第35話:タフな試合になるな…
ご興味を持っていただきありがとうございます。
楽しんでいただけたら幸いです。
無事に立ち上がりを三者凡退に抑えて、俺はマウンドを駆け足気味に降りた。悠々と歩いて降りるのはマナー違反ということで指摘される。一息つきながら帽子を取ってベンチに入ろうとしたら、馴染みのある声援が耳に飛び込んできた。
「晴斗く―――ん! ナイスピッチング!」
見上げた先。フェンスの向こう側の観客席の最前列にその人―――早紀さん―――が手を振っていた。
「この調子だよ! 頑張ってね―――!」
顔を上げると早紀さんと目が合う。しかしこの場で声をかけるのは憚れたため、俺は脱いだ帽子を軽く掲げることでその応援に応えた。
―――観に来てくれてありがとうございます、早紀さん―――
そう心中で付け足して、俺はベンチに入った。待機していた日下部先輩や松葉先輩が容赦なく絡んできた。
「おい晴斗、あんな綺麗な人とどこで知り合ったんだよ!? 羨ましいねぇ!」
甲子園初先発の初回を無事に抑えた一年生投手に対して、労いの言葉を言うより先に肩を組んでからかってくるのは控えに回っている三年生エースというのはいかがなものだろうか。
「松葉さん、あの女の人は晴斗の隣に住んでる女子大生ですよ。ほんと、ふざけていると思いません?」
「……よし晴斗。試合終わった詳しく聞かせろよ? それと拓也、お前もこんな面白そうな話を黙っていたことをしばくからな覚悟しておけよ?」
そんな、と嘆く日下部先輩。こんなふざけた雰囲気でいいのだろうか。工藤監督もこのやりとりを見ながら何も言わず、ニコニコしているだけ。唯一殺気じみた空気を身体から放っているのは悠岐だ。今日も3番で起用されているので初回に絶対打順が回ってくる。
悠岐はヘルメットを被り、バッティンググローブを付けながらこちらを睨みつけた。
「先輩……少し黙って下さい。集中、できないじゃないですか」
悠岐の目は燃えていた。マウンドで投球練習をしている相手チームのエース、変則的な投球フォームとその球筋を見極めようと目を凝らしていた。完全に集中モードに入っている。
「フフ。頼んだぞ、悠岐。一発打って、楽に投げさせてくれよ?」
「……任せておけ、晴斗。僕が打ってお前が投げる。これで負ける試合はない」
普段より一段近く低いトーンの声で悠岐は宣言した。俺は一安心してベンチに腰掛ける。さて、初回から先制点が入ることを期待しよう。
****
『1回の裏、明秀高校の攻撃。先頭バッターは粘って四球を選んで出塁。二番がきっちり送って1アウト二塁。ここで迎えるは一回戦で二本のホームランを打った三番坂本君。いきなり先制のチャンスですね。ここは敦賀清和としてはしっかり抑えたい所ですね、吉瀬さん』
『そうですね。最高の立ち上がりだったとはいえ、甲子園初先発の今宮君には先制点は一番のプレゼントになりますからね。更に、それが同じ一年生の坂本君が打てばさらに力になるはずです』
『なるほど! ではそうなると、敦賀清和のバッテリーが坂本君をどう抑えるのか。注目して観ていきましょう!』
*****
俺の名前は引地浩二。敦賀清和高校の二年生で1番を背負っているピッチャーだ。癖のある投球フォームと自覚してはいるが、これは中学の頃から慣れ親しんだものだし、監督からも面白いし打者にしたらタイミング取りづらいから続けていこう、と言われた。
球速も最高142キロ、変化球もカーブ、スライダー、チェンジアップとそれなりに投げられる。コントロールにはばらつきがあるが、球威で押し込める自信があった。
制球眼がいい先頭打者を四球で歩かせて、送りバント。二回戦と言っても最初のアウトを取るまでは緊張する。これでようやく落ち着けるが、迎えるバッターは中軸。前の試合で二本のホームランを打った怪物一年生。
「こいつを抑えれば次の4番はまだ当たりがないから無失点で抑えられる」
俺は自らに言い聞かせるために声に出して、セットポジションに入った。ランナーがいない場面では大きな二段モーションだが、さすがにこの場面で大きく足を上げれば三盗を許しかねないのでクイックで投げる。球種は自慢のストレート。コースというより思い切り腕を振って力強いボールを投げることに意識を向ける。
なぞるコースは真ん中外寄り。高さは低め。これならさすがにボールになったとしても打たれまい。しかし―――
『打ったぁあああぁぁぁぁ――――――!! 打球は左中間だぁ!! ものすごい勢いで飛んでいき………なんと打球はそのままスタンドに入りましたぁ!! 明秀高校先制の2点本塁打!』
『いや―――振り遅れたと思ったんですが、見事に逆方向に打ち返しましたね。引地君の投げたボールも悪くありませんでしたよ。少し真ん中寄りだったとはいえ、初球を見事にはじき返した坂本君の打撃が素晴らしかったとしかいいようがありませんね』
『ダイヤモンドをゆっくりと回る坂本君。 対してマウンド上の引地君はあまりの出来事に呆然とした様子で腰に手を当ててボールが飛んだ左中間スタンドを見つめています』
『この2点は仕方ないと割り切ったほうがいいですね。それよりも次の城島君をしっかり抑えることに意識を向けたほうがいいです』
『まさかの被弾で2点を失った敦賀清和バッテリー。ここから立ち直ることはできるのか!?』
いやいや、嘘だろう。あのコースのストレートを強引に引っ張るのではなく、逆らわずにレフト方向にしかも豪快なフルスイングで流し打ってスタンドまで運ぶとか、一年生どころからプロ並みの打撃技術だろ。信じられない。これだから天才は困るのだ。
「おい、大丈夫か引地?」
少し小柄な大打者がダイヤモンドを一周し終えるわずかな間、呆然と立ち尽くしていた俺のことを心配した先輩キャッチャーがマウンドに駆け寄ってきて声をかけてきた。細かいことだが、こういう気遣いは正直ありがたい。
「大丈夫ですよ、先輩。あんな打ち方されたんじゃ、この先あの3番との勝負は避けたほうがよさそうっすね。ありゃ天才です。大阪桐陽の北條さんクラスです」
「そうだな……監督も1打席目は様子を見ると言っていたけど、あの調子なら残りの打席はくさい所で勝負を避けるのが吉だな」
「そういうことっすね。だからこの2点は痛いですけど、この後しっかり投げるんで、よろしくお願いします」
おう、と返事をしながら胸を叩いてくる先輩キャッチャー。ここから改めて仕切り直しだ。右打席に立つ明秀の4番の城島さんの顔は厳ついが緊張でガチガチに身体が固くなっているのが見て取れた。これなら、彼本来のスイングはできないだろう。油断はできないが、十分打ち取ることが出来る。
「さて、仕切り直しといきますか!」
城島さんに甲子園初ヒットを許したが、後続の5番、6番を抑えて初回を乗り切った。それにしても明秀打線、実に厄介で強力だ。
この先のことを思うと、俺は笑わずにはいられなかった。タフな試合になる。俺はそう予感した。