表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
模型部へようこそ  作者: 裏庭その子
1/6

挿絵(By みてみん)


はる…それは、新しい出会いの始まり。

そして、僕の名前だ…


高校2年生になった僕は、とうとう…念願の部長になった。

ここは、しがない模型部…

台風が来ても、大雪警報が出ても、僕は部室に足繁く通い…1日も休む事なく部活動に従事した。そんな僕が、部長を任命されたのは、ある意味必然だ。

受験を控えた3年生たちは、前年度の内に早々に引退を済ませ、残った2年生の僕たちは、右も左も分からない中…闘志を燃やしていた。


何に?って…

今は、まさに…新入部員獲得戦国時代の真っ只中なんだ!!

それぞれの部活動の猛者たちが、あの手この手を使って新しい人材をハントしにかかってる…

僕たち、模型部も…然りだ!


「春氏…きっと、模型部なんてニッチな部活動。わざわざこちらから行く必要無いでござる。それがしたちの様なアウトサイダーは、呼ばずとも、埃の様に…自然と集まるでござるよ…」

暗い面持ちでそう言ったのは、伊集院君だ。

彼は、所謂オタクの全てを踏んでいる男。

言葉もそうだし、持ち物、身なり、髪型まで…全てがオタクのベーシックの様な男だ。

「伊集院くん!これからは、攻めの時代だよ?僕たちの様なオタクにだって市民権はある!サッカー部やバスケ部の様に、横断幕を掲げて新入部員を獲得するために動くべきなんだ!」

僕は熱を込めてそう言うと、プラモデルのランナーが置かれた机の上に両手を付いて、声を大にして言った。

「模型!プラモデル!頭が痛くなる様な細かい作業!この趣味は、僕たちの様な陰キャのみ与えられた物なのかな?僕はそうは思わない!良い?待ってるだけでは駄目なんだ!勧誘とは、まだ発掘されていないアンノウンな素材を発掘する良い機会でもあるんだ!」

「確かに!このままでは、コミュ障の集まりにしかならん!陽気な奴か、まともな奴が1人くらいいてくれないと、先々困る事になるだろう!」

僕の意見に大きく頷いてそう賛同してくれたのは、体の大きな力持ち…後藤くんだ。

彼は手も大きい。

なのに、どうして…戦車や軍艦などのスケールモデルを上手に作るんだ。

「んだな、いっちょやってみんべか…」

重い腰を上げた南條くんは、訛りの強い、べったら漬けが大好物な東北出身者だ…

彼はもっぱら、ここでべったら漬けを食べては、訛りの強い方言で話をする。

プラモデルも、ガンプラも、SDガンダムの様な簡単な物でさえも、作った事などない…何となくここに居る、人だ。

「…じゃあ、春ちゃん。どんな構想を持ってるのか話してみてよ。」

そう言って、僕の顔を覗き込んで来た彼は、副部長の陣内くんだ。

彼はロボットのプラモデルを作るのがとっても上手なんだ。僕に上手な墨入れの方法と、並外れたプラバンの技術を惜しみなく教えてくれた…僕の、お師匠さんの様なライバルの様な、そんな人だ。

陣内くんを見つめた僕は、コクリと頷いて彼に言った。

「うん。まず、イメージを変えたい!模型部の陰気な空気を売りにするより、模型自体の繊細な美しさをアピールしたいんだ!これはだって、万国共通の感覚だからね!」

そうだ!

模型、プラモデル、ミニチュア、ジオラマ…どれも細かい作業の連続で、途方に暮れる念密な手作業で成り立つもの。それは、決して“オタクの趣味”にとどまらず、ある意味、芸術の域まで達しているのではないかと、僕は思っている。

だから…そこを打ち出して、新たな風となりうる人材を投入したいんだ。

陰に構えた趣味なんかじゃない。これは立派な芸術活動だ!


「了解でござる!では、それがしの作ったNゲージの改造版…“果たしてデゴイチは本当に空を飛べるのか…2021”をお披露目するでござる!」

「そう言うんじゃ無いんだ。とりあえず…サッカー部みたいに横断幕を作ろう?2次元の萌えキャラを描かないで、フォントもピンクでプリプリにさせないで、そんな普通の横断幕が必要なんだ。」

伊集院くんの話を無視した僕は、陣内くんと一緒に机の上を片付けて、横断幕の構図を考え始めた。

「旧海軍の4色の…Z旗なんてどうか…?玉砕覚悟で…」

後藤くんは、スケールモデルを作りすぎたせいか…ミリオタが過ぎるんだ。そんな物騒な彼を無視した僕は、黒いマジックを手に持って、首を傾げながら言った。

「そう言うんじゃ無いんだ。とりあえず、黒一色で…同じ大きさの文字を…POPみたいに書いて…」

「春ちゃん、それだと…活動家みたいで怖い。僕に任せてくれ…」

陣内くんがそう言った。

彼はこの模型部でバランサーの様な役割を持ってくれてる。僕や、伊集院くん…後藤くんや南條くんは…少し、言葉や物言いに難があるし、発想も一般の人とズレてる。そんな僕たちと、世間を繋ぐ…バランサーだ。

なにかと不協和音を奏でてしまう僕たちの傍で、軌道修正してくれたり…他の人や、先生との仲を取り持ってくれたり、今の様に、普通と言うものを教えてくれる。

「じゃあ、陣内くん…お願い。僕は、みんなと一緒に戦略を練ろうと思う!」

僕は、マジックを手から離して、安心感の持てる陣内くんの背中をぽんぽん叩いてそう言った。

「それがしの意見はどうなるでござるか?Nゲージの改造だって、模型部の一つでござるよ?」

「…まんずNゲージ自体の良さがわがんね内にそだもの見せても、反応のしようがねっぺさ。目下の目標として…パンピーを、この部室に…入れねっきゃだめだぁ。」

キャンキャン吠える伊集院くんに、南條くんが現実的なコメントを返して、僕と後藤くん…陣内くんが、黙ったまま頷いた。


彼の言う通りだ。

…まさに、この部室の中に連れてこないと、話が始まらない!

決して大きくはない模型部の部室には、大きな机が3つ並んでいる。

作業用の机と、塗装用の机…そして、やすりや、造形をする机だ。ちなみに、南條君はいつも作業台でべったら漬けを食べている。

なかなかどうして、彼の持ってくるべったら漬けは美味しかった。甘いものが食べたくなった時は、みんなで、彼のタッパーから盗み食いしている事は、内緒だ…

そんな部室の中央にデカデカと置かれた1畳ほどのジオラマには、みんなの思いが詰まってる。

完成されたNゲージの線路を、伊集院くんのオリジナルデゴイチが走って、トンネルを抜けた先では、陣内くんの作ったロボットが怪獣から町を守っている…

そんなロボットの足元には、仰々しい数の戦車が隊列を組んで、怪獣目がけて主砲を向けているんだ。

僕は、その中の街を再現して、ひとつひとつの窓から…怪獣を覗き見るフィギュアや、建物を作って…その場の臨場感を引き出す手伝いをした。


そこには、通常運転をする電車と、非常事態の町が見事に再現されている。


この模型を見れば…きっと、模型部の素晴らしさが分かって貰える筈なんだ!


「春ちゃん、できた…どう?」

陣内くんがそう言って、横断幕を掲げて見せてくれた。

「そうそう!こんな感じが良い!オタ臭もしないし、実に、普通じゃ無いか!」

僕は、陣内くんが作ってくれた横断幕を手に取って満足げにそう言った。そして、ごくりと生唾を飲むと、みんなを見つめて言った。

「と…とりあえず、これから…勧誘のメッカ…校門前に行こうと思う…事前に用意したチラシを配るから、みんなも来てくれ…」

「お…おぉ…」

僕たちは、模型部。

陽キャの集う…校門前に行くなんて、狼の群れに突入する羊と同じくらい…ビビるもんだ。

でも、僕は攻めの姿勢を崩さない!

部長になったからには、絶対…新風を巻き起こす様な…逸材の、新入部員を獲得するんだ!


…僕が、こんなに躍起になるのは理由がある。

去年の文化祭での出来事だ…。

僕たち模型部は各々の作りたい物を個人で作って、展示した。

それは、まとまりのない…つまらない作品展の様だった。

部員で順繰りに案内係を担当して、その時は、僕がひとりで展示品の前に突っ立っていた…

そんな中、展示物に手を触れないでください…なんて文字が読めない、小さい子供が、陣内くんのロボットを倒してしまったんだ。

部品が壊れる事は無かったけど、パーツが外れてしまった…

床に散らばってしまった部品を慌てて回収した僕は、陣内くんのロボットに付けようと四苦八苦していた。でも、彼のロボットに付いていたパーツは完全オリジナルで、僕には元通りにする事が難しかった。

そんな時…誰かが手を差し伸べて、僕の目の前で、ものの見事にロボットのパーツを繋げて行ってくれたんだ。

「…わぁ、凄いなぁ…」

ポツリとそう言った僕は、陰キャ特有の人見知りを発動して…その人の顔を見る事も出来ないで…ただ、目の前で上手にロボットを組み立てて行く、指先だけを見つめて感動していた。

右手の親指に…ほくろがあるなんて…!


「弟が、すみませんでした…」

そんな声を背中に聞きながら、呆然と、元通りにポージングされたロボットを見つめた僕は、ただただ、頷いてこう言うしかなかった…

「良いんだよ。元に戻れば、良いんだ…」

本当なら、顔を見て言うべき事なのに…恥ずかしくて、知らない人の顔を見る事が出来なかった。

だから、僕は、その人が立ち去る…後ろ姿だけ、目の端で見たんだ。

小さな弟を右手に抱きかかえたその人の後姿は、僕たちの様な陰キャじゃない。ツーブロックの髪型だった…

「おぉ…」

その時、僕は痛感したんだ。

陰キャじゃなくても、手先の器用な人が居るんだ!って…

だから、今回の様な…大々的な勧誘活動をするに至った。

彼の様な、陽気なツーブロックにも…平等に門戸を広げたいんだ。


「春ちゃ~ん!珍しいな?何で、勧誘活動なんてしてる?」

校門前に現れた僕たちに驚いたのか…早速、バスケ部のちいちゃんが僕に声をかけて来た。

彼は、僕の幼馴染の千秋ちあきくん。僕は、ちいちゃんと呼んでる。

同じマンションのお隣同士。

その付き合いは、初めての予防接種をする時から…今に至る。

「ちいちゃん…?僕は模型部の部長だからね!だから新しい人材を発掘する為に、ここに来たんだ!」

僕は、バスケ部の部長のちいちゃんに、胸を張ってそう言った。

すると、彼は僕の髪を撫でて顔を覗き込んで言った。

「誰も来ないよ…模型部なんて…!はっはっは!」

「きゃ~!千秋先輩、マジでカッコいい!」

どこからともなく現れた女の子たちは、僕を押し退けてちいちゃんにたかった。

彼はまんざらでもなさそうに、そんな女の子に笑顔を向けてから、僕に言った。

「…春ちゃんも、まぁ…頑張れよ…」

「千秋~!部長~!こっちに来て!勧誘手伝って!」

「おぉ!ちょっと…待ってな~?」


活気あふれる…とは、こう言う事だ。エネルギーが溢れてる。


そんな運動部の大きな声にかき消されながら、僕は、模型部のみんなと場所取りをして、陣内くんが作ってくれた横断幕を広げて掲げた。

目の端には、ちいちゃんが引っ張りだこになってる…そんな、いつもの光景が映ってる。


彼は、いつもそう…


僕と一緒に育った筈なのに、彼は陽キャのイケメンになって…僕は陰キャの猫背になった。

小さい頃訪れた遊園地でもそう…ちいちゃんは、他の子と一緒にジェットコースターに乗るタイプで、僕は、それを下から見上げて体を震わせているタイプ…

同じ様に育った筈なのに…全く違うタイプに育った。


「春氏!こ、こ、ここ…こちらの、チラシを配るでござるか…?!」

伊集院くんがそう言って、僕の作った模型部のチラシを手に持ったまま、ブルブルと体を震わせた。

…分かるよ…

僕たちは、所謂、もやしっ子。

こんなお天道様の下で活動したら…あっという間に、干からびて死んでしまう…

これが言わば…命がけの活動だって事くらい、分かってるんだ!


