう言って写真と書類を手渡すと、大谷先生は面倒くさそうに顔を歪めて渋々受け取った。そして、一通り目を通した後に、思いもよらない一言を発したんだ。

「…分かった。」


分かった…?

分かった…?!

ムッと頬を膨らませた僕は、暖簾に腕押しの反応しか見せない大谷先生に詰め寄って言った。

「…どうしますか?!先生総出で、犯人を特定して頂けるんですよね?」

「んな、大げさな…」

きーーーーーーっ!!

「…仕方が無いよ。春ちゃん。大谷先生は、名ばかり顧問だ。模型部の事なんて…どうでも良いって、態度に出てる…。」

陣内くんは冷めた声でそう言って、大谷先生に食い下がる僕の背中を優しく撫でてくれた。

「まぁ…元気出してぇ!」

そういった大谷先生の手元から渡した書類一式を取り上げた陣内くんは、机の上でトントンと纏めながら、先生を横目に睨み付けて言った。

「こうなったら…教育委員会に連絡して、この高校では、こんな暴力事件が発生していますって…報告するしかない。上司に直談判する。それは、馬鹿を唯一動かすテクニックだ…」


「うぉおい!ちょまてぇい!」


馬鹿だ…

年功序列に弱くて、上司に弱い…その癖、自分の存在意義を作ってくれる筈の生徒に対して不誠実…

なぜ、教師になったのか…首を傾げない訳には行かない。

そんな馬鹿な大谷先生は、陣内くんのパンチの効いた脅し文句に体を震わせて言った。

「まぁまぁ…穏便に…先生も、犯人捜しを手伝ってやろう!」

不誠実…それが、この人だ。


とりあえず、僕と陣内くんは大谷先生を部室へと連れて来た。

きっと初めての訪問だ。

「あらぁ~…これは、また…派手にやられたな…」

部室内の惨状を見た大谷先生は、さすがに驚いたのか…頭をポリポリとかきながら顔を歪めた。

「…ここも、壊されました!これは学校の設備ですよね?」

無理やりこじ開けた形跡のある部室のドアを指さした僕に、大谷先生は眉を下げて頷いて答えた。

「校長先生に…話そう…」

当然だ!

こんな犯罪がまかり通る学校なんて、安心して勉強なんて出来ない!


背中を丸めて帰って行く大谷先生を見送った僕は、美術部の部長…神原さんに事情を説明して、少しだけ部室を分けて貰えるように交渉をした。すると、彼女は意味深に声を潜めて、こう言った。

「あたし、見た…」


「何を…?」

首を傾げる僕を見た神原さんは、小さな声を更に絞ってヒソヒソと話した。

「アッパー系の女が…2、3人…と、チャラい男が1人…文化部が集うこの棟に似合わない風貌の奴らが、廊下を走って逃げて行くのを、見た!」

「なぁんだって!!」

そいつらが…犯人だぁ!!

僕と陣内くんは顔を見合わせて、口を大きく開けた。そして、一緒に神原さんに言った。

「…神原さん!く、詳しく教えてっ…!!」


優秀な美術部員の協力を得た僕らは、犯人のモンタージュを作成した。

「うちには、リーサルウエポンが居る…」

そう、意味深に呟いた神原さんの後ろから、白衣を着た女の子が現れて、僕にペコリと会釈をくれた。

そんな彼女の両手には、ブラシと鉛筆の削り粉が握られていた。

「あ…ども…よろしくお願いします。」

僕は、咄嗟に頭を下げてそう言った。

彼女は、1年生の難波さん…“科捜研の女”が大好きな女の子だそうだ…。

おもむろにしゃがみ込んだ難波さんは、鉛筆の芯を削った粉を、ブラシの先に付けてぽんぽんと部室のドアに撫でつけ始めた。

「お、おぉ…」

その後ろ姿は…まさに、科捜研の女だった。

「リッツパーティーは、事件が解決してからにしましょう!」

キビキビとそう言った難波さんの背中を、僕は黙って頷いて見つめた。

「出たわ!こんな所…鍵を開けて出入りする限り、普通触らない…!これは、犯人の指紋よっ!!」

…すごい!!

