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悪役令嬢に土下座されました

 悪役令嬢が土下座していた。

 転入初日で、庶民、ひとつ年下である私の目の前で、高貴なるヴォラトフ公爵家のご令嬢メイヴィス様が。

 いっそ人違いであって欲しかったが、残念ながら私には前世の記憶があり、最終的には悪役令嬢メイヴィスにとどめを刺す立場だと知っている。

 乙女ゲームの世界に転生。そんなラノベのような展開が自分にも起きるとは思ってもみなかった。

 それにしてもさすが公爵令嬢。土下座している姿勢まで美しい。

 土下座さえも芸術的なのには感心するが、私が学園に足を踏み入れて早々はやめてほしかった。


 公爵令嬢土下座事件は瞬く間に広まったが、誰もそのことを口にはしなかった。

 当たり前だ。公爵家は王家に次ぐ権力で、ご令嬢は王太子セオドア殿下の婚約者。事実だとしても本人の耳に入る可能性がある場所では誰も話題にしない。

 代わりに裏では言いたい放題となる、貴族怖い。

 ちなみにメイヴィスは土下座する際。

「お願いします、殺さないでください!」

 などと叫んだため、私は転入初日で腫れもの扱いとなった。

 庶民ではあるが高い魔力を認められ、一カ月遅れで入学したフィオレナ。

 乙女ゲームヒロインの鉄板だね。

 金色の髪にグリーンの瞳、可愛らしい顔立ちのわりに魔力がえげつない。魔力量だけなら国内随一、王宮の魔法師団の中にも匹敵する者はいない。

 転入初日からゲームが始まり、そしてセオドア殿下、宰相の息子、騎士団長の息子なんかと一年かけて恋に落ちていく。ハーレムエンドもある。ゲームをやる分には楽しめるが、実際の世界となれば別だ。

 王太子妃なんて面倒でしかない。最終的には王妃とか、庶民になれるわけがない。高貴なる者は、生まれたその瞬間から高貴なる者なのだ。ヒロインだといっても貴族令嬢達の数年にわたる努力を一瞬で埋めることは難しい。

 宰相家も公爵だからそのうち『うわぁ、格差が…』って辛くなる未来しか見えない。頭脳明晰なエリートキャラなので、庶民妻など最初は良くても、後で絶対に邪魔になるに決まっている。容姿が衰えたら育ちの悪さをバカにされそう。

 バカといえば脳筋なんて不良債権だよね。ショタキャラは論外。魔王はヤンデレで魔王として怖いというより、ヤンデレ化した後が恐ろしすぎる。女装するような貴族令息は変態だと思っているし、二十歳年下の生徒に手を出す教師もちょっと無理。年の差はせめて干支一回り以内でお願いしたい。

 ゲームではバラエティ豊かな攻略対象も、現実では残念な男が多かった。

 唯一『ちょっといいかも』と思っていたキャラは悪役令嬢の弟ランドルフ。兄、姉、弟…の弟なので、公爵家の跡取りではない。弟は余っている爵位をもらうのが一般的で、良くて伯爵、悪くて男爵あたり。

 ヒロインの同級生で攻略対象リストからは外れているが、姉と揃いの美しい銀髪で、おとなしそうな好青年。ゲームでも控えめに姉を止めているだけであまり役に立ってはいなかった。

 だが、それがいい。

 地味だけど顔は整っているし背も高い。

 仲良くなるなら弟一択だと思っていたのに、義姉(予定)に淡い夢を壊された。

 教室で席に座ったままため息をつく。

 お昼休みになったから学食に行かないと。もう誰も教室に残っていない。転入初日だというのに校内を案内してくれる人はもちろん声をかけてくれる人もいない。

 貴族が多く通う学校だから遠巻きにされるのは仕方ないと思っていたけど、これ、絶対に覚悟していた遠巻きとは意味が違う。様子見ではなく『今後もいないものとしましょう』ってやつ。

