第41話:嘘が下手だな
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『一体誰が予想したでしょうか! 明秀高校一年生ピッチャー、今宮晴斗君。なんとここまで驚きの完全投球! あの平成の怪物ですら成し得なかった甲子園での完全試合を初先発の今宮君が達成してしまうのか!? それとも福井の名門、敦賀清和の4番、下水流君がその夢を打ち砕くのか!? この8回表は両校にとってまさしく天王山となりそうです!』
『今宮君は球数少なく来ているとは言えまだ一年生ですからね。体力的にもそろそろ限界が近いはずです。ですが、この4番から始まる回を抑えれば……もしかたら史上初の完全試合がますます現実味を帯びてきますね』
『そうですね、そうですね! しかし、打力自慢の敦賀清和が黙って引き下がるとは思えません! 特に先頭の下水流君は並々ならぬ思いで打席に立つことでしょう!』
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俺こと下水流は、緊張でわずかに震える手を必死に抑えながら打席に立った。
頭をよぎるのは試合前に行ったミーティング。そこでは先発は左の絶対エース、松葉翔太さんだと想定して持ち球や癖などを話し合い、監督が攻略法を俺達に伝えた。
だがいざふたを開けてみれば先発は松葉さんではなく一年生投手。一回戦の大阪桐陽で3回を投げて完璧に抑えたことで一躍名の知れたとはいえ、甲子園二回戦で先発に抜擢するにはリスクが高すぎる起用だった。
それに憤慨したのは監督だ。舐められていると地団駄を踏んでいた。当然俺達選手も頭にくる部分もあった。要するに明秀高校にとって二回戦は通過点としか見られていないからだ。
だがそれは大きな思い違いだった。精密機械のような制球力。手元で微妙に動くボールに多彩な変化球。何よりストライク先行でどんどん投げてくるので考える余裕がない。だからボール球にも手が出てしまう。
気が付けば7回終わってヒットはもちろん四球ですらランナーが出ていない、完全投球でここまで来てしまった。この震えはその焦りと地元に帰った後に待ち受ける罵詈雑言を想像した時の恐怖からくるものだ。
それを打ち払うように深呼吸をしてバットを構える。マウンドの今宮君はまだまだ余裕がありそうだ。
ノーワインドアップからゆっくりと足を上げて、ぐっと身体を沈みこませながら着地。腰の捻りと腕の振りを連動させて解き放たれたボールの勢いは初回から変わりなく、一筋の閃光となってキャッチャーのミットに快音響かせて届いた。
「ストラ―――イク!」
外角低め。徹底したこの攻め方に、俺は反応こそすれバットを出すことが出来ない。タイミング合わないのか、それとも俺に勇気が足りないのか。
一度打席を外してフー、フーと浅い呼吸を繰り返す。しかし頭の中では雑音がぐるぐると鳴っていて、とても集中できそうにない。そんな時に、大久保監督がタイムを要求した。伝令でやってきたのは、ここまで三失点で何とか抑えてきた二年の引地だった。
「下水流さん。監督からの言葉、気負うな。お前はこの三年間の練習を込めて目一杯スイングしてこい。責任は全部俺が取るから気にするな、です。先輩、俺……信じていますから」
まだ最低でもあと1回は守りがあるというのに、すでに引地の目は潤んでいた。俺はそんな後輩の胸にグータッチをした。
「馬鹿野郎。何勝手に終わったみたいな顔してんだ。試合はこっからだろう? 何とかしてくるからベンチで応援しとけ馬鹿」
「……先輩。頼んます!」
おう、と返事を返したところで引地はベンチに戻った。その様子を伺っていた大久保監督と目が合い、俺は力強くうなずいた。
―――俺が何とかします。完全試合なんてさせません―――
そう視線に思いを込めた。
再び打席に立った時には、俺の震えは止まっていた。集中力も増しているように感じる。見据える敵はただ一人。マウンドに君臨する天才児。
俺が必ず、打ち崩す。
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ヤバい。素直に俺はそう感じた。簡単に外角低めのストレートで見逃しストライクを取った時は簡単に抑えられると思ったが、敦賀清和ベンチがタイムを要求して伝令と話した後の下水流さんはまるで別人だった。
俺は気持ちを入れ替えて、ギアを一段上げる。いくら球数が少なく済んでいると言っても、さすがに体力の限界も近い。点差も3点あるが、一瞬で吹き飛ぶ程度の点差だ。甲子園において安全圏は存在しない。
「まったく……ここにきて吹っ切れるなよ」
俺はマウンドで汗を拭いながら、打席に立つ下水流さんを睨む。彼の表情に焦りなく恐怖もなく、ただあるのは積み重ねてきたことよった得た絶対の自信。そして監督、仲間の信頼を両肩に載せている。
この気合に呑まれてはいけない。俺はもう一度深呼吸をして早鐘を打つ心臓と焦る気持ちを落ち着かせる。
カウントは0ボール1ストライク。
二球目に選んだのはチェンジアップ。真ん中から低めに落ちるこのボールでタイミングを外してひっかけさせることが狙いだ。今日の試合で効果を発揮している変化球だが、下水流さんはピクリと反応こそしたもののバットは出してこない。これで平行カウント。
