第81話:新生明秀高校打線
ご興味を持っていただきありがとうございます。
楽しんでいただけたら幸いです。
「常華明城の先発の国吉は右のサイドハンド。ストレートの平均球速は140キロ前後。持ち球はスライダーとシンカー。左バッターは内角に食い込んでくる軌道だから苦労するかもしれないが、悠岐、大丈夫か?」
1回裏の攻撃前。俺達は投球練習をしている相手エースを見ながら情報を再度確認していた。大会前の調整試合ということもあり、国吉さんのボールには勢いと威力を感じた。そして彼本人からは闘志が漲っている。
「悟史さ―――ん! 頑張ってぇ!!!」
グラウンドの外から黄色い声援が飛ぶ。
小型犬のような可愛いつぶらな瞳。ぷっくらとした餅のような頬。年相応の幼い可愛さと大人になりかけている蛹のような綺麗さが混在する容姿。白のワンピースに緩めのデニムジャケットを羽織った、ハツラツとした向日葵のような元気なおさげの女の子。
国吉さんはチラリとそちらに目をやってグラブを上げて反応する。野手陣たちはその様子を苦笑いしながら見つめていた。どうやらこの光景は彼らにとっては見慣れたもののようだ。
「あの女……晴斗がいる目の前で何を考えているんだ。こんなところまでわざわざ来て何がしたいんだよ」
苦虫を嚙み潰したような表情で悠岐が呟いた。その声援を送っているのは他でもない。あの女だ。敵地に乗り込んできて十年以上共に過ごしてきた幼馴染で元彼氏の前で今の彼氏に堂々を応援できるその精神力がむしろ羨ましい。
「なんだよ、相手のエース様は練習試合に彼女を連れてきたのか? 東京観光でもこの後するのか? ふざけやがって」
日下部先輩の憤慨に同調するように他の選手も怒り心頭のご様子だ。
「大丈夫か、晴斗?」
心配そうな顔で悠岐がみんなに聞かれないように小声で話しかけてくる。
「大丈夫だよ、悠岐。夏だったらわからなかったけど、今はもう大丈夫だ。あいつが何を考えているのかはわからないけど……もう、大丈夫だ」
俺の心は不思議なことに波紋のない水面のように落ち着いていた。それはきっと、さっきまで一緒に居て、姿は見えないけれどどこかで俺を応援してくれる最愛の人がいるからだ。
「……そっか。ならいい。ただ、僕の気は収まらないから腹いせにあの彼氏の男は滅多打ちにしてくる」
悠岐の身体からは沸々と怒りのオーラが立ち込める。だがその目は至って冷静に国吉のピッチングを分析していた。この調子なら問題なさそうだ。
「決め球は……ストレートか? ならそれを狙い打てば……予告ホームラン……? うん。それもありだな……」
ぶつぶつと呟く悠岐は完全に集中体勢に入っている。こうなったら声をかけても反応は期待できない。俺はフェンスの向こう側から笑顔で国吉さんにうるさいくらいの声援を送っているあの女に視線を向けた。
俺の知らないあいつがそこにいた。試合は見に来ていてもあんな風に声援を送ってくれたことはなかった。ならこうなることは必然だったのだ。
「今日で終わりにする。何もかも」
俺が抑えて悠岐が打つ。やることはこれまでと変わらない。その相手が俺の父の恩師であり、相手エースの彼女が幼馴染で元彼女というだけの話。静岡の強豪というが、普通に戦えば負ける要素はない。
「晴斗の復帰戦だからな。しっかり勝ち切ってぇ! 景気よく秋季大会に臨むぞっ!」
「「おうっ!!!」」
先頭バッターの日下部先輩がヘルメットを被り、打席に向かう直前に吠える。それに皆が呼応する。
「まぁ任せておけって。きっちり先取点はこの回にプレゼントしてやるからよ。
お前は大人しく坂倉とこの先のプランでも考えておけばいいさ」
最後にそう言い残し、日下部先輩は打席へと向かった。頼もしいキャプテンだ。
「よし。決めた。晴斗、初回からトップギアでいくからちゃんと見ておけよ? 僕があいつの鼻っ柱をきっちりへし折ってくるから!」