「…うん!そうだよ!が、頑張ろう!」


でも、諦めたくないんだ…。

僕は、新しい可能性を求めてる。

ツーブロックでも、陽キャでも…手先の器用な人がいる。

そして、そんな新しいエレメンツが…模型部に新鮮な風を吹き込んでくれるって、期待しているんだ!

伊集院くんからチラシを受け取った僕は、それを四等分にして、後藤くん、南條くんに、手渡した。そして、みんなで円陣を組みながら、念を押す様に彼らに伝えた。

「…バスケ部から漏れて来たパンピーにも配って…?」

「まじか…そ、それは…討ち死にする覚悟でか…」

そうだ。

「そうだよ。後藤くん…!何も犠牲にしないで、成果なんて得られない…!斥候なんてしている暇はないんだ。ここは、神風になって突き進むしかない!今は、そういう時なんだ!褌を閉めて、順次取り掛かれ!」

たじろいで、怖じ気づいた後藤くんに、僕は強い言葉で喝を入れた。

すると、彼は、どこかの空を見上げて、胸に手を当てながら黙とうを捧げた。

…きっと、英霊に勇気を分けて貰ってるんだ。

この前は、くじを引く時に英霊に祈りを捧げていた。

後藤くんが祈りを捧げる中、伊集院くんはオドオドと周りを伺い始めて、南條くんはべったら漬けを屋外でも食べ始めた…。

唯一まともな陣内くんは、サッカー部の友達とおしゃべりを始めている…


「も、も…もももも…模型部です…!興味があったら…部室まで来て、体験入部も順次募集してます…」

僕は、先陣を切って…みんなに背中を見せた。

こうやってやるんだ…!って、みんなに…背中を見せた。

「春氏…」

「春ちゃん…!」

「良いぞ~その調子だっぺ!」

誰に何と言われようとも…僕は、手先の器用な…陽キャを探してる。


「何…?模型部だって…オタクの集まりじゃん…!」

僕の方が1年、学年が上なんだ。

なのに、なのに、どうして、今年の1年生は…生意気じゃないか!

目の前に現れた1年生にぐるっと周りを取り囲まれた僕は、四面楚歌の状況に、覚悟を決めてこう言った。

「…よ、よ、良かったら…部室に来てください…!」

風の音にかき消されそうな位、小さな声を出した。すると、目の前の1年生は僕の手からチラシを受け取って、立ち去って行った…


はぁ…こ、怖かったぁ…


「春氏…!」

こんな健気な僕の姿を見て、心を打たれたのか…伊集院くんはオドオドしながらも、1年生にチラシを配り始めた。

恰幅の良い後藤くんに至っては、妙に女の子が周りに集まって来ていた。

「春ちゃん、良いじゃないか…!どれどれ…僕は、向こうの1年生にチラシを配って来るよ。南條くんを連れて行くね!」

おしゃべりを終えた陣内くんは、僕の手からチラシを受け取って、南條くんを連れて体育館の裏へと向かった。

向こうは、女バス、女バレが陣取ってる…女の花園だ…

陣内くんは、女バレに彼女が居るって…噂で聞いたことがある。

きっと、その人に会いに行ったんだ…


「春ちゃん…どう?」

眉間にしわを寄せながら必死にチラシを配っている僕の背中に、ちいちゃんが乗っかって来て、僕の顔を覗き込んでそう聞いて来た。


…馬鹿にしてる訳じゃないんだ。

ちいちゃんはもともと、こんな人だ。


「結構…配れたぁ…!」

僕は、思った以上の成果を見せている。得意げになって、彼を見上げてそう言った。

「へえ…俺にもチラシ頂戴よ…。配って来てあげる。」

「…本当?」

手を差し出すちいちゃんに、少しだけチラシを分けて手渡した。

「ここに、春ちゃんの連絡先とか、書いてないだろうね…?」

ちいちゃんは、内容を確認する様にチラシに書いた文言に目を通し始めた。


「も…ももも…模型部です…。良かったら…部室に来てください…!」

僕は、熱心に1年生にチラシを配り続けた。

この苦労が…明日の糧になる…

きっと、手先の器用な、陽キャの人が来てくれるに違いないんだ。


「あぁ~!千秋先輩~!なにしてるんですかぁ~?」

見たら分かる…チラシ配りをしてるんだ。

なのに、目の前にやって来た女の子は、僕の事なんて見えないみたいに、背中に乗ったちいちゃんを凝視したまま続けて言った。

「ライン交換してくれませんか…?」


やだな…


僕は、ちいちゃんの腕の中から抜け出て、その場を足早に立ち去った。


すぐこうだ…


小学校の4年生を過ぎたあたりから…ちいちゃんと遊んでいると、すぐにこうなる。

女の子が近付いて来て…ちいちゃんに言うんだ。

「春ちゃんは要らない。ちいちゃんだけ一緒に来て?」

って…

僕は、それを言われるのがとても傷付いたみたいで…いつの間にか、ちいちゃんといる事自体が、嫌になっていった。

ちいちゃんを求めて来る人たちは…まるで、幽霊の様に…僕が見えていないみたいに…平気な顔をしてそう言うんだ。


「春氏!それがし、全てのチラシを配り終えた次第です!」

伊集院くんが胸を張って僕に報告した。

「…す、凄い!伊集院くん!ありがとう!」

「春ちゃん、俺も全部配ったよ!」

後藤くんは、そう言いながら、空になった手をブラブラと振って見せた。


良し…良し!

これで、明日の部室前は、体験入部の1年生で溢れ返っているに違いない!!

「やったぁ~~!」

僕は、大喜びしながら、陣内くんの作ってくれた横断幕の周りを走り回った。

そんな僕の様子に、運動部がドン引きしていたって…気にするものか!

だって、僕たちは…新しい一歩を踏み出したんだ!

今日の勇気は、明日の希望に繋がる。

きっと、今まで模型部なんて訪れた事もない様な人種が、体験入部に来てくれるはずだ…!!

「…よし!」

持って来た机の上を片付けながら、横断幕を小さく畳んでしまった。

今日出来る事は全てやった…


明日を待つばかりだ。


女の子にモテモテなちいちゃんを横目に見ながら、模型部のみんなを引き連れて、僕は校門前を後にした。

陣内くんと、南條くんは、戻って来なかった。だから、彼らの携帯に連絡だけ入れて、今日はもう、勧誘活動はお終いにした。

「春氏!明日が楽しみでござるな!」

「うん!きっと…長~い列を作って、僕たちのジオラマを見に来る人でごった返すはずだよ?」

それは、今までにない模型部の試みだった。

必ず良い結果になるなんて…そんな事、思っていない。

でも…僕たちは今までとは違う一歩を進んだ。それは…紛れもない事実だ。


陣内くんと、南條くんが部室に戻って来るのを待ちながら、各々の通常作業を開始した。

伊集院くんは、Nゲージの新しい車体を作り始めて、後藤くんは戦車のキャタピラーをひとつひとつ繋げ始めた。

僕は…この前下地のエアブラシを掛けたパーツに色を乗せる為に、ガラス瓶に色を作っていた。

「春氏…女の子が来たら、どうするでござるか…?」

そんな伊集院くんの声に、僕はクスクス笑いながら答えた。

「模型部に、男も女も関係ないよ。伊集院くん!細かい作業が好きな人なら…どんな人でも大歓迎だ!」

そう、そして、出来れば…文化祭で、みんなでひとつの作品を作り上げたい…


ここにある…ジオラマの様に、それぞれの得意な分野を受け持ったひとつの作品が作りたい。

だって…これこそ、模型の醍醐味だと思うからだ…


「春ちゃんは、壮大なんだ。まるで、空母の様に壮大な夢を持ってる。そんな…漢なんだ…。」

後藤くんはピンセットで摘んだキャタピラーの一部を眺めながら、鼻の下を伸ばしてそう言った。

「た…ただいま…」

やっと戻って来た!

陣内くんと、南條くんを振り返った僕は、満面の笑顔で彼らに言った。

「ねえ、聞いて?みんなでチラシを全部配り終えたんだ!凄いだろ?」

「あぁ…それは、凄いね?春ちゃん、やったじゃないか!」

陣内くんは、そう言って笑顔を見せてくれた。でも、南條くんは、微妙な顔をしながらべったら漬けを口の中に放り込んで、椅子に腰かけて頬杖をついた。

きっと…チラシを配ったところで、人が集まらない…そう思っているんだ。

「…ひとつ頂戴?」

そう言って、南條くんのタッパーからべったら漬けを1枚貰った僕は、ポリポリと嚙みながら、色調整を済ませた。

「外に行って、吹きかけて来る!」

そう言ってエアブラシを抱えた僕は、美術部が活動する美術室を通って、中庭へ向かった。

いつも使う中庭のコンクリートの上にコンプレッサーを置いて、ホースを繋げた。そして、ハンドピースを繋げた後、電源を入れて、空気圧を調整した。

「試し吹きしよう…っと…」

そう言って、要らないランナーを手に持った僕は、塗料を入れたハンドピースを握って、試しに色を吹きかけて色味を確認した。

「…春ちゃん…」

「…どうしたの…?南條くん。ずっと、浮かない顔をして…。何か…一緒に塗って欲しい物でもあるの…?」

隣に腰かけた南條くんは、僕の手元のパーツに付いた竹串をクルクルと弄りながら、ポツリと言った。

「…チラシ、ほからっちた…」


え…


「それを、バスケ部の…春ちゃんの幼馴染が拾って集めてた…」


「…そ、そうなんだ…」


ショックだった。


あんなに勇気を出してみんなで配ったのに…そんなチラシが簡単に捨てられていた事が、悲しかった…

でも、コンプレッサーも、ハンドブラシに入れてしまった塗料も、待ってはくれない。

だから、僕は…そんな悲しみを忘れて、竹串を手に持って…パーツに色を吹き付け始めた。


それを目撃したから…南條くんは、戻って来た時、浮かない顔をしていたのか…

「あぁ~あ…嫌な所を見ちゃったね…」

苦笑いをしながら、隣の南條くんにそう言った。


それは、僕の強がりだ…


本当は、涙がチョチョ切れる程…悲しかった。


「春ちゃん…元気出して…俺のべったら漬け、好きなだけ食ったら良い…」

「うん…」

それに何の意味があるのか…


ちいちゃんが、僕の捨てられたチラシを拾っていた…そんな、事も…余計に悲しくて、堪え切れずに…涙がこぼれた。

「どうして…捨てるんだろう…要らなかったら、貰わなきゃ良いのに…!」

そう言いながら、腕で乱暴に涙を拭った僕に、南條くんはそっと寄り添って言った。

「なぐな…春ちゃん…なぐんでね…」

分かってる…分かってるけど…でも、悲しいじゃないか…!


