同じ空の下
ボーン ボーン ボーン ボーン …
壁に掛けられた振り子時計の鐘が9回鳴った。
ルシウス先生は時計の方に振り返った。
私も振り返って時計の針を確認する。
鐘の数が教えてくれたように、短針が9で長針が12のところを指していた。
「もう21時になるね。明日も早いし、そろそろ寝ないといけないな。というわけで、明日は6時に部屋の前の廊下で集合にしよう」
ルシウス先生がそう言いながら、ごく自然に立ち上がったので、私は思わず「え?」と声を漏らしてしまった。
「うん?ちょうどいいかと思ったけど、早すぎる?それとも遅すぎたかな?」
私の声を聞き逃さなかったルシウス先生は、不思議そうに問い返してきた。
「いいえ、時間はそれで良いと思います。そうではなくて、部屋の中からわざわざ廊下に移動して集合?と思って…」
私がそう答えると、ルシウス先生は納得したようだった。
今にも「なるほどね」と言い出しそうな顔をしている。
「僕はここの隣にもう一部屋取っているんだよ。だから、廊下での集合がいいよね」
“兄弟”ということにして、この宿屋さんに入ったとルシウス先生は言っていた。
だから私は、てっきり同じ部屋に泊まるものだと思っていたのだ。
兄弟で違う部屋というのは奇妙に思われるのではないか、と思う。
私がそんなふうに考えていると、それを見越したかのようにルシウス先生は言った。
「大丈夫。宿屋のおかみさんには『夜に僕が部屋で仕事をしたいから、“弟“の睡眠を邪魔したくないんです』と言って、部屋を取ったから。怪しまれてないと思うよ」
私が倒れてから宿屋さんに運び込むまで、それほど時間をかけなかっただろうと思うのに。
咄嗟にそこまでの判断をして行動できるルシウス先生は、さすがとしか言いようがない。
この若さで魔法学の教師を勤められるくらいなのだから、これぐらいのことは朝飯前なのかもしれないけど…。
それでもやはり、さすがだ。
私が行動力に感心して何の返事も返さずにいると、ルシウス先生がからかうように言ってきた。
「さすがに一緒の部屋はまずいでしょう。それともリリアさんは一緒がよかったかな?」
怪しまれないためにも一緒の部屋に泊まるしかないのかなとは思っていたけれど、別に進んで泊まりたいわけではない。
私は慌てて声を発する。
「…そんなことっ」
言いかけたところで、ルシウス先生が楽しそうに笑った。
「ふふ。冗談だよ」
笑顔の先生に見つめられているうちに、私は急に2人きりでいることを意識してしまった。
この部屋の灯りはぼんやりとした温かみのあるもので、昼間ほどのはっきりとした明るさはない。
そんな中で見るルシウス先生の顔は美しく、それに加えて色香さえ感じられた。
気恥ずかしさがこみ上げてきて、どことなく視線が彷徨ってしまった。
「じゃあね。リリアさん、おやすみ。良い夢を」
ルシウス先生はそう言うと私の頭を撫で、部屋を出て行った。
閉まりかけている扉に向かって、私が「おやすみなさい」と言うと、パタンと小さな音を立てて扉が閉まった。
◇◇
結局、私はルシウス先生の賭けの提案を受け入れた。
というか現時点で私の方が有利だと思われるのに、受け入れないという選択肢はなかったと思う。
先生が一緒に来るということに関しては、うまく丸め込まれてしまったような気も少しはするけれど…。
1人で船旅をすることに不安があったのも事実で、一緒に行くという申し出は有り難くもあった。
ルシウス先生が部屋を出て行った後、私は入浴をすることにした。
それなりの距離を移動してきたため、汗やホコリで体が気持ち悪い。
この宿屋さんはお料理が美味しいだけでなく、部屋も凝っていてかわいらしかった。
備え付けられている浴室も例外ではなく、こじんまりとしているけれど、バスタブが貝殻を模したような形になっていて、とてもかわいかった。
こういう状況でなかったなら、楽しめただろうなとちらり思ったけれど、そんなことを考えている場合ではない。
この考えを打ち消すように素早く入浴を済ませた。
明日の朝が早いのに加えて、初めての船旅への不安がある。
以前に本で、寝不足で船に乗ると酔いやすいという話を読んだことがあった。
長い時間乗らなければならないのだから、できるだけ酔うことは避けたい。
そのためにも、少しでも早く眠るようにしないといけなかった。
眠る支度を整えると、部屋の灯りを消した。
ふと思い立って、窓辺から宿の外を眺める。
馬車で着いた時には賑わっていた街も、夜の静寂に包まれていた。
空を見上げると、星が輝いていた。
私は自分の部屋のバルコニーから眺める夜空が好きだった。
夜はフィリオ様に会えないけれど、今見上げている空がフィリオ様の上にもあるのだと思うと、離れていても繋がっているのだと感じられて、好きだった。
どこにいても、みんな同じ空の下にいる。
いつまででも眺めていられる気がした。
けれど今夜は、寂しさが込み上げてきて見ていられない…。
この夜空の下で、フィリオ様は何をしているだろう?
明日、船でこの街を離れたら、もう二度とお会いすることはできないのかもしれない。
同じ空の下にいるのだから、遠くからでもフィリオ様を感じられる。
だからこそ、遠くから幸せを祈ろう。
そう思っているのに…。
物語は佳境に入っていて、まもなく終わります。
ここまで読んでくれている方、本当にありがとうございます。