難波さんは本物の科捜研の様に、部室のドアからセロハンテープで指紋を取って、黒い紙に張り付けて行った。

「ほわぁ…すっげぇな…おら、ビックリしたぞ!」

南條くんはいつもと変わらない…

べったら漬けを口の中に放りながら、まるでテレビの中から出て来た様な、科捜研の難波さんに感心してそう言った。

「…証拠物件は以上です。また、物証が出たら…私の元に持って来て下さい。」

すごい…!!

「あ、ありがとう!!まりこ!」

咄嗟にそう言ってしまった僕に、難波さんは不敵に笑った。そして、不気味な笑顔を向けたまま…美術部へと戻って行った。

世の中には、ニッチな分野を極めた人がいる。

それは、時として、こんな風に役に立つ技術になるんだ…!!

めたくそカッコいいじゃないか!!


「春氏…春氏…!絶対に、犯人を逃がしてはなりませぬ~~~!」

「あったり前田のクラッカーだ!どんなに陽キャでも、追い詰めて、ボッコボッコにしてやろう!!」

犯人の手がかりを続々と掴んだ僕たちは、落ち込んだ空気を、怒りと、恨み、というエネルギーに変えて…一気に爆発させた。

「陰キャを舐めるなーーっ!これは、ジオラマと…僕のプラモデルの…弔い合戦じゃ~~っ!首を取ってやるっ!首を取ってやるっ!!」


一通り興奮した僕は、ひとまず部室を片付けて机の上にモンタージュを置いた。


「知ってる顔は無いか…確認してくれっ!」

まじまじとモンタージュを見つめ始める模型部のみんなの背中を見つめて、僕はそそくさとお茶の準備をした。

絶対に、逃がしてなるものか…!!


「この人…もしかしたら、3年生…じゃないか?」

後藤君のそんな言葉に、燃え上がったみんなの怒りのエネルギーがあっという間にしぼんだ。

「う、嘘だぁ…」

僕はお茶をみんなに配りながら、モンタージュをまじまじと見つめた。すると、陣内くんが一枚の女の人のモンタージュを手に取って言った。

「この人…確か、親が金持ちの…」

「あぁっ!それがしも見た事があるでござる!」


マジか…

そんな、マジもんのアッパー系のパリピが…なぜ、模型部を狙った…?!


なぜ、僕を…狙った…


「僕は、この中の…誰とも、接点が無いよ…」

机に腰かけた僕は、みんなの顔を覗き込んでそう言った。すると、1年生が挙手をして言った。

「春先輩の…大好きな、山崎君が…この女の人に、良い寄られているのを見た事があります!」


はぁ~~~~~~?!


「…なる程…そう言う事か…」

奥歯を噛み締めた僕は、眉間にしわを寄せて宙を睨みつけた。

僕の…まるちゃんが手に入らないからって、彼に一番近い僕に嫌がらせをした…

そう言う事かぁあ!!


「糞ビッチ!ぶっ殺してやんよっ!」


急に怒りのスイッチが壊れた僕は、護身用に備え付けていたバットを手に持って部室を飛び出した。

「は、春ちゃ~ん!傷害は駄目だぁ~!」

そんな陣内くんの叫びを背中に受けたまま、僕は手に持ったバットをカランカランと廊下に響かせながら足早に歩いて向かった。

どこにって…?

もちろん、3年生が自主勉強する…自習室へだ!


親が金持ちだぁ?

3年生だぁ?

そんなの、構わねえ!ぶっ殺してやるっ!!

僕の保護下に置かれたまるちゃんにちょっかいを出したなんて…馬鹿をやったな。

戦争じゃ~~!


ガララ…!

