第68話:お化け屋敷からの脱出と四つ巴
ご興味を持っていただきありがとうございます。
楽しんでいただけたら幸いです。
「大丈夫だって、晴斗。手を繋いで歩けばはぐれることはないし、それにいくら暗い中を歩くと言っても教室だから大して広くはないんだから」
「さ……早紀さん……」
我ながら情けなくブルブルと震えている手を早紀さんは笑うことなく優しく両手で包み込んでくれた。暗くてその表情は見えないが、きっとからかうような顔はしていないだろう。それはこの手から伝わる温もりが教えてくれる。
「さぁ行くわよ、晴斗! ナオちゃん! このままだと後ろも閊えて迷惑でしょうしね」
至極まっとうな理由を口に出して、早紀さんが俺の手を引いて先導し、俺の後方にナオちゃんが殿のようにつく。
暗闇の中は少し肌寒く。木枯らしが吹くような不気味な音、ケタケタと壊れたおもちゃの笑い声などが反響しながら流れている。これが俺の精神から余裕を奪い取っていく。
「よ、予想上に……怖い、かも……晴斗、息してる?」
「な、なんとか……早紀さんの手、震えていますけど……大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫よ! 私はお姉さんなんだからね! これくらいへっちゃらよ!? それよりも、ナオちゃんは大丈夫かな!?」
「へ? 全然大丈夫ですよ? お二人とも……もしかして本当に怖いんですか?」
この中でナオちゃんが一番鋼の精神を持っていたようだ。その心強い声に一息ついて安堵した瞬間。ガタンと何かが激しく崩れ落ちる音がした。それと同時にどこからともなく出現したのは顔面血みどろで動く死に体。
「「キャァァァァァァッァ――――!!??」」
早紀さんと俺の悲鳴が重なって。早紀さんは俺の手を離して出口を目指してまっしぐらに走り出した。俺もその後に続く。
仕切りは段ボールで作られているからぶつかっても痛くないし、なんかイベント的なことがあっても全部無視すればいい。
早紀さんの背中は見えない。繋いでいたはずのナオちゃんの手は離れており、俺は一人で、この屋敷の中で唯一明かりのあるスポットにたどり着いた。
「はぁ……はぁ……ここは? それに……誰かいる?」
開かれた場所。そこに一人、体育座りで蹲っている髪の長い少女が一人。しかも微かにだかすすり泣く声が聞こえる。これはふれた方がいいのだろうか。いや、自ら率先して恐怖に手を差し伸べる必要はない。俺は無視して先に進むことにした。
「な、なんで……無視…………するの……ねぇ……はるくん………」
錆びついたブリキ人形のように俺はギギギとぎこちない動作で振り返る。俺のすぐ目の前に長い髪で顔を隠した小さな先輩がいた。
「ねぇ……私を……置いていかないでよぉ……はるくん……一人にされたら……私―――」
底冷えする恐怖が俺の背筋を這い上がる。俺の手を取る少女の手はひんやりしていた。
「―――あなたのこと……喰べてもいいかな?」
ゆっくりと少女が顔を上げる。長い髪の間から覗いた少女の口元は愉悦に歪み、大きくぱっくりと裂けていた。
「はるくん……喰べてもいいよね……?」
「ひぃ――――きゃぁぁぁぁぁぁぁ!! 出たぁぁぁあぁぁ!!!」
女性に向けてはいけない台詞を叫びながら、俺は脱兎の如くその場を離れることを選択した。
「ひどいよ、はるくん!?」
そんな声が聞こえたが気のせいだ。俺の知っている美咲さんとは似ても似つかない口裂け女が美咲さんの声で泣きそうな声を上げるはずがない。
俺はそのままランニングホームランをする勢いでほの暗い教室を走り抜けた。途中でガタンとかギャァとか俺を気絶させようと襲い来る刺客がいたが、その全て悉くをはねのけた。
*****
息も絶え絶えとなり。俺は両ひざをついて冷房で冷え切っていた教室内だったというのに大粒の汗を額から零した。
「は、晴斗……大丈夫だった?」
「えぇ……まぁ、なんとか。まさか美咲さんが口裂け女になっているとは思いませんでした。あれは……夢に出てきますね」
思い出すだけでも鳥肌が立つ。唯一の光源の中ですすり泣く声からのにこりと笑ったあの顔は正直普段の笑顔を知っている分、より一層怖かった。
