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竜の魔術師  作者: 鴨南ばん
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最強の魔術師誕生

彼女はまだ幼い、幼いからその能力はまだ未完である。未完の能力をゆっくりと熟成させれば、それは史上最大かつ最強になる。ただ、それに見合う器に成長させないと凶器になってしまうだろう。はっきり分かっているのはそれだけだ。

 森を切り開いて作られた一軒家、朽ち始めているその家には今は誰も住んでいない。あれからどのくらいの時間が経ったのだろう、彼女は家族とここで暮らしていたのだ。ドアを開けて中に入ると、たくさんの思い出がそこにはあった。懐かしい室内のあちこちを見渡し子ども部屋に入ると、ふとある記憶が鮮明に蘇って来た。おねだりして買ってもらった日記帳を開いて、何を書こうかとワクワクした気持ちでペンを取ったこと。あれから使われる事が無かった机は当時のまま埃を被り、重ね置かれた魔術辞典もそのままだった。彼女は手を伸ばすと、その下から小さな日記帳を引き抜いて表紙をめくってみた。黄ばんでしまった紙の上には、懐かしくもある当時の文字が迎えてくれた。


 [とうとう新しい日記帳を買ってもらった!最初のページに書くのはやはり自己紹介でしょ?という事で住んでいる所や家族の事を書こうと思う。ここはノーホースという森の中の村。少しばかり田舎だけど、何も不自由はないと私は思っている。私の名前はスージー、スージー・ホーン13歳。もうじき14歳になる錬金術師の見習い?と言うのか我が家は代々魔術系錬金術師の家系なのだ!我が家が得意とするのは鉱物系の錬成。父さんのトリミーと母さんのマルディーも錬金術師として農具や道具類の再生と錬成をしてこの村で生活をしている。家族は他に7歳になる弟と妹がいる。弟の方はパーシーといって楽天家、妹はルーシーという頑固者、この子たちは双子なのに全然似てない。私は同じ村に住む魔術系錬金術師のアンジュル師匠の下で学んでいる。どうして両親から学ばないのかというと、父さんと母さんも師匠の弟子で、彼からたくさんの事を修行して学んだそうだ。そんな理由もあって、私も師匠に弟子入りしたのだ。師匠に弟子入りして8年目になるけど、弟子というのは10年くらいで自立するとか、私もあと2年くらいはじっくりと教えてもらうつもり。あ~あ、ゆっくりと日記を書こうと思っていたら隣村のジョシュアさんが、大事なナイフが欠けてしまったとかで慌ててやって来た。ジョシュアさんのお父さんが買ってくれたもので、50年近く使っているそうだ。ノーホース近辺には鍛冶屋が一軒もないおかげで、我が家が繁盛?しているけど、今日はたまたま両親が町の市場へ出かけて留守なんだよね。おじさんはしばらく待ってくれているけど、まだ両親が帰って来そうもないし、半人前の私でもいいから早く直して欲しいと言い出しちゃった。希望に応えられるか分かんないけど、張り切って直しちゃおうかな]


 彼女にとって、この日は師匠から卒業だと言われる前の日だった。その日は色々な出来事があり「兄さん」と初めて出会った日でもあった。


 帝都へ


「おじさん、本当にいいの?失敗して消えちゃうかもよ?」

 錬成陣に置かれた物は、失敗すると跡形もなく消えてしまう。正確に言うと、物質を構成している物の原点に戻ってしまうので、形としては消滅するのだ。この場合は闇落ちと言い、失敗を闇ると言ったりもする。

「仕方ないよ、トリミーもマルディーも居ないんじゃな。消えたら諦めもつく」

「うん、分かった。おじさん覚悟はいい?やるよ!」

 錬成陣にナイフを置いて、ある粉をほんの少しふりかけて呪文を唱えた。一瞬霧の様なものに包まれたナイフは次の瞬間、元通り以上の輝きのある立派なナイフになっていた。

「こりゃあ凄いな!スージー、アンタはもう一人前だ」

 ジョシュアは見事に復活したナイフを手に取ると小躍りして喜んだ。というのも、以前彼女の父であるトリミーが再生した時よりも、数段上の出来栄えだったからだ。

「一人前なんて、まだだよ?師匠が認めてくれたら一人前、ってことらしいけど」

「へえ、そうなのか?これ、お代に取っておいてくれ。ちょっと安過ぎるかも知れんが、また頼むからね」

 漁師のジョシュアは、1メートル以上もあるグレートサーモンの干物を一尾置いていった。この辺りでは貨幣よりも物々交換が好まれていた。

「毎度あり~!また来てね」

 帰って行くジョシュアにスージーは手を振った。成功して褒められた事で天にも昇る気持ちがして、凄く腕が上がったような気になった彼女は、冷静になると再び日記を書き足した。

[成功しても自惚れるな!自戒せよ!なんちゃって、やっぱりちょっと生意気かな?成功したら毎回唱えようかな。だって、失敗あっての成功だもの。失敗を重ねないと成功は無いし、今まで数え切れない失敗をして来たから今日は大成功したんだよね?父さんや母さんの様に、もっともっとみんなの為になれたらいいな]


「ただいまー」

 母マルディーの声が外から聞こえてきた。

「お帰りなさい!」

 スージーが外へ飛び出して行くと、ロバの引く荷台には、食料品や日用品に挟まれてパーシーとルーシーが眠りこけていた。

「相変わらずね、この子たち。あれっ、父さんはどうしたの?一緒に帰って来なかったの?」

 母は父のトリミーが師匠の所へ立ち寄ったと言った。

「まったく父さんときたら、いつも母さんに任せて、どこかへ行ったりしちゃうんだから」

 文句を言いながらもスージーは荷物を家の中へ運び、兄弟を一人づつ抱きかかえては子ども部屋のベッドへ寝かせた。

「いつもすまないね、スージー」

 大体において母がよく言う言葉だ。

「いつもの事だからいいよ、こっちも慣れっこ。父さんは風だから仕方がないって言えば仕方ないね」

 トリミーの属性は風だ。属性は錬金術師には無関係だと言われているが、魔術系になると多少影響されるようである。風の基本性質は自由だ、従って一つの場所に留まるのが苦手であるが、彼は家庭ではいつも温かな安らぎの風を吹かせ、ただの一度でさえも荒れた事が無い。師匠アンジュルによるとホーン家の属性は、いつも冷静な母のマルディーは水、やんちゃだけど肝が据わった弟のパーシーは土、お転婆で何でも興味がある妹のルーシーが火であり、スージーは何でも平均以上に出来るが無属性だという。

「父さんの様子を見て来るよ」

「そうね、遅くならないうちに帰って来るように言ってね」

「はーい」

 スージーは、母が夕食の支度を終えるまでに帰って来ようと思った。彼女は近道をして、森の中の道なき道を進んで行った。森の中は二日前に降った雨のせいか、むせ返るような木の香りで満ちている。鳥たちは木々の高い枝に居るようで、小動物だけが下の枝を渡っている気配がする。その時突然、上の方からバリバリと枝を折る大きな音がして何かがドスンと落ちて来たのだ。見るとそこには黒くて大きな塊が転がっていた。スージーは好奇心だけでその塊に近づくと、落ちていた枝を拾って突くと僅かに先が刺さった。