当初の目論見は外れた…

明日が来たって…部室の前に長蛇の列は出来ない。

そして、誰も…模型部に体験入部になんて来ない事が、今の時点で確定になった。


悲しみの中、全てのパーツに色を吹き付けた僕は、オアシスに突き刺した竹串を見つめながら、カップの中の色を捨てて、中を綺麗に拭いた。

エアブラシは準備も片付けも手間がかかる。でも、その手間を怠ると、次使う時に必ず目詰まりを起こしてしまうんだ…。

だから、どんな時だって、丁寧に…慎重に掃除をしてあげないといけない。

こんなに悲しい時でも…それは同じだ。

僕は、おもむろにエアブラシのカップの中に溶剤を入れて、吹き出し口を抑えながらうがいをさせた。

先端の汚れも吹き出ししながら落として、溶剤を捨てた後は、ニードルを抜き出して、綺麗に拭いて、元に戻した。


「…ねえ、南條くん…」

「ん…?」

「後藤くんと、伊集院くんには、さっきの事、言わないで…」

僕の見栄じゃない。

一生懸命配ってくれた彼らに、要らない悲しみを与えたくなかったんだ…

「…わがった…」


エアブラシを片付けて部室へ戻ると、みんな黙々と自分の作業に没頭していた。

そんな様子にホッと胸を撫で下ろしながら、陣内くんが心配そうに僕を見つめる目を見て、眉を下げながら、コクリと頷いて答えた。

陰キャの部活動の扱いなんて…予想できた。

こんな未来だって…あるかもしれないって、予想していた。

でも、実際なってみると…とっても悲しかった。

それは、きっと…ちいちゃんがチラシを拾って集めていた事が加速させた悲しみだ。


昔から、ちいちゃんはそうだった…

僕が虐められていても、のけ者にされても、頑なに守って、庇って、僕を余計に傷付けた…

彼は優しくしてくれているだけなのに、まるで、施しを受けている様な、卑屈な気持ちがムクムクと湧き上がって来てしまうんだ。

逆恨みみたいな…歪んだ気持ちだ。


「春ちゃん、今日は何時まで居るの…?」

そんな陣内くんの声に、僕は首を傾げながら答えた。

「そうだな…6時には部室を出ようと思ってるよ。」

「分かった。じゃあ…それまで、体験入部に来た人たちに、何をやらせるか…決めておこうじゃないか…」


え…


楽しそうに笑いかけて来る陣内くんを見つめながら首を傾げた僕は、不思議そうに僕を見つめる、伊集院くんと後藤くんの視線を感じて、咄嗟に笑って答えた。

「うん…!」

どうせ人なんて来ない…

みんな、陽キャのバスケ部かバレー部か…吹奏楽部へ行くんだ。


「ランナーの切り方を教えようか…それとも、バリの取り方を教えようか…?」

僕の顔を覗き込んでくる陣内くんを見つめて、首を傾げたまま僕は言った。

「そうだな…。僕は、まずは…ここの、ジオラマを見て欲しいな…そして、拘ったポイントを、みんなに話して聞かせて欲しい。技術よりも…思いを…つ、伝えたい…!」


誰も、来ないけど…


突然泣き始めた僕に驚いた南條くんが、咄嗟に僕の口の中にべったら漬けを突っ込んで言った。

「春ちゃん、なぐんでね!」

だって…だって…悲しいんだ…!


「うっうう…うわぁあん…絶対、人なんて来ない…!来ない!!こんなに楽しくて、こんなに美しい模型の良さを…どうして、否定するの…?どうして…見もしないで、オタクだとか…言うんだよっ!」

「春ちゃん…」

「春氏…」

バスケットに青春を捧げる人がいるのと同じ様に…模型の細部に、青春を捧げる人がいる。

サッカーで情熱を燃やす人がいるのと同じ様に…模型のクオリティに情熱を燃やす人がいる。

吹奏楽部でひとつの曲を作り出して団結を見せる様に…それぞれの個性を出しながら、ひとつのジオラマで団結を見せる人もいる。


何も違わない…何も違わないのに…!


「春ちゃん…誰も、そだ事いっでね…誰も、いっでねぇべ…否定なんて、しでねえよ…」


分かってる…でも、悔しいんだ…!!


僕の突然の咆哮のせいで、その後の部室の雰囲気はどんよりとした…

集中力の切れた後藤くんは、うっかり、もうすぐで完成しそうなキャタピラーを、手に付けて…バラバラにしてしまった。伊集院くんも、切るはずの無い部分を切り落として、無言で悶絶していた…


みんなで、新しい事がしたかった。

新しい誰かを勧誘して、新しい風を巻き起こして、新しい何かで…ひとつのジオラマを作りたかった…

だから、チラシを作って配ったんだ。

なのに、その出鼻をくじいたのが、みんなのやる気を削いだのが…自分の劣等感だなんて…

ダサすぎる。


「春氏…きっと、誰か来てくれる…」

「そうだよ…春ちゃん、元気出して…」

伊集院くんと、後藤くんに慰めて貰った僕は、彼らにペコリと一礼して…もともと猫背の背中をもっと丸めて、駅へと向かった。


「どうして、わざわざ、春ちゃんに言ったの…?」

「んだって、黙ってたっで、いづか気付いてしまうもんだ!そしたら、余計に悲しくなっぺした。そんなの、優しいだなんて…俺は、思わねよ?ポリポリ…」

そんな、陣内くんと…南條くんの口論を、部室の外で耳の端に拾ったけど、すぐに捨てた…

毅然としていられなかった…僕の不徳の致すところだ。


だから…僕は、駄目なんだ。


電車に揺られながら、真っ暗な窓の外を眺めて、街灯や家の窓に映る明るい光を目で追いかけた。

「春ちゃん…」

突然後ろから呼びかけられて、僕は項垂れる様に肩を落として言った。


「…ちいちゃん…」


そう、僕と彼の家はお隣さんだ…

だから、電車の中で出会った以上…一緒に家に帰る事になる。

でも、今日は…

いいや、今日も…ちいちゃんと一緒には、居たくない。


「僕、文房具、買って帰るから…」

ちいちゃんを少しだけ振り返ってそう言った僕は、彼から逃げる様に改札を出た。そして、足早に本屋さんへと向かった。

嫌いだ…

ちいちゃんが嫌いだ…

何でも上手に出来て、友達も沢山居て、女の子にもモテて、こんな…僕にも優しく、普通に接してくれる…そんな、完璧な彼が…大嫌いだ。


劣等感の塊…それが、僕だ…


躍起になって、新入生の勧誘に取り組んでいるけど…

僕は、模型の芸術性を知らしめたいんじゃない…

きっと、間接的に、自分の素晴らしさを知らしめたいんだ。

ダサい…ダサくて、キモイ…


少しだけ、本屋さんで時間を潰して、僕は家路に付いた。

ちいちゃんと一緒に居たくない。

完璧な彼の隣で、傷付くのは…もう嫌だった。


自宅のマンションを下から見上げて、ちいちゃんが家に入る後姿を見つけた僕は、ホッとため息を吐いてから、足早にマンションの中に入った。

いつから…こんな風に、劣等感を抱く様になってしまったんだろう…

昔は、よく、一緒に遊んだ。

いつも一緒に居て…いつも笑って、彼の事が大好きだったのに。

大人になるって…こう言う事なのかな…

自然と、陽キャと陰キャと別れて…別々の方向を向いて、離れて行く。

それが、当然で当たり前の事なのかな。

エレベーターを降りた僕は、ちいちゃんの家の前を通り過ぎて、自分の家の玄関を開いた。

「春、お帰り!今日は…奮発したの!大トロ買っちゃった!」

そんなお母さんの声に頷いた僕は、足早に洗面所へ向かって、手洗いを済ませた。

食卓には、満面の笑顔で僕に刺身を見せつけて来るお母さんと、男になりたがってる妹が座ってる。お父さんは、インドに単身赴任して…2年経つ。

「だぁから、俺はふっざけんなっつったんだよっ!」

そんな乱暴な妹の言葉に頷いたお母さんは、調子を合わせて言った。

「まじむっかつくなぁ?!」


どうなってるんだ…

でも、この家では…こんな事日常茶飯事だ。

「マグロ…美味しい…」

僕がポツリとそう言うと、お母さんは、満面の笑顔を向けて得意気に言った。

「でしょ?奮発したの!だって…だってぇ…!ポイント3倍デーだったんだもの~!」

うちのお母さんは、ハイテンション…それは、僕が小さい頃から変わらない。


お父さんが家に居る時は、ずっと膝の上に座って、甘ったれて聞くんだ。

「ねえ…さと子のどこが好きなのぉ?」

すると、お父さんは表情を変えずにこう答える。

「…少女みたいなところ。」

それってロリコンだ…そう思ったのは、僕だけじゃなかった。

そんな環境で育った妹は、女であることを放棄して…男になりたがった。

正確に言うと、少女でいる事を、放棄したがっている様に見えた…が、正しい。

「つぅかさ、まじで、千秋の方が兄貴っぽくね?春は、弟っぽくね?」

片膝を立てて、彼女の中の“男らしさ”を全開にした夏美は、僕を下から上まで舐める様に見て、吐き捨てるようにそう言った。

「身長の高さで年齢を見るなよ…。単細胞だな…馬鹿丸出しだ。」

鼻で笑った僕は、そう言って夏美の馬鹿みたいな言葉を一蹴してやった。

「そうよぉ~?なっちゃん。ちいちゃんはね、おっきくなる骨格をしていたの。それは小さい頃から分かっていた事なのよ。骨太で、がっちりしてるでしょ?それにね…ぷぷっ!ぷ~クスクス!ぐふふ!あっちも、あっちも…!ぐふぐふっ!」


最低だな…


僕はお母さんを一瞥して、マグロをひと切れ食べて、早々にごちそう様をした。

だって、こんな会話、聞いていたくないんだ。

「ほらぁ…!まぁた、お母さんが春を怒らせたぁ!」

「なぁに?お母さんのせいなの?春ちゃんは、思春期だから…ぷぷっ!怒りんぼなのよね?お父さんに報告しないと!」

そんなふたりの女の意地悪話なんて、聞きたくもない。

僕はさっさと風呂に入って、自室にこもった。


「それを、バスケ部の…春ちゃんの幼馴染が拾って集めてた…」

そう言った南条くんの言葉が、ずっと、耳の奥を何度も行き来して、イライラするんだ。

布団にもぐって、携帯電話の電源を落とした。


何も考えたくない…何も知りたくない…何も、見たくない…!


「春ちゃん…」

そんな顔で、僕を見たって…僕はちいちゃんが嫌いなんだ…

硬く瞑った瞼の裏に、悲しそうに眉を下げて僕を見つめるちいちゃんがくっきりと浮かんで、消えようとしない。

僕は、君の事が嫌いなのに…


「ちいちゃんだけ、来て?」

小学校のマドンナ…雪ちゃんがそう言って、ちいちゃんの手を握った…

「…は?どうしてだよ…」

ちいちゃんはその手を振り払って…僕の手を掴んで彼女を睨みつけた。そんな事をされた女子の怒りは…全て、僕に向けられた…。

邪魔者…

そんな目つきで睨みつけられて…良い気分はしないよ…。

雪ちゃんはしつこく食い下がって、ちいちゃんの手を掴んで引っ張って言った。

「ん、もう…良いからぁ!ちいちゃんだけ来てってばぁ!」

「嫌だよ…俺は春ちゃんと遊んでるんだ…」


「行けばいいじゃん!!…僕は、別に…気にしないもん!行けばいいじゃん!!」


そう言って…ちいちゃんの傍を逃げる様に離れるのは、もう…嫌なんだ。

情けなくて…悲しくて…みっともなくて…

もう嫌なんだ…

だから、君の傍には、もう行きたくない。


だから、君が大嫌いなんだ…!



