バレンタイン特別回:相馬美咲編(Before):本編とは関係ありません。広い心でお楽しみ下さい。
ご興味を持っていただきありがとうございます。
こちらはバレンタイン特別企画です。
本編とは関係ありませんので、どうか寛大な心でお楽しみください。
「ねぇ、はる君…………チョコだけじゃなくて、私のことも……食べて?」
どうしてこうなった。俺―――今宮晴斗―――はうるうると今にも泣きだしそうな瞳でこちらを見つめてくる美咲さんを前にして身体が硬直した。
今日は2月14日。
男達は一日中ソワソワしながら思いのこもった物、もしくは義理人情で渡される物、しかし渡されるということこそが彼らを勝者と敗者に明暗に分ける。まさしく天国か地獄かを味わう日。
それに対して女性たちは、意中の存在に思いを伝えたり、友達同士で交換し合ったり、決戦の日であり友好を深める日。
そう、セント・バレンタインデーである。
時刻は午後8時を半分過ぎた頃。場所は明秀高校野球マネージャーにして二大美女の一人、太陽の異名を持つ相馬美咲さんの自室。
「ねぇ……はる君は……私のこと、嫌い? やっぱりはる君は、早紀さんみたいな色気のある大人な女性が好きなの……?」
なぜここで早紀さんの名前が出てくるのかと突っ込みたいくなるが、しかし彼女の朱に染まった頬を見て、やはり俺は何も言えない。
そもそも、なぜ俺が美咲さんの部屋にいるかと言えば、話は一日前に遡る。
昨日もいつもように練習が終わって帰宅して夕食を食べている時。家の主である叔母―――今宮美里―――にこのような宣告を受けた。
「晴斗、ごめん! 明日なんだけどどうしても抜けられない仕事があるから帰りは遅くなりそうなの。だからご飯は適当に済ませてくれる?」
美里さんは、どうしても明秀高校の工藤監督の下で野球がしたかった俺の希望を叶えるために同居することを兄である俺の父に提案してくれた。
最初は渋っていた俺の両親だったが、面倒はちゃんと見るから安心してくれ、子供が望む環境で生活をさせたほうがいい、むしろ高校入学時点で自分の意志と明確な目標を持っている子は少ないからそれを後押しするのが親の役目だろ! と力強く話してくれた。その甲斐あって俺は今こうして明秀高校に通うことが出来ている。
「本当にごめんね、晴斗。さすがに年度末が近くなってくると忙しくて……ご飯とか大丈夫? カップ麺とかで済ませたらダメよ? せめてファミレスとかにしなさいね。しっかり野菜食べるのよ?」
「わかっていますよ、美里さん。俺だって子供じゃないんですから。大丈夫です、悠岐と飯でも食べて帰りますから」
「そう? ならいいんだけど……早紀ちゃんにお願いしようかと思ったんだけど、この日は大学の友人とご飯食べるとかで都合付けられないみたいなのよね。あぁ残念」
何が残念なんですか、とは敢えて聞かず。美里さんが作ってくれた味噌汁をズズッと飲んだ。出汁が効いていて美味しい。
母よりも手際よく料理が出来る。仕事もまだ三十という若さでフリーのコンサルタントとして活躍している。そして何より美人で愛嬌もある。おまけにスタイルもいい。年齢よりはるかに若く見えるほどのツヤツヤした肌。まさに完璧超人なこの人に、どうして浮いた話がないのだろうか。
何故俺が里美さんの肌がツヤツヤだとか知っているかだって? この人、風呂上りはバスタオル一枚身体に巻いて普通にリビングにやってくるのだ。のんびりテレビを見ている俺をその姿のまま背中から抱き着いてきたりしてからかってくるのだから嫌でも目に入る。
閑話休題。
「―――ん? どうしたの、晴斗?」
「いや……別になにも」