「うぉおい!ここに…1年生のまるちゃんに言い寄ったブスはいるかぁ!」

僕は威勢よく自習室の扉をあけ放って、首を傾げる3年生に向かってそう叫んだ。すると、目の前のがり勉3年生がこう言った。

「…居ねえよ。帰れ、馬鹿野郎。」

なる程…こんなパリピのバカ女は、自習なんてしないんだ…

3年生の冷たい視線を受けながら、僕は颯爽と自習室を後にした。


そんな時、ふと、廊下の窓に出来た人だかりを発見した僕は、首を傾げながら近づいた。そして、そこで繰り広げられていた、彼女たちのヒソヒソ話に聞き耳を立ててみた。

案外…こういう所から情報は得られるもんなんだ。

「あの子…1年生だよね…?カッコいいけど、可哀想…」

「また~?この前は…2年生の千秋君がターゲットだったでしょ?」

「真理ちゃん、次は、あの子を落としたいんだって…」

「落とすっていうか…脅す…でしょ?」

「言えてる~~!」


僕の勘は当たった!

身に覚えのあるワードを拾い上げた僕は、彼女たちが興味津々に覗き込む窓に顔を突っ込んで、一緒になって下を覗き込んだ。

「あぁ…!」

そこには…ガラの悪そうな女に絡まれる…僕の可愛いまるちゃんの姿があった。

困った様に眉を下げた彼は、厳つい男の先輩に、何度も胸を小突かれているではないか…!!

「んなろっ!」

再び怒りのスイッチが壊れた僕は、一目散に階段を駆け下りて中庭へと向かった。

まるちゃん…まるちゃん…!!

僕が、今、すぐに、助けてあげるからねっ!!


「は…春ちゃん?!」

全力疾走する僕の目の端に、目を丸くしたちいちゃんが現れた!

だけど、僕は…君の前には、止まらない!

駆け抜けて中庭に出た僕は、スピードを緩めることなく、まるちゃんを小突く男に向かって突進した。


「や~めろ~~!!」


僕は、思いきり体当たりをして男を蹴散らした!

そして、まるちゃんを背中に隠して、目の前の真理ちゃんと呼ばれる女の子に言った。

「お…お前だなぁ!僕の…僕の…模型部の、大事なジオラマを壊した犯人はぁっ!ゆ、許さないかんなぁ!!」


声も…足も、僕の意図とは関係なく…震えていた。


恋は人を…おかしくする。

僕は、こんな事…今の今まで、一度もした事なんて無いんだ。

人を飛ばした事だって…無いし、喧嘩をした事だった…無い。

でも、まるちゃんを助ける為なら…

僕は、こんなの…怖くない!


「おぉ~~!良いぞ!もっとやれ~~!」

中庭を見下ろしていた3年生がドッと盛り上がる中、僕を睨みつける真理ちゃんの後ろに、ちいちゃんの姿が見えた。

僕を見て、血相を変えて駆け寄って来る彼の姿に…僕は咄嗟に目を逸らした。


どうして、ちいちゃんが来るんだよ…!


僕は、唇を噛み締めて、何も言わずに僕を睨む真理ちゃんを睨み返した。

もう、引けない…いいや、引く気なんて無いんだ…!

模型部のジオラマを破壊した罪と…僕の大事なまるちゃんにちょっかいを掛けた罪を…償って貰おうじゃないかぁ!


「春…向こうに行ってて…」

突如、まるちゃんが僕の腕を掴んで、自分の後ろに引っ張ろうとして来た。だから、僕は必死に踏ん張りながら、目の前の真理ちゃんに思いの丈を叫んで伝えた。

「ん、まるちゃんは…僕のだかんなぁ!この子は…僕のだぁ!お前は、あっち行けぇ!」

「きもっ!ホモじゃん!まるちゃん可哀想!」

必死に訴える僕の言葉を、目の前の真理ちゃんは馬鹿にした様に鼻で笑った。

いつもそうだ…

この人種の常とう手段。

すぐに、論点を逸らすんだ…

正当な理由が無いから、こんな姑息な手段しか使えない。


つまり…馬鹿だって事だぁ!