 のろのろと立ち上がると紙袋を抱えた男子生徒が飛び込んで来た。

 私を見つけると、紙袋を近くの机の上に乗せて。

「この度は姉が迷惑をかけてすまなかった!」

 と、頭を下げた。


「今朝は姉の騒ぎに巻き込んで申し訳ない。子供の頃から思い込みの激しい姉で」

 妄想癖があり、最近では『ヒロインに殺される』と情緒不安定になっていた。

 確かに…、悪役令嬢はルートによっては死ぬ。しかしヒロインが殺すわけではない。止められていたのに魔王との闘いについていき巻き込まれたとか、ヒロイン以外にもシャレにならないいじめをしてその親族に刺されるとか。

 私が直接、手を下すルートはない。罪を暴く程度で、悪役令嬢が何もしなければ何も起こらないはず。

「あの…、メイヴィス様と婚約者であるセオドア殿下との仲はよろしいのですか?」

「たぶん。手紙のやり取りも多く、お茶会や夜会にもよく二人で参加しているよ」

 メイヴィスは銀糸の髪に深い藍色の瞳で肌の色は透き通るほど白い。黙っていれば儚げな美人。原作ではあまりの美しさに誰もが『メイヴィス様の言うとおり』となってしまい、我儘娘になってしまった。

 一方、フィオレナは生粋の庶民。貴族の隠し子でもない。庶民としてはごく平均的な家庭で育った。鍛冶職人の父にそれを助ける母。子供は私一人。魔法の才能がなければ鍛冶職人仲間から婿を取っていただろう。

「私…、生まれも育ちも庶民です。ご存知かと思いますが」

「でもとても高い魔力を持っているのだろう?転入前から噂になっていた」

「持っているだけです。身の程はわきまえています。王太子殿下やその他の皆様と気軽にお話できるような立場にもないのに、そのルールを破る気はありません」

「そんなかしこまらなくても…、ここでは皆、同じ立場の学生だ」

 首を横に振る。

「ランドルフ様も私の事は気になさらず無視してください」

 ランドルフが紙袋を差し出した。

「今日は食堂に行き辛いだろう?サンドイッチが入っている。その…、一緒にどうかな?」

 それは自分なりに精いっぱい丁寧に断った。

「いいえ、受け取れません。受け取る理由がございません」

 深々と頭を下げて、教室を出る。

 学食に向かうとなんとか時間に間に合ったようで、ランチプレートを受け取る。

 急いで食べないと。

 食事のマナーは前世の知識だけで、それが正しいかどうかもわからない。クスクスと笑う声が聞こえてきて、途端に食欲が失せてしまったが、なんとか食べきった。


 庶民はたくましいのだ。

 友達が一人もできなくても、陰で笑われても、貴族の作法がわからなくても気にしない。魔法の勉強のために入学したのだから、この道を究めるしかない。

 ヒロインチートで魔力は魔王並みにあり、魔法に関しては驚くほどするっと覚えられる。

 問題は一般教科だった。庶民が受けてきた教育は生活に困らない程度の読み書きと計算のみ。家庭教師がついていた貴族に比べれば圧倒的に不足している。

 攻略対象達と交流しつつ高いレベルの成績を維持するなど不可能なため、余暇の全てを学業につぎ込んでいる。恋愛イベントが起こりそうな場所は避け、極力、学生寮の自室にひきこもる。

 勉強以外の生活は食べているか寝ているか…となり、友達は一カ月が過ぎても一人もできなかった。

 そして二ヵ月を過ぎると、食事の時間も削って勉強時間にあてるようになっていた。


 倒れた。

 授業の最中にいきなり意識が途切れ、気が付いた時には病室のベッドで寝ていた。学院内にある保健室で、医師と看護師が常駐している。医師も看護師も男女一人ずついて、女子生徒は女性が、男子生徒は男性が診る。貴族は…、面倒くさい。

 意識が戻りぼんやりと天井を見つめていると、看護師さんが入ってきた。若くてきれいな女性だ。きっとこの看護師さんも貴族なのだろう。誰もかれもが自分よりも上等な人間に見えてしまう。

