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第96話:雪国のエース

ご興味を持っていただきありがとうございます。



楽しんでいただけたら幸いです。

 明秀高校のセンターを守る二年生の西田は懸命に全速力で走っていた。試合の前のミーティングで三番打者の時は予め守備位置を深めにすることになっていたが、それでもなお気を抜けば追いつくことはできない打球が飛行している。


 常に打球を見ながら半身の体勢で走っていたのでは間に合わないと判断した西田はまずは走ることに集中。小まめに打球の行方は確認しながら到達地点の誤差を修正。到着。身体を正面に向けて捕球体勢に入ると背中が壁に当たった。


 ポスン、と西田の構えたグラブにボールが収まった。これで3アウト。しかし無事に捕球した西田の胸中は安堵ではなく驚愕だ。


「マジかよ……」


 気が付けばフェンスまで来ていて、これ以上後ろには下がれなくなっていた。完全に詰まったと思っていた打球がまさかここまで伸びてくるとは思わなかった。もしこれがジャストミートしていたらと考えると恐ろしい。それを一番感じているのは晴斗達バッテリーだろうと西田は思った。


「インハイを強引にあそこまで飛ばすか。あいつはやばいな」


「そうですね。この先気を遣いそうですね」


 バッテリーの二人はヒヤリとしたが、その分二打席目以降はより慎重に攻めていくことで認識を改めていた。カーブでタイミングを外してからのインハイの真っ直ぐを完璧に捉えてフェンスギリギリまで運んだパワー。もしボール一個分でも真ん中に寄っていたら間違いなくフェンスオーバーしていたことだろう。


「最低でもあと二回は打席が回ってくるな。あの二番打者も曲者な匂いがするし。さすが甲子園って感じだな」


 日下部は夏以来のひりつくような感覚に身体を震わせた。秋季大会ではそんなに味わうことのなかったこの感覚こそ彼が求めていたもの。強敵との鎬を削る戦いこそがチームの頭脳である己が最も輝くことが出来る。


「安心しろ、晴斗。お前のために僕が景気よく一発放り込んでくるから。あの巨漢とは違うことを見せてやるよ!」


 悠岐はバッティンググローブをはめながら息巻いた。先ほどの太田の打撃を見て気分が高揚しているのだろう。まるでおもちゃをぶら下げられて興奮している子犬のようだ。尻尾があればぶんぶんと振り回していることだろう。


「油断するなよ、悠岐。あのエース、多分手強いぞ。なんて言ってもあのピッチャーは―――」


牧田翼(まきたつばさ)君、2年生。右の本格派(・・・)のアンダースロー投手です。北海道大会を一人で投げぬいて防御率は2点台。さすがの坂本君でも苦戦するかな?」


 晴斗の言葉を引き継いで、札幌国際のエースの情報をすらすらと話したのはマネージャーとしてベンチ入りしている相馬美咲だ。美咲以外に候補として尾崎涼子の名前が上がったが、日下部と交際していることは広く知れていることから美咲が選ばれた。


「相馬先輩の言う通りだ。本格派のアンダースローは早々対戦する機会はないからな。くれぐれも油断するなよ、悠岐」


「大丈夫。映像を見る限り、変化球はカーブとシンカー中心。チェンジアップもあるみたいだけど割合は少なそうかな。まぁ狙うとしたらストレートかシンカーかな」


 美咲と晴斗は思わず顔を見合わせた。決勝戦の映像を一度見ただけで投球の割合を感覚として把握して狙い球も絞っていた。


「まぁ実際に打席に立ってみないとわからないこともあるけど。まぁなんとかしてみせるさ。って、どうしたんだよ晴斗。相馬先輩もそんな呆けた顔して。僕、何かおかしなこと言ったか?」


「いや……気にするな、悠岐。いかにお前が凄いかよくわかったよ」


「そうですね。坂本君が味方で本当に良かったです」


 二人のどこか達観した反応に、悠岐は首を傾げながらも投球練習を行っている牧田に視線を移した。


 歓声に湧く甲子園。ベンチも初の甲子園メンバーが多いこともあって活気に満ちている。その中において、晴斗と美咲の間にはとても静かな空気が流れていた。


「はるくん。ナイスピッチングだったよ。いきなりヒット打たれたときはびっくりしたけど」


「ありがとうございます。雨のせいで感覚が少し狂ったみたいで。多分、今日は投げミスが増えると思います」


「……頑張ってね、はるくん。ベンチから応援しているから」


「……ありがとうございます、相馬先輩」


 これで会話は終わり。晴斗はベンチの最前列に、美咲は最奥にそれぞれ移動する。


 美咲は晴斗の心が自分に決して向かないことを理解している。それでもこの淡い恋心を諦めることが出来ず、こうして誰よりも晴斗を近くで応援できるベンチ入りマネージャーをしている。


 指名されたとき、最初は断ろうと思っていた。


 晴斗のそばに居たい。けど居ていいのだろうか。彼女である早紀さんに申し訳ないのではないか。そもそも晴斗は嫌がるのではないか。色々なことを考えて悩んでいた。そんな美咲の背中を押したのが他でもない、親友の尾崎涼子だった。


「今宮君のこと、まだ好きなんでしょう? なら、その気持ちを押し殺したら辛くなるだけだよ? それにさ。美咲は今宮君をその早紀さんから奪うつもりはないんでしょう? 頑張っている好きな男の子を近くで応援したいんでしょう? 素直になりなって! うじうじ悩むなんて美咲らしくないぞ!」


 そう言って親友に背中を押された。たった一つしかない晴斗の隣の席はもう埋まっていて、この先、おそらく一生空席になることはないだろう。晴斗と早紀は決して解けることない愛情の絆で結ばれている。それを壊す気はない。晴斗の心は晴斗だけのものだから。


 だけどせめて。自分が野球部のマネージャーとして活動できる残りの少ない時間だけは。この人(晴斗)を誰よりも近くで応援することを赦してください。そう美咲は心の中で懺悔する。


 試合は1回の裏。明秀高校打線と雪国のアンダースロー投手との対戦の幕が上がる。


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