「あぁ……さては、私からバレンタインのチョコがもらえるのを期待していたな? でも残念でした。仕事で当日には渡せませ―――ん。それに早紀ちゃんとかマネージャーちゃんからどうせ貰えるからいいでしょ? まぁもし、誰からも貰えなかったら、その時は……私があげるよ」
「……どうもです」
なぜか最後の方は尻切れトンボに話す美里さん。暖房が効きすぎているのか、彼女の頬はほんのり朱が差していた。
翌朝、2月14日。時刻は早朝。
この日も朝から練習があるため俺は里美さんが起き出したころに家を出た。
「―――あっ、晴斗君……」
隣の部屋に住む女子大生の飯島早紀さんが扉の前で待っていた。身体のラインを隠す、ゆったりとしたデザインのオフタートルのニットセーターを着ているが、それでも女性特有の部分はくっきりと強調されているのでむしろ凶器さが増している。朝から刺激が強すぎる。
「ど、どうしたんですか、早紀さん? こんな時間に……」
「あ、あのね! 本当は今日晴斗君のために手料理とかふるまいたかったんだけど、今日は大学の同期と独り身同士一緒に飲もうって誘われて……で、でも勘違いしないでね! その子は女の子で……名前は麻衣ちゃんって言うんだけど、高校生の頃に留学経験あるから色々話聞けたらなって思ってて……それに飲むって言っても彼女のお兄さんが店長をやっている店だから安心だし……断じて男の人とかじゃないからね! 勘違いしないでね!」
頬を染めながら一気に早口でまくし立てる早紀さんに俺は圧倒された。その様子に気付いた早紀さんはそうじゃないのと首をぶんぶんと振ってから、キッと鋭い視線を俺に向けてきた。
すー、はー。すー、はー。何度か深呼吸してから、よし、と気合を入れて―――
「晴斗君―――ハッピーバレンタイン!」
満面の笑みと共に丁寧に青い包装紙に包まれた綺麗な箱を俺は受け取った。その時触れた早紀さんの手は、とても冷たかった。早朝の寒空の中、もしかして俺が出てくるまで待っていたのだろうか。
「だ、だって……今日中に渡すには朝しかなかったから……ずっと、待ってたんだよ?」
「早紀さん……わざわざありがとうございます。すごく……嬉しいです」
その手をギュッと両手で握る。幸い俺の手はまだ温かい。その温もりを、冷え切った彼女の手に分け与えたい。その一心で、俺は彼女の手を黙って握る。
沈黙が、冬の朝に流れる。
どれくらいそうしていただろうか。この均衡を破ったのは早紀さんだった。か細い声で彼女は言う。
「も、もう大丈夫だから……晴斗君の手も、つ、冷たくなっちゃうから」
「あっ、そ、そうですね! いきなりごめんなさい」
ハッとなって俺は早紀さんの手を離した。あぁ、と寂しげな息が聞こえたような気がした。
「じゃ、じゃあ、俺。そろそろ行きますね! チョコレート、ありがとうございます! 食べるのが楽しみです!」
「フフッ。そのチョコレート、手作りだから……私だと思って味わって食べてね?」
ぐいっと耳元まで近づいて、早紀さんは妖艶な声で囁いた。顔が一気に熱を持ち、心臓が早鐘を打つ。その様子に満足して、いってらっしゃいと言いながら早紀さんは自分の部屋へと帰った。
本当につかみどころのない人だ、あのお姉さんは。
朝練は主に体力づくり。冬場に身体をしっかり作り込んでおくことで春先以降の実践で必ず活きてくる。特に俺の場合は投手としての体力づくりが不可欠だ。走り込みで足腰を鍛え、体幹トレーニンでブレない軸を作る。そうすることで長いイニングを投げぬける力を得る。
工藤監督に課せられたメニューを終えた頃には身体はすっかり火照っていた。投げ込み練習は授業終わりの練習で行う。朝のところはこれで終わりだ。
「あ……は、はる君! お、お疲れさま! はい、タオル。しっかり汗拭かないと身体冷えて風邪ひいちゃうよ? エースなんだから、体調管理しっかりしないとだよ?」