「う~っ、痛ったたたたぁ」

 塊から人の声がして驚いて飛びのくと、黒い塊はマントを翻して人の姿に変わった。

「いやぁ、驚かせたかな?」

 ボサボサ頭の若い男が、服に付いた土や葉を払い落としている。とっさの事でスージーは声が出せなかった。擬態していた魔術師を初めて見たからだ。

「これは大変失礼をした、お嬢さん」

 身なりを整えたその魔術師は、レヌネのダーナと名乗りアライザルの再来と称えられている魔術師を探してやって来たと言った。

「私はスージーよ。その何とかの再来とか言う人は知らないけど、師匠とウチも魔術系だよ?」

「ほほぅ、それは奇遇だ。こんなド田舎にも魔術師はいるのだな」

 いかにも都会育ちのその魔術師は、臆することなく言ってのけた。

「ちょっと失礼よ!」

「そうかい?本当の事なのだが、辺境の地だと言われないだけ良いとは思わないのかい?」

「もーっ!何なの?初対面なのに頭来るッ。でもいいわ、ちょうど師匠の家に行くからついて来て」

 スージーはそう言うと、後ろの魔術師を気にする事なく森の中を進んで行った。不慣れなダーナはつまずいたり転んだり、悪戦苦闘しながら後を追って来た。大きな木を避けながら右に左に進み、しばらく行くと木々が密集した場所に出た。

「着いたわよ」

「着いたって、家なんか無いじゃないか」

 そこは、一見して住まいがどこにあるのか分からない場所だった。ダーナは辺りをキョロキョロと見回した。

「術が掛けられているのかな?」

 ダーナの言葉にスージーは驚いた。

「術?そんな大そうな物は掛けられていない筈よ・・・しっしょーぅ!お客さんだよぉ」

 大声で呼びかけると木の間からトリミーが出て来た。

「初めまして、わたくしレヌネのダーナと申します。あなた様はアライザルの再来と言われている方でしょうか」

 ダーナが恭しく尋ねると、トリミーは笑った。

「僕かい?僕はその子の父親さ、そんな偉い人じゃないよ。僕たちの師匠はどうなのか知らないけれど」

「父さん!勝手に行ってはだめでしょ?母さんが心配しているし、もうじき晩御飯の時間だから帰ろうよ。父さんったら、いつも真っすぐには帰って来ないんだから!」

 この親子のいつもの様子なのだろうか。口を尖らせて父親を睨んでいるスージーに、少なからず女性特有の怖さを感じたダーナだった。

「全く何やってるんだ?お客人が尋ねて来てるのにうるさい親子だ。スージー、父さんはすぐに帰るから安心しなさい」

 背の高い老人が顔を見せた。

「お若いの、君が尋ねて来たお人だな?」

「はっ、はい。わたしはアライザルの再来と言われているお方を探しておりますダーナという者です」

「ふむ。まぁ、家に入られよ。トリミー!家に帰ったらマルディーにちゃんと説明するようにな。スージーはちょっと寄ってくれ」

 父と帰る予定だったスージーは、その事を母に伝えるように父に頼んだ。木々の間を抜けると、そこには丸太を組み合わせたアンジュルの家がある。丁度、森に隠されているような空間で、師匠のアンジュルは一人で暮らしている。二人を家の中へ招き入れると、彼はいつもの様に暖炉の前の椅子に腰かけた。

「さてお客人、君の目的を聞かせてくれないか?」

 アンジュルは小さなテーブルに置いてあるパイプに手を伸ばすと、乾燥した薬草を揉みパイプに詰めて火を点けた。パイプから薄紫の煙がゆったりと立ち上ると、独特な香りが部屋中に広がったが、スージーは今までにその香りを嗅いだことがなかった。

「これは・・・」

 ダーナは何かを悟った様子でアンジュルの前に膝まづくと、スージーの知らない言語で彼に話しかけ、彼もまた同じ言葉を使って話し始めた。初めて聞く異国の様な言葉に興味を引かれたが、今までアンジュルがそれを話せる事も、話している所も見た事がなかったのだ。二人はかなり長い時間話をした。まるで、スージーが同じ空間に居る事さえ忘れてしまっているかの様だった。

「ふうーむ、そうなのか」

 師匠のアンジュルは呟くと、深く息を吸い目を閉じた。スージーは久々に知っている言語を耳にした感じがした。

「師匠?」

 スージーが近づこうとすると、ダーナがそれを制止した。彼はアンジュルの様子をじっと見つめている。スージーにはアンジュルが何をしているのか見当がつかなかった。やがて彼は腹の底より大きく息をつくと、目を大きく見開き力強く唸った。

「うむ、協力しても良かろう」

「ありがとうございます。皇大師さま」

 ダーナは額を床にこすり着ける様に頭を下げた。

「皇大師さまって、師匠?」

「ああ、スージー。君にも手伝ってもらわなければならん。詳しくは明日話すがいいかい?」

 スージーは単純に何を手伝えばいいのだろうかと思った。そして、アンジュルはダーナがしばらくここに滞在する事になるかも知れないと言った。

「分かったわ師匠。とにかく明日の朝、来ればいいのね?」

「そうだ、取り合えずスージーには来てもらうから両親にはそう伝えておくれ。それと忘れていたが、トリミーは方向音痴だから無理だと言っておいてもらいたい。わしが言うと角が立つ」

「父さんが方向音痴?」

 アンジュルはニッコリ頷いた。いったい父は師匠と何の話をしたのだろう。この時スージーは、父にはある目論見があった事は知らなかった。師匠の家を出ると森は既に薄暗くなり、夜の帳を降ろそうとしていた。深い森は夕日の存在を忘れさせる世界だ。

「照らせ、ライト!」

 スージーが人差し指を頭上に向けて言い放つと、ポッと黄色味を帯びた光が丸く輝き、その光は彼女の移動する速さに合わせて動いて行った。

「この辺だったわね、あの人が落ちて来たのは。いったい何者なんだろう、師匠の事を皇大師と呼んで有難がってたし、何語か分からない言葉を喋ったり・・・まあいいや、母さんに聞いてみよっと」

 独り言を呟きながらスージーは家路を急いだ。


「ただ今戻りました」 

 帰宅すると家族は食卓でスージーの帰りを待っていた。料理を前に、兄弟たちはお腹が空いたと文句を言い、父は何かを期待しているような素振りでスージーを迎えた。彼女が早速師匠の伝言を伝えると、今まで笑顔だった母の顔が、急に険しくなってしまった。

「あなた!後からお話しがあります。でも、その前に食事にしましょう、召し上がれ」

 この日の夕食は気まずい雰囲気になってしまった。余分な事を言ってしまったと思ったスージーは食後の後片付けを申し出ると、母は父と話をするために外へ出て行ってしまった。

「姉ちゃん、父ちゃんは怒られるの?」

「父ちゃんはいつも母ちゃんに怒られるけど、また何か悪い事したのかな?」

 兄弟たちは心配してスージーにまとわりついてくる。

「うーん、姉ちゃんにも分からないよ、父さんと母さんだけの話だからね。アンタたちは寝る準備をしようね」

 スージーは子ども部屋で寝巻に着替えた二人をベッドに横にさせると、いつもの様に彼らの好きな面白い話しを聞かせて寝かしつけた。それから子ども部屋を出ると、暖炉に薪をくべながら両親が戻って来るのをぼんやりと考え事をしながら待っていた。やがてドアが開くと、やっと両親が戻って来た。明らかに不機嫌そうな父トリミーは、暖炉の上の魔術書を一度は手にしたが、気分が乗らないのか戻すとそのまま寝室へ行ってしまったのだ。そんな様子を見ていたマルディーは深くため息をついた。

「ねえ母さん、あれはどんな意味だったの?」

 スージーは気を使って小さな声で母に聞くと、マルディーは首を振った。

「また父さんの悪い病気が出たのよ」

 父さんの悪い病気とは体の病ではなく「放浪癖」の事である。それを聞いてスージーは流石にがっかりした。()()なのである。今までに何回となくフラッと出かけては、何事もなかった様に戻って来た。短くて数日、長い時は半年近く帰って来なかった。スージーが小さかった頃は頻繁にどこかに行ってしまい、その度に魔術書や魔術材料、魔法陣を手に入れて来たりしていた。マルディーも初めのうちは心配して探していたが、何度も繰り返されるとその癖が不治だと悟り、そのうち帰ってくるだろうからと探さなくなってしまった。また、トリミーがどこかで買って来た魔術材料も、使い物にならない代物が混ざっていたり、珍品の魔法陣だと買わされた物が、実は外国のどこかの部族の魔除けの図柄であったりしたのだ。そして今回、彼が行こう考えた場所が竜伝説の地であり、それをアンジュルに相談したようだ。