次の日の放課後…

期待していなかったのに、模型部の部室の前には、見た事もない顔の1年生が、4名程立っていた。

「あ…」

余りの衝撃に言葉を失った僕は、彼らを見つめたまま…廊下の真中で立ち尽くしてしまった…

「春氏、お疲れ様でござる。」

そんな伊集院くんの声に我に返った僕は、彼に目の前の光景を見せてあげた。

「い、いいいいい…伊集院くん!見てくれっい!!」

「はっ…?!それがしの眼が腐っているのか…?いや、しかし!我らが模型部の…部室の前に…人影を確認…!」

そうなんだ…

僕たちの模型部の前に…4人も、体験入部の1年生が来てくれた!

「あわあわあわ…あわあわあわ…」

ゴキブリみたい…と言ったら、分かり易いかな。

そんな風に手を動かしながら、僕は必死に部室のカギを開いて、1年生を歓迎して言った。


「よ、よよよ…ようこそ!ここが…模型部です!」


おずおずと部室に入って来た1年生に、早速ジオラマを動かして見せてあげた。

「見て…?このジオラマは…、今いる2年生と…この前引退してしまった3年生との合作なんだ!線路の上を走ってるのは…」

「Nゲージだぁ!わぁ!かっけえ!改造されてる!」


そ、そうなんだ…

オタク真っ盛りな1年生の男子が、唾を飛ばしながら興奮してそう言った。

その隣で、同じ様にオタク真っ盛りの1年生の男子が目じりを下げて、陣内くんのロボットに見入ってる。

この子達は…来るべくしてきた子達だ。

つまり、言葉は悪いけど…僕と同じ、オタクの魂を持った子達。


僕は…違う風も入れたいんだ。


全く違う視点で模型部を楽しんでくれる…あの時のツーブロックの彼の様な、手先の器用な…陽キャが欲しかった…

目の前の彼らに失礼だとは承知してる。

でも、同じ様なタイプばかり集まったんでは…ムーブメントは起きない。

お父さんが言っていた。

新しい風とは、全く違う価値観によってもたらされるって…

僕は、そんな…新しい風を巻き起こしたいんだ。


続々と部室に集まって来た2年生たちは、体験入部する1年生にすっかりデレデレになって、甘々の甘になった。

「すっげぇ…まじで、キャタピラー組み立ててるんすか…?」

「う、うん…連結式履帯って言うか…タミヤの戦車はゴムのベルトを使ったりしてるけど…。大抵は、こうやって1枚1枚、ランナーから切り離して…組み立てて行くんだ。」

「はぁ~~!すっげぇ!」

後藤くんはすっかり鼻の下を伸ばして、楽しそうで…何よりだ。

伊集院くんのNゲージは、リアルな改造が成されていて、マニア心をくすぐってる。彼の自慢の”果たして、デゴイチは本当に空を飛ぶのか…2021“も、価値の分かる1年生には、宝物の様に映っている。陣内くんの墨入れと汚しの技術も…然り。

やっぱり、同じ様な趣味の人同士でしか、分かち合えない価値観という物は存在する…。分かっているからこそ、相手の技術力に感嘆するんだ。

僕の様に…それを、不変だと嘆く事は…間違っているのかもしれない…

不変でも…良いじゃないか。

安穏とぬくぬくと…穏やかで、誰も傷付かない。

その代わりに、代わり映えの無い物ばかりになって…向上心を失っていく…


コンコン…

「すみません…ここ。模型部ですか…?」

そんな声に振り返った僕は、あの時と同じツーブロックの髪型を見つめて、動きを止めた。

「あ…」

声が出なくなった僕の代わりに、副部長の陣内くんがにっこりと微笑んで言った。

「そうだよ。ここが、模型部だよ。」


そんな陣内くんの言葉かけににっこりと微笑み返した1年生は、自分を見つめたまま固まる僕を気にしながら、部室の中へと入って来た。

「春ちゃん!春ちゃん!なんだっぺか…?どうしちまったんだぁ?」

そんな南條くんの声も、僕の耳には届いてる。

でも、目の前のツーブロックから目が離せないんだ。

「…何か?」

首を傾げてそう尋ねて来た彼に、僕は、満面の笑顔を向けて言った。


「君が…欲しい!」


「ぐほっ!は、は、は…春氏!!」

部室の中がおかしな雰囲気になった理由なんて…僕はどうでも良かった。

ただ、目の前のツーブロックの彼の右手に見えた、親指のほくろを確認した僕は…何としてでも、彼が欲しくなったんだ。

だって、この人は…去年の文化祭で、僕の目の前で陣内くんのロボットを容易に組み立てた…あの人なんだ…!!

また会えるなんて…思ってもみなかった…


「はぁ…まだ、バスケ部も見に行こうと思ってるんですけどね…」

歯切れの悪いツーブロックの彼に纏わり付いた僕は、ジオラマの前に彼を引っ張って連れて行った。そして、必死にアピールして言った。

「ねえ…見て?これ…このNゲージ、凄いだろ?後は…ここのロボット!これはね、プラバンでかなり改造してる。後!この戦車!こんなに小さいのに…このクオリティーはなかなかないよ?細かいだろ?凄いだろ?燃えてこないか…?メラメラと…?!」

そんな僕の言葉にクスクス笑った彼は、怪獣に壊された建物と、その奥にいるフィギュアを指さして言った。

「ここの造形が…凄い…」


あぁ…神様…!


僕にツーブロックを与えて下さり、ありがとうございます!!


「そ…そう…?そこは…僕が作ったんだぁ…うふふ…うふふふ…」

デレデレになった僕は、ツーブロックの彼を上目遣いに見つめて、もじもじと体を揺らして照れた。


「…緊急事態が発令された…!」

後藤君くんが、突然そう言った。

すると、南條くんがべったら漬けを放り投げて、僕の手を掴んだ。そして、陣内くんがそそくさと僕を引っ張って部室の隅へと追いやった。

陣内くん、南條くん、後藤くん、伊集院くんに取り囲まれた僕は…彼らを首を傾げながら見つめて聞いた。

「…ど、どうしたの…?」

「いかんでござる。春氏…。この時代、性をどうこう言うつもりはござりませぬが、さすがに、公私混同は…部活動の規律が乱れるぅ!」

伊集院くんが口の端から泡を出しながらそう言って、そんな彼にティッシュを手渡した後藤くんは、眉を顰めて僕にこう言った。

「そうだな…春ちゃんは、少し…イケメンに当てられているのかもしれない。彼は、かなりのイケメンだ。そして、まるで軍曹の様に…良い体をしてる…。」

どういう事だ…?

首を傾げ続ける僕に、南條くんがため息を吐きながら言った。

「春ちゃん…彼氏作りたいの?んだったら、おらがいるっぺさ…」

「春ちゃんは、きっと…あんなツーブロックを見た事が無いんだ。だから、気が動転してる。彼は…この部よりも…バスケ部の方がきっと良いだろう…」

そんな陣内くんの言葉にムッと頬を膨らませた僕は、彼を睨んでこう言った。

「そんなんじゃ、駄目なんだ!もっと…もっと楽しく模型をするには、新しい風を取り込んで、変化して行く事も大事なんだぁ!」

ツーブロックの彼の元へ走って逃げた僕は、ジト目で僕を見つめ続ける彼らを同じ様にジト目で見返して、口を尖らせた。


「…あの、ここは?どうやって作ったんですか…?」

「ええ?ここぉ?ここはね~…んふふ。うふふふ…」


楽しい。


ツーブロックの彼が聞いてくる事が、とてもニッチで…マニアックで…楽しい。


僕は、君の事が…大好きかもしれない…


「僕は、春って言うんだ。…ねえ、君の、君の名前を教えてよ…」

デレデレになって彼を見上げると、とっても優しい瞳をした彼は、目じりを下げて僕に教えてくれた。

「…山崎 まどかです…」

なんと、可憐な名前だろう…僕は君のことが…大好きだ。


「へぇ…円くんかぁ。ねえ、君…模型部に入ってよ…!」

強引だって分かってる。でも、彼を他所に行かせるなんて…僕が許さない。

だって、彼はとっても器用な手を持っている…小さな弟の面倒を見る、ツーブロックの男なんだ…。そして、右手の親指にほくろがあって…円なんて、可愛らしい名前をしてる。

「ちょ…ちょっと、考えさせてもらっても…良いですか…?」

「なぁんで…!駄目だぁ…!すぐに入部届を書こう?僕が手伝ってあげる!」


「は…は、はは…春ちゃん!」


陣内くんが僕の手を掴んで、再び部室の隅へと引っ張って連れて行った。

「強引だよ!そんなやり方したら、逃げちゃうだろっ!?それにだ、春ちゃんは少し、彼を違う目で見ている気がするのは、僕の気のせいかな…?」

「違う目って…?」

意味深な言い回しをする陣内くんを怪訝な顔で見つめると、彼はバツが悪そうに首を傾げながら言い辛そうに言った。

「…何か、えっと…まるで…恋してる女の子みたいに、がっついてる…」


は…?


「馬鹿を言うなよっ!僕が、そんな事…無いだろッ!」

陣内くんに怒鳴って怒ったのは…彼が、僕のガンプラを鼻で笑った時以来だ…


そんな僕の剣幕に顔を歪めた陣内くんは、肩でため息を吐いて言った。

「…も、今日の体験入部はお終い…春ちゃんは頭を冷やしてよ。それが無理なら、家に帰った方が良い…」


どうしてそんな事を陣内くんが言うのか…

どうして、そんな目でみんなが僕を見るのか…

全く分からなかった。


だから、僕は…円くんがこれから向かうバスケ部の体験入部に付き添う事にした。

「じゃあ…また明日来るからぁ…」

冷めた目で僕を見つめるみんなに手を振って、可愛い円くんと一緒に細かいディティールの話をしながら体育館へと向かった。

「だからね、あそこの竹ひごを曲げる時は、何度も何度もなめして…しならせながら固定するんだぁ。それは指先の力だけじゃない。全身を使ってやるんだよ?」

「…はは、全身?それは…少し大げさですね…」

大げさなんかじゃない…僕は、君の事が大好きだ。

きっと、器用に何でもこなしてしまうんだろう…?

だって、陣内くんのオリジナルのパーツを、ものの見事に僕の目の前で組み立てたじゃないか…!

