第37話:恋は戦争だよ【マネージャー:相馬美咲】
ご興味を持っていただきありがとうございます。
楽しんでいただけたら幸いです。
「おいおい、マジかよ。5回終わって完全投球って……この試合どうなんだよ……」
明秀高校側のアルプススタンドはにわかに騒然としていた。甲子園常連校と言ってもいい敦賀清和を相手に一年生投手が快投を演じているからだ。見る者を魅了する、星蘭高校のエースのような掠りもさせない圧巻の投球とは程遠いが、丁寧に打たせて取る投球術はむしろ野球好きの玄人をも唸らせる。
「はる君……カッコいい……」
「ハァ……美咲。うっとりしているのはいいけど、ぼんやりしているとあの人に大好きなはる君を掻っ攫われるよ? あなた、それでもいいの?」
私、相馬美咲は今日も朝から東京からレギュラーに選ばれなかった野球部員や吹奏楽部やチアリーディング部、関係家族などと一緒に複数の大型バスで甲子園球場に応援にきていた。
「うぅ……まさかあの女子大生さんが応援に来ていて、しかも堂々と声をかけるだなんて思ってもみなかったよぉ」
「そういうところは見ていて可愛いからいいんだけど、あなたの恋路を応援する友人として言わせてもらえば……美咲、あなた結構ピンチだよ? 例えるなら、無死満塁?」
「ちょ、ちょっとそこまでなの涼子ちゃん!? それってもしかしなくても絶体絶命だよね!?」
「それはあなたがうかうかしていたからでしょうに。私の場合は電撃戦術で仕留めたよ? 美咲にも何度もアドバイスしたのに、うかうかとうじうじしていたから……」
「だ、だってぇ……頑張っているはる君見ているだけで満足だったんだもん……」
はぁ、とため息をつく涼子ちゃん。私は唇を噛み締めながら、マウンドから降りてベンチに戻ってくるはる君を遠目に眺める。そんな彼に毎回声をかけるパンツ姿の女子大生のお姉さん。
「晴斗く―――ん! ナイスピッチング!! この調子であと4回! 頑張って―――!」
向日葵のような明るい笑顔でグランドのはる君に手を振って声をかけるものだから周囲のおじさん達もほだされているが、同時にその人がとてつもない美人だから羨ましい、恨めしい、妬ましい、様々な負の感情が渦巻いている。まさに混沌だ。
「美咲もそろそろ声をかけに言ったらどう? むしろいかないと、今宮君の彼女があの人って認識されちゃうよ?」
「うぅ……でも……色んな人がいるし、しかもあの女子大生さんがいるのに……」
「あぁもう! じれったい! あなたの思いはその程度なの!? 今宮君が好きなんでしょう!? だったらこれは戦争よ! 恋は戦争なの! あなたの想いを見せてあげなさい!」
涼子ちゃんは私の両肩を組んで真剣な目で訴えかけてきた。私はまたうめき声を上げて逡巡した。
そもそも、私がはる君に淡い好意を抱いたのはGWの頃だ。
私はなぜか知らないが、明秀高校の二大美女の太陽などと呼ばれている。一般的な高校生と比較しても小柄な体格に幼い容姿、それに反して発育のいい女性的な部分とのギャップが男子に受けるのだろう。
そのせいか、入学してから告白もそれなりにされてきた。思春期男子だから下心があるのは仕方ないにしても、上辺だけの理由の告白に辟易としていた。私のことをよく知りもしないでどうして『好き』と言えるのだろうか。
そんな高校生活が半年も続いたころ、仲良くしていた涼子ちゃんに誘われて野球部のマネージャーになった。とにかく放課後は身体を動かしていれば嫌な視線もそれほど気にならなくなったし、なによりひたむきに汗を流して白球を追いかける野球部員たちを見て元気をもらえた。
告白の数こそ変わらなかったが、私の高校生活はとても充実したものとなった。
そして時間は流れ。二年生に進級して新入部員が入ってきた。事前の情報では監督自ら口説き落としたという期待の新入生が二人いるという。それがはる君と坂本悠岐君だった。
―――今宮晴斗です。ポジションはピッチャー。目標は夏の甲子園三連覇、センバツ二連覇、計五連覇です―――
―――坂本悠岐です。ポジションはサード。目標は晴斗と同じく、甲子園の完全制覇です―――
この二人は自己紹介の時に堂々と宣言した。他の新入部員だけでなく既存の先輩部員も信じられないものを見る目で二人を見つめていた。唯一確信した笑みを浮かべていたのは工藤監督だけだった。
「へぇ……甲子園の完全制覇。すごい子たちだなぁ」
当時の私の印象は感心したがそれだけ。涼子ちゃんに聞くところによると、明秀高校野球部は過去に甲子園出場を何度も果たしている東東京ブロックでは有数の名門校。その中でレギュラーを取るだけでも大変なのに、甲子園の完全制覇を目標に掲げた。
それはすなわち、一年生からレギュラーを獲ると宣言したのも同然。分不相応とは思ったが、私は彼らから目を離せなくなった。
しかし、新入部員が入ってきたということは一年前と同じことが繰り返されることを意味した。
野球部員も含めた後輩から好意の言葉や視線を向けられたがこの二人だけは違った。彼らはただひた向きに練習に打ち込んでいた。
彼らが入部して一か月が経った頃の練習終わり。涼子ちゃんは彼氏の日下部君と一緒に帰ってしまって一人で帰っていると、学校の最寄の駅前で他校の三年生でサッカー部の主将の男の子―――名前は知らない―――に声をかけられた。