「ふぅーん、それで師匠は父さんが方向音痴だから行くなって言ったのね?」

「ええ、そうよ。だって半年も居なかった時があったでしょ?あれは、迷子になって同じ地方をグルグル回っていただけらしいわ。後から師匠がトレースしてくれて分かった事だけど・・・」

「わっ、酷ぉーい。それじゃまるでつむじ風ってところね」

 それを聞いたマルディーは笑った。

「そうね、私もそう思ったわ。我が夫でも酷過ぎる」

「同じ師匠に学んだ母さんは器用で何でも出来ちゃう優等生、けど父さんは何て言ったらいいのかな、劣等生という訳でもないけど・・・」

 スージーはふと、落ちて来た魔術師の事を思い出して母に話した。マルディーは少しの間、記憶と知識の引き出しを開け閉めしていくつかの答えを出した。

「先ずは言葉ね。その聞き慣れない言葉は外国語の様だけど古語だと思うわ。術使いの間では使われることもある、って聞いた事があるの。あなたに聞かれたら困る内容だったのでしょうけど、わざわざ遠くから飛んできた、というのならとても重要な用件でしょうね。多分、上級の術師よ。上級魔術を使いこなせる人というのは、かなりの実力者だってことね」

「そうなの?ダーナさんって人は若かったよ」

 スージーが想像する実力者の上級魔術師は、師匠アンジュルの様な老人であった。魔術師は魔術により外見を自在に偽る事も出来る。それは、変身や擬態という特技の一つでもあるのだ。しかしその事について、彼女はまだよく知らなかったのだ。

「その人は、本当に実力のある人かも知れないわね。それに師匠の謎の行動は、体と精神を切り離して精神体をどこかに飛ばしたのだと思うの」

「飛ばした?」

「ええ、そうよ。師匠の様な最上級者なら、本当はもっと長く、もっと遠くへ飛んで行く事が出来るのよ」

 それを聞いてスージーは、自分もそんな術が使えたら良いのにと漠然と思うのだった。また、皇大師という敬称は魔術師に限らず呪術師や錬金術師も含む極めた存在であり、ほんの一握りの術者しか認められていない貴重な人たちだという。マルディーは師匠が稀な存在であろうと薄々感じていたと言った。しかし、師匠がアライザルの再来と言われているのは知らなかった様だ。


 アライザルは大昔、唯一無二の存在と謳われた大魔術師であり、国の為に多くの金も錬成したという、錬金術師でもあった伝説の人物である。そして、その再来と言われている彼らの師匠であるアンジュルは、弟子たちには語る事はないが、過去には宮廷に仕え、帝都で魔術や錬金術を教えたりしながら暮らしていたのである。その彼が都を捨ててこの深い森に移って来たのは、国家の監視下に置かれて行動範囲も限られ、窮屈な生活を強いられた事も理由であるのだが、アンジュルが早くから頭角を現し、アライザルの再来と称えられる存在だった上、皇大師の称号を得るまでに出世した故でもあった。彼は予期しない足の引っ張り合いに巻き込まれ、身に覚えのない疑いをかけられたりした事で嫌気がさし、全ての特権を放棄して宮廷を去ったのであった。

「アライザルって凄い人だったんだね。それに匹敵する師匠も凄いと思うけど、どうしてこんな森で隠遁生活いんとんせいかつを選んだのかしら」

「隠遁生活?スージーったら、難しい言葉をいつ知ったのかしら」

 母は優しく笑った。

「えへっ、使ってみたかったの。大工のゴルビさんが言ってたから」

「あら、そうなの?」

「うん。ゴルビさんは修行時代に帝都に住んでいたんだって。帝都には皇帝に召し抱えられる事が目的の術使いが大勢住んでいるみたいなの。で、我らが師匠も皇帝の術使いだったって聞いたの、凄いよね?」

「そうね。でも、いいじゃないの?師匠はご自分で選ばれてここに住んでいるのだから」

 マルディーは、師匠の過去はそっとしておいてあげたいと思う気持ちがあった。それを感じ取ったスージーは、おやすみのキスを母にして子ども部屋に入って行った。暗い部屋の中では兄弟たちの規則的な寝息が聞こえる。ライト、スモールと呟くと小さな光がスージーを照らした。スージーの机の上には魔術辞典が積み重ねて置いてあり、その下に彼女の日記帳がある。音を立てないようにそっと日記帳を抜き出すと、スージーは今日三度目になる書き込みをした。

[ダーナという魔術師が来たおかげで、今まで知らなかったたくさんの事を知ることが出来て何だか凄く興奮した。だけど、師匠が昔帝都に住んでいて、皇帝のお抱えだったと知ってびっくり。弟子としては立派な師匠に恥をかかせない様に頑張らないといけないよね。帝都ってどんな所なんだろう、行ってみたいな。田舎に住んでいると憧れちゃう]

 スージーはペンを置くと再び日記帳を辞典の下に隠してベッドに入った。


[今朝、なかなか起きて来ない父さんを起こしに行くと、パーシーみたいにふて腐れていた。オトナ気ないよね?一晩経ったら普通は機嫌を直すモノなんだけどね。母さんの話しだと、師匠に方向音痴だと言われたのが酷くショックだったみたい。それって本当に子どもだよね?今日は友だちのマギーたちと遊ぶ約束だったけど、師匠の所へ行かなきゃならなくなったし・・・。もう、父さんのことは母さんに任せて行くんだから!]

 日記帳を辞典の下に戻すとそっと部屋を出た。まだ新しい日記帳への書き込みが、この日で途切れる事になるとは想像すらしていなかった。


「行ってきまーす!母さん、今日はマギーの所には行けないって、必ず伝えておいてね」

「ええ、分かっているわよ。マギーだけでいいのね?」

「ううん。あと、ユリアとエレンとアンナにも言ってね」

「はいはい。気をつけて行きなさいね、シェルは掛けたの?」

「もちろんよ母さん。注意しないといけないもの」

 この日スージーは、防御魔法シェルを掛ける事を母に提案された。それは昨日の事があったので、良からぬ者がダーナを追って来た場合、スージーまで被害が及ぶ可能性があると思ったからだ。彼女も昨日とは違い、少し緊張しながらアンジュルの家へ急いだ。途中、ふと空を見上げると、一羽の大きな鳥が森の上空をくるくると旋回していた。滅多にない光景だった。なぜなら、大型の鳥が長い時間をかけて森の上を飛ぶ事はないのだ。