「ねえ…円くん。去年の文化祭…模型部の展示を見に来てただろ…?」

長い廊下を一緒に歩きながら、僕は、彼を横目に見て、そう尋ねた。

すると、彼はハッとした顔をして僕を見下ろして言った。

「あ…もしかして…あの時の?」

やっぱり…

君は、あの時のツーブロックの君だったんだ…

僕を見下ろす彼を横目に見ながら、コクリと頷いてクスクス笑いながら言った。

「うん…弟君は、まだ小さいんだね?」

「元に戻れば良いって…そう言ってくれて、助かりました…はは。あの時は、肝が冷えた…」

クスクス笑う円くんを横目に見つめながら、僕は、胸の奥を熱くして言った。

「ねえ…あの時。あっという間にロボットを組み立てただろ?あれは、そうそう簡単に組める仕様じゃないんだ。君はとっても器用な手先を持ってる!バスケ部なんて…やめて、うちの部においで?」


「春ちゃ~ん!何してんの?」


円くんの腕を掴んだ僕は、必死に彼を見つめて言った。

「君が、大好きなんだ…!だから、お願いだよ!模型部に入ってよ!」

「いや…あの、その…」

首をカクカクと傾げる円くんを見つめたまま…僕は渾身のお願いをした。

「僕と、僕と一緒に…一緒に居てよぉ!!」

「はぁ…あぁ…ええと…」

「は…?春ちゃん、何言ってんだよ…」

ちいちゃんは眉を顰めながら、僕の手を掴んで、円くんから引き剥がそうとして来た。


関係無いのに…すぐに、こうやって僕の問題に首を突っ込んでくる…そんなちいちゃんが、大嫌いだ。


僕は彼の手を払って、目の前の円くんにしがみ付いて言った。

「駄目だ!バスケ部なんて…絶対に駄目だ!こんな事して…突き指でもしたらどうするんだぁ!僕が駄目って言ったら…駄目なんだぁ!」

そのまま彼をバックしながら引っ張って、体育館から連れ去ろうとした。すると、ちいちゃんが僕の後ろに立って、通せんぼし始めた。

「ん、退いて…!ちいちゃん、退いてよぉ!」

後ろ足で蹴飛ばしても、ちいちゃんは全然退きもしないで、僕のお尻を引っ叩いてケラケラ笑った。そして、僕の円くんをジロリと見て、こう言った。

「…君、随分…春に好かれてるね…?何?どういう関係なの…?」

「はぁ…さっき、会ったばかりですけど…」

そうだ…円くんが言う通り…僕と彼は、今日、初めて会ったばかりだ…


でも、彼が欲しいんだぁ!

この、器用なツーブロックを、逃してなるものかぁ~~~~!


「ちいちゃんには関係ないだろっ!あっち行けよ!馬鹿野郎!」

渾身の力でそう言った僕を見下ろしたちいちゃんは、眉をピクリと上に上げて、僕の腰を掴んで持ち上げた。

「君…バスケ部の体験入部の子でしょ?1年1組の…中学校でバスケ部主将してた…円くん。知ってるよ。彼女が君の事を、まるちゃんって呼んでる事も知ってる…」


ちいちゃんはケラケラ笑いながらそう言って、僕を体育館のマットにグルグル巻きにして、放置した。

そんな僕を哀れに思ったのか…円くんは悲しそうに眉を下げながら、僕を見下ろして、見つめた。

「…んぁあ!だぁめだぁ!円くんは、僕が貰ったんだからぁ!」

「はいはい…。春ちゃんは、彼がモテモテなのを知らないんだね?彼女だっているんだよ?まるちゃ~んって呼んで、イチャイチャしてるって…もっぱらの噂だもん。」

だ、だから何だよ…

それと、手先の器用さと何の関係があるんだよっ!

僕は渾身の怒りを込めて、ケラケラと笑って僕をおちょくるちいちゃんを睨みつけた。

「そんなの、知らない!どうでも良い!円くんは、僕の物だから…勝手に、入部させたら、許さないかんな!!」

ちいちゃんは、そんな僕を見つめてケラケラ笑いながら、マットに巻かれた僕を指先で転がしておちょくった。

「お~コワ!許さないって…どうするの?怒ってパンチしてくるの…?春ちゃんが?あ~はっはっは!返り討ちにしちゃうよ…駄目だよ?そんな事言わないんだ。」


くそっ!くそっ!!


「さあ…円くん、春ちゃんは放って置いても大丈夫だよ。こっちで番号付けて試合でもしてみようよ…」

円くんは、僕を心配そうに見つめたまま、ちいちゃんの言葉に頷いて答えた。そして、僕の元に駆け寄って来ると、グルグル巻きにされた僕を助け出してくれた。

「春先輩…俺、バスケ部の体験入部に来たんです。だから、ここで…少し待っていてください…」


あぁ…神様!!


僕に心優しいツーブロックを恵んでくださってありがとうございます!!


「うん…待ってる!!」

引き攣った表情の円くんに笑顔でそう答えた僕は、肩身の狭い体育館の隅で、彼がちいちゃんの元へ走って行く後姿を見つめて、うっとりとため息を吐いた。

心が優しくて、手先が器用なんて…積んでんな。

天国への階段を積んでるわ…


神が与えたもうた奇跡…それが、彼だ。


運動部のいけ好かない空気の中…僕は円くんを見つめて両手を握りながら言った。

「まるちゃ~~ん!頑張って~~!」

「はっ!春ちゃん、大概だぜ!」

そんなちいちゃんの声なんて…僕はどうでも良い。

目の前のまるちゃんだけ…も、彼が、可愛くて仕方が無いんだ!


そして、大嫌いなバスケットボールの試合が、目の前で始まった…

大抵の運動部の男は、すでに彼女を持ってる。

だから…体育館の上の踊り場には、もれなく彼らの彼女が陣取っていて…こんな風に試合が始まるたんびに、黄色い声を上げて応援し始める。

馬鹿みたいだ…


「千秋~!頑張って~!」

ちいちゃんの彼女は、2年1組…僕と同じクラスに在籍してる。

この高校の、マドンナと呼ばれてる…柏木さんだ。

噂によると、モデル事務所に登録しているとか…何とか…


どうでも良い


きっと、僕と違って、ちいちゃんは…色々済ませてるんだ…

同じ様に育ったのに…

僕だけ、幼いままで…彼は成熟して行ってる。

いつの間にか、僕は、まるちゃんじゃない、ちいちゃんを睨みつける様に見つめて、目で追っていた…。

そんな僕に気が付いたちいちゃんは、ウインクして投げキッスを僕に寄越した…


本当に、ムカつく…

僕は、君が大嫌いだ。


そんなちいちゃんから視線を逸らした僕は、唇を噛み締めて、まるちゃんを目で探した。

「まるちゃ~ん!カッコいい~!」

そんな声が、体育館の上から聴こえて…まるちゃんがシュートを決めた。

「キャ~~~!大好き~~!」

まるで、その声に応える様に上を見上げて手を振ったまるちゃんを見つめて、僕の胸の奥に、鋭い痛みが走って、思わずつんのめった。


痛い…

びょ…病気…?


去年の心電図検査で、僕は心臓に雑音が見つかって再検査になった。

お母さんが病院に連れて行ってくれて、再検査した結果…成長の過程でよくある雑音だと言われた筈…


それなのに…胸が痛い…


苦しくて…息が出来ない…!


「春ちゃん…どうした…」

胸を押さえたまま突っ伏す僕に、ちいちゃんが駆け寄って来た。そして、僕の顔を覗き込んで、心配そうに聞いて来た。

「苦しいの…?」

「苦しい…」

すぐにちいちゃんは僕の口に携帯用の酸素を当てて、背中をさすりながら様子を見守り始めた…


僕は、もしかしたら…心臓に問題を抱えているのかもしれない…


そんな一抹の不安を抱きながら、眉を下げて僕を見つめるちいちゃんを見上げて、無性に腹が立って、首を横に振って言った。

「も、良いの…」

「でも、」

「良いの!放っといてよ!」

そのまま、ヨロヨロと体育館を出た僕は、痛む胸を抱えたまま…学校を後にした。


まるちゃん…カッコいい…大好き…

そう言った彼女に、笑顔で手を振り返していた彼を思い出す度に、僕の胸は張り裂けそうなくらいに痛くなった。


家に帰ったら…お母さんに報告しないと…


電車に乗ったあたりから、僕の胸の痛みはだんだんと治まって来て、家に着く頃にはすっかり良くなっていた。

…でも、いつ心臓発作が起こるかも分からない…

そんな恐怖を抱きながら、玄関の扉を開いた。

「お母さん、ただいま…。ねえ、今日さぁ…」

僕は、台所のお母さんの背中に向かって話しかけた。すると、お母さんはイライラしながらこう言った。

「ん、もう…このレシピ通りに作ったのに…全然違う物になったぁ!カルパッチョって何よっ!酢漬けじゃないの!ねえ!こんの、馬鹿野郎!」


あぁ…機嫌が悪いんだ…


僕はお母さんを諦めて洗面所で手洗いをして、そのまま自室へと向かった。

あんなに胸が痛くなるなんて…怖いな…死んじゃうのかな、僕…

ベッドに横になりながらぼんやりと天井を見つめて、先の事を考えながら目を閉じた。

まるちゃん…模型部には、入ってくれないかもしれない。

だって、模型部には…彼女の観覧スペースなんて無いし、黄色い声援も要らない。

きっと、彼の様な花形スターには…物足りないだろうな…


ピンポーン!

「はぁ~い…」

お母さんの余所行きの声を耳に聞きながら、ため息を吐いた僕は布団を頭から被った。

「あらぁ、千秋。上がって?今、春が帰って来て…部屋にいる筈よ?勝手に入って良いわよ?」

勝手な事を言うんじゃないよ…

自分の母親に対して、そんな悪態めいた感情を抱いた。

そして、未だに疼いて痛む胸を押さえながら…僕は布団の中で体を丸めた。


痛い…


「ねえ、春ちゃん…さっき、胸を押さえて苦しんでた。何か言ってなかった?」

「はぁ~~~~?!」


ドカン!


僕の部屋の扉が…壊れてしまいそうだ。

お母さんは凄い勢いで僕の部屋の扉を開いて、僕の包まった布団を引っぺがした。そして、僕の顔色と、脈と、熱を測りながら、顔を覗き込んで聞いて来た。

「…苦しいの?」

「…苦しい…」


「救急車じゃ~~~~!」


すぐに119番したお母さんは、保険証を取りに僕の部屋を飛び出した。

「春…どうして、言わないんだよ…」

ちいちゃんは悲しそうな顔をして、僕を見つめた。そして、ベッドの隣に座って、僕の押さえる胸を一緒に上から押さえて静かに言った。

「すぐに後を追いかけた…。でも、お前は全然止まらないで、どんどん先を歩いて行く。いつもそうだ…。俺が追いかけても、お前は止まりもしない…」


だって…僕は、ちいちゃんに掴まりたくないんだ。

だから…いつも、君と離れる時は…後ろも振り返らないで、ただ前を急いで歩くんだ。


振り返った時…他の誰かと、仲良く話す君を…

眉を下げて見つめるのは…もう嫌なんだ。


「春ちゃん!救急車、来たぁ!」

そんなお母さんの声を聞きながら、救急車に乗せられて、僕は緊急搬送された…

きっと、このまま死ぬんだ…

でも、まるちゃんに出会えて…良かったじゃないか。

天国に一番近い男…それが、まるちゃんだ。

だから…僕もきっと、天国に行ける。



「ただの、動悸ですかね…?心電図にも、問題はないですし…」

大きな病院の先生が、首を傾げながら僕を見つめて、そう言った。そして、次の瞬間、ニヤリと口端を上げて…冗談めいた口調で言った。

「もしかして…好きな子に、告白とかされた?」


え…


「胸がギュ~~~ン!って跳ねる様に痛くなって、あぁ…って項垂れてしまう様な、得も言われぬ幸福感に満たされたりした…?」


何…それ…


「いいえ…。どうしても手に入れたいまるちゃんが、恋人に手を振って…笑顔を送った。それを見た瞬間、僕は息が出来なくなるくらいに、苦しくなったんです…」

「はぁ~~~?!」

そんな声を出したのは、お母さんだった。

僕たちは、呆れた様子の先生に会釈をして診察室を出た。すると、踵を返したお母さんは僕を椅子に座らせて、小声でこう言った。

「…ちょ、まるちゃんって…誰よ。」

「とっても手先が器用な…ツーブロックの1年生だよ。彼が…バスケ部の体験入部に行きたいって言うから…僕は自分の部活動を早退して、ついて行ったんだ。でも…まるちゃんには、彼女がいて…大好き~って…うっうう…お母さん、また…痛い!」

胸を押さえながらうずくまった僕に、お母さんは感慨深げに頷きながら言った。


「春さん、それは…恋です…」


は…?


