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触ると、落ち着く


 茜色に染まる教室に、影がひとつ。一人で机に座って本を読んでいる、髪の長い素敵な女の子だ。訂正、僕の最高の彼女だ。


「ごめん。お待たせ」

「ん」


 ぱたんと本が閉じ、彼女が顔をあげる。鳶色の瞳が僕を見上げた。図らずとも上目遣いの形となり、見慣れそうもないくらいきれいな瞳に吸い込まれそうになる。


「あれ、昨日貸した本だ。面白い?」


 勤めて平常心を装い、前の席の椅子を借りて座る。ちょうど見えた表紙から話を振ると、彼女は小さくうなずいた。


「いいお話。それに、ひたむきな男の子の姿は、素敵。応援したくなる」

「あ、わかる。ただひたすらに約束のために努力して、大切な女の子のために頑張る男の子はかっこいいよね。見た目はどっちかというとかわいいって感じだけど」


 うん。でも、くーが気に入ってくれてよかった。


「明吉は、かわいいし、格好いいよ」

「っ……! あ、うん。ありがとう」


 こういう不意打ちがあるから、くーはずるいのだ。


「でも、かわいいって……?」

「丸くてくりくりな目も、ふわふわで触り心地のいい髪も、ぷにぷにして柔らかい耳たぶも、全部かわいい」


 迷いがない直球に、正直たじたじだ。


「頭、出して」

「へっ?」


 さすがに端的すぎて、ちょっと理解できなかった。


「手、届かない」

「わかった。はい」


 意味を理解して、体を前に傾ける。すぐにくーの手が僕の頭を撫でた。


「気持ちいい」

「そう? でもなんだか少しくすぐったいな」

「やめたほうが、いい?」

「いや、やめないで」


 一瞬止まりかけた手が、再び動き出す。

 目を閉じて、この心地よさに身をゆだねる。


「くすぐったいけど、なんだか落ち着くね」


 自然と、そんなことを言っていた。


「私も、明吉の頭、触ると落ち着く」

「そっか。一緒だね」

「うん。一緒」


 しばし、無言で頭を撫でられ続ける。


「くーに、撫でられるの、好きだなあ」


 なんとなく、思ったことを言葉にしてしまう。

 目を閉じてるから見えないけど、たぶんくーは優しい表情をしてると思う。


「じゃあ、いっぱい撫でてあげる」

「ありがとう」

「だから」


 頭を撫でる手が止まる。

 目を開けて、くーの顔を見る。鳶色の瞳に至近距離で見つめられていた。


「かわりに、私の頭も、撫でて」

「了解、プリンセス」


 芝居がかったセリフだけど、くーが笑ってくれるから、これでいいのだ。

 僕はまぶしいものでも見るように目を細めて、そっとくーの頭に手を伸ばした。


「くーの髪、つやつやできれいだよね」


 ゆっくり、壊れものでも扱うように頭を撫でてると、本当にそう思う。

 自分と同じ髪の毛なのかと疑いたくなるくらいの引っかかりのない、絹のような黒髪。濡れ羽色という形容がぴったりと似合う、素敵な髪だ。


 心地よい音色が耳をくすぐる。

 視線を少し下ろしてくーの顔を見ると、目を閉じて鼻歌を歌っていた。それだけで特設ライブステージの完成だ。


 かすかに揺れる細くて長いのまつげに目を奪われ、漏れ聞こえる鼻歌に耳をそばだてる。それでも頭を撫でる手の指先まで意識を集中して、繊細な動きになるように注意する。お姫様に傷をつけるわけにはいかないから。


 ふとため息をこぼしそうになって、抑える。


 まるで神聖な絵画でも見てるかのような、ともすれば作りものめいたくーの天性の美貌に、僕の心は奪われっぱなしだ。そして、そんなくーが僕の彼女でいてくれる幸運をかみしめる。

