かくれんぼ
これで本編完結です。
「リリィ」
こんな時間に、この場所にいるはずのない、大好きな人の声だった。
私は信じられない気持ちで、ゆっくりと声のする方へと振り返った。
すると、今にも泣き出しそうな顔をして、その方は立っていた。
私は急いで立ち上がった。
思わず名前を呼びそうになる。
するとそのことに気が付いたその方は、右の人差し指を唇に縦に当てて、申し訳なさそうに眉を下げて少しだけ微笑んだ。
私はハッとなって口を噤んだ。こんなところで不用意に名前を出して良いはずがない。
私がそんなことを考えている間に、その方は急ぎ足で私に近付いてきていた。
そして、私は気付けば抱きしめられていた。
耳元で大好きな声がする。いつも優しくて温かいその声には、涙が滲んでいた。
「ごめん。僕が不甲斐ないばかりに君を傷付けてしまって…」
そんな風に言われた私は、涙が溢れて溢れて。
嗚咽で全く声を出すことができなくなってしまった。
でも、私は決してその方に謝って欲しいだなんて思っていない。
だから一生懸命に首を横に振った。
抱きしめられているので、そこまで大きな動作はできないけれど、この気持ちは伝えたかった。
「2人とも。今、僕がこの空間に“時の魔法”を掛けたから、周りのことは気にしないで大丈夫だよ。だから思う存分話したらいいよ」
少し離れたところから、ルシウス先生の声が聞こえた。
先生は、いくら少ないとは言っても何人かはいる周囲の人に気遣って話ができないであろう私たちのことを思って、魔法を使って周りに干渉されない空間を作ってくれたのだった。
「あなたは…。ありがとうございます」
「僕のことは気にしないで、続きを」
抱きしめられている私からは見えていないけれど、2人の間で何やら言葉以上の会話がなされた様子だった。
「リリア、リリィ。本当にごめん」
また大好きな人に謝らせてしまった。私は嗚咽の合間に、どうにか声を絞り出した。
「フィ…フィ…リオさ…ま…。ごめ…ん…なさ…い…。あ…謝る…の…は、わた…し…の方で…す…」
フィリオ様は一層強く、私を抱きしめた。
「リリィ、そんな風に謝らないで。分かってるんだ。君が何も謝る必要がないことは。悪いのは僕なんだ。声を出すのも辛いのに、無理に出させてしまってごめんね。こんなにもリリィを悲しませてしまった僕だけど、どうか話を聞いてもらえないだろうか?」
私はフィリオ様の言葉にボロボロと涙を零しながら、コクンと頷いた。
「ありがとう。聞いてくれて」
そう言うとフィリオ様は右手を私の背中から動かして、ポンポンと頭を優しく撫でた。
「君が何も悪いことをしていないのは、最初から僕には分かっていたよ。だけど昼休みのあの時は事情が入り組んでしまっていてね。少し余裕がなかったんだ。君をあの場所から一刻も早く助け出したくて、遠ざけたくて。守りたいがために取った僕の行動が、逆に君を傷付けることになってしまった。全ては僕の言葉と力が足りなかったせいだ。本当にごめん」
私はあの時、フィリオ様から信じてもらえなかったと思ってしまったけれど、そんなことはなかったんだ。
その事実に心がじんわりと温かくなるのを感じた。
信じてくれているだけじゃなく、フィリオ様は何かから私を守ろうとしてくれていたなんて。
思ってもみないことだった。
「し…信じて…くれ…て、あ…りがとう…ござ…い…ます…」
「リリィ、そんなこと当たり前だよ。僕が君を信じないなんて絶対にないから。例え世界中を敵に回すようなことになったとしても、僕は君を守るよ。将来国を治める者として許される発言ではないことは分かっている。けれど君に誓わせてほしい」
あまりにも畏れ多い言葉に、酷い泣き顔であることも構わずに私は顔を上げた。
見上げた先には、フィリオ様のいつもの温かな眼差しがあった。
微笑みながら、右手の親指で私の涙を優しく拭ってくれる。
「大好きだよ、リリア。僕は君が何よりも大切なんだ。世界で一番大切なんだよ」
「え…」
「君にとって、僕は兄のような存在なのかもしれない。そう思うと怖くて言えなかった。だけど、僕が臆病だったばかりに君を失いそうになってしまった。これ以上に怖いことなんて、僕にはない」
フィリオ様は一旦言葉を止めて、深呼吸をした。
