第47話 読み打ち
九回表の攻撃は七番の千尋から始まり、右打席に立つ彼女は齊藤と相対する。
齊藤が初球に投じたのはインローへのカーブだ。
カーブはストライクゾーンの際どいコースへと吸い込まれていく。
(際どい)
ストライクゾーンに入るか入らないかといった見極めの難しい球を千尋は見送る。ボールを朝居が捕球すると、球審はボールとカウントした。
朝居がボールを齊藤へ返球するのを尻目に、千尋は朝居のリードを読むべく思考を巡らす。
(次は速い球? それとも、もう一球遅い球を続ける?)
千尋の打撃は読み打ちだ。
打撃の特徴を大まかに分けると「反応打ち」と「読み打ち」がある。
基本的に「本当に何も考えないで純粋に反応だけ」で打席に立っている打者はいない。
反応打ちの多くはフォーシームのタイミングで待ち、変化球なら少し下半身を遅らせてバットを出すというのが基本になる。タイミングはフォーシームで変化球に対応していくのだ。
このタイミングの取り方は、相手投手のレベルが一定以下ならば可能である。しかし、野球のレベルが上がれば当然投手のレベルも上がる。そうなれば、打者で反応打ちを出来る者は一部の一流選手だけになる。
誰しもが反応打ちを出来るのならば、プロ野球にはスコアラー――相手選手の特徴やデータの収集分析役――は必要なくなってしまう。
もちろん、どんな球にも対応出来る超一流の打撃を出来れば誰も苦労はしない。
しかし、ストレートのタイミングで待っていて変化球に対応しようとしても、結局は変化球で打ち取られる打者は多い。
それならば、打てる確率を上げる為に捕手の配球を読んで、「あのボールが来たら打つ!」というのが読み打ちになる。
ツーストライクに追い込まれるまでは、配球をある程度予想して待つのが基本だ。
得意な球種とコースを待っていても、そのボールが来なかったら打てない。なので、来るであろうボールを予想して打つ技術になる。
ヤマを張る打撃とも言えるだろう。
プロ野球のドラフト一位の目玉と言われる選手でも、最初はプロの投手の壁にぶつかる。
速いフォーシームや変化球などを駆使され、緩急を付けた投球でタイミングを崩されて打ち取られてしまう。
なかなか自分のタイミングで打たせてもらえないのだ。
自分のタイミングで待っていても打てないのであれば、相手投手に合わせた読み打ちで来るボールを予想し、そのタイミングでバットを振っていける。という事になる。
もちろん読みがはずれる事も多いが、球種かコースを絞れば自分の打撃がし易いという訳だ。
例えば、球種に的を絞って予想が半分当たれば五割の読みが出来る。
五割の読みが出来たと仮定して、そのボールをしっかりと捉える事が出来れば、打率も上がってくるという理屈だ。
追い込まれるまでは配球を考える。配球の読み方と言っても、球種もコースも両方ドンピシャで読める事は少ない。
なので、読みの確率を上げる為に、以下の様にある程度絞って読む事が大切だ。
一 球種で読む
フォーシームなのか? 変化球なのか?
変化球ならば「スライダーやカーブ系」なのか?
それとも「フォーク、スプリット、チェンジアップ」系なのか?
横に曲がる系か? それとも縦系か? で対応すれば良い。
二 コースで読む
試合状況や前の打席の配球などを考慮して、一球一球でコースを予想して好きなコースの球が来たら打ちに行く方法だ。
三 打球方向を決めて打つ
引っ張るのか? 流すのか? と打球方向を決めて打つ方法である。
外中心の配球や、外へ逃げる変化球が多い場合には引きつけて逆方向を狙う。
逆に右対左で外へ逃げて行く変化球がない場合には、思い切って引っ張る。
右方向のサインが出ている。
などの場合だ。
四 追い込まれたら反応打ち
ツーストライクに追い込まれたら、フォーシームのタイミングで待って変化球に対応していく必要がある。
要は反応打ちだ。
意図しない球や際どい球が来た場合は、ファールで粘れれば最高だ。
以上の四パターンに絞ると良いだろう。
千尋の様に捕手は普段から配球やリード考えているからか、比較的読み打ちの者が多い。もちろん、反応打ちの者もいるが。
ちなみに、配球とリードは別物だ。この場での説明は省くが、機会があれば掘り下げる事もあるだろう。
千尋がバットを構えると、サイン交換を終えた齊藤が腕を振りかぶる。齊藤が投じたのはインローへのフォーシームだ。
(フォーシーム!)
