第29話:初めてをあなたに上げます【女子大生:飯島早紀】
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結局、試合を全部見ることなく店を出ることにした。3回を終わって0 対 5、星蘭高校がリードしていた。先発の青柳投手は四球こそ出すものの無安打で抑えている。仮に失点したとしてもその時はエースにスイッチすればいいだけ。序盤だが、勝負はほぼ決した。
「早紀さん、本当にすいません。食事代、全部出してもらっちゃって。自分の分は自分で払うのに……」
「いいのいいの! ここは甘えるところだよ? デート代は全部男が出すもの、って決まっているわけじゃないから。そういうのはね、同級生の子とするときに考えればいいの。今、私といる時は気にしないでいいからね?」
「そういうわけには……男としてのプライドがありましてですね。発揮させてほしいなぁと思っているんですが……」
「だぁ―――め。年上の威厳の方が男のプライドに勝つんですぅ。悔しかったら、甲斐性見せてくださぁい」
フフッと笑って早紀さんは俺の腕に再び抱き付いてきた。俺はやれやれと思いながら、しかしそれを解くようなことはせず、歩幅を彼女に合わせて歩く。
一度甲子園球場の方まで戻り、近くにある二階建ての複合型ショッピングモールに入った。夏休みと言うこともあって子供を連れた親子など多くの人たちで賑わっていた。
「なんとなくここに来ましたが、早紀さんは何か観たいものとか買いたいものとかあるんですか?」
「ん―――特にはないかな。とりあえず、晴斗君とのんびりウィンドウショッピングができればいいかな。晴斗君は、欲しいものとかないの? お姉さんが―――」
「大丈夫です! 俺も欲しいものはないですから! さぁ、ウィンドウショッピングをしましょう! そうしましょう!」
俺は無理やり作り笑いをして早紀さんと腕組みしたまま店を回ることにした。
その様子を、同じ学校の天才バッターと先輩キャッチャーに見られているとは知らずに。
*****
午前の練習が終わり、自由時間になった午後を親友の晴斗とご飯を食べに行こうと誘うとしたらあいつはすでに忍者の如く消えていた。唸っているところを日下部さんに声をかけられた。
意気消沈してフラフラと日下部さんにくっついてご飯を食べて、気付いたらショッピングモールに来ていた。元気を出せってクレープをおごってもらって少し元気が出た。すると、見覚えのある背中を見つけた。
「ぐぬぬぬ……晴斗の腕に抱き付いているあの女は一体誰なんだ……?」
見覚えのある背中。ちらりと見えた横顔。間違いない、晴斗だ。だがあいつの腕にだきついて、幸せそうな笑顔を浮かべているあの女は見覚えがない。幼馴染の元カノは何度か会ったことがあるが、そいつは遠距離になった途端に晴斗を捨てたって聞いたが、今の晴斗はこれまで観たことのないニヤついた顔をしている。
「おいおいおい、マジかよ。あの人、甲子園にまで来たのかよ。あれ?今日もいるってことはもしかして泊まりでか? うわぁ……こいつはマジだな」
「日下部さん、知っているんですか!? 今晴斗と腕組みしているあの女のことを! 誰なんですか!? 教えてください! 先輩は晴斗の相棒でしょう!?」
「こらこら……クレープ持ちながら先輩の胸ぐらをつかんで揺さぶるんじゃないよ、天才児。俺だって詳しくは知らないが、隣の家に住んでいる女子大生って言ってたけど―――っておい、悠岐? どうした?」
僕は自分の身体から魂が抜けていくのを感じた。あぁ、死ぬってこういうことをいうのか。だが、ここで死ぬわけにはいかない。晴斗にまとわりつくあの女の本性を暴かなければ。晴斗を悲しませるような女を近づけるわけにはいかない。
「……日下部さん。ここから先は、わかっていますよね?」
「……現相棒として、二回戦の先発を任された投手のことはちゃんと知っておかないとな?」
