回想
「…フィリオ、フィリオ」
リックからの何度目かの呼び掛けで、僕はやっと我に返ることができた。
リリアからの手紙を読み、僕はショックのあまり放心してしまっていたようだった。
「フィリオ、大丈夫か?」
リックは僕を心配するように顔を覗き込んできた。
こんな風にしてもらう資格が、今の自分にあるように思えない。そう思うとまた涙がこみ上げてきた。
「…リック、すまない。…本当にごめん…。リリアが出て行ったのは…僕のせいだ…」
僕は声を絞り出すようにして言い、頭を下げた。
このようなこと、頭を下げるだけでは全然足りない。
涙があとからあとから溢れてくる。
リックは僕の左隣に腰掛けて、左肩をポンと叩いてから言った。
「フィリオ、違うよ。何か、行き違いがあっただけだと思うんだ」
僕は顔を上げて、リックの方を見た。
そこには先ほどまでの刺々しさが消え、気安さを感じられる、いつものリックがいた。
「リリアから僕たち家族に宛てられた手紙を読んだ時には、フィリオに何らかの酷い態度を取られて、それにショックを受け、思い詰めて出て行ったと思ってしまったんだ。でも、今はちゃんと分かる。フィリオがそんなことするはずがないんだよ」
僕はリックの目をしっかりと見て、頷いた。
「だからフィリオ。今日、何があったのかを教えてくれないか。フィリオの目から見て、何があったのかを」
僕は今日のことを思い出しながら、順を追ってリックに話していくことにした。
今朝、マーベル公爵とリックが王宮に来ることを知っていた僕は、リリアを公爵邸へ迎えにきた。
リックがいないため、1人で登校しようとしていたリリアは、僕が迎えにきたことに驚きながらも喜んでくれたように思う。
学校へと向かいながら話していると、リリアは『風邪が流行っているようだから、フィリオ様も気を付けて』というようなことを言ってくれた。
僕の周囲ではそんな話題が出ていなかったこともあり、気になって詳しく聞き出すと、休んでいるのはリリアが特に仲良くしている2人の令嬢とのことだった。
僕とリックとお昼を食べていない日に、リリアが一緒に過ごしている2人だ。
1人は一昨日から、もう1人は昨日から休んでいるとのこと。
仲が良いから同時期に風邪をひいてしまったのかな、とも思えるが、何となく引っ掛かりを感じた。
考え込んでいると『今日のお昼はフィリオ様と2人ですね』とリリアから言われて、自分がリリアを迎えにきたもう一つの理由を思い出した。
今日は昼休みに緊急で生徒会の会議があるため、リリアと過ごせない。
だから少しでもリリアに会いたくて、こんな風に迎えにきたのだった。
昨日、例のローレンヌの事件でこれまでとは性質の違うことが起きた。
これまでは物が盗まれるだけで直接本人に被害はなかったのだが、昨日は物陰から現れた人物に突然手を掴まれたのだ。
護衛のような形で近くにいたラルゴが気付き、事なきを得たが、もしローレンヌが1人でいたら大変なことになっていたかもしれない。
それにいつもは犯人がすぐに捕まるのだが、今回は物陰にいた犯人に逃げられてしまい、その姿を見ている者もいなかったのだ。
新たな事態であるため緊急に生徒会内で情報共有する必要があり、リックは不在だが会議が開かれることになったのだった。
僕はリリアに用事があることを伝え、お昼を一緒に過ごせないことを謝った。
リリアは1人で大丈夫だと言ってくれたが、僕が心配だったため、食堂より人の出入りの多くない図書館に行くことを勧めたのだった。
リリアには気付かれないように護衛を付けるが、人の出入りが激しい場所だと距離を取って護衛するため、守りきれない可能性がある。
昼休みに入り、僕は会議をしつつもリリアのことを気にかけていた。
寂しい思いをしていないだろうか?
