第52話 詰問
試合後、寮へと戻った鎌倉学館野球部の面々は各自自由に過ごしていた。
そして、日も沈み街中が照明で照らされ煌々と光輝く時間、三年生組の涼と春香は浴場で湯に浸かっていた。試合の疲れを洗い流すかの如く風呂を堪能している。
「いやぁ~、それにしてもまさか私達が藤院に勝ってベスト一六入りとはなぁ」
全身を脱力して湯に浸かっている涼が感慨深げに呟く。
「そうね。ちょっと前まで部員が足りなくて試合も出来なかったとはとても信じられないわ」
湯に浸かりながら念入りに肩や腕を揉みほぐしている春香も同意を示すと、涼の口からは本音が零れる。
「正直ここまで来れるとは思っていなかったから既に満足している自分がいるよ」
両手で掬ったお湯を優しく顔に浴びせると、続きの言葉を紡ぐ。
「だが、もっと上の景色を見たいと思っている自分もいる。それに今私達がここまで来れているのは一、二年のおかげだ。だからこそ、あの娘達をもっと勝たせてやりたい」
野球部は数ヵ月前まで人数不足で試合を行う事すらままならない状態だった。その様な状況の中で涼と春香は高校での野球部としての活動は半ば諦めていたが、それでも大学で野球を続ける為に練習は欠かさずに行っていた。
そんな中、理事長兼学園長である綾瀬から、これからは野球部に力を入れると伝えられた。その言葉に二人は僅かな希望を胸に抱いたのだ。
そして野球推薦で入学した有望な新入生が二人入部しただけでなく、他にも五人入部した事により試合を行う事が出来る様になったのだ。
それでも二人の心境としては、正直ベスト一六まで残れるとは思っていなかった。しかも藤院学園を下してだ。それも当然であろう。元々強くも何ともない上に人数不足で試合を行う事すら叶わなかった高校だ。大方の見方だと精々初戦突破、良くても二回戦突破、三回戦突破で大金星という認識だろう。
それでもベスト一六まで残れたのは勢いに乗れたのもあるが、ポテンシャルの高い一、二年生達のお陰だと涼と春香は思っている。もちろん、涼と春香も自分の役目は確りと果たしている。
だからこそ涼は後輩達の事だけではなく、強豪校になる事を目指している現在の野球部の今後の事を考えても出来る限り上の舞台を踏ませてやりたいと思っている。経験は大事だからだ。一度経験しておくのと未経験とでは全然違う。心構えやプレッシャーとの向き合い方には経験値が必要だ。
「そうね。私達に出来る事はどんなに些細な事でも全うしましょう。少しでも力になれるのなら惜しみ無く力を尽くすわ」
穏和は表情の中にある確固たる意志の籠った眼差しを涼に向けて宣言する春香は、茶化す様に続きの言葉を口にする。
「もっとも、私は恐らく次の五回戦では出番はないと思うけれど」
「ははっ。確かにな」
春香の言葉に涼は笑いながら軽く手で湯を飛ばして春香に掛ける。
春香は四回戦で先発しているので、次戦はローテーションで澪が先発する予定だ。中継ぎ《リリーフ》も真希と亜梨紗がいる上にレンもいる。余程の事がない限り春香の出番はないだろう。
そうして二人はその後も和やかに湯を堪能するのであった。
◇ ◇ ◇
涼と春香が浴場で湯を堪能している頃、室内練習場の照明が灯っていた。
レンと千尋は寮に複数ある談話スペースの一つで今日の投球内容について反省会をしていたが、一段落したところで室内練習場の照明が点いている事に気付く。
そして互いに視線を通わせて頷くと、様子を見に室内練習場へと歩を進めた。
「こんな時間に誰かいるのかな?」
「さぁ? 行けばわかる」
「そうだね」
歩きながら首を傾げて疑問を口にするレンに対して、横を歩く千尋は淡々と答える。千尋の答えにレンは苦笑を浮かべると、千尋の言う通り行けばわかると気を改めて室内練習場への歩みを少々速めた。
