第４０話 先制
（椎名か。確か藤院学園もスカウトしていたんだっけ？）
打席に入った飛鳥に視線を向けた朝居は、飛鳥について思考を巡らせていた。
飛鳥は中学三年生の頃、藤院学園からも推薦の話が来ていた。だが、野球で将来を考えていなかったので丁重にお断りしたのである。
当時、藤院学園の監督は大層残念がっていたそうだ。
（椎名はどちらかと言えば打撃より守備のイメージが強いけど、警戒するに越したことはない）
リードを決めた朝居は、川岸にサインを出す。
（シンカーをアウトローに）
サインに頷いた川岸は、朝居が構えるミット目掛けてシンカーを投げ込む。
投じられたシンカーを飛鳥は見送り、ストライクゾーンから僅かに外れてボールとなる。
川岸は二球目に、フォーシームをインローに投じた。
ミットに吸い込まれたフォーシームはストライクとなる。
（次はインローにカットボールよ）
（了解）
三球目のサイン交換を終えると、川岸は腕を振りかぶる。
朝居の要求に応える精確な球に対し、飛鳥はバットをスイングしてボールを捉える。しかし、カットボールによって芯を外された打球は、一塁側へのファールとなった。
（んー。カットボールか。アウトロー、インロー、インローと来て、次はどう来るかな？）
飛鳥は一度打席を外して、朝居のリードについて思案する。
（ワンボール、ツーストライクだし、次で決めに来る？ それとも一球遊び球を挟んで来るかな？ ・・・・・・とりあえず、際どかったらカットしよう）
方針を固めた飛鳥は、一息吐いてから打席に入ってバットを構える。
（インハイにボール球を投げて仰け反らせる。甘い球じゃなく、厳しくね）
（了解。フォーシームね）
サインに頷いた川岸は、朝居の要求通りに投じる。
インハイに投げ込まれたフォーシームに、飛鳥は少し避ける動作をし、朝居は中腰になって捕球した。カウントは当然ボールだ。
（顔面付近でも躊躇なく投げて来るなー。インハイにボール球って事は、次はアウトローかな？ そんな単純でもないか？）
飛鳥が五球目の投球について思案していると、バッテリーは既にサイン交換を済ませていた。
（良し。決めた）
考えを纏めた飛鳥はバットを構える。
そして川岸が投球モーションに入る。川岸の投げた球は、朝居がアウトローに構えるミット目掛けて精確に吸い込まれていく。
（アウトローっ！）
ありがたい事に読んでいたコースに投げてくれたので、飛鳥はバットを振るが――
（っ！？ フォーク！）
川岸は、今日はまだ一球も投げていなかったフォークをこの場面で投じて来た。
（外れるっ！ 止まらないっ）
ストライクゾーンから落ちてボールになる際どいコースに来たフォークだったので、バットを止めてボールを選ぶ事も一瞬考えたが、完全に打つ気だった飛鳥はバットを止める事が出来ず――
「ストライークっ！ バッターアウト！」
結果、川岸のフォークにしてやられ、飛鳥は空振り三振となった。
（想像より落ちたな。調子良いのかな？）
予想以上に落差のあったフォークに首を捻る飛鳥は、レンに近寄る。
「調子良いのか、球キレてるよ」
「慧も球走ってるって言っていたね」
「うん。的絞った方が良いかも」
無理に打ちには行かず、狙い球を絞り、打てそうだと判断した球だけを打ちに行く方が良いと言う飛鳥の言葉に頷いたレンは、労う様に飛鳥の肩に手を置いてから打席に向かう。
『空振り三振っ！ 川岸、椎名を空振り三振に打ち取りました！ 佐々岡さん、今の打席は如何でしたか？』
『四球目に投げたインハイのボール球が利きましたね。あのコースの後にアウトローに来られると、中々打てませんよ。しかもフォークのキレも良かったですからね』
『なるほど。しかし、顔面近くに投げるのは勇気がいると思いますが？』
『そうですね。川岸さんの強心臓があっての事ですし、それを信頼してリードした朝居さんも素晴らしいですよ』
『バッテリーの信頼関係があってこその結果と言う事ですね』
『その通りです』
打者の身体に近い所に投げるのは勇気がいる。川岸の様に強心臓の持ち主や、自分の制球力に自信がないと中々出来ない芸当だ。投手の制球力が悪いと、恐らくサインを出しても首を振るだろうし、捕手も同じサインを出せずに違うリードをしていただろう。
投手の能力を確りと把握して、尚且つ信頼している捕手と、捕手のリードを信頼している投手のバッテリー同士の信頼関係があってこそだ。三年間苦楽を共にしてきた強みとも言える。
（フォーシームに絞ろうかな？）
左打席に入ったレンは、バットを構える。
（ミーティングでは彼女を最も警戒する様に言われたけど）
朝居はレンに視線を向けて思考を巡らせる。