速い球を待っていた千尋はバットをスイングする。バットはボールを捉えたが、打球は三塁方向のファールゾーンへと飛んでいった。
(んー。気が急いた)
読み通りに速い球が来た事で気が逸ってしまった千尋の打撃は、スイングをするのが早くなってしまい、結果はファールとなった。
続く三球目は、アウトローへ投じられたチェンジアップを千尋は緩急差に対応出来ずに空振りしてしまい、カウントはワンボール、ツーストライクとなった。
そして四球目、齊藤は朝居のサイン通りにアウトローへスクリューを投じる。
投じられたスクリューに対し、千尋はバットをスイングしたが――
(っ!? 外れるっ!?)
齊藤が投じたスクリューは、千尋の予想を越える程の変化を見せ、ストライクゾーンからボールへと外れる軌道を描いていた。
(止まらない!)
千尋はバットを止めようと試みるが、完全に打ち気だった鋭いスイングが故に止められなかった。
結果、ボールはバットの先へと当たり、ファースト方向へと転々と転がってしまう。定位置から前進した佐藤がボールを捕球すると、一塁のベースカバーに入っていた平瀬へと送球した。平瀬がボールを確りと捕球して、千尋はファーストゴロでアウトとなった。
普段から表情があまり変化しない千尋は、苦虫を噛み締めた様な表情を浮かべてベンチへと戻っていった。相変わらず、わかる人にしかわからない些細な変化だったが。
続いて打席に立つのは八番の静だ。
各々ベンチから送る声援を背に、静はネクストバッターズサークルから打席へと向かって行く。
左打席に立った静と齊藤が相対する。
(佐伯は今大会当たっていないけれど、気を抜いたら駄目よ)
サインを出す朝居は、齊藤へ視線で忠告を飛ばす。
(もちろんです)
頷く齊藤を確認した朝居はミットを構える。初球はアウトローへのスライダーだ。
キレのあるスライダーは大きな変化を見せてミットに吸い込まれていく。静はバットを振らずに見送り、カウントはボールとなった。
(随分と曲がるわね)
齊藤のスライダーを直に体感した静は、思った以上の変化に軽く肩を竦める。
二球目はインローへ投じられたフォーシームが低めに外れてボールとなり、三球目はインローへ投じたカットボールを静が打って一塁側へのファールとなった。
四球目はインハイへ投じられたフォーシームを打って打球は後方へと飛んで行く。朝居は懸命に打球を追ったが、ボールはバックネットへと当たりファールとなった。
五球目はインハイ高めに外れたフォーシームを静は確りと見送りボールとなる。
これでカウントはスリーボール、ツーストライクだ。
そして六球目。
朝居のサインに頷いた齊藤は、一息吐いてからアウトローへチェンジアップを投げ込んだ。
確りとストライクゾーンに入っているチェンジアップに対し、静はバットをスイングしたが――
(っ! チェンジアップっ! 合わないっ)
速い球を続けた後のチェンジアップに、静はタイミングを合わせる事が出来なかった。虚しくもバットは空を切り、静は空振り三振となってしまった。
静が三振に倒れ、ツーアウトとなったところで早織が動いた。
『鎌倉学館高校の選手の交代をお知らせします。一〇番、鈴木さんに代わりまして、可児さん。打者は可児さん。背番号一四』
続く九番打者であった真希の場面で代打を出し、純を打席に送ったのだ。
純はベンチへと戻る静と一言二言言葉を交わし、チームメイトの声援を背に打席へと向かって行った。