「ししょーっ!おはようでーす」

 スージーが元気よくアンジュルの家のドアを開けると、中にいたダーナは不機嫌そうな顔をしてスージーを見た。

「ダーナさんも、おはようです!」

少し怖かったけれどスージーは挨拶をした。

「おはようございます、でしょ?スージー」

「ん?師匠はそんなことこだわらないよ、ねー師匠」

いつもの挨拶ではいけないのだろうかと、言い直されたスージーはアンジュルを見た。

「ハハハッ。そうだよ、ダーナ殿こだわってはいない」

師匠のアンジュルはいつもの様に笑ってくれた。

「皇大師様は弟子を甘やかし過ぎですよ!」

 ダーナは弟子であるスージーが、アンジュルを敬っていないような言動をするのが気になる様であった。そのままでは気まずくなると思い、スージーは見て来た事を報告した。

「ねえねえ師匠、森の上に大きな鳥がくるくる回っていたよ」

 それを聞いたアンジュルとダーナの表情がさっと変わった。

「師匠?アレって・・・」

「来ましたね皇大師さま。気配を消す術にトレース出来ないようにして来たのですが」

「ふむ、それは完璧だったと思うが、飛び出した時の方向に残滓ざんしがあったのかも知れない」

「不覚でした。上級の術使いなら、それだけでも飛んだ方向を特定して追うことが出来ますからね。多分、その鳥はイ・スニだと思います」

「・・・・・?」

 スージーは戸惑った。話に入っていけなかったのだ。イ・スニとはダーナと同じく帝室に仕えている呪術師である。ダーナは昨晩、ここに来た理由と帝室が分裂している事、それを利用して皇太后の術師一派が伝説の竜を復活させようと画策しているとアンジュルに話していた。ダーナがアンジュルと会っている事が分かれば、二人は謀反の罪を着せられ抹殺される危険もある。どうやら時間の猶予は限られているようであった。

「急がねばならぬようだ」

「はい、わたしもそう思います皇大師さま。わたしはすぐに帝都に戻って仕切り直しましょう」

「いや、ちょっと待て」

 アンジュルには、何か考えが浮かんだ様だ。彼女が来るまでは戻るタイミングを計ればいい、と言っていたのだが、彼の意図が読めないダーナは困惑した。するとアンジュルは一枚の紙をスージーに渡し、すぐに錬成するように言った。

「何のレシピかしら、陣は使ってもいいの?」

「ヒントは与えんよ、陣を使わなくても出来るだろ?」

「はい。やってみます」

 返事をしたものの、何のレシピか分からないのは理不尽だと思ったが、スージーはいつもの様にレシピに書かれている材料をテーブルの上に揃え、それらを万物の神に感謝する呪文と物体を出現させる呪文で混ぜ合わせると、濃い霧が湧き出してテーブルを覆い尽くした。そして、その霧が徐々に引くと、テーブルの上には神々しくも美しい短剣が現れたのだ。出現させたスージーは驚いて叫びそうだったが、その光り輝く短剣を見たダーナは驚きの声を上げた。

「ふむ、上出来だな」

 アンジュルは確信していたのか落ち着いていた。そしてもう一枚の紙を彼女に渡すと、スージーはそれを見て呪文だけを唱えた。すると、今度は一瞬の強い光が銀色に輝くペンダントを出現させた。

「皇大師さま、これは・・・」

 ダーナは現れたペンダントを手に取り尋ねると、アンジュルは頷いてその通りだと言った。

「スージーよ、お前さんはもう一人前だよ」

予期してしない言葉にスージーは耳を疑った。

「一人前?師匠!まさか、それってもう卒業していいてこと?」

 アンジュルは温かい微笑みでスージーに頷いた。

「で、でも、そうしたら・・・そうしたらもう、ここには来なくてもいいって事でしょ?嫌だ!師匠の所に来たいよ、毎日でも来たいよ、ししょー」

 スージーは突然の出来事に混乱して泣き出してしまった。

「泣くんじゃない、スージー。これは卒業試験に合格したという、めでたい事なんだよ」

 アンジュルはダーナの手からペンダントを受け取ると、スージーの首に掛けて言った。

「これで最後じゃない、来たいのならいつでも来ればいいよ。このペンダントには、わしとスージーの思いが込められている。悩み迷う時、このペンダントがそれを解決してくれよう。そしてこの短剣は宝剣エテルナードだ。お前さんの進むべき道を開いてくれる。わしからの旅立ちの祝いの品だ」

 スージーの頭を優しく撫でているアンジュルは、まるで孫娘を慰めている祖父の様である。

「しかと見届けてくれたかダーナ殿。わしは思うのだが、やはり都へはスージーを連れて行くがよい。必ずや皆の役に立つこと間違いない、親類の子とでも言っておけば良いかな?」

「宜しいのでしょうか、皇大師さま」

 そしてアンジュルはスージーの特性について語った。スージーが稀な無属性であった為に、彼自身も最初は彼女の特性には気が付かなかったと言った。従ってどんな術使いでも彼女が普通の人間であるのか、魔術を扱える者なのかの判別が付き難い。師匠であるアンジュルは、普通の錬金術師として彼女を育てていたが、もしかしてという思いで少しづつ魔術を教え始めたという。するとスージーは、それに応えるように難なくマスターしてしまったのである。そこで、本格的な魔法魔術を反復して教えることにより、彼女が使える魔術の幅を広げ、ついには彼女が自在に操れるまでに高めて行ったようだ。ただ、スージーはどういう訳か、自分自身が魔術師である事を全く自覚していなかったのだ。

「スージーはどこへ出しても恥ずかしくない、帝都でも立派に通用する魔術師だ。ダーナ殿たちの準備が整うまで、敢えて封印させてもらうが」

「それは有難い事です。敵に悟られない為にも偽装は必要ですね」

 アンジュルとダーナの話し合いで、スージーが口を挟む間も無く帝都へ同行することが決まった。若い二人はアンジュルから国の未来を託されたのだ。

「安心しなさいスージー、君の家族には私から伝えておく。両親は分かってくれる筈だよ」

 アンジュルから約束をされたが、スージーにはまだ理解出来ていない話しばかりであった。ただその時は、帝都へ行ける嬉しさしかなかったのである。

「ゆくゆくは、あなたにも分かる時が来ますよスージー」

 想像も出来なかったが、ダーナとアンジュルを信じるしかないとスージーは思うのであった。彼女を連れて帝都へ行く事になり、彼らは幾通りかのシナリオを作り設定を決め、一番安全な方法で相手を欺く事が出来るのかを考えた。そして、帝都から南東に当たるこの地の線上にあるフクサという村をスージーの暮らした村とし、両親がいない彼女は祖父と住んでいたが祖父が亡くなり、遠戚に当たるダーナを頼って都に来る事になったという筋書を組み立てた。それからアンジュルは久々になる特殊な魔術を使い、この村と近辺でスージーを知っている人々に対して、彼女が存在した記憶を一時消去させ、フクサの村民には小さなころから村に住んでいた、という偽情報を信じ込ませる大がかりな術を掛けたのである。

「うむ、上手く掛かった。これを一日でも早く解けるようにしてくれたまえ、ダーナ殿」

 アンジュルは、過去にも何度かこの様な広域拡大魔術を成功させたが、今回は成功しても、年齢のせいなのか、酷く疲れてしまった様子だった。

「師匠大丈夫?」

「ああっ、わしも年だ。久々の大仕事に疲れたから、少し眠るとするか・・・」

 アンジュルはベッドに横になると直ぐに深い眠りに落ちた。ダーナはそれを見届けるとスージーの瞳を覗き込むようにして言った。

「さあ、行きましょうかスージー・オストロフ!」

「へ?あっ、あ・・・」

 スージーはたった今、たくさん知っている大切な何かを一瞬で忘れた。しかしそれが何であったのか、彼女はまったく思い出せなくなってしまった。そして、その代わりに多くの知っている事が脳裏に蘇って来た。つまりそれは、師匠であるアンジュルが掛けた術が発動した証であった。彼女はうなだれ、そのまま倒れてしまってもおかしくない状況になった。ダーナは優しく、後は村の人に任せると言うと、スージーは意を決したのか顔を上げてダーナに言った。