「リリア、君が好きだ。僕は君に初めて会った時、恋に落ちた。それからずっと、君のことが好きなんだ」
まさかフィリオ様も私のことを好きでいてくれたなんて。
ずっと、私の片思いだとばかり思っていた。
優しくしてくれているのも、妹のように思ってくれているからだと思ってしまっていた。
いつか婚約破棄を告げられるその日まで、妹としてでいいから近くにいたい。
そう思って自分の気持ちを伝えずにいた。
最後の手紙にさえ気持ちを書くことをしなかった。
私の方が臆病者だ。
私は途切れ途切れにならないように呼吸を整えて、ゆっくりと言葉を話すようにした。
「フィリオ様。私の方が臆病者です。最後になるであろう手紙にさえ、私は本当の気持ちを書けませんでした」
涙が込み上げてきたので一旦話すのを止め、私は感情の波が引くのを待った。
フィリオ様も私の言葉を待っていてくれる。
「フィリオ様。私はフィリオ様のことが好きです。幼い頃から、ずっと好きでした。本当の婚約者であったなら、どんなに幸せなことかと思っていました。友人である兄の妹だから、かわいがってくれているのだろう。私の片思いだ。言ったらご迷惑になる。関係もきっと変わってしまう。そう思うと言えませんでした」
時間をかけて気持ちを伝え終えると、私は堪えていた涙が溢れてきた。
フィリオ様は今、どんな表情をしているのだろう?
涙で見ることができない。
すると、頬に何か柔らくて温かいものが当てられた。
「リリィをこんなに泣かせて。僕はダメだね」
声がとても近くで聞こえたことで、柔らかくて温かいものの正体が分かった。
顔が熱くなる。
「だけどね。僕は君を放すことはできないよ。君も僕と同じ気持ちでいてくれたことが分かったから尚更。この先もずっとずっと、リリィと一緒にいたいんだ」
私はコクコクと頷いた。
瞬きをすると、目から涙が零れ落ちた。
視界が開ける。
フィリオ様は私の背中に回した手を外した。
そして、跪くと私の左手を取った。
「リリア。好きです。僕と結婚してください」
「はい、フィリオ様」
返事をしてから私は両手でフィリオ様の手を握り、唇を落とした。
愛おしさが溢れて、そうせずにはいられなかった。
「リリィ、それは僕のやることだよ」
笑いながらそう言うと、フィリオ様はまた私の手を取って口づけしてくれた。
それから立ち上がって、私のことを抱きしめた。
「大好きだよ、リリィ」
◇◇
気持ちが通じ合ってひと段落すると、フィリオ様は、昨日の昼休みに何が起きていたのかを丁寧に説明してくれた。
全く知らなかった話に私は驚いた。
それからどうしてこの場所が分かったのかと聞いたら、理容師さんの話をしてくれた。
それにしても、この時間によくここまで。
そう思って重ねて尋ねると、
「僕はかくれんぼで、リリィを見つけるのが得意だったでしょ」とフィリオ様は言った。
かくれんぼ。
その言葉に思わずふわりと笑ってしまう。
私は昔から、フィリオ様に見つけてもらうのが好きだったのだ。
今回、そんなつもりはなかったけれど。
こうして私の2日間に渡った“かくれんぼ”は幕を閉じたのだった。
◇◇
その後。
ノルモンタニューと私とルシウス先生の関係とか、花の刺繍のある紺色の本の話とか、黒の丸薬の話とか色々とあるのだけれど。
それはまた別のお話。
ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。
元々短編で描く予定だったのですが、読んでくださる方がいることが嬉しくて楽しくて、長くなってしまいました。
でも、あまりにも長いと読む方も面倒だろうと思い、ここで終わりにします。
「誤解が起きる→家出する→迎えに行く→誤解が解ける」という物語の本筋は描けました。
本編に描ききれなかった内容は、またゆっくりと書けたらいいなと思います。
ちなみにタイトルについて。
話の中で描くとエピソードが長くなるので、ふんわり匂わせるだけにしてしまいましたが。
アマリリスは紺色の表紙の花の名前であり、リリアの魔力の香りでもあります。
アマリリスは基本的に香りのない花なのですが、珍しく香りのある種類がある、というところから発想しました。