「びょ、病気じゃないの…?」

「恋の胸の痛みです…はぁ~!まるちゃんねぇ…」


恋…?

僕は男なのに…男のまるちゃんに恋をしている…?!

それは、例えば…

どうしても、模型部に入って貰いたいと願う事も、恋のひとつなの…?


ふと、陣内くんの悲しそうな顔が目の前に浮かんで、彼の発した言葉が頭の中を繰り返しリフレインした…


まるで、恋する女の子みたいに、がっついて見える。


マジか…

最悪じゃないか…

僕は、まるちゃんにそんな風にがっついてしまっていたのか…?!

頭を抱えた僕は、急に恥ずかしくなってきて、顔を真っ赤にしながら項垂れて言った。

「…明日、学校に行きたくない…!」

「駄目よ?こういう時こそ、行かないと…お母さんが一緒に行ってあげても良いのよ?まるちゃんが、うちの婿になる素質があるのか…見極める必要もあるし…」


「春ちゃん…どうなの、もう平気なの…?」


…ちいちゃんもあの時、救急車に乗って一緒に付いて来たんだ。

彼は、僕の顔を覗き込んで心配そうに眉を下げた。

そんな彼にお母さんが嬉々とした表情で言った。

「ちいちゃん!春ちゃん、恋してるの!まるちゃんってツーブロックに、恋してるの!きゃ~~!とうとう…うちの春ちゃんも…誰かを好きになるって、人間的な感情を持つことが出来たんだわ…。あぁ。お父さんに報告しないと…!今日は、お赤飯よっ!」

「はぁ~?」

明らかに表情を歪めたちいちゃんは、僕を見つめて強い口調で言った。

「違うよな?春!」

まるちゃんが、彼女に手を振って笑顔を見せた…それだけで、胸が苦しくなった。

去年の文化祭で、恥ずかしくて顔も見れなかった…手先の器用なまるちゃんを…僕は、あの時から…好きだった。


あぁ、僕は、まるちゃんの事が…好きみたいだ…


「僕は、どうやら…まるちゃんが好きみたいだ…」

「絶対違うって…!馬鹿だな!」

ちいちゃんはそう言って僕の顔を自分に向けて言った。

「春が好きなのは…千秋だろ?」


あり得ない…

だって…僕は、ちいちゃんが大嫌いだ…


「違う…絶対に違う…」

そう言い切った僕の顔を見つめたちいちゃんの顔が、苦しそうに歪んだ気がして、僕は胸が苦しくなって、目を逸らした。



「ちいちゃんも、うちで赤飯食べてく?」

マンションに戻った僕たちは、それぞれの玄関の前に立って自分の家の鍵を開けた。

「いいや…何も、めでたくないから…」

お母さんの言葉に、ちいちゃんは不貞腐れた様に顔を背けながら玄関に入って行った。


「あぁ…あらあら…おもおも…おや、まあ…ほほほ…」

そんな様子を見たお母さんだけ、妙に嬉しそうに笑っていた。


家に戻ると、男になりたがっている妹が悪態を吐きながら言った。

「カルパッチョじゃねえよ!これは、タコの酢漬けだぁ!」

「ん、もう!なっちゃん、先にご飯食べてたの…?見て?このレシピを書いた人…ええっと、ぽんぽんママさん?彼女…カルパッチョと酢漬けを勘違いしてるみたいなのよねぇ?ほんと、お茶目な人ね!うふふ!」

時刻は、夜の9時…

ご機嫌なお母さんは、怒り狂った夏美を宥めてテーブルに座らせた。そして、僕の肩を掴んで、ニッコリと笑顔で言った。

「なっちゃん!聞いて!春ちゃんが、恋をしてるの!!胸が苦しくなって…救急車を呼んだら…恋の病だったのよ!!あ~っはっはっは!おっかし!処方箋は…あなたの胸に書きました…的な?的な?ウケる!」

「迷惑だろがよっ!」


そう…僕は、恥ずかしいくらいに、恋する女の子の様に、まるちゃんにがっついてしまっていた…


これは、明日…模型部のみんなに謝らないといけない。

だって、僕は…恋が、人をこんな風に変えてしまうだなんて…知らなかったんだ。

まんまと…自分が我を忘れている事にさえも気が付かずにいた…


恋ってやつは、はた迷惑で、厄介な物だと…知った。


きっと、みんなに、とっても迷惑をかけたに違いない…だから、誠心誠意、謝る事が大事だ…


スーパーで買って来た赤飯と、謎のカルパッチョを食べた僕は、早々に風呂に入って、自室にこもった。

「…まるちゃん。明日も…模型部に来てくれるかな…」

ベッドの上で天井を見上げた僕は、意図もしないでそう呟いてしまった。


これが…恋…


意識もしないのに彼の事ばかり考えて…意図せず呟く言葉に、彼への思いがこもってしまう…。

こんな僕は…もし、まるちゃんが模型部に入ったとしても、彼をえこひいきする悪い部長になってしまうじゃないか…

…きっと、みんなは僕にガッカリしてしまうかもしれない。

よだれを垂らしてまるちゃんに求愛する僕に、軽蔑の眼差しを向けるかもしれない…


「駄目だ…」


せっかく、部長になったのに…

僕は、模型部に…新しい風を巻き起こそうと心を奮い立たせていたではないか!

こんな恋なんかに…振り回されては駄目だ!

硬く決心をした僕は、頭の中からまるちゃんを追い出して…眠りについた。



次の日の放課後…

僕は、部室のカギを手に掛けながら、長い廊下をひとりで歩いていた。

みんなに…どう謝ったら良いのか…

新入部員を勧誘しなくてはいけない…そんな、戦国時代の真っただ中で、僕は…まるちゃんにうつつを抜かしてしまった。

一瞬だけだけど…あの時の、みんなの視線が、忘れられない。

「…はぁ、やっちゃってる…」

情けない。みじめで、ダサい…

僕にピッタリだ…


背中を丸めたまま部室の前に着いた僕は、鍵を開けながらため息を吐いた。


「春氏、おはようでござる!」


あぁ…!

背中に掛けられた声に、恐る恐る振り返った僕は、伊集院くんと、その後ろで首を傾げる後藤君を見つめて、姿勢を正しながら一気に頭を下げた。

「昨日は…ほんと、すみませんでしたぁ!!」

そうだ…

部長という大役を任命されたくせに…僕は自分の欲求を追求しようとしてしまった。それは、統べる者として…あるまじき行為だ。

「お…春ちゃん。昨日は凄かったなぁ?なぁんで、あんなさかってたぁ?おら、ビックリしたぞ…意外と春ちゃんは押せ押せなんだな?」

「まぁまぁ…話を聞こうじゃないか…」

南條くんと、陣内くんも部室の前にやって来た。そして、みんなに頭を下げ続ける僕の背中をポンポンと叩いて、そんな優しい言葉を掛けてくれた…。


「みんな、本当に…昨日は申し訳なかった…。僕は、どうやら、まるちゃん…あぁ、昨日の…山崎円くんの事を好きになってしまったみたいなんだ。恋をすると…周りが見えなくなって…胸の奥がとっても痛くなるという事が分かった…」

僕がそう話すと、机に腰かけたみんなは首を傾げながら言った。

「…春ちゃんは男の子じゃないか!山崎君も男の子じゃないか!」

「後藤氏!この時代を生きる男児たるもの…そんな事を気にしてはいけないでござる!それがしは、百合は大好物。だから、理解があるでござるよ…」

伊集院くんはそう言って感慨深げに、深く頷いた。

「じゃあ…どうするの、春ちゃん…。まだ、彼の事を勧誘し続けるの?」


「いいや!」


陣内くんの言葉を強く否定した僕は、胸を張ってみんなに宣誓した。

「…僕は、自分の恋心に振り回されたくないんだ。あんな風に…がっついて、まるちゃんを追いかける…そんな自分であって、良いとは思わないんだ!…だから、彼の事は抜きにして…今日も、模型部にとって新しい可能性を探す、そんな、有意義な勧誘活動を続けたいと思う!」

「おっ!偉いぞっ!」

そんな声援を受けながら、僕は余ったチラシを手に取った。そして、陣内くんの作ってくれた横断幕を片手に掛けて、みんなを振り返って言った。

「…行ってくるよ!1年生が来るかもしれないから…みんなは、ここで活動を続けていてくれっ!」

「おぉ~~~!頑張れっ!春ちゃん!」

そう…今日もまた、勧誘のメッカ…校門前に向かう。

そこには、下校するまるちゃんをハントしようなんて…そんな、下心は無い。


多分、無い…


「ん、春ちゃん…今日も来たの…?」

当然の様にちいちゃんが僕に声をかけて来た。彼も、また…校門前での勧誘を続けている様だ。

いつもの如く周りを人に囲まれたちいちゃんを横目に見ながら、僕はこう言った。

「そうだよ。だって…模型部には、新しい風が必要だからね!」

そう…オタクでは気付けない何かを提供してくれる…そんな、誰かを探しているんだ。

「ふぅん…」

つまらなそうにそう言ったちいちゃんを追い越して、場所取りを始めた…

流石の運動部は、連携が取れているのか…既に一番良い場所を取っていた。

後からやって来た…美術部、茶道部…模型部の僕たちは、自然と隅の方に追いやられた。

「春、あいつら、どうやってあの場所取ったのか知ってる…?」

机を設置した僕に、美術部の部長…神原さんがそう話しかけて来た。

「え…?分からない。きっと…凄い連携を見せてるんだろ…」

フォーメーションとか…ポジションとか…そう言うのが好きな人種だからね…

そんな僕の答えにケラケラ笑った神原さんは、長い髪をなびかせて僕の顔を覗き込んで言った。

「違う。目張りみたいなテープで場所取りしてさ…。あたしがあそこに机を置こうとしたら…こっわい女が来て、キャンキャン吠えてった…まじで、最低だよ。」

あぁ…カースト上位運動部あるあるだ。

彼女が彼氏の為に、そういった汚れ役を買って出てるんだ。

こんな年齢から…男に傅く練習をしてる…

「キモイね…」

僕は首を傾げて、神原さんを横目に見ながらそう言った。


きっと…ちいちゃんの彼女の柏木さんも同じような事をしてる。

モデル事務所に登録してるのか…在籍してるのか…実際仕事をしているのか…そこらへんはぼかされているけど、確かに、柏木さんは美人だ…。


そんな事…どうでも良い…

「も…ももも…模型部です…良かったら、部室に…遊びに来てください…!」

僕は震える声を出しながら、必死に手を伸ばしてチラシを配った。

捨てられてしまうかもしれない…なんて、悲しい事は忘れて…。

それをちいちゃんが、また拾って集めるかもしれない…なんて、辛い事も忘れて…

ただ、手の中に余ったチラシを、何も考えないまま目の前を通る人に差し出した。


「おっ!模型部だって!」

ん…?!