「気がついた?気分は悪くない?」

 優しく聞かれて、頷く。

「大丈夫です。ご迷惑をおかけしました」

 起き上がろうとしたら止められた。

「待って、今、センセイを呼んでくるから」

 医師は優しそうな高齢女性で、顔色や脈拍などを確認していた。

「過労ね。睡眠と栄養が足りてないわ。もっと食べないと体がもたないわよ」

「そう…、ですね」

「大丈夫?」

 頷く。

「はい…、ご迷惑をおかけしました…」

「貴女が倒れたと聞いて、お見舞いに来てくれた人がいるのよ」

 そんな相手はいない。入学してから友達は一人もできなかった。ただの一人も、会話した相手すらいない。

 転入初日で公爵令嬢を土下座させたのだ。ただでさえも庶民というだけで下に見られるのに、その上公爵家の敵認定。同じ庶民の子だって近づいて来ない。私だって他人を巻き込みたくはない。私と仲良くすれば同じようにいじめられる。

 ぼんやりと入り口の方に視線を向けると、さらさらと流れるような銀糸の髪が見えた。

 瞬間、私は発狂したかのような奇声をあげて気絶してしまった。


 夏休み直前ということもあり、そのまま休学扱いとなり実家に帰された。

 痩せ細った私の姿に母が泣き出してしまい、私も泣いた。

 わんわん泣きながら、せっかく入った学園だけど退学しようと決めた。

 乙女ゲームの世界だと知ってはいたが、攻略対象と関わらなければ大丈夫だと思っていた。

 庶民だということをわきまえていればうまくやれると思っていたがあまかった。まさか物語が始まった瞬間につまずくとは。

 予定では無難な学園生活後、魔法師団に就職。庶民ならば仕事を続けている女性も多くいるため、自分もこの魔力で国に貢献できればと考えていた。

 今は魔法も就職もどうでもいい。魔王や魔物も知ったことではない。倒したいのならば貴族たちが頑張れば良いのだ。

 私をスカウトした学園の教師が会いに来てくれたが、復学する気はないと断った。

 残念そうにしていたが、しつこく食い下がることなく帰ってくれた。

 これで自由だ。気楽な庶民生活に戻れる。

 ヒロインになれるくらいだから外見スペックは悪くない。お父さんに頼んでお婿さんを見つけてもらえば生活も安泰。

 せっかく生まれ変わったのだ。気持ちを切り替えて人生を楽しまないと。


 花が届いた。ブーケサイズの花束で明るい黄色やオレンジでまとめられていた。添えられたカードにランドルフとあり脱力してしまった。

 届けに来てくれた花屋に『受け取れない』と告げる。

「そうですか…」

 配達に来た若い女性は困ったように首を傾げた。

「受け取りを拒否した場合、ランドルフ様が直接、届けに来るそうです」

「………は?」

「ランドルフ様に直接、花を届けに来て欲しい。ということでよろしいですか?」

 いいわけがない。仕方なく受け取り、呪いの言葉を綴る心境でお礼状を書いた。

 ありがとうございます、でも、二度と送ってくるな、クソが。といった内容をわりとオブラートに包まず書く。

 それに対して『気になさらずに。姉が迷惑をかけたお詫びです』と届き、『手紙も迷惑だから』と返す。

 そして本人がやってきた。

 庶民街にふらりとやってきてしまったのだ、公爵家の息子が。

 庶民っぽい服を着てはいるが、育ちの良さが滲み出ている。攻略対象と比べれば地味だが、それでも十分にイケメンだ。

「まぁ、娘の見舞いに?わざわざすみません。あら、お菓子まで。どうぞ、中でお茶でも」

 と、爽やかなイケメンに舞い上がった母が家の中に招き入れてしまった。

 我が家にも小さいながら応接間がある。そこに通されたランドルフは長い足を組んで優雅にお茶を飲んでいた。

「やぁ、久しぶり。体調はどう?」

 まるで友達に対するような口調だ。

「たった今、最低最悪になりました」

ストレートに答えた。

「学園は退学することにしました。私のほうからはメイヴィス様に近づく気はありません」

「やっぱりそうなっちゃうか」

「これはメイヴィス様の望みでもあるはずです」

 ランドルフは困ったように笑った。

「姉は毎日、泣き暮らしているよ」

 知るか。

「だからね、自業自得だって言っておいた。フィオレナ嬢が現れたら身の破滅だとか殺されるだとか妄想だけで大騒ぎして、挙句、君が学校に来なくなったらどうしよう…って。私にも姉上が何をしたいのかさっぱりわからないよ」

 まったくだ。何故、しばらく静観…をしてくれなかったのか。土下座事件さえなければ、貴族はともかく庶民の友達はできたかもしれないのに。

「君が力を貸してくれないと、この国が滅ぶかもしれないと言っていた」

「まさか」

 私一人の力ではない。攻略対象達の協力があって初めて魔王を打ち倒すことができたのだ。

 学園で無視しまくってみじめな思いをさせた、何の力も持たない庶民であるか弱い少女に世界の命運を担えって?

