番外編:結付(2)
あの時みたいに私がまだ子どもであったなら誰も問題にしなかっただろうけど、今は…。
私はいつもそうしているように、お兄様に相談しようと思った。
短くなった髪の毛先を右手の人差し指と中指で挟んで軽く持ち上げながら話す。
「お兄様。私の髪の長さはやっぱり不自然ですよね…。昨日のこともあるし。学校のみんなにどう説明したらいいのかな…」
別に“髪を長く伸ばすこと“と言ったような決まりはないのだけれど、ドレスに合わせて色々と凝ったアレンジができるためか、貴族社会では髪を長く伸ばしているご令嬢が圧倒的に多い。
そのような中で、私の今の髪は肩くらいの長さなので、辛うじて結ぶことはできるけれど…といったところだった。
それに何より、昨日の出来事があった後なのだ。
フィリオ様は「何も心配はいらないよ」と言ってくれたし、あの話がちゃんと濡れ衣だということが周知されているならば堂々としていればいいのだろうけれど…。
このような急な変化は、やはり何らかの噂の元になってしまうかもしれない。
お兄様は私が持ち上げた毛先に触れると、微笑んで首を横に振った。
「ううん全然。不自然じゃないよ。似合っているし、とってもかわいいもの。リリアはどんな髪型でもかわいいね。それに昨日の昼休みの出来事に関しては心配することはないよ。“何も起きていない“ことになっているから」
「え…?何も起きていない?」
褒めてもらったことに対してお礼を言うのも忘れ、私は問い返してしまった。
あまりにもその後に続いた言葉に驚いたものだから。
だって何も起きていないって。どういうこと?
あんなに大勢の生徒の前で起きたことなのに。
お兄様は私の髪から手をそっと離し、真面目な顔になって頷いた。
「そう。実は昨日の事は単純な話ではないんだ。リリアも先程言っていたよね。『闇属性の魔法の影響を受けていた』って。闇属性の魔法の中でも、無闇に人の心を操るのは禁忌とされている。詳しくは調査が終わるまで言えないけれど、黒の丸薬が使われて…」
私は“黒の丸薬“という言葉を聞いて寒気立った。無意識に自分の両腕で身体を抱きしめる。
メルブルエでフィリオ様から、あのお昼休みに起きていたことは教えてもらっていた。
ローレンヌ様とラルゴ様が私を陥れようとしていたということ。
大勢の人の前で濡れ衣を着せて貶め、王太子の婚約者として私がいかに相応しくないかを印象付けるつもりだったのだと。
不名誉な噂が広がれば、それはやがて醜聞として育っていく。そんな風にして、私を追いやるつもりだったということを。
でもそれは、みんなに分かりやすく見えていた部分だけ。
フィリオ様は私の精神状態を気遣って、“表の出来事“だけを話してくれていたのだ。
きっとこんな風に、今までも私が知らないうちに色んなところで守ってくれていたのだろうと気が付いた。
宿でルシウス先生が唐突に「闇属性の魔法」という単語を出した。
あの時は不思議に思っていたけれど、家に戻って落ち着いたら分かってきたことがある。
「消えたほうがいい」という思いに囚われて家を出た私。あれがきっと闇魔法の影響だったのだと。
私を責め立てた方達、ローレンヌ様もラルゴ様もモニカ様も魔力を持っていないから魔法は使えない。
だから、どこで、誰に、そんな魔法をかけられてしまったのか分からなかった。
まさか黒の丸薬が絡んでいたなんて…。
フィリオ様も「事情が入り組んでしまっていて、余裕がなかった。あの場所から一刻も早く助け出して、遠ざけたかった」というようなことを言っていた。
私はあの時、3人のうちの誰かが黒の丸薬の効果で得た闇属性の魔法による攻撃を受けていたのだろうと思う。
フィリオ様が防いでくれて、それでも影響を受けた。
もし来てくれていなかったら…。
考えるだけで怖くて仕方がない。
お兄様は自分の腕で身体を抱きしめる私の様子を見てハッとしたような顔をして、私の両肩に手を置いた。
じんわりとお兄様の手の温かさが伝わってくる。
「ごめん。リリアを怖がらせたかったわけじゃないんだ。でもアレを正しく知っている者はその恐ろしさと重大性が分かるよね」
私は頷いてから答えた。
「はい…。ごめんなさい、お話を中断させてしまって」
お兄様は私の頭を右手でぽんぽんと柔らかく撫でてから、両手を自分の膝の上に戻した。
