第55話 過小評価
翌日朝食を済ませたレンは室内練習場へと足を運んでいた。室内練習場の扉を開けて室内に視線を巡らすと、ストレッチをしている千尋と亜梨紗の二人の姿があった。
「すまない。待たせたかな?」
二人の姿を視界に収めたレンは二人に近寄ると待たせてしまった事を詫びる。
「いや、私達も今来たところだよ」
「うんうん。レンちゃんも一緒にストレッチしよっ」
謝罪をを口にしたレンに対して、大して待っていないから気にするなとストレッチをしたまま言う千尋の台詞を後押しするように亜梨紗はレンをストレッチに誘う。
「あぁ。それじゃ隣失礼するよ」
千尋と亜梨紗から一定のスペースを保ってストレッチを始めたレンは亜梨紗に声を掛ける。
「亜梨紗、少しは頭冷えたかな?」
「あはは。さすがにあれだけ言葉の冷水を浴びせられたら頭もさっぱりするよ」
レンの質問に亜梨紗は苦笑を浮かべながら肯定する。
昨日の夜に室内練習場で何かを振り払う様に一人黙々と投げ込みをしていた亜梨紗は、レンと千尋に見つかり説教されていた。いくら試合で登板していないとはいえ、ブルペンで投球練習はしていたので肩や肘には疲労が溜まっている。その上大会期間中は限られた投手陣で過密日程を戦わなくてはならないのだ。怒られて当然である。
「まぁでも、加藤の気持ちはわかるよ。だからって見逃しはしないけど」
「ちーちゃん・・・・・・」
千尋のフォローしているのか、していないのかわからない言葉に亜梨紗は複雑そうな表情を浮かべる。
「見逃しても加藤にとってもチームにとっても良い事ないから」
「うぅ。ごめんなさい」
昨日の説教を思い出したのか、いたたまれない気持ちになった亜梨紗は肩を落とす。
「まぁ、亜梨紗が思いを打ち明けてくれたんだ。出来る限りの協力はするさ」
「うぅ。レンちゃ~ん」
「はぁ~。また出た天然女誑し」
確りとフォローするレンに亜梨紗は騎士に助けられたかの如く潤んだ瞳を向ける。
二人のやり取りを見せられた? 千尋の口から溜め息と共に零れた呟きは二人の耳には届かなかった。
そもそ三人が室内練習場に集まっている理由は昨日の夜に遡る。
◇ ◇ ◇
「・・・・・・あのね」
一人で投げ込みをしていた事を咎められた亜梨紗は、重くなっていた口を開いて自身の心境を告白した。
「自分でも良くわからないんだけど、多分今大会中私だけまだ出場してない事に焦っているんだと思う」
自分自身まだ整理がついておらず、心にある痼の正体に振り回されていたのだ。自分でも良くわからない複雑な心境を紛らす為に無我夢中で投げ込みをしていたのだろう。
「おかしいよね。中学の頃からまともに出番何てなかったのに、いつの間にこんな傲慢になってたんだろう」
亜梨紗は自分の実力を客観的に把握している。自分が戦力にならない事は自分が一番わかっているのだ。
それでもベンチやブルペンから仲間が奮闘している姿を間近に見て自分も一緒に戦いたいんだと思い上がってしまったと亜梨紗は口にする。
恐らく決定打となったのは純が出場した事だろう。野球を始めたばかりの純が出場して結果を残した事で亜梨紗の中で焦りが生じたのだと思われる。
「傲慢って言ったら確かに傲慢だけど、そもそもの前提が間違ってる」
腕を組んで説教モードのままである千尋が指摘した事はもっともだ。彼女が言う様にそもそも鎌倉学館でなかれば一年生組は試合に出る事はおろか、ベンチに入る事すら出来なかったであろう。一年生を使わなければならない程人数不足だったのだ。なので鎌倉学館だからこそ一年生組は試合に出場する事が出来ているのだ。
レン、セラ、澪の三人なら強豪校にいても背番号を貰えていたかもしれない。後は代走要員として慧も背番号を貰える可能性はあるかもしれないが、それはあくまでも監督やチーム方針次第なのでタラレバである。
そもそも余程の実力や監督からの期待が無い限り、三年生が引退する前のこの時期に一年生が背番号を貰える事自体が珍しいのだ。
事実鎌倉学館が今大会で対戦した相手の中でベンチ入りメンバーに一年生がいたのは藤院学園の森だけである。
「確かに・・・・・・」
千尋の説明に納得する亜梨紗の表情が僅かに緩む。
「亜梨紗はさ。自分の事過小評価しているけど、私は亜梨紗の事凄いと思っているよ」
「え?」