 全力で断るに決まっている。攻略対象達との信頼関係もなく闘いの場に赴くなど、死にに行くようなものだ。

「どうすれば君の力になれる?」

「何も」

 そっとしておいてほしい。

「二度とお会いすることもないかと思います。このまま花嫁修業をして父が探してきた男性と結婚します」

「そう…、わかった。姉が迷惑をかけて本当に申し訳なかった」

 頭を下げるランドルフの姿を見ても、もう何の感情も動かなかった。


 のんびりと家事を手伝いながら過ごした。暇な時間は刺繍をしたり、教会に併設された孤児院を訪ねたり。子供たちに読み書きを教えているのだ。

「お、すごいな。もう足し算は完璧じゃないか」

 ランドルフに褒められた子を見て、他の子達もわらわらとランドルフにむらがった。

 何故、ここにいる。

 ため息をついてそっと離れると、ランドルフもついて来てしまう。

「どこに行くの?帰るのなら送るよ」

「結構です。慣れた道ですから」

「慣れた道でも女性を一人で歩かせるわけにはいかない」

「庶民は女性でも一人で歩き回っています。私よりランドルフ様のほうに護衛が必要ではございませんか?」

 ランドルフはにっこり笑って『心配しなくてもどこかにいるよ』と。

「うちの護衛は優秀だからね」

「毎日のように来られても学園に戻る気はないし、メイヴィス様に会う気もありません」

「私は君に会いたくて来ているだけだよ」

「迷惑です」

「君のご両親の許可は頂いている。君は父君が薦める男と結婚するのだろう?私のことは気に入ってくれたようだよ」

 結婚って…、そんな可能性などないと思っていても強く否定してしまう。

「メイヴィス様と縁続きになるなんて死んでもお断りです」

「心配しなくても姉は王籍に入る。そうなれば私達とは滅多に顔を合わせないし、あんな面倒な姉を新婚家庭に呼ぶ気もない。私は公爵位を継がないから、一生、会わないことも可能ではないかな」

 高位貴族ならば王都の謁見もあるが、下位貴族にはそんな機会など訪れない。

 いや、そういった問題ではない。

「お互い関わり合いにならないのが一番の幸せだと思います。私は貴族とは口もききたくありません」

「そうか…、なら数年、待ってほしい。貴族位を捨てて平民となるのは問題ないが、結婚早々、君に不自由な暮らしをさせたくない。地盤を作ってからでなければね」

 キッと睨んだ。

「私には関係ない話です」

「関係あるだろう?五年後には妻の座にいるはずで、十年後にはきっと子供もいる。君だけでなく子供達にもひもじい思いはさせたくない」

「だから、どうして私が……」

 すいっと顔を近づけてきた。

 銀色の髪にメイヴィスよりはずっと薄い空色の瞳。一見、地味だけどとても整った顔で。

「君が私との結婚を承諾してくれるまで口説き続けるよ。そして公爵家の力を使ってでも他の男は全力で排除する」

 いや…、全然、地味じゃない、むしろ怖い。

「あぁ…、可哀相に震えちゃって。怖がらなくても君に危害を加えたりしないよ?近づく男に対しては武力行使もありだけど、大丈夫、君の目に触れないうちに片付けるから。学園でも無視はされていても物を壊されたり直接、危害を加えられたりはしなかっただろ?」

「わ、私は、庶民で…、普通の」

「そうだね。私もそう思っていたけど、何故かな。君が一人で頑張っているのを見れば見るほど、頑張らなくていいよ…って、どろどろに甘やかしたくなる。ねぇ、どうしてだと思う?」

 知らない。知るわけがないけど…、まさかのヒロイン属性のせい?