僕は、馬鹿な真理ちゃんを睨んだまま、声を上げて言った。

「何がいけないんだぁ!僕がまるちゃんを好きになったら、地震でも起きるのか?物価が上昇するのか?トイレットペーパーが無くなるのか?誰も困らない!誰も困らないじゃないかぁ!!お前は馬鹿だ!男を漁る前に、机に向かって勉強しろ~~!」

「よく言ったぁ~!」

「やんや、やんや!」

いつの間にか、僕の声は震えなくなって、ガクガクしていた足も地面をしっかりと踏みしめていた。きっと、大盛り上がりを見せて廊下の窓からこちらを覗き込む、3年生の声援に勇気を貰ったんだ!

こ、このまま…言い負かしてやる…!

そう意気込んだのもつかの間…僕の視界の端で、突き飛ばしたはずの3年生の男子が体をムクリと起こす姿が見えた。

そんな様子に、僕は、一気に勢いを失くして…ビビった。

「こぉの、もやしっ子がぁ…!」

片腕を上に上げながらこちらへ向かってくる姿に…僕は、殴られる事を…覚悟した。

咄嗟に、胸に抱えたままのバットを両手で握り締めた。

…でも、絶対に、逃げない!

再び震え始める足を力づくで踏みしめた僕は、唇を噛み締めて相手を睨みつけた。そして、体の奥から大きな声を出して言った。


「…来るなら…来いっ!僕は…逃げないぞっ!!」


「春…目を瞑ってて…」

そんなまるちゃんの優しい声が…息巻いて、緊張しきった僕の耳にそよ風の様に聞こえて、目の前を大きな手で覆われながら…彼の言葉通りに、僕は瞳を瞑った。


ドガッ!

鈍くて、重い…

そんな音と共に、ドサッと誰かが倒れ込む音が立て続けに聞こえた。


「わぁ~~~!やった~~~!カウンターだぁ!」


3年生の歓声に驚いた僕は、瞑っていた目を開いた。そして、窓から身を乗り出して大騒ぎする3年生を見上げて、首を傾げた。僕の後ろには、さっきと変わらない様子のまるちゃんが、僕を見下ろして同じ様に首を傾げてる。


「…こらぁ!山崎~!何してんだぁ!俺は見たぞ~~!」

すると、体育の服部先生の怒声がどこからともなく聞こえて来た。

ふと見下ろした僕の足元に…さっきまで息巻いていた3年生が、うつ伏せに倒れ込んでいた…


この状況を見て、僕は察した…


「あ…」

「春ちゃん…危ないよ。こんなもの、振り回さないで…」

まるちゃんは、僕の背中を包み込む様に体を屈めて、優しくそう言いながら僕の手からバットを取り上げた。


あ…あわ…あわあわ…


「…ま、まるちゃぁん…!」

僕は、体を翻して、大好きなまるちゃんにヒシっとしがみ付いて、おんおんと泣きながら言った。

「う…うちの…科捜研が…!科捜研が、証拠を押さえてるんだ…!だから、だから…まるちゃんは暴力を振っても、無罪だよ!ノットギルティだ!」

眉を下げずに僕を見下ろすまるちゃんに、何度もそう言って安心させてあげた。

この暴力は…正当だって伝えたんだ。


ま、まるちゃんが…武器も使わずに、男をワンパンダウンさせた…

この子は…強いんだぁ…!

