番外編:結付(6)
更新が遅くてごめんなさい。
シリウスはフッと小さく笑って僕の顔から視線を逸らし、窓の外へと向けた。
僕もそれに釣られて窓の方へと視線を送る。
外は穏やかな陽気だ。遠くに連なる山までも見ることができる。
空の青さが眩しくて、僕は思わず目を細めた。
窓の外を眺めながら、シリウスが独り言のようにポツリと言った。
「…本当に驚いた。あの山のように、ずっと遠くにあるものだと思っていたのに。こんなにも目の前にあったなんて」
「うん…」
僕に語りかけたわけではなくて、僕からの返答をシリウスは待っていないかもしれない。
けれど、答えずにはいられなかった。僕も本当に驚いたから。
窓の外に向けていた視線を再び室内へと戻したシリウスは、先程までとは違った表情をしていた。情けない、困った、嬉しい、色々な感情が入り混じっているよう。
眉を少し下げるその顔にはもう、抗議や不満の色は見えない。
「前から話しているよね。憧れの人なんだ、ディオンは。幼い僕に、魔法の“美しさ・儚さ・怖さ“を教えてくれた。特別才能があると認めてもくれて『大きくなったら僕のところへ学びにおいで』と言ってくれた。彼のような偉大な魔導師になりたい。そう思って僕は魔術師団に入ったんだ」
「うん、ずっと聞かせてもらってきた。だからシリウスの思いはよく知っているつもりだよ。『同じ民として、彼のようになりたい』と言っていたね」
シリウス以前にも、周囲から“天才“と呼ばれた魔導師がいた。その人の名前はディオンと言う。
彼もシリウスと同じく秘術を使う民であり、年若くして異例の出世を成し遂げた人物であった。
尚、“天才“と呼ばれた後のディオンは“最強“と呼ばれている。
僕は魔導師達から魔法を学ぶ機会があるのだけれど、ディオンからはまだ教わったことがない。
その為、彼は現役魔導師達の中で僕の唯一会ったことがない人物でもある。
ただ会ったことはないけれど、他の魔導師達から数々の功績を聞かされてきている。
彼の実力を目の当たりにしたことはなくても、それらの事柄は彼の並外れた能力を証明するのに十分だった。
だから僕も、彼が確かに最強の魔導師であろうと考えているし、尊敬の念を抱いている。
シリウスは僕にディオンへの思いと絡めて、こんな話をしてくれていた。
ディオンと出会ったのは、僕が3歳くらいの頃だったかな。
ディオンの奥さんが僕の母と知り合いでね。普段は王都で暮らしているのだけど、その縁で訪ねてきたんだ。
僕は物心付く前から魔法が使えたらしく、付いてからは大抵の大人より魔法を使えてしまってね。
披露すると褒めてもらえるものだから、ディオンの前でも同じようにそうしたんだよ。
するとね。ディオンは僕を褒めてくれた後に「素敵なものを見せてくれたお返しに」と言って、自分の魔法を見せてくれたんだ。
さらりと何でもないことのようにディオンから繰り出される魔法の数々は、それはそれは素晴らしいものだった。
圧倒的な力の差を感じたよ。
僕は幼かったから、まだ人生を舐めてしまうほど擦れてはいなかったけれどね。
もし、あのままディオンと出会うことなく大きくなっていたらと思うと少しゾッとするんだ。
ただ日常を過ごすだけで、目的を持つことなく生きていたんじゃないかって。
もちろん辺境伯家に生まれているわけだから、その責任は果たしていたと思う。
だけどそれだけ。
どこか冷めた目で世間を見るようになっていたんじゃないだろうかって、そう思うんだ。
何度か会う内、ディオンは僕に「いつか、秘術を使う民に纏わる謎を解明したい」という夢を抱いていることを語ってくれた。
それは、僕にとっての夢にもなった。
幼い頃の数年間の交流の後、ディオンはノルモンタニューを訪れることがなくなった。
任務が忙しくなったからだろう。
だから、今度は僕から会いに行こうと思った。
だけど、魔術師団に入れば会えると考えていたのは甘い考えだったようだ。
会うどころか、見かけることさえできない。
周囲に聞いてみると「極秘の任務に就いている」と言われるばかりだった。
考えてみれば、極秘の任務に就くような偉い魔導師様とちょっと知り合いだからといって、簡単に会えるはずはないだろう。僕はまだまだ下っ端なのだから。
そう気付いて、修行に励み階級を上げていくことにした。
そんな風に過ごしていくうちに、周りから自分が“天才“と呼んでもらえるようにもなった。
