頑なな心
悩んで悩んで…。
それがルシウス先生の出した答えなのですね。
ガッカリはしていない。
仕方のないことだから。
たしかに先生の立場なら当然のことだろう。
分かってる。
だけど、残念ながらその提案を受け入れることはできないのです。ごめんなさい。
私は申し訳ない気持ちになり、目を伏せた。
しばしの間、沈黙が流れた。
「リリアさん…」
ルシウス先生が優しく私の名前を呼んだ。
「…ごめんなさい、先生。私は家に帰りません。フィリオ様とお話しすることは何もありませんから、会う必要もないのです。それに、私になんて会っても困らせてしまうだけなのですから…」
「いやいやいや。会っても困らせてしまうなんて、そんなことないよ。むしろ会って話さなきゃいけないよ。話すことはたくさんあると思うよ?」
「ごめんなさい…。もう帰りません」
「リリアさん、いや、あのね。どうしてなの。いつもは素直なのに、どうしてこの件に関してはそんなに頑ななの?」
ルシウス先生は、私をどうにかして家へと帰そうとしている。
だから私は思う。
どうにかして先生の前から逃げ出せないだろうか、と。
でも外はもうすぐ夜になる。
初めて訪れた街である。ここを出て、すぐに行ける場所に心当たりもない。
朝になれば、様々な交通手段も動き出す。
それまでは何とかして、連れ戻されるような事態を避けなければ。
私はルシウス先生の目を見て、頼み込んでみようと思った。
「先生、お願いです。どうか私を見逃してくれませんか?先生の立場ならそれが難しいことはよく分かっています。けれど、それでも私をこのまま行かせて欲しいのです」
ルシウス先生は明らかに困った表情を浮かべた。
「いやあ。えーとね。立場とか、そんなことはどうでもいいんだけど。でも、それは本当に聞けないお願いというか…。とにかくフィリオ王子と話せば解決するんだよね。だから僕としては、なんとか話してくれないものかって思ってるんだけど…。(誤解してるって、僕から言っていいものかな。でもなあ、当人同士じゃないとダメな気もするしなあ。)」
ルシウス先生の言葉の最後の方は呟きのようになって、私の耳まで届かなかった。
聞き返そうかな?と思って口を開きかけると、ルシウス先生は別のことを言い出した。
「それにね、リリアさん。そもそもの話なんだけどね。遠くの地って言ってたけど、どこに行こうとしているの?行く当てはないんじゃないのかな。旅をしたことのない人間が、がむしゃらにどこかに行こうとするのはとても危険なことなんだよ?場所によっては危険なところもある。女性の一人旅は推奨されていないことは知っているでしょう?いくら男性に変装していても、それだけじゃ防ぎきれないこともあるんだよ。特にリリアさんのはかわいい男の子になってしまってるし、それはそれで危険だよ。だからさ。今回は一旦、家に帰ろうよ」
ああ、そのことだったら…。
「大丈夫です。行く当てならありますよ。私、以前から行きたいと思っていたところがあるんです。船旅になるので、危険物の持ち込みなどは心配もないかと。それに、かわいいですか?それはルシウス先生が優しいからそんな風に見えるだけです。痩せっぽちの子狸くらいにしか思われないですよ」
「子狸…、かわいいじゃない。すぐに捕まってしまうよ。リリアさんは自分を過小評価してしまいがちだよね」
「そんなことないです」
「そこも頑なだよね。じゃあ、その子狸は安全だと思われる船でどこに行こうとしてるの?」
ルシウス先生は私が適当に言っていると疑っているようだ。
言うのを躊躇ったけれど、言わなければこの話は終わりそうもないので正直に話すことにした。
「ノルモンタニューです。行ってみたいんです」
ルシウス先生は一瞬、驚いたように目を見開いた。
?何か変なこと言ったかしら。
「本を読んで?」
「本…?」
「いや、いいんだ。それより、よく知ってるね。辺境の街じゃないか。遠くの地という条件にも合っている。ただ…。たしかにあの辺りでは大きな街だけど、観光地でも避暑地でもないよ。わざわざ王都から何日もかけて行くほど何かがあるわけでもないのに、どうしてなのかな?」
ルシウス先生に『本を読んで?』と聞かれたけど、何の本のことだろう。
私が読んだ本の中にノルモンタニューのことが書かれていたものがあっただろうか。
考えてみたけれど、パッと思い浮かぶものはなかった。
先生が言うように、ノルモンタニューは辺境にあるごくごく普通の街だ。
観光地や避暑地ならまだしも、普通の街をわざわざ特集するような本もあまりないだろう。
王都から行くとなると、速馬車でも数日かかった。
何でも揃っているような王都から行くのは、珍しいことなのかもしれない。
「先生、詳しいんですね。私は昔、とても素敵なところだと聞いたことがあるんです。だから同じ遠くに行くなら、ノルモンタニューがいいなと思いました」
ルシウス先生が、小さく頷いたように見えた。
「そう言ったのは、もしかしてそのペンダントをくれた人かな?たしか大切な人がくれたって言ってたよね」
ルシウス先生に言われて、私は無意識のうちにペンダントに触れていたことに気が付いた。
惚けておきたいことだけれど、多分ルシウス先生は騙されてはくれないだろうと思った。