あったかいまるちゃんの胸に頬ずりしながら、ドキドキして止まらない胸の動悸を抑える様に、僕は、深くて長い…そんな深呼吸を何度もした。

「す~…はぁ~…す~…はぁ~…」

初めて人の暴力を間近に見た。そして、それはとっても格好良かった…


僕も、空手か何かを習おうかな…


「こらぁ!うちの高校で暴力事件とは、やってくれたなぁ?!山崎!」

そんな怒声と共に意気揚々と現れた服部先生は、水を得た魚の様に生き生きと笑ってまるちゃんを見つめた。

この人は、いつも竹刀を肩に掲げて持つような…所謂パワハラを極めた先生だ。

彼の登場によって、窓から声援を送っていた3年生も少しばかりトーンダウンしてしまった。

何も言わないまるちゃんを良い事に、服部先生は、楽しそうに目を笑わせながらこう言った。

「なぁんで、3年生をのしてんだぁ?あぁ?良いのかぁ?こんな暴力振るって…許されると思ってんのかぁ?なあ…山崎~?」


「…せ、先生!こ、こ、こここ…この暴力には、正当な理由があります!」

一方的にまるちゃんを責める様なもの言いをし始めた服部先生に、僕は毅然と物申した。

そして、すかさず僕の元へ来てくれた模型部のみんなと一緒に、服部先生に物的証拠を提示して畳みかけて言った。

「この人たちは、僕たち、模型部の部室を荒らして、学校の備品を破壊した犯人です!目撃証言もあるし、ここに…指紋もある!これを、校内で解決出来ない場合…僕たちは、教育委員会…もしくは、警察に被害届を提出する事も考えているんですよ?だって、破壊されたのは…僕たちの私物ですからね!立派な器物破損です!」

「はぁ~~?!」

顔を歪めた服部先生に、僕たちは、証拠物件をこれ見よがしに何度も見せつけてやった。

こうして見てみると、美術部の書いてくれたモンタージュは、どれもいい出来だ。やさぐれた雰囲気を醸し出していて、実物よりも、より臨場感のある仕上がりになっていた。


「話は聞かせてもらったよ!模型部の君!」


そんな凛々しい声と共に現れたのは…3年生の生徒会長と…副会長だった。

朝礼や、学校行事の度に、この人が壇上に上がる所を下から見上げていた。

そして、僕はいつも思っていたんだ…

彼の1:9分けに分けられた髪型は、不自然の極みだって。

しかしながら、きっと禿げるであろう将来を見越してのバーコード慣れだと思ったら、そんな滑稽な髪型も、理解出来た。

颯爽と現れた生徒会長は、地面に伸びた3年生を見下ろして、眉を顰めて首を横に振った。そして、不貞腐れた様に立つ諸悪の根源の真理ちゃんを見つめて、静かに言った。

「君の行為は目に余る。そして、君の取り巻きたちも…正直、目に余る。大人しく出来ないのなら、僕のパッパに言って、君のパッパとの仕事を考え直してもらう事も出来るんだ~よ。」

「それは、困る!」

こんなふたりの会話を聞いて、僕は察した。

この生徒会長のお父さんも…きっと、金持ちの権力者なんだ。ただ、真理ちゃんのお父さんより、少しばかり、偉いみたいだ。

虎の威を借る狐…とはこの事だ!

こんなものに、媚びを売る教師もどうかしてる。

しかし、この状況を乗り切るには、こいつの神輿に担がれる必要がある様だと、僕は瞬時に理解した。すっかり大人しくなった服部先生、それに、真理ちゃんとその取り巻きの様子を見れば分かる。

話を付けるなら…こいつとだ…!


春…模型部のジオラマの恨みを忘れるな…ビビるんじゃない!

心の中で自分にそう言い聞かせた僕は、おずおずと生徒会長の前に進み出て、陰キャらしからぬ堂々さを見せつけて、胸を張って言った。

「ぼ…僕の希望は、模型部の部室の扉の修繕です!後…山崎君が働いてしまった暴力を見逃す事…。だって、彼は僕を守る為に、手を伸ばしただけですからぁ!」

僕の言葉に眉を上げた生徒会長は、口を横に尖らせながら首を傾げて言った。

「…それを認めたら、その証拠は葬り去ってくれるのかい…?なに、警察。なんて…物騒な言葉が出てきたからね。僕のパッパが悲しむと思ってね…」


生徒会長の狙いは…やっぱり、この証拠を隠滅する事の様だ。

パッパがどうの言っているが、きっと自分の経歴に載る出身校に…傷を付けたくないだけなんだ。

だとしたら、こんな口約束…彼の髪型と同じ位…信じられない。

そんな生徒会長の足元を見た僕は、首を傾げて彼に言った。

「いいえ!この証拠は、警察に持って行って“相談”と言う形で、日付を付けて保管させていただきます!あらゆる面で僕の希望が反故された場合、すぐに器物破損で被害届を提出出来る様に、画策させていただきます!」