皆まで言うな、と日下部さんは最後に付け足した。ここから先はいかに気付かれず気配を消して二人の様子をうかがい、そしてあの女が晴斗に与える影響を調査する。
「もし、晴斗に悪影響を与える奴なら、僕が引きはがさないと……!」
「……なぁ、悠岐。お前は晴斗の、なんなのさ?」
僕は晴斗の親友だ。それ以上でも以下でもない。クレープを齧る。生クリームが甘い。この状況は、苦々しい。
*****
後をつけられている。ミッションはインポッシブルごっこを楽しんでいる天才と相棒の二人に気付いたのは一階にあるジュエリーショップを覗いていた時だ。早紀さんがどうしてもと言うので入ったところで、殺気と言うか怨念のような気配を背中に感じた。
「どうしたの、晴斗君?」
「いえ、なんだか寒気と言うか怖気を感じました」
「……大丈夫? 風邪とかひいたら目も当てられないよ?」
「大丈夫です。原因は―――わかったので」
下手人の二人はクレープで微妙に顔を隠して遠目からこちらの様子を伺っている。というか、悠岐はまだしも日下部先輩まで楽しそうにしているは何故なのか。解せぬ。
「あぁ、そういえばあの時、日下部先輩には早紀さんのこと話したっけか。それを悠岐に話して……」
「ねぇねぇ晴斗君! これなんてどうかな? ピンクゴールド調にブーケが付いてるの! しかもこのブーケ、全部手作業で作られているだって!」
早紀さんがキラキラした笑顔で指差したのは値段の割には丁寧に作り込まれてネックレスだった。
「うん、早紀さんの胸元にとても似合いそうですね。あっ、誕生花ごとにブーケのデザインが違うみたいですよ。早紀さん、誕生日はいつですか?」
「……7月6日。もう一か月も前……」
早紀さんが盛大に拗ねてそっぽを向いてしまった。可愛い。
俺はやってしまったと頭を掻き、カウンターにいた店員のお姉さんはやっちまったら取り返しましょうお兄さん、とサムズアップをした。
「あぁ……早紀さん。誕生日、すいませんでした。聞いておけばよかったですね」
「ううん。晴斗君は悪くないよ。そういう話はしてなかったからね。だから気にしないで。そうだ! 晴斗君の誕生日はいつなの?」
「俺ですか? 俺の誕生日は11月1日です。1ばっかりですよね」
「ううん、いいと思うよ? エースにぴったりだと思う。なら、その日は盛大にお祝いしないとね! また手料理振舞ってあげるから楽しみにしててね? それと、今度こそ、お泊りしていく?」
「……早紀さん、公共の場で誘惑するのは止めて下さい。恥ずかしいですよ」
フフッといつものように笑い、少しは元気を取り戻した様子の早紀さんに一応安堵したが、店員のお姉さんはもう一押ししないさいと視線で訴えている。やれやれと思いながら、俺は深呼吸をしてから早紀さんの肩に優しく手を置いて向かい合う。
「早紀さん。俺、四日後の試合で先発を任されることになったんです。だから、その試合に勝って、甲子園初勝利のボールをプレゼントします。今すぐ、俺が早紀さんに渡さるものと言えばそれくらいですが……受け取ってもらえますか?」
「そ、それは、晴斗君の初めてを私にくれるってことかな?」
「……言い方に激しく違和感を覚えますが、そうですね。俺の甲子園での初勝利を、早紀さんに上げます」
「……うん。わかった。スタンドで応援しているから頑張ってね? 負けたら承知しないからね?」
「はい、任せて下さい!」
早紀さんはすっかり元気を取り戻して満面の笑みが戻ったが、すぐにまたうつむいてしまった。髪の毛が邪魔でよく見えないが、顔が真っ赤だ。なんでだろうか、とよくよく考えてみれば店の中でかなり恥ずかしい宣言をしていた。煽ってきた店員のお姉さんも顔を真っ赤にしてあまりの恥ずかしさに顔を両手で隠している。
今更現実に戻って恥ずかしさを覚えた俺は、まだ照れている早紀さんの手を取って駆け足で店を後にした。
ぐぬぬぬぬ、と親友の唸り声が聴こえたような気がした。