「ねぇ、はる君。誰が……夢に出てくるのかな?」
色んな意味で一番聞きたくない声が耳に届いた。恐る恐る俺が振り向いた先にいたのは―――
「もう! はる君てばひどくないかな!? どうして私を見て悲鳴を上げて逃げたの!?」
メイクとかつらを外した、我らが明秀高校野球部マネージャーの相馬美咲さんだった。その顔はいつも見る可愛らしい先輩のものであり、先ほどの見た悪夢ような女性とは似ても似つかないほどの可憐さだ。俺は心の底から安堵のため息をついた。だ
「ねぇ! そのため息はなにかな!? 大声出して猛ダッシュで逃げたことといい、はる君本当にひどいと思うんだけど! ちゃんと説明してほしいなぁ!」
いや、先輩の口裂け女を見たら怖くて逃げますよ。しかも明るかった分ありありと大きく裂けた口を見てしまったからトラウマものです。などとは口が裂けても言えないので俺は明後日の方向を見ることで誤魔化すことにした。
「こら! 目をそらさないで! 早紀さんからもなんか言ってくださいよぉ。はる君てばひどいんですよ!」
プンスカと地団駄を踏みながら抗議の声を上げる美咲さんはやはり一学年上の年上というよりもナオちゃんくらいの妹のような存在に思えてしまうので、頭を撫でたい衝動に駆られる。
「はいはい。美咲ちゃんみたいな子が口裂け女になって出てきて迫られたら私もびっくりして悲鳴上げて逃げちゃうから、あんまり晴斗を責めないの」
頭をポンポンとする早紀さんは苦笑いを浮かべている。あの顔は察するに早紀さんも想像したのだろう。美咲さんの口裂け女に扮する姿を。その適当なあしらいに益々憤慨する美咲さん。
「早紀さんも適当過ぎませんか!? これでも私結構頑張ったんですよ!? 寒い中待機して、教えてもらった通りに名前を読んで怖がらせたり……それなのにはる君はものすごい勢いで走り出すし。聞いたことない声の悲鳴出すし……」
「いや、お化け屋敷だから怖がらせるのが美咲ちゃんの仕事でしょう。それなのになんで落ち込んでいるのよ」
さすがの早紀さんも苦笑からあきれ顔にジョブチェンジだ。納得いかない様子の美咲さんはフグのようにふくれっ面をする。そのタイミングで、第三勢力が帰還を果たした。
「もう―――晴斗さんも早紀さんもひどいですよぉ! 中学生の私を置いてさっさと逃げちゃうなんて……それでも年上なんですか?」
ナオちゃんが何事もなかったように、けろっとした顔で出てきた。
「……ねぇ、はる君。あの子は誰かな? 妹さん? はる君は一人っ子だよね?」
なんどこの説明をすればいいのか。そろそろ頭が痛くなってきた。説明しようと口を開く前に、ナオちゃんが美咲さんの前に立った。
「初めまして。私は荒川奈緒美と言います。晴斗さんには子供の頃によく遊んでもらっていました。高校受験もあるので学校見学も兼ねて、晴斗さんに案内してもらっていたんです」
「あっ……私は相馬美咲と言います。野球部のマネージャーをしています。宜しくお願いします」
互いに頭を下げ合う美咲さんとナオちゃん。どちらが姉で妹かわからなくなるこの光景に、俺と早紀さんの頬が思わず緩む。
「フフフ。私の知らないところで勝手に三つ巴の争いを始めるなんて、ひどくないかしら?」
長い髪をふわりと靡かせて。第四勢力にして学園の最高戦力がここに推参した。
明秀高校2年1組。生徒会副会長。清澄哀。
「尾崎先輩……なんてことを……」
俺は受け付けで両手を合わせて 首を垂れているもう一人の野球部マネージャーを睨みつけた。
「あなたが晴斗の隣の家に住んでいるって話の飯島早紀さんね。初めまして。清澄哀と申します。以後、お見知りおきを」
「……こちらこそ。飯島早紀と申します」
二人の背後で龍と虎がにらみ合っている。殺気立った空気を身に纏う早紀さんと清澄先輩に気圧されて、俺は思わず後退る。美咲さんとナオちゃんは抱きしめ合って震えている。小動物か。
「晴斗、この状況を説明してもらおうか。場所を変えて、そう。じっくりとな」
清澄先輩の鷹のような鋭い瞳に睨まれて、俺は「はい」と頷くしかなかった。