「・・・兄さん、行こう?お爺ちゃんは死んじゃったんだから、ここにいても仕方ないよ」

 ベッドで横たわるアンジュルが、彼女と共に生活していたお爺さんのフェイになっていた。部屋の隅にはアンジュルが出現させた、スージーの旅支度が整っていた。小さなリュックに大きな旅行バッグ。大きなバッグはダーナが持ち、小さなリュックはスージーが背負った。家を出てから近くの船着き場まで歩く彼女の姿は、最愛の人を亡くした身寄りのない少女そのものであり、ダーナはその術の完成度が高い事に驚くばかりであった。その上、あんなにも快活なスージーが、船着き場に着くまでひと言も言葉を発しなかったのだ。

「スージー、これから船に乗るけど船は初めて?」

「ううん、初めてじゃないよ」

 スージーのことを少し心配になっていたダーナは安心した。船着き場では丁度、河口まで下る船が出る準備をしていたのでそれに乗り込み、客もまばらな船室のベンチに座ると、スージーはすぐにダーナにもたれかかり眠ってしまったのだ。スージーの茶色の髪が頬にかかり、ダーナはドキドキと胸の高鳴りを感じた。至近距離に、それも年若い女性が居る状況には慣れてはいないのだ。ダーナは自分でも顔が赤らんでいるのが分かった。周囲の乗船客からも不審がられないように、彼は平静さを装うように努力し、先の事を少し考える事にした。当分の間は自分自身も演技をしなくてはならない上、スージーを引き受けてこの先どの様な扱いをしたらよいのか、川の流れのように止めどもなく思考したのであった。


 船旅はおよそ半日かかり、終着の河口の港町クレッソに着いた。船から降りる頃にはスージーは目を覚ましていた。

「ああっ、何だかとっても疲れたから寝ちゃった」

 ちょっと恥ずかしそうにスージーはほほ笑んだ。

「疲れが溜まっていたのだろうね、無理しないでおくれよ」

 妥当なセリフを並べたダーナだった。

「ありがとう。私はもう大丈夫よ、兄さんこそ疲れてない?」

「疲れてないよ。君に比べたら全然平気だけど?」

 ダーナは極自然に会話する自分に驚いた。彼は、もしも術が解けてしまう事があれば、と心配もしていたのであった。とにかく彼女には、一般人を演じてもらわなくてはならないのである。これから先、魔術という単語を含めた言葉を、極力耳に入れない努力をすることに決めたダーナだった。上陸したこの港町は賑わっていた。港のすぐ脇には大きないちがあり、物売りの威勢のいい声があちこちから上がっている。そこには見世物小屋もあり、多くの客が集まっていた。

「そこ行く若い連れた兄さん!寄ってって見ておくれよ。不思議な魔術だよ!」

 見世物を披露している異国風の身なりの男が声を掛けて来た。ダーナは一瞬ピクッとしたが、スージーは嬉しそうに見てみようと言い出した。

「ほーら彼氏さん、彼女さんの方が理解が早いぞ?」

「彼女?身内だが」

 語気を強めてダーナが言うと、異国風の男はフンと鼻を鳴らし、周りに集まった多くの見物客に声を掛けた。

「さあさあお立合い、不思議な魔術だよ!よーく見ておくれ、術を掛けるとこの紐がするする天へと上がって行くよ」

 男はもったいぶる素振りを見せると、訳の分からない呪文の様な呪文でない言葉を並べると、地面に置かれた紐がピクリと動き出し、ゆっくりと上へ上へと真っすぐに伸びて行った。男を取り囲んでいる観衆は驚きの声を上げている。もちろん、スージーまで一緒になって声をあげていた。

「すごーい!不思議」

 紐には種も仕掛けもある。魔術という名で見世物を披露しているこの男は、ただの手品師であった。

「さあ、驚いた人はこの中に投げ銭を!」

 自称魔術師は大きな鍋を回してよこした。

 スージーは二人で見たので、銅貨を2枚入れようとしたがダーナに止められた。

「ちょっと待って、そこまで凄い術じゃないよ。都へ行けばもっと凄いのを見る事が出来る、()()をね」

 ところがそれを耳にした手品師はケチをつけたと怒った。

「何を言いやがる、そこのお前!俺は希代の魔術師なんだぞ?その俺さまの魔術を見たお前はタダ見か?許されんぞ!!」

 するとダーナは、スージーにそのお金でリンゴを買って来るように頼み、彼女をこの場から離れさせた。

「ふむ、不正をしたのはあなたじゃないですか?魔術とは、種も仕掛けも何も無いのが魔術ですよね?」

「何を!?俺に逆らおうってのかい!俺は希代の・・・」

 ダーナは空に向かって指を動かすと「ドサッ」と音を立てて紐が落ちた。これには集まっていた人々にも、仕掛けがあったという事実が分かってしまった。

「お、お前、一体?」

 次にダーナが指を振ると、紐が蛇の様に動き出し手品師を襲ったのだ。

「わわわっ、ホンモノかぁ?クッソー!!」

 手品師は鍋に集まった金を鷲掴みすると大慌てで逃げて行った。それを見て、ダーナはわざと大きな声で言った。

「ただの手品だと言っておけば良かったものを、ヤツは希代のイカサマ師だ!」

 見ていた観衆たちはダーナに拍手と喝采を送った。悪い気はしなかったが、ふと我に返ったダーナはスージーが近くに居ない事に気付いて慌てた。市で果物を売っていた商人に尋ねると、彼女は店になかったリンゴが欲しいと言っていたので、大通りの先にある商店街を紹介したと言った。ダーナは自分の失態に舌打ちしたが、すぐに追うでもなく、ほんの少しの間目を閉じて口の中で呪文を唱えた。彼の脳裏には、ここから少し離れた場所に居るスージーが見えた。

「意外と足が速いんだな」

 ダーナが大通りへ走って行くと、スージーが少し先の角を曲がるところだった。ダーナも急いで同じ角を曲がると、どういう訳かその通りにはスージーの姿は無かった。まるで隠し身の術を使って消えたかの様だった。ダーナは彼女の魔力は封印されている筈だ、と今一度確認して立ち止まり、そして再び歩き出そうとした時に「わっ!」と声がして物陰からスージーが飛び出して来のだ。

「あははははっ、あー面白いっ」

 酷く驚いたダーナを見て、スージーは涙が出るくらいに笑った。心配していたのに笑われたダーナだったが、彼女がそこまで笑ってくれたのなら、と叱るどころか許す気になったのだ。

「だめですよ、勝手な行動をしては。知らない土地で迷子になったら困るでしょ?」

「はい。ごめんなさい」

 素直に謝ったスージーの肩を抱き寄せるとダーナはゆっくりと歩き出した。

「兄さん?兄さんは私が居なくなったら困る?」

 いたずらを見つけられた子どもの様に、スージーは上目使いでダーナの顔を覗き込んだ。

「当たり前ですよ!君は、わたしが責任持って預かった子ですからね」

 少し語気を強めて言ったダーナだったが、本当はおかしくて笑いを堪えていた。

「ありがとう、兄さん」

 少しばかりいたずらが過ぎたのを自覚してか、スージーはしおらしくなった。

「スージー、一つ約束してくれる?」

 そこでダーナはこれから行く帝都について、スージーに言い含める様に説明することにした。帝都は田舎とは違い、荒くれ者など素性の知れない人物が大勢いる。隙を見せると悪さをしでかし、取返しのつかない事態も起こりうる。そこで彼女が一人で外出する事が無い様に、必ず二人で出掛ける事に決めた。ダーナは予防策として、色々な意味で危険がある事を教えておくべきだと考えたのであった。