「なぁんでぇん!」

地団駄を踏む…生徒会長を見つめて、僕ははっきりと言ってやった。

「…信用していないからです!」


「フォ~~~!言ったれ~!」

「模型部には、陰キャの切れ者がいるぞ~~!」

「まるちゃんと、春ちゃん、お似合いカップルだぁ~~!」


え…

誰が…そんな事、言ったの…?


急に恥ずかしくなった僕は、もじもじしながら窓から身を乗り出す3年生をチラチラと見上げた。

お似合いのカップルだなんて…そんな、そんな…

見る人が見たら、分かってしまう物なのかな…。

僕と…まるちゃんが、お似合いだって…!

…分かっちゃうものなのかなぁ?ぐへへ…


「…分かった!部室の扉を修繕する。そして、さっきのハプニングは、不問としよう。それは…君の証拠が生きている限りだ。はん!」

生徒会長は僕に鼻を鳴らしてそう言った。そして、踵を返すと、颯爽と中庭を立ち去って行った…


「まるちゃぁん!!」

敵がいなくなった中庭で、僕は思う存分まるちゃんに抱き付いてフルフルを体を震わせて言った。

「美術部の科捜研が…モンタージュを作って…犯人が真理ちゃんだって分かったんだぁ…!だから…だからぁ…!」

「ふふ…駄目だよ。春ちゃん、こんな武器を使ったら…事件になる。」

まるちゃんはケロッと笑って、僕の持って来たバットをなるべく僕から遠ざけて持った。そんな彼にデレデレになった僕は、内股になってナヨナヨと体を揺らした。

「春氏!男を見せたでござるな!正直、それがしは漏らしそうになったでござるよ!」

伊集院くんが、満面の笑顔で僕を褒めてくれた!そして、陣内くんも、僕の背中を叩いてにっこりと笑って言った。

「春ちゃん、お手柄だったね!」

模型部のみんな…そして、まるちゃん…ありがとう!

窓から素敵な言葉をくれた…見ず知らずの3年生も、ありがとう…!!


まるちゃんと別れた僕たちは、すっかり明るくなった雰囲気を纏って模型部へと凱旋した。

ちいちゃんは、いつの間にか…居なくなっていた。

もしかしたら、あの時、僕に駆け寄ったんじゃなくて…僕の向こうに居た誰かに駆け寄っただけだったのかもしれない…


何はともあれ…昨日、あんなに落ち込んだ気持ちを、僕は、やっと…持ち直せた気がした。

「んだ事あったのかぁ~?真理ちゃんって先輩は、イケメンハンターだったんだなぁ。んで、春ちゃんが物の見事に、そのイケメンを周りに侍らせてっから…ムカついたんだなぁ~!はぁ~!嫉妬ってこえぇなぁ?」

部室の片付けをしながら事の経緯を話していると、南條くんがそう言いながらべったら漬けを口に咥えた。

そうなんだ。3年生の真理ちゃんは、もともと、ちいちゃんを狙ってた…

でも、僕は、今の今まで…何も、嫌がらせを受けていなかった。

まるちゃんにターゲットが変わった瞬間、嫌な過去を思い出してしまう様な…そんな理不尽な嫌がらせを受けた。

どうして…ちいちゃんの時は、何もされなかったんだろう…

「春ちゃん…今回の事、千秋君は関係なかったじゃないか…。昨日の事、謝った方が良いと思うよ。親しき中にも礼儀あり…幼馴染だからって、このままは春ちゃんだって気まずいだろ…?」

陣内くんはいつも僕の良心を刺激してくる…

「…うん。」

俯いたままそう答えた僕は、壊れてしまった模型をゴミ袋に入れながら、唇を噛み締めた…



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