目の前に現れた1年生は、明らかに…僕の事を馬鹿にした様子で、チラシの束を僕の手から奪った。

「模型部って何するんですか?」

意地悪に笑った1年生の顔を見上げて、僕は返答に困った…

だって、この展開は…たとえ僕が何を言ったとしても、馬鹿にされるだけだと…経験上分かっているから。

だから、僕は黙ったまま、彼からチラシの束を取り返そうと手を伸ばした。

すると、1年生は体を翻して、チラシの束を持った手を高く掲げて笑った。

「おっと!はははっ!1年生が聞いてるのに、無視するなんて…酷い先輩だぁ!」


「模型部は…模型を作る部活で、それは…細かい作業の連続です…」


ふと、そんな声と共に現れた…まるちゃんは、意地悪な1年生の掲げた手から、僕のチラシの束を取り上げて、そっと、僕に返してくれた…

そして、僕を背中に隠したまるちゃんは、意地悪な1年生と対峙する様に相手と向かい合って…黙って威圧した。

「な…なんだよ。山崎…冗談だよ…」

おずおずとそう言った意地悪な1年生は、まるちゃんから逃げる様にしっぽを巻いて、帰って行った。


「うっうう…まるちゃぁん!」

堪らなかった…

優しくて、カッコいい…ツーブロックのまるちゃんが、素敵すぎて…僕は、彼の背中に抱き付いて、恥ずかしげもなく…おんおんと泣いた。

恋は、人をおかしくする…

こんなに大勢の人に見られているのに、僕は泣く事を止められなかった。

ただ、まるちゃんの大きな背中が思った以上にあったかくて、胸の奥が苦しくなって行った。

「春先輩…チラシを渡す人を考えた方が良いです…。」

僕を見下ろしたまるちゃんは、困った様に眉を下げてそう言った。だから、僕は彼を見つめて、必死にこう言った。

「違う…!違う…!それじゃ、駄目なんだぁ…!だって…だって…!まるちゃんみたいな器用な…陽キャを探してるから…。君の代わりになる様な…そんな人を探してるからぁ…!オタクだけ集めても…駄目なんだぁ!」


どうせ…まるちゃんは、バスケ部に入る。


彼女だって、こんな素敵な彼を自慢できる部活を推すに決まってる…

意味も無く、体育館の踊り場で、自分の男がボールを転がすのを見て…悦に入る。

そんな暮らしを求めているんだ…


「ま、ま…まるちゃぁん…模型部に入ってよ…!そしたら、もう…こんな怖い事しなくても良いんだ…。君が僕の物になってくれたら…僕は、もうこんな風にひどい目に遭う事も無いんだ…。ねえ…ねえ…!」


恋は、人をおかしくする…それ以上の言葉は要らない。


大好きなまるちゃんにしがみ付いた僕は、彼のあったかい体に興奮して…泣きながら地団駄を踏んで、駄々をこねた。


「…もう、春ちゃんは…ほんと、駄目だな。」

そんな声が聞こえると同時に、僕は、突然後ろから抱え上げられた。

そして、駄々をこねる僕を見て、困った様に眉を下げ続けるまるちゃんから…どんどんと遠ざかった。

自分の意思じゃない…

僕を抱えるちいちゃんの意思によって…僕は、大好きなまるちゃんから引き離された。


「…変な噂になるから…人前であんな風に言ったら駄目だ…。」

彼の肩の上でクッタリと力を抜いた僕に、ちいちゃんがポツリとそう言った。

…変な、噂…

「それは…例えば、僕がホモだとか…ゲイだとか…そんな事…?」

そう呟いた僕に、ちいちゃんは…相槌も、返事も、しなかった…


「…だって…大好きなんだ…」

行き場を失った両手でちいちゃんの背中を撫でて…苦しくなってくる胸の奥の思いと一緒に、そう呟いて…僕は、しとしとと涙を落した。

すると、ちいちゃんは僕の顔を覗き込んで、悲しそうに眉を下げて言った。

「…春、このまま…そんな事を続けていたら、大好きな…まるちゃんに、嫌われるぞ…?それでも良いのか…?」

「え…」

「…お前があいつにあんな風に抱き付いて、ホモホモしい事をしていたら…まるちゃんにもホモの嫌疑が掛けられる。そうしたら、今いる彼女はどうなる…?険悪になって別れでもしたら…お前はまるちゃんに嫌われるぞ…そうだろ?」


確かに…

ちいちゃんから視線を外した僕は、確かに一理ある彼の話を、黙って頷いて聞いた。

でも、理屈ではない…感情の部分が、僕の頭を項垂れさせて行く。

「…じゃあ…どうしたら良い…?」

このもて余す熱い思いを…

この溢れて来る甘えてしまいたい感情を…


どうすれば良いの…?!



「…本命の千秋に、向けたら良いじゃない…」


僕を見つめたまま、ちいちゃんがそう言った。

そんな彼に顔を背けた僕は、クッタリとちいちゃんの肩に顔を乗せて言った。

「あり得ない…」


そう…だって、僕は、ちいちゃんが大嫌いなんだ。

いつも、こうやって…駄目な僕の面倒を見ては…自己嫌悪に陥らせて…僕を傷つけて行く彼が嫌いだ。


「…そ。」


短くそう言ったちいちゃんに抱っこされながら…僕は、自分の巣である…模型部へと連れてこられた。

「こいつをひとりにするな!1年生のまるちゃんに、僕の物になれって…襲い掛かってたぞ!」

ちいちゃんはそんな言葉を僕と一緒に置いて行った…

「春氏…」

「春ちゃぁん…」

残念そうに表情を曇らせる伊集院くんと、後藤君を見つめた僕は、ケロッと首を傾げながらこう言った。

「でも、大丈夫!もう…元に戻ったよ?」

そう…

まるちゃんさえ、近くに来なかったら…僕は普通で居られるんだ…


「春ちゃん、今日は…4人も体験入部の1年生が来てくれたよ?中には、ツーブロックにしてる子もいた。そこらへんで妥協して…あの、円くんの事は…諦めるんだ。」

陣内くんは、非リアな僕に現実を突き付けて来る。

「うん…入ってくれるなら、だれでも良い…」

そういった僕の言葉に首を傾げた南條くんは、べったら漬けを口の中に放り込みながら言った。

「春ちゃんは、面食いだからぁ…さっきのツーブロックの子は、アウトオブ眼中ってやつでねっぺか…?意外だぁ…春ちゃん、はぁ~…高望みするタイプだったなんて、おらぁ、意外だぁ~…」

僕は南條くんの意外を突いた様だ…。

何度も、ため息を吐く彼を見つめた僕は、手元のタッパーからべったら漬けを1枚取って、口の中に入れながら言った。

「恋は人をおかしくするんだ!でも、あまりそれを表に出してはいけないと学んだ。だから、僕は…自分のガンプラを組み立てる事に専念するよ!」

この前、エアスプレーで塗装したパーツはもう乾いている!

ワクワクしながら自分のパーツを机の上に持って来た僕は、ひとつひとつ塗装の出来を確認しながら竹串から外した。

「ムラ無し!素晴らしい仕上がりだぁ!」

満足げにそう言った僕に、伊集院くんが顔を覗き込ませて言った。

「春氏、今回は…マット加工でござるか…」

そうなんだ…!

「良い所に気が付いてくれたね!伊集院くん。そうなんだ。今回の1/144は、いつもの様な艶のある塗料じゃなくて、マットな仕上がりを目指してる。高級だろ?」

ガンプラは接着剤なんて要らない。

既にある凹と凸に、パチンパチンとはめ込んでいけば良いだけなんだ。


「わぁ…!あっという間に出来ちゃった…!!」


呆気ない…

ガンプラの楽しみは…下地と、塗装でほぼ終わってしまう。

「はぁ…やっと、履帯を穿かせた…」

僕の目の前で、後藤君が戦車にキャタピラーを穿かせ終えて一息を付いていた。

細かいパーツをひとつひとつを組み立てて…適量の接着剤で少しづつ固定しながら繋げて行く…そんな、気の遠くなる様な作業で作ったキャタピラーは、程よくたわんで…見事な履帯を再現していた。

「わぁ…重厚感を感じる…!」

さすが、後藤くんだ…!

思わず身を乗り出した僕は、彼の戦車の足元を見つめて、だらしなく口元を緩めて笑った。

凄い…!カッコいい…!!

「後…反対側も…」

そう言った彼の言葉に目を丸くした僕は、なるべく机を動かさない様に…そっと体を戻して、小さい声で言った。

「すごいクオリティーだ…。拘った甲斐のある…素晴らしい出来だよ。きっと、両方揃ったら…圧巻の戦車になる事、間違いなしだ…!」

「春ちゃん…俺のフィギュアに色を塗ってくれないだろうか。君の面相筆使いはあっぱれだ。ぜひ、この戦車の戦車長を、君の手で塗って欲しい!」


…な、何だって?!

「…本気で、言ってるの…?」

後藤君の顔を覗き込んだ僕は、ニッパーで手元のパーツを切り始めた彼を見つめて返事を待った…すると、後藤君は、僕を上目遣いに見て、クスクス笑いながら言った。

「本当だ…。だって、春ちゃんは面相筆の運びも…色のセンスも…ぴか一じゃないか…。」

あぁ…神様…!!

僕に、素晴らしい面相筆を与えて下さって感謝します!!


「う…嬉しい…!!ぜひ、やらせてくれ!!」

面相筆…それは呼吸を忘れる作業…

1ミリにも満たない筆先に全神経を尖らせて…凹凸のある表面に一発勝負を仕掛けて行く…そんなギャンブルじみた行為さ。

「色指定を教えて…?」

手元に小さな菊皿を沢山用意した僕は、後藤君の戦車に乗る予定の“戦車長”の足に接着剤を点漬けして、ランナーと繋いだ。

そして、彼に確認して貰いながら、差し出された色指定の紙を眺めてアクリル絵の具を準備した。

この一発勝負…燃えるじゃないか!!

「ふぅ…緊張する。」

既に下地の塗られた戦車長は…綺麗にやすりまで掛けられて、色付けされるのを待っている。

そんな彼の一番薄い色…そうだな、肌から塗っていこう。

僕は面相筆にアクリル絵の具を沁み込ませて、フィギュアに垂直になる様に筆を立てながら…慎重に彼の顔を塗って行った。

一番薄い色…それは、のちに乗せる濃い色の部分にはみ出して塗っても良い所。下地が見えるのが一番ダサい…だから、僕は、戦車長の顔のパーツ以上に少しだけ色を伸ばして塗った。

「さてさて…では…お洋服を塗ろう…」

戦車に乗る様な男は、きっと…汚い服を着てる。特に…足元は、泥に汚れている。

指定された色で服とヘルメットを塗った僕は、絵の具が乾ききらない内に、足元に少しだけ濃い色を乗せて、小さな平筆を立てて当ててぼかした。

しめしめ…良い具合だ…!

全体の色を塗った僕は、ランナーを回して戦車長を乾かしながら、細かなディティールを見つめて、色見本と照らして確認した。

「ゴーグルの色は…僕が決めて良いの…?」

そんな僕の言葉に、履帯を組み始めた後藤君は気の抜けた声でこう答えた。

「…お任せしまぁす…」

なる程…

この全体の色味…そして、後藤君の戦車の色を鑑みると…彩度を抑えた色が望ましい…。しかし、ゴーグルだ。縁は金属だ…光沢を出したい。

しかし…シルバーなんて塗ったら…台無しになるだろうな。

考えあぐねながら、僕は、戦車長の胸ポケットの部分に陰影を付けて、服に薄めた絵の具でしわを描いた。そして、肌の色に近い茶色の絵の具を作って、面相筆を立てて呼吸を止めた。

そのまま目に力を入れた僕は…お尻の穴をギュッと閉じたまま…戦車長の顔を描いて行く。

一発勝負じゃ…!!

元のフィギュアに彫られた絶妙な凹凸を目で読みながら…筆先を溝に取られないように慎重に手を運んで…決して、日本人になってしまわない様に、戦車長の顔を描いた。

「はぁはぁ…はぁはぁ…!」

「おぉ…!さすが、春ちゃん!あっぱれ!」

戦車長の顔に満足した後藤君が、僕を褒めてくれた!