「その怖い帝都って、まだ遠いでしょ?帝都まではどうやって行くの?」

「うむ。ここからは馬車、帝都では術車に乗るよ」

空には茜色が差している。

「ふぅん、そうなんだ。でも、今からだと日が暮れちゃうね」

「そうだね、今日はここに泊まろう」

 この日はここ、クレッソで宿泊することにした。ここで帝都の様子見をしようと思ったダーナであった。この町で足跡を付けて行けば、帝都で何かあった場合に言い訳が出来ると彼は考えたのだ。今朝、宮殿に姿を現さなかったダーナを不審に思い、イ・スニはダーナの家に来たのは確実である。家には鍵が掛けられているが、呪術師には何も問題ではない。透過の術を使えば簡単に中に入れてしまう。彼はそれを使って中に入り、ダーナが変化へんげしたことを突き止め追って来たのだ。


 今はこの国、オルフェド帝国の帝室は二分されている。その理由の一つには、帝室に仕える先帝の呪術師の策略でもあった。先帝スナイダーは国内のあらゆる権力の集中を計り、堅守することにより自分の地位を更に高めようとしていた。そこに目を付けたある呪術師が、己の保身と栄誉を欲する余りに竜の支配を受け入れるように進言したのだ。それはスナイダーが黄金の竜と契約し、永久とこしえの支配者になることであった。我が世が永久に続くならば、とスナイダーはその話に飛びついた。何故ならば、スナイダーは妃であるテトアとの間には子宝に恵まれなかったのである。そして、黄金の竜が何であるか理解しない内に、スナイダーは病の床に就き帰らぬ人となってしまったのであった。永遠の支配者を夢見ていたスナイダーは、もちろん跡継者を決めてはいなかったのである。オルフェド帝国は、いつまでも皇帝の座を空席には出来ない。そこで妃のテトアが皇太后となり、スナイダーの甥であるヴェルダーに皇帝の座を譲った。ところがヴェルダーは、彼らの望みであった竜の支配は受け入れないと宣言したのであった。未来永劫支配する理想を捨てきれない皇太后に、古参の呪術師たちはまたとないチャンスと見て、皇太后に更なる入れ知恵して権力の拡大を図り、人だけの世で充分だと考えている皇帝派と対立させているのである。イ・スニは皇太后派を束ね、更にダーナたち皇帝派の切り崩しを図っているのだ。この皇太后派が使おうとしている黄金の竜とは、伝説上の竜と言われ実在しないと言われている。だが、伝説の黄金の竜はその昔、成立して間もない弱小国「ベティナ」の王と契約し、竜の力を借りた王の永久支配により、ベティナは長きに渡って豊で強大な国になったという。それは、人の力のみならず竜によるものであるのだろうが、史実のよるとその国は、ある日突然に終焉を迎えたという。その理由は詳しく伝承されていないが、竜との契約を違えたからだとだけ伝わっている。今となっては竜と人間の契約がどんな物であったのか、その詳しい内容は誰も知らないのである。皇太后と呪術師たちは、契約を違えない様にすればよい事だと簡単に考えている様だが、伝説の竜が本当に存在したのかも分らない中、その皇太后派は中堅の術師たちまでを巻き込み、黄金の竜の棲みかを探し始めているのだ。


 翌日、朝一番で帝都レヌネへと出発したダーナとスージーは、馬車の車中で商人たちが話していた会話に聞き耳を立てない訳にはいかなかった。

「皇太后さまが、国中から探検家を集めてるってアンタ聞いたか?」

「探検家だって?もしかして竜探しをするってアレだろうか」

「そうらしいけど、その竜ってヤツはやっぱり伝説じゃないか?」

「伝説だと?バカ言うなよ。それだと竜が本当に居るのか居ないのか分からんじゃないか」

「ああそうだとも、それを探すってんだからまともじゃないぜ」

 皇太后はやはり本気で「黄金の竜」を探し出す気だ。ダーナは少し間俯いて考えていたが、顔を上げると商人たちに話し掛けた。

「すみません、少しお聞きしたいのですが、竜探しの話は本当なのでしょうか?」

 帝国内で旬な話題を知らない者がいたことに商人たちは驚いた。彼らが言うことには、二日前に国中に御触れが出されて騒ぎになっているという。竜を見つけた者への褒美は、金貨百枚銀貨千枚、それと「発見者」の称号が贈られるという。

「兄ちゃんたちも探検隊に応募するのかい?」

「・・・いいえ。わたしには、余り利が無い様に思いますのでやめておきます」

「へえ、若いのに覇気が無いなぁ。俺たち町じゃ、応募者が多くて選抜してるって話しだぞ」

 若者らしい浅慮だとダーナは思った。好奇心だけではこの仕事は出来ないだろう。あの皇太后の一派が、ただの物見遊山で探検などする筈がないのだ。多分、思うよりも過酷で、落伍者が後を絶たないと予想出来る。

「金の竜って本当に金色かしら?」

 スージーが何気無く呟くと、商人の一人が笑った。

「ほほーぅ、嬢ちゃん興味あるのかい?」

「おじさんたち知ってるの?金の竜ってどんな竜か」

「いや、オレは伝説だと思っているから信じてないよ。だからどんなでも構わないけど、眩しい程の金色だったら見たい気もするけどな」

「うんうん、そうでしょ?おじさんもそう思うでしょ?金ピカだったらカッコイイね。だけど、なぜ竜を探すの?」

「おれが都で聞いた噂だと、その竜ってヤツは国の守り神になるとからしいよ」

 商人たちはどこかで聞きかじって来た話をした。

「ずっと長く、繁栄をもたらせてくれるって俺は聞いたけどな」

「とにかく皇太后さまが願いを捧げれば、国が長続きするみたいだ」

「へぇーっ、そーなんだぁ」

 気のない返事をしたスージーだった。彼女自身は結局は竜などどうでもいいのであるようだ。一方、色々と見聞きした話をする商人たちからも、漠然とした話しばかりで竜との契約についての詳細には何も得る物は無かった。

「だろうな」

 ダーナは小さく呟いた。皇太后派は、得た情報を簡単に公にする真似はあり得ないのだ。当たり前の事であるが、彼らの情報と知識は他言される事は皆無である。そして彼は、帝都での行動と探索へ出かける間に、皇太后派からの目を欺く方法を再検討し、頭の中で復唱した。


 馬車はまる一日走り、やっと帝都に入った。アンジュルとダーナが考えたシナリオが、この帝都で思い通りに進むのかはスージーの言動にも掛かっている。注意深く彼女を見守らなければならないが、ここは彼女の気質に掛けようと思ったダーナだった。やがて巨大な凱旋門を抜け、賑やかな大通りの停車場まで来ると、彼らは商人たちと別れて馬車を降りた。

「ちょっと待ってね」

 ダーナが呪文を唱えると、どこからともなく御者も馬もいない不思議な乗り物が現れた。

「何なのこれ?」

「これが術車だよ、魔力で動かすんだ。帝都に住むある程度の術者なら乗る事が出来る」

 スージーは興味深気に術車を眺めた。

「家に帰るから乗りなさい」

 ダーナに促され、おっかなびっくりでスージーは乗り込んだ。二人が椅子に座ると術車は音もなく滑る様に動き出し、先程まで乗っていた馬車に追いついた。スージーが馬車の商人たちに手を振ると、彼らは驚いた様子だったが、笑顔で手を振ってくれた。大きな辻まで来ると馬車は下町へ、彼らは宮廷方面の高級住宅街へと別れた。大きな屋敷が集まっているこの辺りは、貴族と宮廷に仕える高級官僚が住み、皇帝や貴族お抱えの呪術師や魔術師がその一角に住んでいる。やがて術車は新しい石造りの建物の角で止まった。その家にも庭があり、たくさんの草花が咲いていた。この辺りの家は比較的簡素な作りで、同じ様な形の家が寄り添うように集まっている。

