第86話:この悲劇は偶然か……
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順調に回は進んでいき。現在3回裏明秀高校の攻撃。打順は先頭に戻って1番の日下部君からの好打順。つまり先ほど先制の2点本塁打を打った坂本君に打席が回ってくる。
「この回に追加点を取れれば、試合の流れは明秀に。逆に三者凡退なんてことになればまだこの試合はわからない。一つの山になるかもしれないわね」
私は顎に手をやりながら戦況を分析する。前の回の攻撃は先頭バッター―――キャッチャーの子―――がヒットで出塁したが続く打者がバントを失敗。強硬策に出たがショートゴロ併殺打に打ち取られ、続くバッターも三振して結局三者凡退で終わってしまった。
もし仮に先制点を取った時同じこの巡りあわせを無失点で切り抜けられたら。この先の展開に影響が出るかもしれない。でも―――
「―――今日の晴斗の出来なら打たれるイメージは湧かないんだけどね」
「そうですね。2回からはここから見ていてもわかるくらい全力投球でしたね。特に四番バッターを三球三振に抑えたところは凄まじかったです」
隣に座る哀ちゃんも晴斗の変化に気付いたようだ。ベンチの中で何があったかはわからないけれど初回はエンジンをかけただけでアイドリング状態だったのが2回以降はアクセル全開で街中を走るスポーツカーのよう。
「甲子園の時と比べると幾分か迫力に欠けるんだけど、でも逆に言えば本調子だったら手の付けようがないってことね。それこそ坂本君とか大阪桐陽の北條選手級じゃないと打てないんじゃないかな」
ボールがミットに収まった瞬間にグラウンドに轟く炸裂音。常華明城高校の応援に来ていた関係者はみな一様に口をつぐみ、対して明秀高校側の野次馬は大歓声を上げていた。正直私も立ち上がって叫んだ。
「でも、本当にどうしたんでしょうね。いきなりギアを上げるなんてことはあるんですか?」
「ん……試合の流れの中では―――それこそピンチの場面ではギアを一段上げて抑える、っていうのはプロの投手でもいるし、晴斗はそれが出来る子だけど、この場合はきっと坂本君が原因じゃないかなって私は思う」
坂本君は晴斗とあの女の関係を知っている数少ない人物だ。それが今日この場にいて、大切な親友を傷つけておきながら何食わぬ顔で今の彼氏に声援を送っているのが赦せないのだろう。だからこそ予告し、そして宣言以上の場外ホームラン。
それだけ親友に思われていることが晴斗の琴線に触れて、打たれまいと決意をしてギアを数段上げたと考えられる。
「男の友情ってやつなのかな……直接晴斗に聞いてみないとわからないけどね」
「是非、どうしてなのか聞けたら教えてください。興味があるので」
「わかった。聞いたら連絡するね―――って、話していたら日下部君、ヒット打ったみたいね」
無理に引っ張ることもせず、流すこともせず、あくまで基本に忠実なお手本通りのセンター返しだった。甲子園では坂本君と引退した城島君の活躍が目立っていたが、日下部君の出塁率は三割後半と非常に高い。本職がキャッチャーということあって配球を読むことに長けているからだ。
「二番バッター……バントの構えですね。確実に送って坂本君に回すのでしょうか?」
「それがセオリーね。さすがに二度も続けてノーアウトのランナーを送れずにチャンスを潰すなんてことはしたくないはずだし、チャンスで坂本君に回ってきた方が相手にかかるプレッシャーも大きくなる」
だがその場合、あえて坂本君を歩かせて塁を埋めて四番、五番でアウトを取るという作戦も考えられるがそこには晴斗が控えている。どちらにしてもピンチが続くことに変わりはない。
この試合の一つの山場が早くも訪れた。
*****
「ボール! フォアボール!」
