温かな夕餉(1)
「そんなに思い詰めた顔、しなくて大丈夫だよ。まずは食べよう?おいしいものは人を幸せにするし、気持ちを落ち着かせるからね」
私とルシウス先生はテーブルに向かい合わせに座っている。
目の前にはおいしそうな料理が並べられていた。
港街らしく魚介を使ったものが多い。
「たくさん食べて元気になってね。疲れなんて吹き飛んじゃうんだから。自分で言うのもなんだけど、とってもおいしいのよ。頬っぺた落ちちゃうかも」
料理を運んできてくれた宿屋の女将さんが、部屋を出ていく時に私に耳打ちしてくれた言葉だ。
女将さんは先生の背中で眠る私を宿のカウンター越しに見て、心配してくれていたのだろう。
お腹は空いている。
でも緊張しているからなのか、それほど食べたいとは思えない。
女将さんが言うようにどんなにおいしかったとしても、そんなに食べられるとは思えないけれど…。
食べてみることにした。
「すいません。いただきます」
私は返事をして手を合わせてから、とりあえず一番手前にあるスープに手を伸ばした。
一口飲んでみる。
「おいしい…」
魚介の旨味が口いっぱいに広がって、私は思わず呟いた。
「あ、表情が緩んだ。よかった。おいしいものを食べると人は笑顔になるよね。そのスープ、おいしいよね。このパンもおいしいよ。焼き立て。ほら、どうぞ」
ルシウス先生は私が取りやすいように、パンの入ったバスケットを持ち上げてくれた。
「ありがとうございます」
私はそこからパンを一つ取り、ひとくちサイズにちぎって口に入れた。
「…おいしいです」
外はカリっと歯切れが良く、中はもっちりして小麦の甘さを感じる。おいしい。
「ほら、こっちの野菜と魚介をソテーしたのもおいしいよ。フライもあるよ」
「はい、ありがとうございます」
そんなに食べられないと思っていたけど、ルシウス先生に次々と勧められるままに私はおいしい料理の数々を堪能していったのだった。
そして、テーブルの上に置かれているものが温かいお茶とお茶菓子になった頃。
ルシウス先生は柔らかな笑みを浮かべながら言った。
「いやあ、おいしかったねー。もうお腹いっぱいだよ。さて。あとは僕たち2人だけになったことだし、誰にも聞かれないよ。おいしいものでお腹も満たされたし、気持ちもだいぶ落ち着いたでしょ。リリアさんの話を聞かせてもらおうかな」
ここで改めて気が付いた。
私の心の状態を考えてくれたのはもちろんのことだけど、食事の途中は給仕の人が来るから、今まで話をするのを待ってくれていたのだということに。
ルシウス先生らしい。
あの乗車場で遭遇してからここまで、隠さなきゃ、少しでも何とか隠せないものかなと思って行動してきたけど。
こんなに先回りして気遣いできる人のことを、私が欺けるわけなんて最初からなかったんだなと思った。
誰にも何も言わず、ひっそりと消えたかった。
私は地味で取るに足らない存在だけど、去り際くらい鮮やかにしたかったから。
だけど、あの肩を叩かれた時から、もうそれはできないことになっていたのね。
でも、ルシウス先生でよかったとも思った。
先生なら頭ごなしに否定したりしないと思うし、しっかりと話を聞いてくれると思うから。
何から話そう。
でもまずは、このことから言おう。
そう思いながら、私は話を始めた。
「私、失格なんです。フィリオ様の婚約者としても公爵家の娘としても…」
自分の言葉に自分で傷ついて、涙が出てきてしまう。
指で涙を拭って、鼻を少し啜った。
「どうしてそう思ったの?」
ルシウス先生は優しい声で問いかけてくれた。
そして、それだけいうと私の次の言葉を待っていてくれる。
それから私は今日のお昼休みに起きたことを、ポツリポツリと話し始めた。
◇
食堂棟の前の広場で、突然ローレンヌ様とラルゴ様とモニカ様に“やっていない罪“で責められた。
やっていないと言っても、ちっとも聞く耳を持ってもらえなかった。
それがとても辛かった。
生徒会長であるフィリオ様がその場に来たけれど、事態は収まることはなかった。
ローレンヌ様やラルゴ様にはその機会が与えたのに、私には一言も発する機会を与えてもらえなかった。
フィリオ様はとても怒っていた。
きっと私に対して怒っていたのだと思う。
その証拠に、私のことを一切見なかった。
話を聞いてもらえない、見ることさえしてもらえないなんて、フィリオ様に信頼されてない証拠だと感じた。
一番信じて欲しかったフィリオ様に信じてもらえなかったことが、何より辛くて悲しかった。
さらに、この一連の出来事は大勢の生徒たちに目撃されていた。
信頼されていない婚約者などいらない。
大勢の前で糾弾されるような醜聞に塗れた娘は、これから公爵家のお荷物になるだろう。
考えた結果、私の居場所はもうここにはないんだと思った。
いなくなってしまうのが最善なことと思った。
それ故に、家を出ることを決意した。
◇
私は話を終えて、テーブルの上に置かれたカップを手に取って一気に飲み干した。
お茶はもう、すっかり冷めていた。
ルシウス先生は空になった私のカップを見て、無言でティーポットから新たにお茶を注いでくれた。
もう一口飲んでみると、お茶の温かさがゆっくりと体に染み渡っていった。
その温かさは、私の冷えた心もじんわりと優しく包み込んでくれるように感じた。