お世辞やその場凌ぎのフォローではなく、レンは本心で亜梨紗の事を凄いと思っている。
「私、レンちゃんや澪ちゃんみたいに速い球も凄い変化球も投げられないよ? 制球力も普通だし」
亜梨紗の最速は一一〇キロ台中盤である。確かに決して速くはないが、一年生のこの時期だと考えれば特別遅くもない。同級生の投手がレンと澪なので感覚が麻痺しているのかもしれないが、この二人はスーパールーキーなので比べる方が間違っている。澪は世代ナンバーワン左腕であり、レンはプロと比べても最速クラスだ。
「亜梨紗の秀でたところは多才な変化球だよ。確かにどれも優れた変化球ではないけど、数多くの球種を全く同じフォームで投げられるのは才能だと思う」
亜梨紗の変化球はどれも決め球になる代物ではない。変化量、キレ、ノビ、どれをとってもいまいちだ。だが、亜梨紗は数多くの変化球を全て全く同じフォームで投げる事が出来る。これは得難い才能だ。
良く投げられる球種の話を耳にする事があるが、それはどの球種を投げてもフォームを変える事なく投げられる球種の話だ。
同じフォームというのは、球種によって投げる時に腕の高さ角度、歩幅など投げる為に必要な動作がどんな球種を投げても寸分違わずに投げられるという事だ。
例えばレンも投げようと思えばシンカーを投げる事は出来る。だが、シンカーを投げると腕の高さや角度がどうしても変化してしまうのだ。
投げられるのならフォームが変わっても別に良いのではないかと思うかもしれないが、少しでもフォームが違うだけで相手に球種を読まれてしまう。練習や遊びで投げる分には構わないが、到底実戦では使えない。是非打って下さいと言っている様なものだ。
その点亜梨紗は数多くの球種を全く同じフォームで投げる事が出来る。これを才能と呼ばずに何と呼ぶか。しかも彼女には現在の持ち球だけではなく、更に投げられる球種がある片鱗を練習中に見せている。
今現在でもフォーシーム、ツーシーム、スライダー、カットボール、カーブ、スローカーブ、フォーク、チェンジアップ、シンカー、シュートの一〇種類の球種を持ち合わせているのにである。とんでもない才能だ。一体将来的に何種類の球種を投げられる様になっているのか末恐ろしいが見物である。
球種が多いというだけで打者は的を絞り辛くなる。
確かに亜梨紗には速い球を投げる才能はないかもしれない。速い球を投げるのには持って生まれた身体的なポテンシャルが必要なので努力だけでは限界がある。
優れた変化球も努力だけでは抗えない持って生まれた才能が関わってくる。手の大きさ、指の長さ、柔軟性など要素は多岐に渡るが、それらの要素に恵まれなかったのは厳しい現実だが仕方のない事実だ。
だが、それでも努力次第で限界値まで向上させる事は出来る。それに亜梨紗には数多の球種を投げられるという得難い才能があるのだ。
「加藤がまず重点的に取り組むべきは制球力の向上だと思う」
亜梨紗程多くの球種を投げられる投手が精確な制球力を持ち合わせていたら厄介だろう。
「もちろん球速のアップや変化球の練習も大事だけど、まずは制球力を鍛えよう。そうすれば少なくとも私がリードする限り加藤は優れた投手になれる」
自分が捕手として亜梨紗を勝利投手にさせると断言する千尋の言葉には自然と納得させるだけの重みがあった。
千尋も言葉にはしないが、投手としての亜梨紗を捕手として認めているという事だろう。自分が認めた投手は女房役として勝たせて見せるという気概を感じる雰囲気を醸し出している。
「とにかく今日はもうお風呂に入って休む事。捕手命令。」
「・・・・・・うん。わかったよ」
自分の気持ちを吐露する前より幾分か表情が軽くなった様に見える亜梨紗は、レンと千尋に片付けを手伝って貰う。
「練習内容とか今後の事は明日改めて考えよう」
「私も付き合うよ。大丈夫。亜梨紗の力が必要な時が必ず来るよ。その時の為にも一緒に頑張ろう」
千尋の提案と、それに乗ったレンの言葉を受けて亜梨紗の顔には笑顔が戻っていた。
「うん。やっぱり亜梨紗には笑顔が似合うね」
「えへへ」
「天然女誑し」
レンの言葉で場が和むと、三人は室内練習場を後にしたのであった。
ちなみに千尋の呟きは二人の耳には届いていなかった。
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