息をする呼吸のブレを止めて、集中しながら描き込んでいくから…この作業は、ある意味生死の境をさまよう。そんな、危険な工程なんだ…。

服のしわ…服と、肌の境目に影を落として、外人ぽく…鼻筋にシャドウを入れた。汚した服の汚れも、十分満足できる出来になった。

残す課題は…ゴーグルの縁だ…

シルバーじゃない…でも、光沢を出したい…

そんな僕の選んだ色は、薄暗い緑の入ったグレーだ。

戦車長を回しながら面相筆を上手に立てて、均等な太さのグレーを戦車長のヘルメットに付いたゴーグルに一周させた。

「仕上げだ…」

ハイライトになる明るめの緑が入ったグレーを面相筆に少しだけ乗せて、菊皿の上を何度も撫でた…そして、掠れて消えそうな頃…そっと戦車長のゴーグル…その縁を狙って、一気に掠めて引いた。

「よし…!」

「凄い…春氏、極まってる!」

出しゃばり過ぎないハイライトは、重厚な後藤君の戦車と相まって…良い仕上がりになった。

「出来たぁ!どうかな…?」

「あぁ…素晴らしい!良いセンスだ!」

嬉しそうに喜んだ後藤君を見つめて、僕は一気に顔の緊張を解いた…

「はぁ~…!緊張したぁ…!でも、楽しかったぁ!!」

そう…僕は、この爽快感が大好きだ。

細かい作業を成し遂げた後の、このため息が好き…


少しばかりの絵の具しか出していなかった菊皿は、ティッシュで拭うだけで綺麗になった。

集中して作業した結果…もう、6時半…下校時刻をとっくに過ぎていた。

「イケね!帰らなきゃ…!」

戦車長が付いたランナー部分をオアシスにぶっ差した僕は、作業途中のみんなを急き立てて、部室の鍵を閉めた。

「アラームをセットしないと駄目だ…!夢中になる人ばかりで、誰が帰りの時間を伝えるんだ!」

暗くなった校内を小走りで走りながら、後藤君が喚いてそう言った。

いつもなら、陣内くんがそんなお仕事をしてくれる…でも、今日、彼は部活を早退した。

何でも…彼女と喫茶店へ行くとか…何とか…

「南條くんは何にも集中してないんだから、たまには人の役に立ってよ!」

そんな僕の言葉に首を傾げた南條くんは、顔を歪めて言った。

「おらぁ、寝てたんだ…」

ダメダメだ…

僕たちは、ダメダメの…模型部員だ!

「ほらぁ!いつまで校内に残ってんだぁ!はよ家に帰れっ!」

昇降口で靴を履いた僕たちは、学校に残った先生に急き立てられながら、足早に学校を後にした。


「またね~!」

みんなと別れて、駅に向かって歩き始めた僕は、ため息を吐きながら肩を落とした。

ついうっかり…夢中になり過ぎてしまった。

後藤君が言った様に、アラームをセットした方が良いのかもしれない。


「兄ちゃぁん…!兄ちゃぁん…!!んぁああ…!!」

「うっさいな…ちょっと待ってろよ…!」

そんな声に顔を上げた僕は、スーパーの前で買い物かごを手に持った思わぬ人物に遭遇して、家路を急ぐ足を止めた。

「まるちゃん…」

そこには、あの時の幼い弟を連れた、まるちゃんの姿があった…

「んぁああ…!!兄ちゃんの…ばっかぁ~ん!!」

かんしゃくを起こした弟は、人の行き交うスーパーの入り口で、地面に突っ伏して泣き始めた。

まるちゃんはそんな弟を…僕を見た時と同じ様に、眉を下げて見つめていた。


「…どうしたの…?」


思わず、そう声をかけて…駆け寄った。

「あ…春、先輩…」

「どうしたの…?」

まるちゃんの弟を見つめてそう尋ねると、弟君は鼻をグスグスと啜りながら言った。

「たぁくんの…お友達がぁ…カッコいい、ロボット持ってる…!たぁくんも欲しいのにぃ…兄ちゃんが、買ってくれないんだぁ!うがぁっ!」


…ロボット…?


「これじゃ…駄目…?これだったら…あげられる。」

そう言って、僕が取り出したのは…今日組み上がったばかりのガンプラだ。

「わぁ~~!すっごぉ~い!!」

そうだろう…だって…僕が作ったんだからね…!

「この塗装は…エアブラシだよ…」

そんな、子供に分かる訳もない…自分の拘りを、少しだけ言ってみた。

「春先輩…駄目です…。こんな、貰えません…!」

オロオロするまるちゃんを見上げた僕は、彼の下がった眉を指で撫でながらクスクス笑った。

「これは…お詫びだ。まるちゃん…迷惑かけたね。僕は、君への淡い恋心を露骨に出し過ぎたみたいだ…。気持ち悪いと思われても仕方が無い…。でも、君は優しいから、そんな事を言ったりはしないだろうね。まぁ、せいぜい、自重するよ…。」

僕は、まるちゃんを見上げながら苦笑いしてそう言った。そして、足元で嬉しそうにガンプラを振り回す弟君に言った。

「外で振り回すのは危ない。…これは意外と簡単に壊れる。運が良ければ、パーツが外れるだけで済むけど、探すのが大変だから、それは家の中だけにしてくれ。」

「ん、分かったぁ~!」

踵を返した僕は、まるちゃん兄弟に背中を向けて歩き始めた。

「春先輩…!」

そんな、可愛い彼の声に…振り向かない訳がない。


「なあに…?」

思いきりぶりっ子の顔をして振り返った僕は、精いっぱいの可愛い声でそう言った。

すると、まるちゃんは…首を傾げながらこう言った。

「こ…細かい作業が、好きです…。それに…先輩を、気持ち悪いだなんて…思った事なんて、無いです…。いつも一生懸命で…可愛らしい人だと思ってます…」


ここが竹藪なら…今の彼の一言で、僕の足元に筍が沢山顔を出した事だろう…

そして、一気に天まで伸びる程の…凄まじいエネルギーを放出している筈だ!!


「え~~!やぁっだ~!きゃ~~~!」

顔を真っ赤にした僕は、一気にデレデレになって逃げる様にその場から走って立ち去った…


可愛らしい人…


可愛らしい人…?


僕が…可愛らしい…?!


「まるちゃん…大好きだ…」

彼の言った言葉を思い出して、彼の表情を思い出した…すると、胸の奥が抑えきれないくらいに熱くなって…、嬉しすぎてほっぺたが痛くなるくらいに顔がわらけてくる。

嬉しい…

大好きな人に、そんな風に言って貰えて…嬉しい…


まるちゃん…僕は、君の事が、本当に…大好きみたいだ。

でも、君に迷惑をかける様な…自分勝手な恋をするのは、自重する。

だって…君に嫌われたくないんだ。


「ガンプラ作っておいて、良かったぁ~!」

通りすがる人が僕を見てギョッとしても…嬉しくて、顔がわらけちゃうんだ…

良かった…

彼に会えて、良かった…!

だって、こんなに…幸せを感じられるんだもの。


「ただいま~!あ…」

玄関を開いて家に帰った僕は、いつもよりも明るくそう声を掛けた。

でも、部屋の中からは、誰の応答も無かった…

代わりに聞こえて来たのは、楽しそうな笑い声。

玄関に置かれた靴を見て、僕は既に察していたんだ。

だから…この状況を不思議になんて思わない。


きっと…ちいちゃんが遊びに来てるんだ。


僕は、お風呂場で手洗いを済ませて、そのまま自分の部屋に向かった。

せっかくの幸せな気分を台無しにしたくなかったんだ。


可愛らしい人…

僕が…可愛らしいだって…信じられない…

何をしても、陰キャな僕なのに…そんな、僕を可愛らしいだなんて…!

まるちゃんは、お目が高いとしか…言いようが無いな!


…でも、彼女が居るんだ。

そして…僕は男の子だ…

もし、僕が女の子だったとしても…まるちゃんの彼女には劣るだろう。それは、容姿も、性格も、全てにおいてだ…


そんな現実、忘れてしまいたいね。


「春ちゃん、帰ってたの?なぁんでリビングに来ないんだよ!せっかく、ケーキを持って来たのに!」

ノックもしないで…ちいちゃんは僕の部屋に入って来た。

そして、ベッドに寝転がる僕の隣に座った彼は、ぼんやりと天井を見つめ続ける僕の顔を覗き込んで、首を傾げて聞いて来た。

「春…どうした…」

「何が…?」

不思議そうに僕を見下ろすちいちゃんを見上げたまま、彼の柔らかい髪がサラッと音を立てながら落ちて行く様子を見つめた。

すると、ちいちゃんは僕のほっぺを撫でながら悲しそうに眉を下げて言った。

「…まるちゃんは、バスケ部に入る事になったよ…」


そうか…


「そう…」

ポツリと呟いた僕は、ちいちゃんから視線を外して、天井を見つめた。そして、クスクス笑いながら言った。

「…良いんだ。だって…もし、まるちゃんが模型部に入ってしまったら、僕は毎日の部活動を正常を保って行う自信がないもの…。それに、みんなにも迷惑をかけてしまうだろうし…。だから、だから、これで…良かったんだ…」


これは、僕の強がりだ…

本当の気持ちは、とても悲しい…と、思ってる。


だって、僕は…それでも、まるちゃんと一緒に居たかったんだ…

他の人の事なんてどうでも良くて…ただ、優しくてカッコいい…そんなまるちゃんと一緒に、模型を作りたかった。

右手の親指にほくろがある…そんな彼の器用な手先を見つめていたかった。


「春ちゃん…ケーキを食べない…?春ちゃんの好きな、モンブランを買って来たよ。」

「…要らない…」

ちいちゃんに背を向けた僕は、布団を頭の上から被って体を丸めた。そして、自分の息で苦しくなって行く布団の中で…このまま死んでも良いなんて、生半可に思った。

まるちゃんと…模型を作りたかった…

彼の指先で…竹ひごをなめして貰いたかった…

「…まるちゃんの、どこが好きなの…?」

そっと、僕の布団を撫でたちいちゃんがそう聞いて来た。でも、僕は、彼にそんな話をするつもりなんて、微塵も無かった。

だから、何も言わないまま硬く目を瞑って、彼を拒絶する様に…身を縮こませた。


「春ちゃんと遊んでるから…」

「…なぁんで?春ちゃんってつまんないじゃん!ねえ、ちいちゃん、一緒に野球しようぜ!この前ホームラン打っただろ?なあ、もう一回やろうぜ!」


「春ちゃんも居るんだけど…」

「はぁ~?春ちゃんは要らない。ちいちゃんだけ一緒に来て?雪ちゃんのお誕生日パーティーだから!ん、もう…!ちいちゃんの事、雪ちゃんが好きって知ってるでしょ?」


僕は…ちいちゃんに付いたお邪魔虫。

みんな、きっと…そう思っていた。

幼い頃からそうして来た様に…ただ、彼と一緒に居ただけなのに…僕に向けられる周りの視線は冷たかった。

そして…ちいちゃん、君も…僕の事を、疎ましく感じていたんだろ…?

ノロマで…運動神経も無くて…キャッチボールもまともに出来ない僕なんかと遊ぶより、他の友達と一緒に遊んでいる君の方が…とっても楽しそうに見えたよ…


それが、とても…悲しかった。


だから…僕は、君の事が、大嫌いなんだ…





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