悠岐もヘルメットを装着して打席に備える。
日下部先輩のキャッチャー目線での配球の読み選球眼で出塁し、二番が送って悠岐が仕留める。四番に据わるのはこれまで五番を打っていたライトを守る二年生の真砂先輩。当たれば飛ぶパンチ力のある強打者だ。ちなみに俺は五番で慎之介は七番。8番、9番には足の速い選手が並び、彼らが上位へと繋いでいき大量得点の起点を下位からも作る。
これが新生明秀高校打線。その試金石にはもってこいの相手だ。
*****
「晴斗のピッチングを生で見るのは初めてですが……すごく綺麗ですね」
感嘆としたため息を吐きながら、隣に座る哀ちゃんは1回表の感想を述べた。そうか、彼女はテレビ越しでしか晴斗の投球を観たことがなかったのか。
「そうね。怪我をしたから心配だったけど夏と変わりない……ううん、むしろ走り込みで下半身を鍛えたからフォームに安定感が出てるように見えるかな? この調子でいけばいずれ球速は150キロに届くかもね」
元々晴斗のフォームには淀みはなくさながら清流のように流麗で完成されていた。だが骨折が完治してからは下半身と体幹の強化を監督から命じられたとのこと。地獄のようなトレーニングだったと晴斗は言っていたが、その成果は出ているようだ。
「本当に……早紀さんは晴斗のことをよく見ているんですね。私には前と比べてどうかなんて全くわかりませんよ」
「ハハハ。それはまぁ……なんていうのかな。好きな子と同じ目線で立てたら嬉しいなって思ったからすごく勉強したんだよね」
晴斗が好きな事を私も知りたい。それを一緒に話したい。そして彼と仲良くなりたい。そんな風に思ったから、私は彼に心惹かれてから野球のことをたくさん勉強した。
「まだまだ全然だけどね。それでも……晴斗がどれだけすごいかはわかる。晴斗はいずれ日本を代表する……いいえ、世界を代表するピッチャーになる。私はそう思ってる」
ひたむきに野球に取り組む姿勢は夢があるから。それを実現させるため、晴斗は親元を離れて東京の高校を選び、才能に驕ることなく人一倍努力を重ねている。それには親友の坂本君の存在も大きいだろう。彼がいることで晴斗は常に刺激を受けている。
グラウンドから離れれば、私が晴斗を支えることはできる。けれどその中では私は彼を外から応援することしかできない。そんな時に坂本君がいることで、晴斗は奮い立つことが出来る。二人の間にある絶大な信頼関係に私は少し嫉妬を覚える。今もそうだ。ベンチの晴斗に声をかけてから、坂本君は打席に向かった。
「日下部が塁に出て、2番が送りバント。チャンスの場面で一年生の坂本君か。彼も晴斗と同様に、すごい選手なんですよね? 甲子園を見ていましたけどホームランも何本か打っていましたし」
「一年生にして甲子園で4本塁打。順当にいけば甲子園の本塁打記録を塗り替えることが出来る選手です。晴斗も坂本君も常に努力をしています。だから……明秀高校は強いんです」
天から与えられたものを生かすも殺すも自分次第。それを磨かなければ鈍っていくだけだ。
二人は努力せずに今の実力を得たわけではない。努力をせずにあれだけの投球ができたり、ホームランを打てたりするわけではない。努力をした結果、あれだけの結果を出せる選手になっているのだ。
「あれ……坂本君がバットを相手ピッチャーに向けましたよ? あれ、なにか意味あるんですか?」
哀ちゃんに言われてグラウンドを見ると。確かに坂本君はバットの先を相手ピッチャーの国吉君に向けていた。普段彼は構える前にあんなことはしないはず。
「構える前のルーティンって可能性もあるけど、あんなこと夏はしていなかったと思うけど……もしかして……予告ホームラン?」
坂本君は何事もなかったかのように打席で構える。
1回裏。小さな大打者が親友を苦しませる元凶に鉄槌を下すために正義の刃を振りかざす。
その一撃目の攻防が始まる。