車中にて
ゴトゴトゴト ガラガラガラ
車内は走行音が聞こえる以外は静かなものだった。
馬車が走り出して最初のうちは、ルシウス先生の質問責めが続くのかな?と身構えていたけれど、そんなことにはならなかった。
私の目指している隣街は、この馬車の速さだと2時間ほどかかる。
もしその間中ずっと質問されていたら、さすがに私も事情を隠しきれなかったろう。
それに、この乗合馬車には私とルシウス先生の他にも3人ほど乗っているのだ。
ここで何かを話すと、その人たちにまで聞かれてしまったことだろう。
家族に迷惑をかけたくなくて出て来たのに、こんなところで変に目立ったら、結局迷惑をかけてしまうことになる。
そう思うとゾッとした。
ルシウス先生も一緒に乗っているということに対しての不安はあるけど、とりあえずはよかった。
馬車は華やかな王都から離れ、長閑な田舎道を進んでいく。
遠くに見える緑の山々、広がるきれいな青空。
初めて見る景色たちに、私はいくらでも車窓を眺めていられそうだなと思った。
だけど、あまり見ていると怪しまれてしまうかも。
お忍びの視察で来ている体になっているわけだから、この景色も見慣れたものだわ、くらいの雰囲気を出さなきゃ。
いくら視察だなんだと言っても、公爵家の娘が、護衛も付けずに初めての街に出るわけがないのだから。
今、ルシウス先生は私の隣に座って静かに本を読んでいる。
それを見て、私も持ってきた本を読むことにした。
鞄から取り出してその本を見ると、あの騒動が起きる前の、平和な今日のお昼休みのことが思い出された。
◇
「きゃ。びっくりした」
貸し出しカードを書こうとしていると、突然ルシウス先生の手が首元に伸びてきて、驚いて声を出してしまった。
「驚かせてごめんね。リリアさんの首元に何か光るものが見えたから、何かなと思って無意識に手を伸ばしてしまったんだ」
え?と思って自分の首元に手をやると、ペンダントのチェーンがあった。
そうか。今日は三つ編みにしてるから、見えやすいのね。
「いえ、大丈夫です。ちょっと驚いただけですから。それと、これは大切な人からもらったものなんです。形見のようなものだから、いつも身につけているんですよ。今日は髪を結っているから見えたんですね」
そう言って、服の中に仕舞ってあるペンダントを取り出してルシウス先生に見せた。
「そうなんだね。とてもかわいらしい、優しい色の石が付いたペンダントだね。よければ少し触らせてもらっても?」
「魔法学の観点から、何かわかりますか?いいですよ」
ルシウス先生はそっとペンダントに触れた。
それほど珍しい物でもないような気がするけど、先生的には何か気になることがあるのかな?
時間にして30秒ほどだったろうか。
ルシウス先生はペンダントから手を離した。
「何かわかりました?」
「いや。ただ昔、自分の母親が同じようなペンダントを付けていたから懐かしくてね」
「そうだったんですか…」
ルシウス先生のお母様との思い出だったのね。きっと今はもう…。
そう思っているとルシウス先生は「母は故郷で元気に過ごしてるよ」と言った。
「なんだ、よかった。先生、変な言い方しないでくださいよ」
2人で笑う。
「そうだ、リリアさん。この本に興味はない?」
そう言うルシウス先生の手には、紺色の小ぶりな本があった。表紙に花の模様が刺繍してある。
私はその本に見覚えがあった。
遠い昔に、大切に思っていた本。
「魔法の歴史について書かれた本なんだ。リリアさん、こういうの好きでしょ。幻の国についての記述もあったりして、かなり面白いよ」
私は見覚えがあることは隠して、興味があると答えた。すると、
「じゃあこれ、リリアさんにあげる」
「いいんですか!?」
「僕の私物だからいいよ。2冊持ってて、誰かにあげようかと思ってたんだ。持ってるのに買っちゃってね。僕は少しそそっかしいところがあるんだよ」
「へえ。知らなかった」
「先生としては、あまり生徒に知られない方がいいことだよね。内緒だよ。ちなみにこの本の表紙、これは実在する花なんだよ。知ってる?」
先生は自分の失態を隠すように、急に話を変えた。
思わず笑ってしまう。
でも知らなかった。あの花は実在するんだ。
あまり見たことのない花だから、何の花なんだろう?とは思っていた。
私は先生が実はそそっかしいというところには触れず、表紙への感想だけ述べることにした。
「見てみたいな」
◇
ほんの数時間前の出来事なのに、遠い昔のことのように思えた。
本をもらった時には、まさかこんな場所で読むことになるなんて思いもよらなかった。
おまけにそれをくれたルシウス先生と一緒に、隣街行きの乗合馬車に乗ることになるなんてね。
こんなの誰も想像できないことだと思う。
ルシウス先生は20代前半の、学校で一番若い先生だ。
しかもこの若さで魔法学の先生をしている。
魔法学と言うものは、魔法全般の知識と実践力が求められる、修めるのがとても難しい学問だ。
そのため、先生も人生の経験値が高い年配者が多いものなので異例なことと言える。
実際、去年までいて定年退職された先生も年配者だったそうだ。
その後を継いで赴任してきたのが若いルシウス先生だと分かった時には、魔法学クラスの生徒たちの間に衝撃が走ったとお兄様が言っていた。
しかも、ルシウス先生はかっこいいのだ。
フィリオ様とお兄様も女子生徒たちに騒がれる麗しい容姿をしているのだけれど、このルシウス先生もそれに負けず劣らず。
当然、女子生徒たちに大人気である。
私がもし魔法学クラスの生徒じゃなかったら、先生と普通に話すこともなかっただろうな。
本をもらうこともなかったし、乗車場で会ったとしても私のことを分からなかったかも。
あ、でも先生も本好きだから、図書カウンターで顔見知りになっていたかしら。
ルシウス先生の方を再びそっと見る。
美しい横顔だなと思った。