 このままでは駄目だ。なんとかしなければランドルフに捕まってしまう。すでに両親は『貴族だけど気さくで穏やかな好青年』だと受け入れてしまっている。

 何かおかしい。予想もしていなかった方向に話が進み始めている。

 魔王はどうした、魔物討伐とか、レベル上げイベントもしていない。キャラクターは同じなのに、ゲームイベントがいくつも省略されたまま進んでいる。私がわざと起こさなかったせいもあるけど、他のキャラ達もレベル上げをしていないように思える。

 軌道修正するためにはどうすればよいのか。

 考えて、考えて…、天敵メイヴィスに会うことを決めた。

 暇なのか、一日に一回、顔を見せに来るランドルフにメイヴィスとの面会を頼む。

「不本意ながら、このまま放置しておくと私にとっても良くない方向に物語が進むかもしれないので」

「君も姉のような事を言うの?」

「………私にも記憶があります。その物語では嫉妬にかられたメイヴィス様が悪逆非道の限りを尽くし、良くて国外追放、最悪、殺されます。殺すのは私ではありませんが、無関係とも言えない関係です。信じなくても構いませんが、メイヴィス様と私の未来のために、会って、方向性を決めたほうが良い気がします」

 ランドルフはあっさりと『信じるよ』と答えた。

「姉は取り乱すばかりで妄言としか思えなかったけど、君はとても落ち着いている。嘘をついているようにも、錯乱しているようにも見えない」

 ただし話し合いの席に同席すると言われた。

「殺すだの、殺されるだのと物騒な間柄なら二人きりにならないほうが良いだろう?」

 メイヴィスと会うためにはランドルフの協力が必要だ。素直に頷いた。


 そして私は何故かランドルフと公爵家の豪華な馬車に乗り、公爵領に向かっていた。王都からほぼ一日の距離で、公爵領には何日か滞在することになる。

 一人で帰ってこられないから。

 旅行と宿泊に必要なものは全てランドルフが用意してくれるとのことで、身だしなみに必要な小物と下着だけを持って馬車に乗っていた。ちなみに服はランドルフに贈られたものを着ている。

 意味がわからない。

 桜色の上品なワンピースにレースのカーディガンは可愛いけどっ。ワンピースには小さな花が刺繍されていて、カーディガンも着心地が良い最高品質のものだけどっ。

「それにしても泊まりだなんて…、どうやってうちの両親を説得したのですか?」

 メイヴィスとの面会を頼んだ翌日には両親が上機嫌で私を送り出す準備をしていた。

「君の気分転換と療養のためにと伝えたら、快諾してくれたよ。父君には君の純潔を奪わないようにと念押しされてしまった」

「そんな間柄ではありませんよね」

「今はね」

「今後、一生、永遠に、絶対にありません、お断りです」

「なかなか良い相手だと思うけど?今は公爵家だが、家を継ぐことはない。学園を卒業したらおそらく国に仕えることになる。騎士隊を目指しても良いが、あちらは地方勤務があるからな。平民となっても商売ができる程度の才覚はある。鍛冶屋を継ぐのは難しいが、君のお父さんの助けにはなれる。その程度のコネは既に作ってある」