「相馬先輩、ありがとうございま……す?」
マネージャーの相馬先輩がつい先ほどまで俺に差し出していたタオルをひょいと後ろに下げた。俺は一歩前に近づいてタオルを取ろうとすれば、一歩下がってまたひょいと動かして渡してくれない。
「はる君。早く汗拭かないと身体冷えちゃうよ? もしかして風邪ひきたいの? 学校とか練習とかサボりたいの? いけない子だなぁ―――」
「……美咲さん、タオル、ありがとうございます」
「うんうん。わかればよろしい! はい、タオル。それと、お疲れさま」
冬なのにそこには向日葵が咲いていた。そう思わせるような笑みを浮かべて、ようやく美咲さんはタオルを手渡してくれた。
「そ、それでね。はる君に聞きたいことがある……んだけど……」
「―――? なんですか?」
「きょ、今日の練習終わり、少し……時間あるかな? いつも練習終わったら坂本君と帰っちゃうけど、今日は私といてほしいなぁ……なんて、ダメだよね?」
「? えぇ、大丈夫ですよ。別に悠岐と毎日いるわけじゃありませんよ? それに今日は家に誰もいないので適当にどこかで食べて帰ろうと思っているので。何なら一緒にご飯でも行きますか?」
「そうだよね……やっぱり坂本君と帰るよね……それで夜は早紀さんと……って、え? 一緒にご飯でも行きますか……? はる君、今そう言った? そう言った!?」
「え、えぇ。まぁ、一応。今日は叔母が仕事でいないので外で何か食べてくるようにって言われまして。もし美咲さんに嫌じゃなければの話なんですが―――」
「ううん! 大丈夫だよ! 全然嫌じゃないよ! むしろ私にとって一か月早いホワイトデーみたいなものだよ! うん、大丈夫。なら一緒にどこかご飯食べに行こうか。えへへ……はる君とデートだぁ。楽しみだなぁ……」
上の空で呟きながら、美咲さんはふらふらと歩いて行ってしまった。タオルを返しそびれてしまった。
*****
はる君から夜ご飯の誘いを受けた私―――相馬美咲―――は朝練終わり、授業開始前に早速家族グループにメッセージを入れた。
―――今日は晩御飯いらなくなったよ―――
すぐに既読が付いて返信が来た。まずは母からだ。
『あら、誰かとご飯行くの? もしかして昨日一生懸命作っていた本命の男の子?』
すぐ後に父。
《おい! 父さんは男と二人きりで泊まりなんて許さないぞ!? というか誰だその相手は!?》
『パパは黙ってて。もしかして、例の後輩君? 美咲が大好きな……えぇと、はる君、だったかしら?』
母にははる君のことは話してある。というより私の気持ちを知っているのは親友の涼子ちゃんを除けば母くらいだ。なぜ母が知っているかって? 身近にいる人生の先輩に聞くのがいいと思ったからだ。
【なぁ姉ちゃん。そのはる君ってもしかして今宮晴斗さんのことか?】
二つの下の弟の健太が話に入ってきた。
―――そうだよ。健太、はる君のこと知ってるの?―――
【当たり前だろう! 俺みたいに明秀高校で野球やりたいのは今宮さんとやりたいからに決まってるじゃん! なんたってあの人は―――】
『あらぁ、はる君は有名人なのね』
【そうだ、母さん! せっかくなら今宮さん、うちに呼ぼうよ! 俺、あの人に憧れて明秀に行こうって決めたんだ! 色々話聞きたい! なぁ、いいだろう!?】
弟の健太は小さい頃から野球をやっている。メインポジションははる君と同じピッチャーだけどリトルリーグではショートも守ってる。色々な高校から声がかかっているのは聴いていたけど、まさか明秀を選ぶとは。それもはる君に憧れているなんて。
って、そんなことを考えている場合じゃない! どうしてはる君が我が家に来る流れになっているのか!? 弟よ、ナイスパス!