「いいんだ。僕もリリアがもう少し落ち着いてから話そうと思っていたのに、ごめんね…。ともかく今回のことは単純な話ではないから、出来事自体を秘匿することになったんだ。あの場にいた当事者ではない生徒達に時の魔法を応用して、あの10分間をなかったことにした」
「時の魔法の応用?」
時の魔法は時の進行を早めたり遅らせたりすることができる。
例えば花の開花を促したり、食べ物を普段より少し長く保存したり。
大抵の場合は、対象物にささやかな作用をもたらすものとして用いられる。
「うん応用…なんだけど。魔力に恵まれて才能のある人物が使うと、全く別物のような作用になる。話には聞いていたけど、僕も今回のことで初めて目の当たりにしたよ…ってごめん。長居するつもりはないと言いながら、随分と話し込んでしまったね。詳しい話はまた今度にしよう。疲れているだろうから、もう休んで」
あの出来事の裏にある話は気になる。
けれど、お兄様が言うように、フィリオ様もそうしてくれたように、今はまだ私が全てを知る段階ではないのだろうと思った。
お兄様がソファからゆっくりと立ち上がった。
私も立ち上がろうとしたら、お兄様はそれを手で制する。
そして、座ったままの私の目線の高さに合わせるように体を屈めて、再び右手で私の頭を優しく撫でる。
「ともかくリリアは何も心配することはないんだよ。これまでと変わりなく過ごして大丈夫。この髪型も周りにはイメージチェンジだと話せばいい。ついでに装いも変えたらいいんだよ。今は敢えて地味なものを選んでいるよね。リリアが言うところの“フィリオ様やお兄様のご迷惑になる“という心配は、もうないでしょう?」
仮初の婚約者だと思っていた私は、なるべく目立たないようにしていた。
私が立っている華やかな舞台は、本物を迎える日が必ずやって来る。
その時に仮初である私の存在は、幻の如く誰の印象にも残っていない方がいいはずだから。
そう思っていたのだ。
「うん…。なるべく暗色を選ぶようにしていたのは確かにそうよ。学校ではそうしようって思っていたから。でも、そうね。お兄様の言うように良い機会だと思うわ。素敵なアドバイスありがとう。さすが“いつでもどんな時でも私の心強い味方でいてくれる最高のお兄様“ね」
そう言って私が笑ったら、お兄様は私の頭に両手を置いて髪をワシャワシャと撫で回した。
いつ以来だろう?こんな風にされたのは。
幼い頃はしょっちゅうワシャワシャとされていた。
私はお兄様の手から守るように顔を伏せて身を屈め、両手を自分の頭に乗せる。
それから、ほんの少しだけ怒っているような声を出して抗議した。
「もう。私、そんなに子どもじゃないわ」
そうすると、お兄様は両手の動きをやっと止めてくれた。
「リリアがかわいいことを言うからだよ。それに、ちょうどワシャワシャするのにいい長さだなと思って」
フリなのだけど、怒った私に謝ることもなく。
なんだかとても楽しげにそう言うので、私は少し大袈裟に「もう!」という表情を作ってから顔をあげた。
するとそこには、それはそれは素敵な笑みを浮かべたお兄様がいた。
身内の私でも一瞬見惚れるくらいなのだから、ここが学校内だったら、きっと黄色い声が上がっているだろうと思う。
『リック様、素敵』『あの黒髪がリック様の理知的な雰囲気を更に引き立てているわ』『でも、何気に笑うとかわいらしいの』
さすが、フィリオ様やルシウス先生と並ぶ学校の人気者なだけはある。
「じゃあねリリア。ゆっくり休むんだよ。僕は報告も兼ねて、父上のところに行ってくるから」
そう言われて、はたと気付く。
そうだ、私はお兄様に確認したいことがあるのだった。
お兄様に確認して、それからお父様にお聞きしなければ…。
扉の方へと向かう最中に呼びかける。
「お兄様、ごめんなさい。もう少しだけお時間いただけますか?お兄様に見てもらいたいものがあるの」
お兄様はこちらに振り返ってから、首を少し傾げた。
「うん?構わないよ、何?」
私はソファから立ち上がって窓辺にある机のところまで行くと、紺色の本を手に戻った。
「この本なのだけど…。お兄様、覚えている?」
お兄様は「あっ」と声を上げた。
「懐かしいなあ。この花の刺繍の本。リリアはこの本が好きだったよね。父上の書棚から出してきたの?」
書きながらなので、毎日投稿ではなくてごめんなさい。
ゆったりと読んでいただければ…と思います。
本編では書けなかったリリアとリックのことが書けて、楽しいです。