 確かにその通りなのだろう。

「仲良くしているご令嬢はいらっしゃらないのですか?」

「顔見知りは多いよ。紹介してほしい?」

「いいえ。もう…、必要ないので」

「ごめんね」

 孤立している私をただ黙って見ていた。直接、危害を加えようとする者達を陰で止めていたが、ランドルフ自身が表立って動くことは控えていた。

 そんな事をすれば一部の女生徒にますます嫌われる。

「君が倒れたと聞いて、さっさと行動していれば良かったと反省をした」

「ランドルフ様のせいではありません」

「見守るだけでは駄目だとよくわかった。今後は意思表示をきちんとするよ」

「結構です。メイヴィス様との話し合いが終われば会うこともなくなります」

「学園には復帰したほうがいい。君の魔力量はとても素晴らしいものだ。不安なら一緒に魔法師団に入ろう。これで家でも職場でも側にいられるね」

 ない。そんな未来は、絶対にない。と、当初、仲良くなるのならランドルフがいいかも…などと思っていたことは棚上げして考える。

 もっと弱々しい男だと思っていたのだが、意外と押しが強い。公爵家の家系のせいか?だとすればメイヴィスももっと強く生きろ、死にたくなければ泣いている場合ではない。


 前世の記憶でうっすらと覚えてはいたが、ぼんやりとした記憶と現実は迫力が異なる。

 公爵邸は城だった。

 城の周囲は高い塀と堀に囲まれていて、通行するためには跳ね橋を渡らなければいけない。当然、門番と私兵が何人もいて警備をしている。

 領地から離れると魔物が出るため、私兵を持つことは許可されている。それにしても人数が多い。

 馬車の小さな窓からそっと外を窺うと警備兵の鎧が二種類に分かれていた。描かれている紋章も違う。

 嫌な予感がした。

「あの…、私の記憶違いでなければあの紋章は…」

「セオドア殿下の護衛だね」

 やっぱり。

「できる限り顔を合わせないように調整するよ。一度も会わないことは難しいけど」

「そうしてください。メイヴィス様だけでも面倒なのに」

「セオドア殿下は凛々しくて絵姿通りの美男子だよ?会ってみたくないの?」

「勘弁してください。見るだけなら楽しいかもしれませんが、話すとか無理です。うっかり失言したら不敬罪で牢屋行きですよ?庶民には荷が重すぎます」

「私と結婚をしたら貴族との付き合いも多少は必要となる。滞在中に挨拶とダンスだけは覚えておこうか」

「結婚なんかしませんよ」

 馬車が停まり、ランドルフの手を借りて外に出る。城は…、近くで見ても城だった。これ、一人で歩いたら迷子になる。

「おかえりなさいませ、ランドルフ様」

「ただいま。こちらは私の婚約者予定のフィオレナ嬢」

 待って、今、さらっと…。

「フィオレナ、おいで。滞在中、君の世話をするメイドを紹介するよ」

 メイドを二人、紹介される。

「フィオレナは貴族の世界にあまり詳しくないからね。いろいろと教えてあげて」

「お任せください」

「まずはお着替えからですね」

 え、このままじゃ駄目なの?

「夕食前に迎えに行くよ」

 若いメイドに案内されて客間へと移動した。


 手伝ってくれるというメイド達を振り切って一人でお風呂に入り、用意されていたディナー用のドレスに着替えた。着替えも一人で頑張りたかったが、これはどうにもできずにメイドに頼んだ。ドレスは夜会で着るような派手なものではなく、かといって普段着のように簡素なワンピースでもない。

 水色のロングドレスで髪も結ってもらった。髪に生花を飾るとか初めてだ。

 支度が終わると同時にランドルフが迎えに来てくれた。

「うん、可愛らしいね。よく似合う」

 さらっと言われて、頬が熱くなる。お世辞だとわかっていても照れる。

「晩餐にはうちの両親と兄、それに祖父母がいる。セオドア殿下と姉は二人きりでと薦めてある」

「………あの、ランドルフ様と結婚する気はないですからね?」

「うん。でもね、考えてもごらんよ。君は庶民で今のところ何の後ろ盾もない。それどころか姉のせいで公爵家と敵対していると思われている。残念ながら学園内の話では済まないところにも影響が出始めている」

 学園の外での影響なんて、父の仕事しか…。

 ざぁ…と血の気が引く。

「ま、まさか…」

「だから君の父君は私が会いに行く事を拒まなかった。私も公爵家の一人だ。これで対立は家ではなく、あくまでも姉と君、二人だけの問題となる」

 ランドルフが『ごめんね』と私の手を取る。

「姉のバカげた行動のせいで、君の家族まで苦しめることになった」

 手を引かれて食堂へと案内される。

 逃げ帰った私を両親は暖かく出迎えてくれたし、学園に戻らなくて良いと言ってくれた。でも…、戻らなければ対立は本当だったと思われる。メイヴィスのほうが悪いとわかっていても、表立ってそれを言える者はいない。結果、庶民である私達家族のほうに皺寄せがくる。