―――わ、私も賛成! 健太が憧れてて話がしたいって言えばはる君のことだから断らないと思うし、家でご飯食べればファミレスで食べるより美味しいし、お願いお母さん!―――
力を貸して。とまでは送らず、反応を待つ。すぐに来た。
『うん、そうしましょう! 私も甲子園のヒーローさんに会いたいし、未来の旦那さんに早く会ってみたいしね。今日はご馳走作って待っているわね。美咲、頑張るのよ?』
《父さんは許さないぞ! ダメだダメだ! いくら甲子園を沸かせた男だからってそんな付き合う前から家に呼ぶなんておかしいだろ!?》
『パパ……黙ってて言ったわよね? 文句があるなら今日は残業でもなんでもして、なんなら飲みに行ってきいいわよ?』
《マ、ママ……俺が悪かったからそんなこと言わないで……》
『わかればいいのよ。じゃあ美咲。帰る頃に連絡頂戴ね? はる君によろしくね』
―――ありがとう、お母さん!――――
『それはそうと、準備だけはしておきなさいね?』
―――? なんの?―――
『なんのてあなた……決まっているでしょ?ひ―――』
最後まで見る前に私はスマホの画面を切った。頼りになるけど天然なのだ、我が母は。
「ウフフ。はる君とお家でご飯だぁ―――って、まずははる君に了承を得ないとね。連絡連絡!っと」
私はうきうき気分ではる君に今日のご飯の場所をメッセージで送る。当然、彼からは驚きの答えと、いやそれはちょっと、さすがに迷惑でしょう?、などの返事が来たが弟や母が会いたがっていることを切実に訴えて最終的にイエスと言わせることに成功した。
母曰く。恋とは駆け引きだが、押し切るときは多少強引でも押し切ることが必要だ。
そして、私はこの手作りチョコをいつ渡すか、そのことだけを考えることにした。
*****
「いや―――今宮君はすごいねぇ! まだ高校一年生だろう!? それなのによく考えているんだなぁ! おじさん感動したよ! ガッハッハッ―――」
時刻は午後8時。
場所は相馬家食卓。長女が男を連れてくるという身も蓋もない理由で定時退社の父は、はる君との挨拶もそこそこにビールを煽り、絡み酒をしていた。
「い、今宮さん! お、俺、健太っていいます! 春から明秀高校の野球部に入るんですけど……その……握手してください! あとサイン! サインください!」
弟ははる君を前にして完全に舞い上がっていた。いつ用意したのか、色紙とペンを持ってはる君に渡して懇願していた。はる君は苦笑いを浮かべながら、
「お、俺のサインなんてもらって嬉しいのか? 需要ないだろう?」
「な、なに言っているんですか!? 今宮さんのサインですよ!? みんな欲しがりますよ! そ、それに……たとえみんながいらないって言っても、俺が欲しいんです。憧れの人だから……」
照れながら、あまり見せない表情で話す健太。はる君はその様子を見て、苦笑を消してサラサラとサインを書くと健太の頭にポンと手を置いた。
「ありがとう。君が喜んでくれるなら、俺も嬉しいよ。健太くん、だったけ? 明日は暇?」
「……え? 暇ですけど?」
「よし。なら俺の自主練に付き合ってくれ。明日はオフ日だけどセンバツも近いから軽くランニングとキャッチボールがしたかったんだ。ダメか?」
「よ、喜んで! ありがとうございます! やったよ姉ちゃん!」
ひゃっほーと今どき珍しい変な喜び方をする健太をみて私は自然と笑みがこぼれた。
「あらあら……随分好かれているみたいね、美咲。晴斗君、あなたの顔じっと見ているわよ? とても幸せそうな顔をしてね」
「ちょ、ちょっとお母さん!? 俺そんな顔してないですよ!?」
「あらやだ、お義母さんだんなんて。でも晴斗君ならいつでも大歓迎よ?健太も喜んでいるみたいだし、何より美咲がね……ウフフ」
「お母さんはそれ以上何も言っちゃダメだよ! はる君も真に受けないでね? お母さんってばいつまで経っても小悪魔というか天然というか……」