二人が室内練習場へ近づくにつれ微かに室内の音が聞こえてくる。
レンが取っ手に手を掛けて扉を開くと、そこにはピッチングネットに向かって黙々と投げ込みをしている亜梨紗の姿があった。扉の側から亜梨紗の様子を窺うと、額から汗が流れて頬を通り顎から垂れ落ちているのが見てとれる。
投げ込みを続ける亜梨紗の姿を見かねたのか、千尋が歩み寄って声を掛ける。
「加藤」
声を掛けられた亜梨紗は一度千尋へと視線を向けると、投球を止めて振り返った。
「ちーちゃん。それにレンちゃんも」
相応の数投げ込みをしていたのか肩で呼吸をしている亜梨紗は、乱れた呼吸を整える為に一度深呼吸を行う。呼吸を整えると亜梨紗はレンと千尋に用件を尋ねる。
「二人ともどうしたの?」
「いや、それはこっちの台詞」
亜梨紗の問いに千尋はすかさずツッコミを入れる。
ツッコミを入れられた亜梨紗はキョトンとした表情で首を傾げると、千尋は呆れた様に溜め息を吐き、レンは苦笑を浮かべた。
「こんな時間に一人で投げ込みをしていたのかい?」
「え? うん」
辺りを見回してからレンが尋ねると、亜梨紗は話の展開について行けずに一瞬頭上に?マークを浮かべるが、話の内容を理解すると肯定の意を伝えるべく頷いた。
ピッチングネットに溜まっているボールや辺りに転がっているボールの数に目を向けると、千尋は少々目付きを鋭くして亜梨紗に問い詰める。
「何球投げた?」
「え、えーっと・・・・・・」
千尋の目線に若干たじろぐ亜梨紗は言葉に詰まりながらも確りと返答する。
「か、数えてない」
「そう」
千尋は亜梨紗の答えに肩を竦めると、再び散らばるボールに視線を向ける。そのまま数秒沈黙が続く。亜梨紗にとっては異様に長く感じ、何故かいたたまれない心境になった頃、千尋が口を開いた。
「ぱっと見た感じ確実に一〇〇球は越えているし、多分二〇〇球以上投げてるね」
先程よりも一段と目付きを鋭くした千尋は亜梨紗に突き刺す様な視線を向ける。
「一体何を考えているの? 仮にオフシーズンでも投げ過ぎなのに、今は大会期間中だよ? 調整程度なら兎も角、腕や肩に負担の掛かる事をするなんて投手としての自覚が欠落しているとしか思えない。馬鹿なの?」
千尋の口からは辛辣な言葉が出てくるが、彼女の厳しい言葉はもっともだろう。
投手として大会期間中に過度は練習で疲労を溜める事を自ら行うのは自覚が足りないと説教されても仕方がない。
それに千尋は捕手だ。捕手として投手の事を常に気に掛けている。だからこそ亜梨紗の行いは千尋にとっては残念でならない。捕手として投手には万全の状態でマウンドに登ってもらい、自分が十全に力を引き出す事に責任感を持って臨んでいる身としては決して他人事にはしていられない。
「・・・・・・ごめん」
千尋の痛い所を突かれる図星だらけの言葉に亜梨紗は肩を落とす。千尋の気持ちが伝わったのか申し訳なさが滲み出ている。
「亜梨紗、何かあったのかい?」
二人の様子を見かねたレンは、この際なので二人の間に入って率直に尋ねた。
レンは屋内練習場の扉を開いた時に見た亜梨紗の様子に違和感を覚えていた。何かを振り払うかの様に一心不乱に投げ込みをしている様に見えたのだ。
「言いたくないなら言わなくても良いけど、千尋も心配しているんだ。納得の行く答えが欲しいかな」
レンの選択権を与えている様で実質選択権のない言葉に、暫し沈黙して考え込んでいた亜梨紗は観念した様に深く溜め息を吐いた。
レンのやり方は少々強引なのは否めないが、時には強引なのも必要だ。
「・・・・・・あのね」
そうして、亜梨紗は自身のやり場のない心境を絞り出す様に吐漏していくのであった。