 そうか…、ランドルフは私の家族のために毎日、会いに来てくれたのか。

 それならばもう十分だ。

 公爵家に招待された事実があれば懇意にしていると思ってもらえる。

 隣に立つランドルフを見上げた。

 食堂のドアはもう目の前。早く伝えなければ。

「今までありがとうございました。ランドルフ様のお心遣いに感謝します。でも、そのために偽装婚約はやりすぎです。どうか身分のあったご令嬢と…」

 顔が近づいてきて、ちゅ…とおでこにキスされた。

「………な、何を?」

「真剣な顔も愛らしいなと思って。さぁ、行こうか」

 な、な、何してくれてんの、やめてー。


 心の中での絶叫は食事中も続いた。

「まぁ、本当に可愛らしいお嬢さんね」

「学園ではメイヴィスが迷惑をかけたそうだね。あの子は昔から思い込みが激しくてなぁ」

「だから言ったではないですか。幸い殿下が気に入ってくださっているのだから、さっさと王宮に監禁してもらったほうが良いと」

 嫁に行くのではなく監禁なのか、それでいいのか、お兄様。

 食事はブュッフェ式というか、ソファに座り歓談しながらだった。給仕は全て給仕メイド?達がしてくれる。フォークやスプーンひとつで食べられるものが多いから、これならば私でもなんとか。

 庶民の味も好きだけど、マナーを気にしなくてよければ貴族の食事も美味しくいただける。お肉、美味しい、野菜もほのかにあまい。

「フィオレナ、これも美味しいよ。公爵領で収穫している野菜で、クリームソースをつけて…、はい」

「ありがとうございます」

 ブロッコリーに似た野菜にマヨネーズっぽいソースをつけて食べる。うん、美味しい。

「なんだか…、私もこの場に婚約者を呼びたくなったよ。そうだ。来年の春の結婚式にはフィオレナ嬢も是非出席してくれ」

 出席するともしないとも言えず、ランドルフを見ると。

「心配しなくても花嫁に負けないドレスを用意してあげるよ」

「おい、そこは遠慮してくれ。当日の主役は私の花嫁だ」

 なんで私が婚約者だと認めてしまっているの、庶民は駄目でしょ?公爵家と結婚をするのならば男爵家だってかなり厳しいと聞く。

 食後、部屋まで送ってくれたランドルフに『ちょっと待って』と改めて言う。

「身分差がありすぎますよね?今までも政略結婚の候補くらいいましたよね?」

 ソファに座るとメイド達が退室した。

「確かに高位貴族は政略結婚が多い」

「ですよね」

「兄の婚約者は辺境伯の姫君で軍事関係に強大な影響力を持っている。そして姉は王太子の婚約者で、何事もなければ王妃だ」

「そんなすごい環境の中、庶民は…」

「逆にいうと力を持ちすぎで、これ以上、強化すると王家をも脅かす存在となる。だから私は幼い頃から力を抑えて生活してきた。成績も剣技も魔力も、全力を出さないように」

 平均よりちょっと良い程度で調整していた。よくよく見れば整った美しい顔立ちなのに、わざと地味な見た目になるように調整していた。

「ずっと兄と姉の陰で良いと思ってきたが、気になる女性を口説く時くらいは本気を出しても良いよね?」

「いけません」

 かぶせ気味に答えた。

「陰のままでいましょう、そこは。あと、私ごときに本気にならなくていいです」

「そう?君が可愛くお願いしてくれたら、ドレスも宝石も、なんなら一生、のんびり暮らせる別荘だって用意するよ?」

「本気でいりません、私が望むものは平穏な生活だけです」

「うん。だからね、その平穏な生活は私か用意してあげるから、安心してお嫁においで」

 駄目だ、話、通じない…。


 翌日、メイヴィスのお茶会に招待された。断固、拒否したかったがセオドア殿下もいてメイヴィスは異常にビクビクとしていた。既に涙目だ。

「あの、私………」

 二人掛けのソファでセオドア殿下に抱えられるようにして座っていたのに、流れるような美しい動きで床に両手をついた。

「ご、ごめんなさい」

「やめてください、土下座なんてされても事態は好転しません」

「でも…、謝罪するのには髪を切って土下座が一番だと…」

「や、め、て、ください、メイヴィス様を坊主にしたら私が殺されます」

 冷ややかな目で見ているセオドア殿下に。

「ご、ごめんなさい」

「とにかく座って。メイヴィス様はセオドア殿下の腕の中でおとなしくしていてください。いいですね?何、距離を置こうとしているのですか、今さらです、いっそ膝の上にでも乗っていてください、私、気にしませんから」