 このまま時が止まっちゃえばいいのに、そう願ってしまうくらい至福の時間は、くーの鼻歌が途切れるのと同時に終了した。


 ぱちりとくーの目が開く。


「今、聴いてた……?」

「うん、聴いてた。というかもっと聴いていたかったな」


 僕が正直にそう伝えると、くーはほかと同じように白い頬を赤く染めて、手で顔を覆った。


「恥ずかしい……」

「どうして?」


 くーはときどき変なところで羞恥を覚える。常人ができないようなことはさらっとやってのけるのに、僕から見るとどうってことない場面で恥ずかしがる。


「だって、誰にも聴かせたこと、なかった。うまくできてるか、わからない。だから、不安」

「そんなことないよ。ずっと聴いてたいくらい心地よい歌だった。だからまた今度聴かせてね」


 抑えることができない愛おしい気持ちで立ち上がり、そのままくーを抱きしめた。

 くーは、応えるように僕の背中に手を回してくれた。


「いっぱい練習して、また聴かせてあげる。……だから、もっといっぱい抱きしめて」


 小さなお姫様の小さまなわがままを叶えるために、抱きしめる腕の力をより強くする。僕らの距離はより一層縮まって、それがなによりも幸せだった。

 くーの体温が伝わってくる。僕よりも少し冷たいその温度は、それでもとても温かかった。


「明吉、温かい」


 耳元でささやかれるくーの声がくすぐったい。でもなによりも、その内容に僕は噴き出してしまった。


「どうしたの?」

「いや、同じこと考えてたんだなーって思ったら、なんだか笑っちゃった」

「以心伝心。嬉しい」

「そうだね。僕も嬉しい」


 なにも言わずにただぎゅーっとお互いを抱きしめる。とくんとくんと時を刻むような心臓の鼓動が、聞こえた気がした。


「もう遅くなるし、そろそろ帰ろうか」


 とっても、とっっても名残惜しかったけど、抱擁を解いて僕から切り出す。本当は帰りたくなんてないけど、さすがに暗くなり始めた空を見ると仕方ない。

 くーがいつまでも帰ろうと言い出さないから、帰宅の話を切り出すのはいつも僕だ。


「……もうちょっと」

「だめ。そう言ってちょっとで終わったことないでしょ」

「でも」

「でももなし。帰るよ、くー」


 こっちも断腸の思いで申し出てるのだから、あまりわがままは言わないでほしい。当たり前だけど僕だって帰りたくないんだ。


「あと五分」

「ああもう……帰るよ」


 少しでも隙を見せるといつかのようにすぐに了承させられてしまうから、僕はくーの手を引いて歩き出す。もちろん荷物は二人ぶんしっかり抱えてある。


「……強引」


 ふてくされたような顔でくーは言う。そんな表情すらかわいいのだから、まったくもって敵わない。


「普段もこれくらい強引にしてくれればいいのに」


 ぴたりと足を止める。ぎこちなく隣のくーの顔をうかがう。


「えっと……なにを?」

「明吉はいつも優しい。私のやりたいことを聞いてくれる。私を優先してくれる。でもたまには手を引いて引っ張ってほしい。いつだって頭を撫でてほしい。もっと強く抱きしめてほしい。いっぱいキスしてほしい」


 とてもかわいらしく、とても恐ろしい要求だった。


「……善処します」


 街中で突然キスしてとか言われたことがあるから、僕はあいまいな返事しかできなかった。


「じゃあキスして」

「ここ学校の廊下だよ!?」


 早速無茶な要求が飛び出し、僕はおののいた。

 授業が終わってからそれなりに時間が経っているとはいえ、部活中の生徒がたくさんいるし、教室に残っているかもしれない生徒や仕事中の先生が通らないとは限らないのだ。さすがに流されるわけにはいかない。


「キス」

「無理だって……!」

「じゃあ、帰らない」

「帰らないって……暗くなっちゃうよ?」

「そうだね」

「だから帰ろうよ」

「嫌」


 にべもなく断られる。こうなった場合のくーの頑固さは相当なものだ。

 僕はさんざん悩んでから、ひとつ切り出した。


「次のデートのときに、一回だけ言うこと聞くから……それじゃあだめ?」


 きっと廊下でキスなんかよりも相当危険なお願いをされるだろうことがわかっていたけど、そう提案した。当面を乗り切るためだけに、僕は未来の自分を売り払ったのだ。


「なんでも?」

「僕が断らなければ」

「なんでも?」

「……僕のできる範囲でなら」

「なんでも?」

「あの……」

「本当に、なんでもいいの?」

「…………ハイ、ナンデモイイデス」


 完全に押し負けた。想像以上に危険なお願いが僕を待つことになるだろう。頑張れ、未来の僕。頼んだぞ。


「わかった。じゃあ帰ろっ」


 めったに見せないくーの満面の笑みが見れたことで、僕の心は舞い上がる。自分のことながらちょろすぎて心配になってくる。もしかしたら僕はくー限定でダメ人間なのかもしれない。


 さっきとは反対に、くーに手を引かれて歩き出す。

 かすかに揺れるくーの頭が、その機嫌のよさを表していた。


「明吉、大好き」


 急に振り返って、そう告げてくる。小さな唇が弧を描いていた。


「うん。僕もくーのこと大好きだよ」


 僕も立ち止まり、しっかりとくーの顔を見つめて、笑顔で返す。

 今度はしっかりと手を握り合い、ちゃんと隣に並んで歩き始める。

 僕の彼女はとっても不思議な女の子だ。でも、そんなところも余さずかわいく思えるのは、惚れた弱みってやつなのかな?


 気が向いたら更新します。

 素直クールはいいぞ。

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