それなのに。魔導師になってもディオンには相変わらず会えないままなんだ。
僕と仲良くなってから「王族であれば所在を知っているかもしれない」と考えたシリウスは、ディオンのことを僕に尋ねてきたことがある。
しかしながら、僕はシリウス以上には情報を持っていない。
そのことをとても申し訳なく思っていた。
僕の返答を聞いて、シリアスは静かに目を伏せ頷いた。
「あれほどの能力を持ったディオンが、何年も魔術師団に顔を出すこともできないくらい掛り切りとなる極秘任務とは、一体どんなものなのだろう。何か僕が手伝えることはないだろうか、そんな風に常々思っていたよ。だけどね。魔術師団長から、王族の警備のために学校に潜入するよう命じられた時は、こんなことが待っているなんて思っていなかった。まさかここで真実を知ることになるなんて…」
「シリウスはこのことに、どうして気付けた?」
僕は昨夜、公爵から初めて真実を知らされた。
聞かされていなければ、今でもまだ分かっていなかっただろう。
それぐらい厳重に隠されていたことなのだ。
だから、シリウスがどうやってあの真実に辿り着けたのかを知りたいと思った。
僕が問いかけると、シリウスは足元に落としていた視線を上げた。
目と目が合う。
「おや?と思ったのは昨日のお昼休みだよ。それまでは情けないことに全く。僕は勘が良い方なんだけどね。それくらい厳重に隠されているということだね。昨日は、偶々いつもは下ろしている髪を結っていたんだよ。それで首元のペンダントが少し見えたんだ。それがきっかけ。あれと同じものを僕の母も持っている」
僕はその言葉を聞いて、シリウスの能力の高さを改めて感じた。
彼はほんの少しのきっかけから、答えを手繰り寄せたのだ。
「なるほど、そうか。確かにあのペンダントはリリアが母親から贈られたものだと言っていたな…。だから、シリウスと何らかの繋がりがあってもおかしくないんだね」
「うん。リリアさんの“実の“お母さんは僕と同じノルモンタニューの出身なんだ。団長は必ず答えに辿り着くだろうと考えて、今回僕を学校に送り込んだのだろうと思う。逆に言えば、これで辿り着けないようなら“見込み無し“となったんだろうけど」
そんなこと…と声を掛けようと思ったけれど、僕はその言葉を飲み込んだ。
おそらくシリウスの言う通りだろうと思えたから。
リリアの“実の“お母さん。
僕はリリアがマーベル公爵夫妻の実子ではないことを知っている。
本当の父親は、サイラス・マーベル公爵の従兄弟のジョアン・ワンダー侯爵だということももちろん知っていた。
ワンダー侯爵夫妻は、視察に向かう途中で事故に遭い行方不明となっている。
リリアはその事故の時、マーベル公爵家に預けられていた為に家族の中で1人だけ残される形となった。
貴族の子どもは、“ファーストティーパーティー“という子どもが3歳になったら開くお茶会まで、存在が公表されないことが多い。
当時3歳になったばかりだったリリアは、まだお茶会を行っておらず、存在が世間に知られていなかった。
この状況を利用して、マーベル公爵はリリアをワンダー侯爵の娘としてではなく、自分の娘として公表していた。
一人ぼっちにさせたくない。
それに幼いリリアが侯爵領の運営をするなど到底無理な話だし、何も分からないのを利用して乗っ取りを謀るような輩が湧いて出てくる可能性もある。
そういった脅威からも、親戚としてサポートするより家族になった方がリリアを守ることができる。
だから、自分の娘として公表したのだ。
マーベル公爵はそんな風に話してくれた。
リリアが3歳の頃の話だから僕が出会う前の出来事ではあるけれど、婚約の申し入れをした時に聞かされたのだ。
僕が何も言葉を発しなかったことを同意と捉えたのだろう。
シリウスはソファから少しだけ腰を上げて座り直した。
それから両腿のあたりに置いていた手をぐっと握ると、いつもより低めの声で話を先に進めた。
「それくらい厳重に秘匿するのも当たり前だよね。今まで保ってこれていた“侯爵としての表の顔“を、捨てなければならないほどの事態が起こったのだから」
少し短めだったものに加筆しました。
話の筋は変わっていません。
次の話で番外編も終わりかなと思っていたのですが、次の次、くらいになります。
読んでくださっている方、ありがとうございます。