 セオドア殿下はパァッと笑ってメイヴィスを本当に膝の上に乗せた。

「どうやら君は話のわかる女性のようだ」

「私はメイヴィス様と敵対する気はありません。望むものは平穏な生活だけです」

「ランドルフから聞いてはいる。メイヴィスのせいで迷惑をかけたな。悪いのは他人の話を聞かず暴走したメイヴィスだ。君が学園を去る必要はない」

 代わりにメイヴィスを退学させ、少し早いが王宮に引き取ってくれるとか。

「王妃教育の一環で学園に通わせていたが、王妃教育ならば王宮内でもできる。フィオレナ嬢は安心して学園に戻ってほしい。今後はランドルフが君を守る。君のためならランドルフも本気を出す」

 なんでランドルフとセット決定なのかと文句を言いたかったが、ランドルフの助けがあったほうが早く周囲に馴染める。高位貴族の息子なのに温厚で、本人の言葉を信じるのならば顔見知りも多い。戻れるものなら学園に戻りたい。

 物語の強制力がどれほどのものかわからないが、魔物との全面戦争が起きれば…、ヒロインチートが必要となる。

「あの…、セオドア様、彼女と二人きりで話したいのですが。この部屋の中で、セオドア様の目が届く範囲内で構いません。女同士、秘密の話がしたいのです」

 おそらくゲームの話だろう。

 私もランドルフに目線で頼む。

「では、ランドルフと私はバルコニーに出ていよう」

 ティールームは広く、小声で話せば部屋の隅に控えたメイドや護衛にも聞こえないはず。周囲から人が離れるとメイヴィスが小声で謝ってきた。

「あの…、本当にごめんなさい。死ぬ運命なのかと思ったら怖くて、怖くて…」

「それはもういいです。私だって…、ヒロインではあるけど、正直、魔物と戦いたくはありませんから」

「やっぱり…、記憶があるのね」

「うっすらとですが。だから安心してください。私は最初から攻略対象を狙ってはいません」

「その…、あのね、R18版が出ていることは知っている?」

 メイヴィスが美しく整った顔をバラ色に染めて呟いた。初耳だ。

「そんなものがあったのですか?」

「あるのよ、ほとんど同じ設定で恋愛パートを濃密にしたものが」

 R18版は魔物退治が減らされ、恋愛メイン。そして攻略対象が増やされた。魔物退治のための訓練や準備、仲間としての絆を深める部分が削られて、その分、増やされたものがアレ。

 アレって…、え、アレなの?

「フィオレナ様は未成年だったのね」

「たぶん…、高校生くらいまでの記憶しか…」

「私は成人していたの。だから後日、R18版が出た時にうっかり手を出してしまったの」

 セオドア王子は独占欲が強く、ハッピーエンドで王宮軟禁、バッドエンドで後宮監禁、首輪と鎖付き。

 メイヴィスは好き放題に生きると死んでしまうルートに突入し、それも、ピーでピーなピーな結末だとか。ひどすぎる、そりゃ、恐怖でパニックに陥っても無理はない。それ、もうエロじゃない、斬殺ホラーとか猟奇殺人。

「それでね、ランドルフも攻略対象の一人で………」

 メイヴィスが『本当にごめんなさい』と、三度目の土下座をしつつ。

「ちょっとだけ問題がある性癖だけど、暴力性はないから。弟をよろしくね。悪い子じゃないの」


 何事かと部屋に戻ってきたセオドア殿下はメイヴィスを抱えて退室した。

「まだ隠していることがあるだろう。全部、話すまで部屋から出さないからな」

 と、聞こえてきたが…、信じてもらえるだろうか。と、ともかく、頑張れ、どちらにしてもどこかに監禁される運命のようだが、愛され監禁ならセーフだよね!

「何があったの?また姉が何か失礼なことを…」

 顔を覗き込まれてぶわわっと顔が真っ赤になる。

 いや、無理。今までも無理だったけど、聞いたらもっと無理っ。

 この整った顔で、あんなことや、そんなことを言われるなんて…、羞恥で死ねる。既に死にそう。

 真っ赤になってうろたえる私を見て、ドS系羞恥言葉責めキャラは楽しそうに目を細め。

「可愛らしいな。早く結婚…、しなくても、純潔さえ守っておけばいいよね」

 と、恐ろしいことを嬉しそうに囁いた。

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

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