「あら、美咲。そんなこと言っていいの? どうしたら晴斗君の気を引けるかあれだけ相談に乗ってあげたのに―――」
「あぁ―――!もうそれ以上何も言わないで!! はる君行こう!」
これ以上ここにいてはペースをお母さんに握られてしまう。私ははる君の手を取って二階の自室へと向かった。
「ハァ……ごめんね、はる君。せっかく来てもらったのになんだか騒がしくて。嫌じゃなかった?」
部屋に入るなりどこか落ち着きがないはる君だが、私の声掛けにはしっかり気付いたようで、
「―――えっ!? あぁ、いえ別に。みんな仲良さそうで、いいですね。弟君も後輩になりますし、お父さんとお母さんも面白い人で、とても楽しかったですよ」
はる君は笑顔で答えた。家族のことを気に入ってくれたのは私も嬉しくて、ついつい表情が緩む。
だが、ここで満足してはいけない。今日の最大のミッションはまだ終わっていないのだ。
*****
なぜか美咲さんの家に行くことになった。まぁそこまでいいとしよう。彼女の家は電車で三十分ほど移動して、駅から歩いて十分の閑静な住宅街に建てられた一戸建て。一階にリビング、キッチンとご両親の寝室。二階に美咲さんと弟の健太君の部屋がある。ごくごく一般的な造りだ。
家族の皆さんはとても優しい人たちだった。最初あいさつした時は鬼のような形相を浮かべていた父さんはお酒が進むにつれてどんどん笑顔になっていった。
弟の健太君は春から明秀高校の野球部に入るという。俺のサインを欲しがった。他の誰がいらないと言っても憧れの人だから自分が欲しいのだと真剣な声で言うのもだから慣れないなりに色紙に書いて、明日の自主練に誘った。
お母さんはとても優しい人で、この日のためにすき焼きをふるまってくれた。お肉も奮発したからたくさん食べてねぇとおっとりとした声で勧めてくれた。絶品だったのは言うまでもない。それだけならよかったのだが、何というか人が悪い。あれは多分天然だが確信犯だ。おそらくこの状況を創り出すために美咲さんを追い込んだのだ。その証拠に、俺が彼女に手を引かれて二階に上がっていくのを軽く手を振りながら音を発さず口だけ動かして、
―――うちの娘をよろしくね―――
と言ったのだ。俺に何をしろと言うのだ。
「あ、あのね、はる君!」
ぼーと考えていると、美咲さんが意を決したように話しかけてきた。これは、あの時と同じ―――
「わ、渡したいものがあるの! う、受け取ってください!」
がさごそと鞄をあさり、そこから取り出したのはピンクの包み紙に真っ赤なリボンがついた可愛い袋。
「は、はる君を思って……一生懸命作ったんだよ? あ、開けてほしいな……」
「あ、ありがとうございます……開けますね」
袋の中に入っていたのはよくできた雪のように真っ白で包まれた丸いチョコレートだった。
「他のみんなにはクランチチョコを渡したんだけど……はる君は特別だから。時間と、その……愛を込めました。エヘッ」
首をコテっとして舌を出して笑う美咲さん。一個年上というより妹のようなあどけなさと可愛らしさがあった。抱きしめて頭を撫でたい衝動に駆られるのを堪える。
「ねぇ……食べてみて。感想、聞かせてほしいな? あぁ、でも……ちょっと怖いかも」
ストップ、と言うより早く、俺はそれを口に入れて頬張った。口の中の熱で徐々に溶けていく。そこから湧き出るのはまずは甘み。それがなくなるとアーモンドが顔をのぞかせる。それをカリッと噛む。ほんの少し苦かった。
「うん……美味しいです。チョコとアーモンドの組み合わせは最高ですね」
「フ…………ハァ……よかったよぉ。不味いとか言われたらどうしようかと思ったぁ」
「フフ。美咲さんは俺を何だと思っているんですか? 一生懸命作ってくれたのに、不味いとか言うわけないでしょう」
