出奔
フィリオの視点が思ったより長くなりました。
リリアの視点に戻ります。
どうしよう…。こっちを見てるよね。
怪しまれてるのかな…。ああ早く早く…。
私は向けられている視線には気付いていないフリをして、乗合馬車が一刻も早く来てくれるよう祈っていた。
誰にも気付かれず、ひっそりと、この街を離れなければならないの。
私の様子を見ているのは、先ほど私の髪を買い取ってくれた理容師さんだ。
いかにも店前の整備をしてるだけですよ〜という風を装っているけど、明らかに道の向こう側からこちらの様子を窺っている。
街には何度も来ているけれど、この辺りまで来たことはない。だから、あの理容師さんは私のことを知らないはずだ。
多分、女の子だとも気付かれていないとは思う。
じゃあどうして見ているのかというと、私くらいの年齢の男の子が乗合馬車に1人で乗ること自体が珍しいからなのかもしれない。
お店を出る前に乗車場の確認をしたのだけど、その時にどこか驚いた様子だったから。
理容師さんは「たしかにあそこで待っていれば馬車は来るけど…。君1人で乗るの?」と言っていた。
「1人だ」と答えると何かと聞かれてしまいそうな気がしたので、そこは何となく愛想笑いで流してお礼だけ言って出てきたけれど…。
うまく流せてなかったのかな。
馬車が来るのが早いか、あの理容師さんが私のところまで事情を聞きに来るのが早いか、どっちだろう。
理容師さんに隣街に行く理由を聞かれたら、何と答えると不自然じゃないのかな。
「実は隣街から来たんです」
いや、それだったら乗車場の場所を知らないはずがないな。
「隣街に親戚がいて、訪ねていくところなんです」
これだったら大丈夫かな。
ソワソワしてしまう。
トントン
そんな風に道の向こう側にいる理容師さんのことばかり気にかけていたら、突如肩を叩かれたのだった。
背後に人が迫っていることも知らなかった。
驚きすぎて、私はすぐに振り返ることもできない。
肩を叩いた人物は私の耳元で言った。
「こんなところで何をしているのですか?リリアさん」
聞き覚えのある声に「え…?」と思いながら、ゆっくりと振り返る。
すると、そこにいたのはルシウス先生だった。
「え…?ルシウス先生…?先生こそどうして?」
聞きながらも、まさか私を探しに来たの?と思って焦ってしまう。
けれど、ルシウス先生は
「僕は用事があってね。これから家に帰るところだよ」
と淀みなくさらりと言ったのだった。
その答え方に嘘はないように思えた。
私を探しに来たわけではないみたいので、ホッとする。
考えてみれば、ルシウス先生のところまで私が家を出たという情報が回るには、もう少し時間がかかるはずだ。
お父様もお母様もお兄様も、使用人のうちの誰だって、まだ今の段階では気が付いていないはずだもの。そうよ。
「それで、リリアさんは何をしているの?そんな格好して、髪もこんな風にしちゃって」
ルシウス先生は、私の後ろで1本に束ねた髪に触れながら言ってきた。
しまった。
探しに来たわけではなくても、私がリリアだと分かっている以上、今の格好は不自然すぎるんだった。
どうしよう、なんて答えればいいんだろう。
ここをどうにかして切り抜けないと。
逆にここで変な言動をして、少しでもルシウス先生に怪しまれてしまえば、家族に連絡されてしまうかもしれない…。
私があれこれ考えて答えに迷っている間に、ルシウス先生はポンと手を叩いた。
「ああそうか。男の子の変装をして、お忍びで街の視察に出て来たのかな?」
答えを待たずに先生は何やら勘違いをしてくれたようだ。
よかった。
なので、私はそのまま話を合わせることにした。
「そう、そうなんですよ」
答えて、エヘヘと愛想笑いもする。
このまま何とかやり過ごしたい。
「そうかそうか、なるほどね。よく似合ってるし、ほんとに男の子に見えるね。かわいい」
ルシウス先生が不意に褒めるものだから、なんだか照れてしまった。
「あ、ありがとうございます」
「ここ、隣街まで行く乗合馬車の乗車場だけど、乗っていくつもりなの?」
私は頷く。
「そうなんです。今日は隣街に行こうと思っているんですよ」
馬車に乗れないのは困るので、ここは嘘をつかずに答えた。
「そうなんだ。いつもこんな感じで街に出て来ているの?」
「そうですね。時々によりますけど、だいたいは…」
今のところ先生に私を怪しんでいる様子はないけれど、質問が止まらない。
それに対して答えていると、そのうちにボロが出てきてしまいそうで怖いなと思っていた。
ガラガラガラガラ
遠くから馬車の音が聞こえてきた。
よかった。何とかやり過ごせた。
乗ってしまえば、もう大丈夫。
これで街を出ていける。
ルシウス先生の質問責めからも逃げられる。
誰にも見られずに行きたかったけれど、ルシウス先生に見られたのは隣街に行くところまで。
そこからまた別のところに行ってしまえば大丈夫だと思った。
乗合馬車が目の前までやって来たので、私は先生に会釈をした。
「では先生。馬車が来ましたので、私はこれで。さようなら」
そう言って車内に乗り込むと、なぜか先生も一緒に乗り込んできた。
私は驚いて聞いた。先生の家は、たしか学校の近くのはず。
「あれ?先生はお家に帰る途中なんですよね」
「そうだよ。だから馬車に乗らなきゃ。用事があって“実家“に帰らないといけないからね」
私の“えー!?“という声に出せない心の叫とともに、乗合馬車は隣街へと走り出した。