「今日から、この家が君の家だ」

 二人が術車を降りると、現れた時と同じくどこかへと消えてしまった。ダーナが門扉を開け、更に玄関の鍵を開け中に入ると、居間の暖炉には薪がくべられ温められていた。

「誰かいるの?」

「いや、誰もいないよ。あっ、あれ?あれは魔術を使ったんだ」

「ふーん、帝都って魔術万能なのね」

「そうでもない、立っていないで座ったら?疲れただろ」

「ありがとう」

 少し固めの椅子に座り、スージーは部屋の中をぐるりと見まわした。家具類はどれも上等だが、飾り気も無くさっぱりとし過ぎている様に思えた。

「男の一人住まいってこんなものだよ?」

 スージーの思考にダーナは答えた。思った事が見透かされてしまい、スージーは思わず照れ笑いをした。

「そこの部屋は君が使うといい、わたしは二階を使うから。風呂と洗面所はあっちで台所はそっち」

 適当とも思える家の間取りは動線の効率が良いようだ。スージーは早速、居間の奥にあるドアを開けてみた。小さな机に椅子、ベッドに箪笥、ごく普通に置かれた家具が少し懐かしい感じのする部屋だった。

「これが私の部屋・・・」

 布団にシーツや枕はふかふかの新品だった。きっちりと閉じられていた窓の鎧戸を開けると、そこは隣家の壁でがっかりしたが、住まわせてもらえるだけで幸せだと思った。そして、これから家事の一切を任されるであろうスージーは、すぐに何か料理を作ろうと思いたった。

「お腹空いたでしょ?私、何か作るよ!」

「いいのかい?料理は魔術でなく手作業なんだが」

「普通そうじゃないの?手作りだから美味しく出来たり、失敗してマズかったりするでしょ?私、こう見えても料理得意なんだから!台所借りるわよ」

 スージーはダーナの返事を待たずに台所へと向かい、野菜が入った箱をひっくり返して芋や香味野菜を探し、ついでに雑多に置かれた鍋や食器も綺麗に洗って整えた。


「兄さん、お肉は無いの?」

 賑やかな音を立てたスージーが気になり台所を覗いたダーナだった。見慣れた棚や食卓には綺麗に洗われた鍋や食器がきちんと並べられている。

「塩漬けの肉ならそこの壺に入っているけど」

 ダーナは少し心配だったが、彼が思う以上にスージーは家事が出来るようだ。野菜の皮むきや刻む事、肉の塩抜きなどの調理も文句のつけようが無かった。彼女が言うように料理も慣れている様だ。これはアンジュルの魔術によるものではなく、スージーの元々のスキルであり、それを封じてはいなかったというのは配慮でもあるのだろうと考えた。火を入れた竈に鍋を掛けた時、一匹のハエがスージーにまとわり着くように飛んだのが気になったのか、彼女は立てかけてあった箒を手にすると振り回してハエを追いかけ回した。彼女が潰そうと夢中で追っているハエはただのハエではなかった。ダーナには、術師が放ったハエだとすぐに分かったが、彼は敢えてそれを無視していたのだ。つまりそれは、この家にダーナ以外の人間が居るのを知らせる意味があったからである。

「やったー!二匹目。大きな街にもハエっているんだね」

 スージーが仕留めて喜んでいる。

「ハエなんてどこにでも居る筈だよ?しかし、君は退治するのが上手いね」

 ダーナはわざと褒めた。彼が術者が放った虫を駆除すると、相手に怪しまれる事は間違い無いのである。相手の術者は昆虫の目を使って彼らの様子を探っているのだ。

「兄さんは虫が嫌いなの?」

「うん。どちらかというと苦手だね」

「そうなの?だったら私が潰してあげるね」

 素直に同情してくれたスージーには悪いと思ったが、この場合は仕方がないのである。ダーナを監視しているのはイ・スニか、彼の手下であるヨンジャだろう。水晶玉を通して彼らの送ったハエが、スージーにより駆除されたのを見た筈である。


 翌朝、普段通りに宮廷に出仕したダーナは、見習い術師としてスージーを伴っていた。堅物で知られるダーナが女の子伴っているのが珍しいのか、侍従や女官、官吏たちの好奇の視線が注がれる事となった。スージーは生まれて初めて宮廷内に入り、その緊張で頭が混乱するばかりで、挨拶をされればその度に深々と頭を下げていたのだった。しかしそんな彼女でも、ダーナが明らかに目上の人からも丁寧に挨拶をされている事に気が付いた。

「ねえ、兄さん。挨拶は、誰にでも丁寧にしないといけないの?」

「うん?そうだよ。だって、この奥には皇帝陛下のお住まいがあるからね」

「わ、分かっているわよ。じゃなくって、もしかして兄さんが偉い人かも?って思ったのよ」

 スージーが言いたかった意味が分かり、ダーナはそれに思い当たって苦笑した。彼自身は殆ど意識はしていなかったが、彼の地位からすれば当たり前の反応である。現皇帝ウエルダーに仕える魔術師であり、序列で言うと二位に当たる「副術師」に任命されているのだ。

「まずは正術師、エッセルさまにお会いしよう」

 宮殿は中庭を囲むように建物が建てられ、正面の建物のより西側の建物が皇太后の住まいと彼女に関する部署、東側が帝国及び帝室関係であり、正面奥の建物が皇帝たちの住居である正宮殿となっている。ダーナたち二人は、謁見室などがある正面の建物から東側の建物に進み、二階に上がると中ほどにある魔術師専用の部室に向かった。

「おはようございます、エッセルさま」

 ドアの前でダーナは恭しく頭を下げた。

「お帰り、ダーナ」

 張りのある男性の声がするとドアが勝手に開いた。奥には大きな机があり、その向こうには、白く豊かな顎鬚を蓄えた老人がいた。正術師エッセル・ナッハである。彼は立ち上がると、ダーナの横にいるスージーに視線を移した。

「いらっしゃい、お嬢さん。ダーナが世話になるね」

 上品な物腰の老人であった。歳はアンジュルよりも若いようである。

「いいえ、お世話になっているのは私の方ですから。おじさんが兄さんの上司さんですね?いつも兄さんがお世話になっています」

 スージーはちょこんと頭を下げ、彼女なりの挨拶をした。

「スージーったら!正術師さまに、おじさんなんて失礼ですよ」

 ダーナは素の部分が出てしまっているスージーに驚きを感じていた。エッセルは笑っていたが、直ぐに彼女が理解できない古語でダーナと話し始めてしまった。スージーは仕方なく、広い部屋の中を所在なく歩き回る事になった。彼女は難しい大きな本が並んだ部屋の中よりも、大きな窓から見える中庭の美しい噴水に興味をそそられた。スージーは居てもたってもいられなくなり、とうとう話に割って入った。

「お話し中失礼ですが、あれが噴水ですよね?私、どうしてもあれを近くで見たいの、行ってもいい?」

 あんなにも美しい噴水を初めて見たスージーは興奮していた。話しには聞いてはいても、こんなにも大きく美しい物だとは思ってもいなかったのだ。ダーナが、中庭なら一人で見に行ってもかまわないと許可してくれた。彼女は一人で行く事には少し抵抗を感じたが、ワクワクした冒険心が沸いて来ているのを抑えきれない。弾む足取りで階段を下りると、回廊の途中から中庭に出られる場所を見つけた。手入れの行き届いた植木に、色とりどりに咲く花々が植えられた花壇があった。細かな砂利を敷き詰めた小道を進んで行くと、噴水を囲むように作られた小道と繋がっていた。スージーが噴水を目指してそちらへ進んで行くと、黒色にそれぞれ金色と銀色の刺繍が入ったローブを着た男が二人、噴水の脇でスージーを見つめて立っているのに気が付いた。彼らはスージーを認めると一瞬眉を寄せ、彼女はその瞬間背筋に冷気が走り足が止まってしまった。しかしスージーは行かなくてはいけないと思い、再び足を進めると噴水に近づき、この黒い二人に挨拶をした。

