親心
コンコンコン
リリアの部屋の扉がノックされた。
リックが扉の方を向いて返事をする。
「はい」
「リック様、ご主人様と奥様が戻られました。話したいことがあるそうですが、こちらでよろしいでしょうか」
ノックしたのはマーベル公爵家の執事だった。
「いや、ここには座る場所もそれほどない。できれば場所を変えたいと思う」
たしかにリリアの部屋の座る場所は、それほど多くない。
今僕たちが座っているソファに3人掛けて、あとは机のところにある椅子を持ってきて。
それで4人で座って話せるかな、と言ったところだ。
「畏まりました。ではサロンがよろしいかと思いますので、すぐにご準備致します。リック様とフィリオ様もご準備が出来次第お越し下さいませ」
「分かった。ありがとう」
リックはそう返事をすると、こちらに向き直って神妙な面持ちで言った。
「父上と母上だけが帰ってきたということは、まだリリアは見つかってないということだろうと思う。公爵家の令嬢が準備もなしに、それほど遠くまでは行けないと思ったけれど…。どこにいるんだ…」
公爵夫妻が連れ帰ってくれることを期待していたこともあり、僕も落胆した。
心配で心配で胸が潰れた。
サロンに入ると、マーベル公爵が僕らを待っていた。
「リック…。フィリオ様もこんな時間まで…」
そう言って頭を下げた。
「いや、そんなことはいいんだ。リリアは?リリアは見つかったか?」
答えは分かっているが、僕は尋ねずにはいられなかった。
するとやはり、公爵は首を横に振った。
「それがどこにも。思いつく限りは探したのですが、痕跡すらない状態で…。それほど遠くまでは行けないだろうと考えていたのですが…。妻も大変ショックを受けており、このままでは倒れてしまうので休ませる為に一旦戻ってきたところなのです」
「そうか…」
捜索に王宮の騎士たちも動員できればいいのだが、そうすると大々的なことになってしまう。
失踪したという話が世間に広まってしまう可能性があるので、リリアのためにも内密に探す方がいいだろうと思われた。
それぞれがリリアのことを思って、考え込んでいる。
しばし沈黙の時間が流れた。
リリア。
僕の指輪を持っていてくれたら、今すぐにでも迎えに行けただろう。
「お守りに、いつも着けていてね」って言ったのに。
どうしてリリアは僕から婚約解消されるなんて考えたんだろう。
それも、それは決定事項だと確信を持っていた。
そんなこと僕が絶対に望まないことなのに。
沈黙を破ったのはリックだった。
リックは視線を前方にある壁に向けたまま話し始めた。
「父上。僕はリリアの手紙を読んで、それからフィリオと話して、気が付いたことがあります。今回のリリアの行動は、そもそも父上に原因があると思いますよ」
公爵は腿のあたりに置いて組んだ手先を見ていたが、顔を上げてリックの方を見た。
「私に原因が?」
「はい。父上はお気付きではなかったのでしょうが…。だから悪気があったとは思っていません。けれど…」
リックは一度話を切って、改めて公爵に視線を向けた。
「父上は、リリアにフィリオとの婚約のことをどう説明しました?婚約が決まった時のことです」
「どうって…。フィリオ様と婚約が決まったよと」
「それだけですか?」
「それだけ?……」
僕はリックと公爵のやりとりを見守っている。
公爵は何か考え込んでいるようだ。
リックは問い質すように続けた。
「何か他に言っていませんか?」
少しして、公爵はハッとしたような顔をした。
「…言った。この婚約は仮のものだよ、と」
「やっぱり」
それだけ言うと、リックは溜息を吐いていた。
公爵の告白に僕は驚くばかりだった。
「僕は仮の婚約だなんて言ってない。間違いなく正式な婚約だと思っている。マーベル公爵、どういうことなのか説明してもらえないだろうか?」
公爵は申し訳なさそうにして、話し始めた。
「リリアに婚約のことを話した時、戸惑っているように見えたんです。無理もない。まだ9歳の女の子なのですから。将来の王妃になるなど責任が重すぎることでしょう。だから、もう少し軽く考えていいんだよ、そんな意味を込めて仮のものだと言いました。『フィリオ様もたくさんの候補者達と会うことに疲れてしまったんだよ。だから、よく知っている幼なじみのリリアに白羽の矢が立ったんだろうね。そんなに重く考えることないよ。まだ正式ではなくて、仮とでも思ったらいい。もしリリアに好きな人ができたら、その時はきっと、解消だって可能だよ。婚約を結び直すことだってできるよ』と」
「マーベル公爵…」
僕は話を聞いて、あの当時のことを思い出していた。
僕としては、初めからリリアだけだった。
なので他の候補者に会う必要もなかったのだが、マーベル公爵に婚約のことを申し入れたら。
「殿下。いくらリリアが良くて、もう決めているとしても。他の候補者にも会わなくてはダメですよ。みんなこの機会を待っていたんですから。他の候補者とも会った上で、それでもなおリリアがいいと思ったのなら。その時は私もリリアとの婚約を受け入れましょう」
そんな風に言われたのだった。
あの時は「確かに」と思ったが、これは…。
「マーベル公爵。あなたは僕とリリアの婚約に反対だった?」
そう問うと、公爵は両手をブンブンと振った。
「いえいえ。決してそのようなことは。今も昔も変わらず賛成しております。ただ…。あの時はまだ10歳にもなっていない、可愛くて仕方がない娘を、王宮へと送り出すことが心配で心配で。その思いから言ってしまったことなのです」
心配から、そんな風に言ってしまうのも無理はないだろうなと思えた。
僕が公爵に言葉を返す前に、リックが反応した。
「父上…。だからといって、もっと他に言い方があったでしょう。リリアはそのせいで、自分は仮の存在なんだと思い続けてしまって、悩む必要のないところで悩んできたんですよ。いつも一歩引いたような態度を取っていました。『ご迷惑にならないように』とよく言っていました。そんな様子を見る度に、どうしてだろう?そう思っていたんです。今回も“仮の存在”と思っていなければ、ここを出て行こうなんて考えなかったはずです」
そう言われて、公爵はガックリと首を垂れた。
「とまあ、色々と言わせてもらいましたけど。今は何よりも、リリアを探し出すことが先です。父上も反省は後でしてください。ここからは作戦会議をしましょう」
リックはこの場の雰囲気を一新させるように、パンパンと二度手を叩いた。
コンコンコンコン
サロンの扉が誰かにノックされた。
「リック様、お話中に申し訳ありません。屋敷の外に『リック様に会わせてほしい。どうしても伝えなければならないことがある』と言って、来ている者がいます。理容師のジョルジュと言えば分かると」
理容師のジョルジュ?僕には聞き覚えはない。
公爵も同様のようだった。
だが、リックには分かったようだった。
「分かった。今行く」
そう言って、リックはサロンを出て行った。