内容は付き合ってほしいというもの。練習試合で明秀に行った時に見かけて以来ずっと忘れられない、一目ぼれだった、なんならこれから軽くご飯に行かないか、そんな感じの歯の浮くような台詞をつらつらと一方的に述べられた。
このサッカー部の主将は他校ではあるが女子をとっかえひっかえしていることで有名だから気を付けるようにと涼子ちゃんから聞いていたので、私は丁重に深々とお辞儀をしてお断りをしたのだが、彼は引き下がらなかった。強引に腕を掴まれてどうしてだ、ふざけるな、自分の容姿にそんなに自信があるのか、等々強い口調で言ってきた。
私は突然のことに驚き、涙を浮かべて何かを口にしようとしたが恐怖ですくんでしまった。そして主将は私の手を掴んで引っ張ってどこかに連れて行こうとした。私はどうなるのか思っているところを助けてくれたのがはる君だった。
「あんた、何しているんですか?」
「あぁ? なんだお前? あぁ、明秀野球部の一年か。フン。お前には関係ないだろう? 黙ってさっさと帰れよ。痛い目見たくないだろう?」
「……そうですね。あなた一人なら声をかけることはしなかったんですが、マネージャーが一緒で、しかも泣きそうになっていたら、知らん顔できるはずないでしょ!」
そう言ってはる君は鞄からいつの間にか取り出していた硬式球を短いテイクバックから放り、主将の左脛にぶつけた。当然、その痛みに悶えたことで、私は彼の魔の手から逃れることが出来た。するとはる君が私の手を取って背中にかばってくれた。
「て、てめぇ……ふざけんなよ……ぶっ殺してやる……」
「もしもし、警察ですか? 誘拐未遂に遭遇しまして……はい、被害者は助けることが出来ましたが……はい、犯人が目の前で激昂してまして……はい、わかりました。至急来てください。宜しくお願いします」
「―――っな!? てめぇ! なにしてやがる!?」
「何って、警察に電話ですが、何か問題でも? あぁ、嫌がるうちのマネージャーを強引に連れ去ろうとした現場はこのスマホにばっちり録画させてもらったんで、言い逃れできると思わないでくださいね? 逃げてもいいですが、警察に提出するんでそのつもりで。さぁ、どうします?」
はる君はまるで悪魔のような笑みを浮かべて主将に問うた。わなわなと拳を握り震えるが主将だが、サイレンの音が聞こえてくるとその震えは怒りから恐怖に変わったのかガタガタと歯を鳴らすようになった。
やがてパトカーが到着して一応被害者にあたる私ははる君と一緒の、加害者の主将は別のパトカーに乗せられて軽く事情聴取を受けた。その他にも駅前ということもありはる君以外の目撃者も声を上げてくれて、もれなく主将は逮捕となり、後に聞いた話によれば無理やりホテルに連れ込んで強姦をしていた事実も発覚したそうだ。
閑話休題。
「あ、ありがとう……今宮君。 すごく、助かったよ……君がいなかったら今頃どうなっていたことか……」
「偶然ですよ。帰り道が同じだったんです。そしたらまさかこんな所に出くわすとは思わなかったですが……大丈夫ですか?」
警察署に移動して事情聴取が終わった後、私とはる君は一緒に帰った。私は時間が経つとともに恐怖が蘇ってきて震えていたのを覚えている。はる君は困ったように頭を掻いていた。
「あぁ、その……先輩もいい人を見つければ、あんなくそ野郎は寄ってこないと思いますよ? 俺に彼女がいなければ、告白したいくらいですよ! ハッハッハッ!」
それが彼なりに私を元気づけようとしているのはすぐにわかった。だって、彼の顔は照れて赤くなっていたし、絶対にしないようなことを口にしたからだ。もし本当に、彼にお付き合いしている人がいなくても告白はしないはずだ。それだけ、彼の野球に対する熱意はすさまじかった。
「遠距離の幼馴染の彼女に甲子園に出て優勝するから見ていてくれって約束したんです。あと、別の高校に進学した友人とも甲子園で戦おうって。だから、俺は頑張れるし頑張らないといけないんです」
その時のはる君の横顔は、とても真剣で、誰よりも輝いて見えた。
この時から、私ははる君のことを目で追うようになって、意識するようになった。所謂、一目惚れ言う奴だ。それも、叶わない類の恋。
でも、はる君が遠距離の彼女に振られたと聞いた時、申し訳ないがチャンスが来たと思った。この情報が副会長の耳に入るより先に思い切ってデートに誘い、二人の時だけだが名前で呼び合うようにもなった。確実に距離を縮めることが出来た。強敵である副会長の先を行き、もしかしたら初恋が実る可能性が出てきた。それなのに―――
「美咲! うじうじするくらいなら突撃してこい! 骨なら私が拾ってあげるから! 大丈夫、死にはしないって!」
「涼子ちゃん……うん。ありがとう。私、行ってくるね!」
私は階段を駆け下りた。5回の裏の明秀高校の攻撃は坂本君が二打席連続四球で歩かされたが4番の城島君のタイムリーツーベースで一点を加えて3点リードとなった。
そしてベンチからはる君が出てくるとき。私は女子大生のお姉さんより先に大きな声で彼に声援を送る。
「はるく――――――ん!!! 頑張ってぇ――――!!」
はる君は驚いたように顔を上げ、女子大生のお姉さんは誰!? という感じで私の方に振り向いた。
私の戦いは、ここからだ。