（確かに今大会の出塁率も馬鹿みたいな数字だし、足もあるから塁に出したくない。かと言って足ばかり警戒していたら長打を打たれる可能性もある。・・・・・・全く、本当に一年なの？）
考えれば考える程溜め息を吐きたくなる相手に、朝居は心底嫌そうな表情を浮かべそうになるが、心中で己を叱咤し、表情に出ない様に努める。捕手として、女房役として、投手に不安を与える様な事をしてはならないと気を引き締めて、サインを出す。
（まずはアウトローにシュートよ。高めは危ないから低めによ）
両手の平を下に向けて上下に動かし、低めに投げる様にジェスチャーする朝居に対し、頷いた川岸は確りと腕を振ってシュートを投げ込む。
（行かせてもらうよ）
レンは初球から打ちに行く。
川岸が投じたシュートは手元で鋭く変化するが――
（シュート！ 構うかっ）
フォーシームを待っていたレンは、手元で変化するシュートに真芯を外されてしまうが、構わずバットをスイングしてボールを捉えてレフト方向に流す。
（良しっ！ 詰まらせた！）
レンを打ち取ったの確信した朝居は、心の中で拳を握りガッツポーズをするが――
（ん？ ちょ、ちょっと待って。打球が落ちて来ないっ！？）
朝居が打球を目線で追っていると、打球は中々失速せずに落ちて来ない。左翼手が必死に後方に走って打球を追っている姿が瞳に映る。視界の端には悔しそうな表情を浮かべて打球の行方に目を凝らしている川岸の姿も収まっている。
球場が静まり返る中、打球はレフトスタンドに吸い込まれて行った。
『入ったーっ！ 三番ヴィルケヴィシュテのソロホームランです！ 鎌倉学館が先制しました！』
打った後にゆっくりと一塁に向かっていたレンが悠々と塁を駆ける。
（嘘でしょ？ 普通あれをスタンドまで運ぶ？）
打球の行方を見守っていた朝居は呆然と立ち尽くす。
「ナイスホームラン！」
本塁を踏んだレンは、ネクストバッターである涼が掲げる手に、自分の掌を合わせてハイタッチをする。
「芯を外されたけど、力ずくで持って行ったよ」
「それで逆方向とか、お姉さんはお前が頼もしいやら末恐ろしいやら複雑な気分だよ」
「ははっ。それじゃ次も頼むよお姉さん」
レンの言葉に肩を竦めて茶化す涼に対し、レンも茶化し返す様に台詞を口にして、涼の尻を軽く叩いて打席に送り出す。
レンがベンチに戻ると盛大に迎えられ、スタンドも盛り上がっている頃、テレビ中継では古立が佐々岡に話を振っていた。
『佐々岡さん。見事なホームランでしたね』
『そうですね。川岸さんの投球も悪くなかったんですが、打者の方が一枚上手でしたね』
『川岸の投げたコースも良かったですよね？』
『はい。コースも良かったですし、川岸さんが投げたのはシュートだったと思いますが、確りと芯を外していたと思いますよ』
『それでもヴィルケヴィシュテはホームランしてしまったという訳ですか』
『パワーはもちろんですが、芯を外されても安打に出来るバットコントロールがあってこそですね。それでも単打や二塁打ならともかく、ホームランにしてしまうのは簡単ではありませんよ』
『なるほど。凄い一年生が出てきましたね』
『全くです』
数瞬呆然と立ち尽くしていた朝居は直ぐに我に返ると、川岸の元へ歩み寄った。
「ごめん。私のミスよ」
「いや、あれは仕方ないよ」
自分のリードミスだと謝る朝居に対し、川岸は首を振って否定する。
「コースは悪くなかったし、球も走っていた。それで打たれたら相手を褒めるしかないよ」
「打ち取ったと思ったんだけど・・・・・・」
「そう？ 私は打たれた瞬間やられたと思ったよ」
「え？」
打ち取ったと思ったと言う朝居の言葉に、川岸は意外そうな表情を浮かべて自分の感じた事を告げると、朝居は頭上に疑問符を浮かべる事になった。
「打たれた時全く手応えなかったし、嫌な予感したからね」
「投手にしかわからない感覚？」
「かもね」
肩を竦めて苦笑を浮かべる二人だが、気持ちを切り替えてネクストバッターに対して話し合う。
「とにかくこの回は次の打者を抑えて、裏の攻撃を迎えよう」
「そうだね」
「失投さえしなければ問題ない。高めに浮かない様に気を付けて」
「了解」
朝居は注意事項を述べると、川岸の胸をミットで軽く叩いてから自分のポジションに戻って行った。
気を引き締めて集中力を高めたバッテリーは、テンポの良いピッチングで確りと涼をショートゴロに打ち取り、初回の攻撃を迎える事になった。
そして、先制した鎌倉学館は初回の守備に向かう。
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