リリアが入学してから2ヶ月ほど経つが、昼休みを1人で過ごしたことはなかったはずだ。
心細い思いをしているのではないか?
そう考えると心配に拍車がかかってしまい、僕はリリアに贈った指輪の“ある機能”を使ってみることにした。
これまでは使ったことがない、使用者の喜怒哀楽の感情を知る機能を。
指輪の現在位置は図書館を示していた。
提案したものの選択するのはリリアだから、本当はどこで過ごしたっていい。
図書館は少し遠いので面倒に思って行かないことも考えられたが、僕の提案を素直に受け入れてくれたことを嬉しく思った。
そして波長を合わせみると、すぐにリリアが現在抱いている感情を感知することができた。
とても楽しい、嬉しいと思っていることが伝わってくる。
本当に図書館が好きなんだなと思い、僕は会議中なのに笑みを浮かべてしまいそうになって慌てて口元を隠した。
あまりにも嬉しそうだったから、周囲の音声も聞いてみたくなってしまった。
さらに指輪に波長を合わせると、リリアの声が聞こえた。誰かと話しているようだ。
「いいんですか!?」
「………」
「へえ。知らなかった」
「………」
(笑う声)
「見てみたいな」
相手の声は聞こえなかった。もう少し感度がよかったはずだが、初めて使った機能のため分からない。
元々はリリアが何か危険な目に遭った場合に使う機能であるから調整は必要なものの、今は問題ないだろう。
こんなに楽しそうなら、リリアに危険はないように思う。
やきもちという意味では、相手が誰かは知りたいが。
ともあれ当初心配していたような寂しい思いもしていないようだし大丈夫だということで、僕は会議に意識を戻した。
会議が終わり、生徒会メンバー達とそろそろ教室に戻ろうかと話していた時。
リリアに付けた護衛騎士のうちの1人が、少し慌てた様子で生徒会室にやってきた。
すぐにリリアに何かあったのだということが分かる。
駆け出しながら話を聞くと、リリアがローレンヌ達からやってもいないことで責められているらしい。
僕は怒りが込み上げた。
心細いだろう。
すぐに行って、リリアを助けてあげなければ。
食堂棟の前の広場には人だかりが出来ていた。
護衛騎士によると、この中にリリアがいるとのことだった。
急ぎ近寄っていくと、男の怒鳴る声が聞こえてきた。
そして、それと同時に酷い臭いを感じた。
実は、魔力には人それぞれ異なった香りがある。
魔力があれば、基本どの魔法でも使えるのだが、適性というものは存在する。
「水の適性を持つ者は火の魔法も使えるが、水の魔法の方がより力を発揮できる」といったようなことだ。
その適性によって香りの傾向があるらしいのだ。
どれも良い香りで、適性と魔法があっている場合は特に良い香りがした。
魔力量が多いと、その香りを感知できると言われていて、僕は感知できる人間だった。
このドブ川のような酷い臭いは、魔力由来のものだ。
その証拠に、人垣を作っている生徒達に気付いている者がいる様子はない。
魔力を持たない者が無理に魔法を使っているため、このような臭いを漂わせているのだと分かった。
やはり使っていたのだ。
この人垣の中に黒の丸薬の使用者、つまりローレンヌ事件の黒幕がいる。
僕は黒幕の正体を突き止めるため、気を引き締めた。
「これは何事だ」と声を上げて、人垣をかき分け中心へと向かう。
すると、リリアの姿が見えた。とても心細そうにして立っている。
すぐに側に行って、大丈夫だよと言ってあげたい。
けれど、すぐに行くことはできなかった。
黒幕は今までどんなに探しても、尻尾を出してこなかった。
僕が来たことによって、この場でも逃げることを考えたのか、酷い臭いが薄らいだのだ。
少しの隙があれば逃げられてしまう。
酷い臭いを発している主の気配を追わなければならない。
臭いは、ローレンヌ達の側から発せられていた。
黒幕の候補者は絞られた。




