訪問者
リックが出て行ってしまった後、サロンには再び沈黙が流れた。
リックが場の空気を変えようとしたところだったとは言え、公爵から僕に対しては話しかけづらいだろう。
それは僕の方も同じ。
別の話をするのもおかしい気がしたし、だからといって敢えて話題を蒸し返すのも違うかなと思って何も言えない。
僕とマーベル公爵はちょうど向かい合うような位置に座っていたので、前を向くと目が合ってしまう。
なので、横を見たり下を見たりして何となくお互いに前を向かないようにしている。
結果、2人してそれぞれに黙って過ごすことになった。
僕はリリアのことを考える。
幼い頃から親しくしてきたが、婚約の決まった辺りから少し関係性が変化したように思っていた。
リックが言っていたようにリリアはどこか遠慮しているような、一線引いているような、そんな態度を僕に対して示すことがあった。
ただ僕はそれを「兄のような存在から突然婚約者だなんて言われても、なかなかそう思えるものではないよな」という風に捉えていた。
それが分かっていたから僕は、昔から変わらない呼び方で“リリア”と普段は言うようにしていた。
けれど、愛しさで抑えている気持ちが溢れた時には“リリィ”と呼んでしまうことがあった。
そんな時、彼女は困ったような照れたような表情をするのだった。
兄のような存在としては好意を示してもらっている。慕ってくれている。
結婚することは決まっているし、段々に僕のことを好きになってもらえれば、それで良いと思っていた。
呑気な話だ。
リリアの苦悩を感じ取ってあげられなかった自分を恥ずかしく思う。
それほど時間を置かず、リックはサロンへと戻ってきた。
そして戻ってくるなり「リリアの行方の手がかりが見つかった」と言った。
僕も公爵も思わず立ち上がりかけた。
「手がかりがあったにはあったんだけど…。少し座って話しても?」
リックはそう言いながらサロンのソファのところまで歩いてきて、僕の隣に座った。僕と公爵も座り直した。
「父上。まず先にお話しすることがあります。僕とリリアは時折、街に出ていました。それは公爵家の人間としてではなくです。本当の街の暮らしを見たかったから、街の民として」
僕はリックとリリアから聞いていたことだったが、公爵は驚いたようだった。
けれど、何も言わずにリックに話の続きを促す。
「そういった中で、親しくなった人たちがいます。そのうちの1人が理容師のジョルジュさんです。彼をここに呼んでもいいでしょうか?」
公爵は頷いた。リックが僕の方にも視線を向けてきたので、もちろん頷く。
「ジョルジュさん、入ってきてください」
ガチャリと扉が開いて、1人の男性が会釈をして入ってきた。
年齢は30歳くらいだろうか。
理容師らしい、こざっぱりとした風貌の男性だ。
「先ほど僕に見せてくれたものを、ここに」
リックがテーブルを指し示すと、彼は鞄から袋を取り出して、大切そうにテーブルの上へと置いた。
リックはその袋の中身を取り出して、袋の上に置き直す。
見ていて、僕はすぐにそれが何か分かった。
それはリリアの髪だった。
量から考えて、屋敷に置いていった分以外の全てだと思う。
リックは彼にも座ることを勧めた。
すると、執事がサッと座る席を準備した。
「これは今日の午後、王都の外れにある理容店に持ち込まれたものです。店主が買い取って、仕事仲間のジョルジュさんに見せに来たそうなんです。ここまでで間違いはないですよね?ジョルジュさん。この後は説明をお願いしても?」
リックから問われた彼は静かに頷いて話し始めた。
◇
その通りです。
王都の外れにある理容店を経営する彼とは昔から仲良くしているのですが、こんなことは初めてでした。
彼は売主がどんな人物だったのかを教えてくれました。
肩くらいの髪の長さの少年だったと彼は言いました。
10代前半くらいに見えたと。
その子は『僕の姉の髪の毛なんです』と言ったそうです。
たしかに男の子の髪もこれと同じきれいな髪色をしていたので、そうなんだなと思ったと。
ただ女性がこんなにも手入れされた長い髪を切って売るなんて、よほどのことです。
何か事情があるんだろう、そう思った彼は迷うことなく買い取ってあげたのだそうです。
少年はお金を受け取ると『隣街に行くには、そこの乗り場で待っていれば大丈夫ですか?』と聞いてきたそうです。
彼の理髪店の近くには、乗合馬車の乗車場があるのです。
そうだよと教えてあげると、少年は店から出て行ったそうなのですが、彼はどうにも気になったようで。
というのも、その少年くらいの年齢の子が1人で隣街に行くこと自体が珍しいのです。
だから店の外に出て、さりげなく様子を窺っていたのだそうです。
しばらく見ていると、少年はどこか心細そうに立っている。
やはりそのまま行かせないで話を聞こうと思い近付いたところ、他の人物が少年に声を掛けたのだそうです。
少年は最初とても驚いた様子を見せたけれど、すぐにその人物と打ち解けたようでした。
知り合いなのかな?と考えているうちに乗合馬車も到着して、2人は乗り込んで隣街に行ってしまったんだと言っていました。
あのまま何も聞かずに行かせてしまってよかったんだろうか。
あの人物は本当に少年の知り合いだったんだろうか。
自分は何か、大きなことに関わってしまっているんじゃないか。
彼は心配になって、私のところに意見を求めに来たのです。
私はこの髪を見て、彼の話を聞いて、心配になりました。
リリアちゃん…リリア様の髪に驚くほど似ていたものですから。
売りに来たのは、本当に少年だったのだろうかとも思いました。
そのため、こちらに参りました。
私の考えたことがただの間違いならば、リックくん…リック様のご迷惑になることは分かっていたのですが。
それでも確かめないわけにはいかなかったので、参りました。
◇
話が終わると、リックが続けた。
「そういう訳なんだ。僕は、ジョルジュさんの推測は合っていると思う。これはリリアの髪だし、売りに来て、乗合馬車に乗って隣街へと行ったのもリリアだと」
公爵は頭を抱えて「隣街…。ここでいくら探しても分からなかったわけだ…」と言った。
僕も話を聞いていて、リックと同意見だった。
リリアは隣街まで行ってしまったのだ。
謎の人物と共に。