僕の前、二番バッターの野村さん―――二年生で守備はセカンド―――が四球で出塁した。送りバントをするつもりだったが結局一球もストライクが入らずにピッチャーが自滅した。わざわざバントでアウトを一つくれるというのだから何を気負う必要があるというのか。
「悠岐! もう一本頼むぞ!」
なんてどうでもいいことを考えながら打席に向かうと、ベンチから晴斗の声が聞こえた。二回、三回の投球は彼本来の凄みが戻ってきており、正直守っていて退屈なくらいだ。
「―――任せておけ!」
ちらりと振り返って親指を上げる。晴斗に楽をさせるため。マウンドのエースの心を折る為。観客のあの女と狸爺に現実を教えるため。僕は二度目の打席に立つ。
ゆっくりとしかし胸を張ってバッターボックスに入る。乱れている足場を整えて自分の拠点を作り直す。そして構える前のルーティンとしてホームベースの四隅をバットで順々に叩き、すぅと腕を伸ばしてバットを縦に構える。だが今日は少し違う。
―――また場外まで飛ばしてやる。
普段はピンと立てているバットの先をマウンドのエースに突きつける。前の打席は不言実行した。この打席はその再現。二度目の悲劇を見せるために僕は打席に立つ。
初球。先ほどは追い込まれてから高さ、コースともにほぼ完ぺきなスライダーを掬い上げた。だからもう投げて来ないだろうと思っていたがまさかの選択。アウトコースのボールゾーンから真ん中寄りに入ってきた。驚いて僕は手が出なかった。
「ストラ―――ク!」
晴斗顔負けのバックドア。それもホームランを打たれた球種を初球に投げ込んでくるその胆力。腐ってもエースナンバーを背負う投手というだけのことはある。僕は集中をさらに深める。
二球目。一転して今度はストレート。サイドスローから左バッターである僕の身体に向けて放たれるクロスファイアの威力はこの人の球威があれば打ち返すのは難しいが僕にとってはただのインコースの直球だ。僕は仕留めるために腕を畳み、腰を鋭く回転させてレフト方向に放物線を描く。
内角のボールを引っ張ってライト方向に飛ばすのは正直難しくはない。向かってくるボールを力が一番入る身体の前で捉えて振り切れば自然と遠くに飛ばすことが出来るからだ。だが流し打ちはその逆だ。
自分の懐までボールを引き込み、窮屈な態勢でのスイングになる。外角なら腕を伸ばすことが出来るので力を込めることが出来るが今のコースは内角。窮屈な姿勢から逆方向に飛ばすにはボールの中心をバットの真芯で正確に捉えて全身の力をスイングに乗せる必要があった。
言葉にすると簡単なように思えるが、これが相当難しい。僕だって毎回できるわけではない。
どよめく観客。その行方をハッと振り返って目で追うエース。ベンチの晴斗たちは身を乗り出して確認する。僕は一人舌打ちをする。
白球は場外に消えるが。
三塁の塁審が大きく手を挙げた。判定はファール。仕留めそこなった。たが、次はない。
マウント上のエースは安堵のため息をつく。さぁ、次は何を投げてくる。
スライダーは前の打席で痛打した。左打者殺しの内角のクロスファイアのストレートも今見せたように流し打ちでも場外に運ぶことが出来るし、なんなら引っ張ってもいい。あと残っているのは外に逃げていくシンカーか。掬い上げてバックスクリーン―――ないけど―――に打ち込んでやる。
そして三球目。どんなボールでもホームランにするつもりで構えていた僕に対してエースピッチャーが投じたのはまたしても内角のストレート。
「―――ッく!?」
しかし二球目とは違って球速は出ているがコースは大きく高めに外れており。結果、僕は身体を反らして回避しようとしたが間に合わず、140キロオーバーで直進してきた硬式球が右の二の腕に直撃した。
ざわつくグラウンド。それは僕の場外ホームランの時や晴斗の全力投球の時とは違う不安と心配が混じった声。帽子を取って頭を下げる相手ピッチャー。
「悠岐―――!?」
痛みに顔をしかめながら、親友の悲痛の叫びを聞いた。
甲子園での僕の気持ちが、少しはわかったかな?