俺は言いながら続けてもう一つ口に入れる。今度はチョコとアーモンドを一緒に味わうために最初からかみ砕く。カリカリといい音を鳴らしながら、甘みと苦みが混じり合い、先ほどよりも美味しく感じた。
「喜んでもらえてよかった。そ、それで……はる君にもう一つお願いがあるんだけど……聞いて、くれるかな?」
「……なんれすか? ンッ……俺に出来ることならなんでもしますよ?」
「わ、私ね。今日のためにすごく頑張ったんだよ。はる君に喜んでもらいたくて、一生懸命作ったの。だ、だからね、今……その……ご、ご褒美が欲しいな! ホ、ホワイトデーとか関係なくてね! そ、その……」
「美咲さん……? どうしたんですか? 顔……赤いですよ?」
うぅとうめきながら、身体をもじもじさせて美咲さんは言い淀んでいる。まるで言うべきか否かを迷っているようだ。一度目をきゅっと閉じて―――再び開けたとき。美咲さんの目には覚悟の炎が灯っていた。
美咲さんは俺の腰に手を回して抱き着いてきた。部屋の暖房はついていないはずなのに、やけに熱く感じるのは彼女の体温のせいか、それとも。
「ねぇ、はる君…………チョコだけじゃなくて、私のことも……食べて?」
潤んだ瞳で俺を見つめてくる。彼女の体格は平均よりも大分小さいため、俺が腕を回せばすっぽりと納めることが出来る。
「ねぇ……はる君は……私のこと、嫌い? やっぱりはる君は、早紀さんみたいな色気のある大人な女性が好きなの……?」
「いや……そういうことは……俺は……その……」
「私はね。はる君のことが好きだよ。大好き。危ないところを助けてくれたこと。誰よりもひた向きに野球と向きあって練習しているとこ。私のことを……ちゃんと見てくれるとこ。全部好き。はる君の気持ち……聞かせてほしい……」
俺は考えた。どうして彼女の家について来たのか。この状況になって引きはがそうという気が起きないのか。
答えは、もう出ている。
「俺は……美咲さんのことが好きです。きっと……誰よりも。あなたの笑顔に救われた。貴方の優しさに救われた。あなたがいたから俺は……今も頑張れるし、これからも頑張れる……美咲さん、大好きです」
ギュッと、俺がそこに込められる限りの愛情を込めて美咲さんを抱きしめる。
「……嬉しい……嬉しいよぉ、はる君。嬉しくても涙は出るんだねぇ……」
「もう、泣かないでくださいよ。俺、美咲さんには笑っていてほしいんです。笑顔を俺に向けて下さい。そうしたら俺、誰にも負けませんから」
「うぅ……どうしてぇ。どうしてはる君は私を喜ばすようなことばっかり言うのぉ……?ずるいよぉ。意地悪だよぉ。私の方がお姉さんなのにぃ」
ポコポコと力なく俺の胸を叩く美咲さん。その姿がとても愛おしくて、俺は彼女の頭を撫でた。
「またそうやって子ども扱いしてぇ……もう……怒った!」
えい、と可愛く言いながらも美咲さんは俺の胸ぐらをつかんで強引に自分の方に引き寄せると、そのまま唇を重ねてきた。
「……ふ……ふぁ……ンッ………はるくぅん……大好きぃ」
「み、美咲さん……ンンッ!?」
完全に目がとろんとして、スイッチの入った美咲さんは一度唇を離してもすぐにまた重ねてくる。それは徐々に激しく、過激な方へとエスカレートしていく。
「ンッ……はぁ……ふはぁっ………はるくん……好き……大好き……私だけの……はるくん……ンンッ……」
「みさき……さん……はぁ……俺も……好きです……」
「ヘヘ……嬉しい……ずっと……はるくんと……キス、したかったんだよぉ……ゥンッ……幸せ……」
ようやく離れる唇。二人の間を流れる透明の糸。しかしそこに厭らしさはなく、ただただ甘く、愛おしさだけが募る。
「ねぇ……チョコ、まだあるよね? 食べながら、キスしたら、どんな味になるかな? 甘いのかな? それとも、苦い?」
「さぁ……どうなんでしょう?」
「じゃぁ、試して、みよっか? 大丈夫、夜はまだ長いから……ね?」
可愛くて小さい、けれど大胆な一面を持つマネージャーとの甘い夜が更けていく。