続けて三球目。落ちる球に身体は動いたがバットは出してこなかったと考えると狙い球は何か。それともコースに山を張っているのか。もしくはここに来て研ぎ澄まされた集中力でボールが見えたのか。なんにせよ、考えていても始まらない。
選んだ球種はカットボール。コースは内角。えぐり込むように変化で投げ込む。ともすればぶつかるのではないかという恐怖の中、しかし下水流さんはむしろグッと踏み込んで腰を駒のように回転させて打ち返した。
鋭い打球が三塁線に飛ぶ。悠岐が横っ飛びで食らいつくがボールは後方に抜けていく。今日一番の歓声が上がるが―――
三塁塁審が大きく両手を上げた。判定はファール。歓声がため息に変わった。危なかったと一息つく俺とは対照的に、下水流さんの顔には笑みがあった。まさに紙一重。
だかこれで追い込んだ。あと一球ストライクを決めるか空を切らせるか、凡打に仕留めることが出来れば、この試合の流れは決定的なものとなる。そんな予感がする。
ここで何を投げるか。一球内角高めに外してのけぞらせてから、外に逃げるカットボールを投げるか、もしくはバックドアのツーシーム。それとも意表を突いたカーブか。チェンジアップに手を出してこなかったことを考えればおそらく縦の変化、スプリットも見極められるか端から捨てて手を出して来ない可能性もある。とすれば―――
日下部先輩とサインを交わす。先輩もまた同じ意見のようだ。首を縦に振り、投球モーションへと入る。打席の下水流さんの瞳が一層燃え上がったように見えた。
投じるボールは変化球。イメージするのは球速よりも落差。大きく縦に曲がるその変化は単純だが効果的。投げる投手が少なくなっているとさえ言われるもの。それがカーブだ。
下水流さんは左足を上げながら小さくテクバックをして力をためる。だがストレートに照準を合わせていたのか上げた足が地に着いた時にはまだボールははるか手前。ここから曲がり落ちるボールに対応することはできないはず。
――――ウ……オゥツッ!!!
そんなうめき声が聞こえた気がした。そして体は前につんのめることなく、しっかりと踏ん張ってボールの曲がり際を強打した。
打球はセンター方向。すなわち俺の方に高速で向かってくる。地面スレスレの軌道で飛んでくる白球に対して、俺は咄嗟に右足を差し出して外野への侵入を阻む。
「―――ックソ!」
俺の足に当たったことで最初の勢いからは衰える。加えて三塁方向に軌道を変えている。瞬時に反応していた悠岐が猛ダッシュで突っ込み、グラブで獲るのではなく素手で掴むと同時に一塁に矢のような送球を繰り出した。
「―――アウト!」
間一髪アウトの判定が下された。再びため息に覆われる甲子園。
「おい! 大丈夫か、晴斗! 足で止めただろう!? どうしてそんなことしたんだよ!」
悠岐が駆け寄ってくる。それに呼応するように日下部先輩や城島先輩もマウンドに集合する。当然、ベンチの工藤監督も心配そうに見つめてくる。
「大丈夫ですよ。当たったといっても足首とかではないので、心配しないでください。あと五つのアウト。しっかり投げ切りますから」
「……本当に、大丈夫なんだろうな? 僕たちを心配させないようにやせ我慢しているわけじゃないよな?」
「そうだ。悠岐の言う通りだぞ、晴斗。ここで無理することないんだ。記録がかかっているとはいえ、俺達の目標は優勝のはずだ。そうだろう?」
「……だから、みんな心配しすぎですって。俺は大丈夫ですよ? ばっちり完全試合してみせますから」
少しおどけながら改めてはっきりと無事だと意思を示す。ベンチにも軽く手を振って無事を伝える。念のため数球の投球練習が許されたので感覚を確かめる。よし、今のところは問題なく投げられそうだ。
あと二つ。しっかり抑えよう。
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『今宮君、なんと8回の表も三者凡退に抑えました! 下水流君の打球が足に当たった時はヒヤりとしましたが、影響はなさそうでしたね!』
『そうですね。見る限りでは球威やコントロールに乱れはありませんでしたから、痛みもさほどなかったのでしょう。鋭い当たりだったので心配でしたが……これならあと三人、きっちり抑えるでしょう』
『もしそうなれば……令和初どころから百年以上に渡る甲子園の歴史で、史上初となる完全試合の達成です! まさにその瞬間が目の前に来ております!』
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実況と解説の二人だけではない。甲子園球場に来ている観客―――敵味方問わず―――全員が、その瞬間が来ることに期待と不安を寄せている。
残すアウトは三つ。誰もが明秀高校一年生ピッチャー、今宮晴斗の大記録を期待して、早くマウンドに立ってほしいと望む中。ただ一人だけそれを阻もうとする男がいた。
「晴斗……お前、本気で僕にそんな嘘が通用すると思ったのか?」
明秀高校ベンチ裏、ダグアウト。誰もいない静かな空間で、坂本悠岐は親友である今宮晴斗に詰め寄っていた。
「……本当はすごく、痛いんだろう、右足」
「…………」
記録誕生の裏では、一年生同士の攻防が繰り広げられたという。
試合は最終回へ。
歴史が動くのか、それとも――――――