「こっ、こんにちは」

 挨拶をされた二人の男は、意外にも柔和な笑顔を見せた。

「見かけない顔のお譲さんだね。ここで何をしているのかね?」

 黒ローブに金色の刺繍が入った、歳の多い方の男が声を掛けてきた。

「はい。私、この綺麗な噴水を見に来ました」

スージーは正直に言った。

「噴水だと?もしかして、これが珍しいのかい?」

「ええ、私の故郷のフクサには無かったの」

「ほほぅ」

 男はニヤリとするとスージーに名前を尋ねるた。すると彼女は意志に反して、聞かれた訳でもないのに名前の他に身の上話まで話し出していた。彼女は両親と死別後、祖父と暮らしていたがその祖父が亡くなり、遠縁のダーナに引き取られて帝都に来た。そしてこの先、他の親類縁者にも世話になるかもしれないと言ったのだ。

「ふむ、スージー・オストロフ。私が君を世話してもいいのだが?」

 黒いローブの男は片眉を吊り上げた。

「いいえ、結構です。見知らぬ人にお世話になるなんて、そんな事出来ないし、兄さんに怒られるわ。ところでおじさんは、一体誰なんです?」

「おじさん?ふむ、確かに私はおじさんだが・・・私は皇太后さまにお仕えする正術師、イ・スニだ。で、こちらは部下のヨンジャだが、君の保護者であるダーナ・シュトラウスとは、同業者でよく知る仲でもあるのだよ」

 イ・スニの薄い唇は不敵な笑みを浮かべていた。

「そうなの?初めましてスニおじさん。宜しくね」

 にっこりと挨拶をするスージーに、彼らは噴水と池を間近で見る事を勧めた。

「噴水も美しいが、この池を覗いてご覧。知る者は少ないが、池の底には美しい魚が居るんだよ」

 言われるがままに、スージーは池を覗き込んだ。しかし、彼女には魚の姿は見つけられず、水面に映る自分の顔だけが見えるのだった。そんな様子をスージーの背後からヨンジャが確認し、イ・スニに向かって頷いた。

「おじさん、魚なんて見えないよ?」

「ふむそうか、残念だな。深い所に潜っているやも知れんが、見かけた人間は少ないと言うのでな。さて、我々は仕事に戻るから、君はゆっくり探すがいい。それと、これからは私の部屋にも遊びに来てもいいぞ。美味しいお茶やお菓子もあるからね。シュトラウス君もきっと許す筈だ」

「はい。ありがとうございます、おじさん。兄さんにも伝えておきます。・・・さよなら」

 スージーは納得がいかないのか、その後も何度も池を覗き込んだりしていた。離れて行く彼らは振り返ることもなく、何事も無かった様に西側にある魔術師の部屋へ帰って行った。しばらくしてダーナが池までやって来ると、ブツブツと独り言を言いながら池を覗き込んでいるスージーの姿に違和感を覚えた。ダーナは彼女に気付かれないように背後からそっと近づき、この中庭に来てからのスージーの言動をトレースをすると、思った通りスージーには鏡の呪術が掛けられた事が分かった。鏡の呪術とは、身の上について全てを偽りなく告白してしまう術であり、写した姿にもその真の姿が映るのである。例えば王であるならば、王である事を自ら告白し、鏡や水面に映ったその人物の頭上には冠が映り、術者ならば象徴する杖を映し出す。ダーナはそれを解きながら、彼女の後ろから大声を出して驚かせた。

「キャッ!やだ、兄さんったら、びっくりしたじゃない」

 振り向いたスージーは胸を押さえた。

「どうだ、驚いただろ?この前のお返しだよ」

 ダーナは笑ってはいたが、術が解けた事を確認してスージーをなだめた。

「兄さんったら、池の底を覗いていただけなのに、驚かせて落とそうと思ったの?」

「まさか。熱心に覗いたりして、池には何かいるのかい?」

「ええっ?だって、池には・・・」

 スージーはそこまで言うと、覗く事で何をしようとしたのかを忘れてしまっていたのだ。

「あれ?何だったかな。何をしようとしていたのか・・・」

納得がいかないスージーだった。

「ふむ。そんな事より、今日はもう帰れるから市場に寄って行こう」

 ダーナには分かっていた。イ・スニが彼女の素性を探り、駒の一つとして使えるのか試した事をだ。


 それから数ヶ月経ったある日の朝。ダーナはいつものようにスージーを伴って宮廷へ出掛けた。

「ねえ、兄さん。今日は先に黒のおじ()()の所へ行って来るけどいい?」

「いいとも、迷惑を掛けない様にね」

 ダーナの注意を後ろ向きで聞き、彼女は嬉しそうに西の建物に向かって行った。スージーの言う「黒のおじさま」とはイ・スニの事である。彼女は一般の人間として判断された上に、どういう訳かイ・スニに気に入られていた。とはいうものの、親子以上の年齢差があるので女性としてよりも、子どもとして扱われている。独身である彼にとっては大人の女性は面倒で、子どもと居る方が気持ちが楽でもある様だ。彼らがどんな会話を交わしているのか気になるが、イ・スニはスージーが子どもなので、耳にした重要な情報を喋ってくれる事を期待もしている。つまり、皇帝派の動きを探る目的もあるが、今の所はそれは果たされていない。今日はスージーが摘んできた花を押し花にするために、イ・スニの部屋にある分厚い本をあれこれと運び、彼の大きな机の上に並べては薄い紙に包まれた花を挟んでいった。イ・スニは一般子女の、彼女のするがままを眺めているのが気に入っていた。彼自身は代々続いている呪術師の家に生まれ、男兄弟の中で育ち、男子校で学問を学び、大人になっても女性とは殆ど関わりのない環境に身を置いていた。彼にとってスージーとの会話は新鮮さがあり、人間観察の絶好な対象でもあった。

「これで全部よ。しっかりと重さを掛けておかないと可愛いのが出来ないんだから触っちゃだめよ。おじさまも楽しみよね?今日はこれで終わりにしましょう。次は私がお菓子を焼いて持って来るわ。では、またね」

「うむ、それを楽しみにするとしよう。綺麗な押し花が出来るといいね」

 スージーが手を振ってダーナの元へ去って行くと、脇に控えていたヨンジャが苦笑した。

「やはり子ども、ですね」

「よいではないか、そのうち善き知らせをもたらすやも知れんからな」

「術師の家系でもまったく術を使えない人間がいるなんて、あのダーナが歯噛みしただろうと思うと・・・」

 ヨンジャは笑いを堪えた。

「ふむ、もうあの位に大きくなってしまえば、今更魔力も何も持つことは出来まい。あの虫潰しの娘も、人畜無害なただの人間だ」

「と言う事はやはり、あのダーナをこちら側に引き寄せるのも可能かと?」

「ああ。上手く行けばあやつを引き抜く事で、我らがこの国の術界を席巻出来る」

「フフフ、想像するだけでも恐れ多い・・・スニさま、その日が楽しみですな」


 同じ頃、ダーナは術師の部屋で探索隊の資料を前に、エッセルと探索について話し合いをしている最中だった。お互いの部屋には何重にも術が掛けられているので、盗聴に透視や透過、虫を放す事さえも出来ない。ダーナとエッセルはお互いの意見の一致をみて頷き合った。

「その時は頼むよ、ダーナ。皇帝陛下にも報告してあるのでな」

「もちろんです、エッセルさま。皇大師さまのお弟子さんですから、我々の想像以上だと思います」

「うむ、平和な世を守る為にも必要だ。くれぐれも思念連絡を怠らないようにしておくれよ」

「はい。連絡は皇大師さまにもしていますから、ご心配なさらずに」

「ふむ。ところであの子は、スニ殿の所で何をしているのだろうか」

「ふふふ、気になりますか?他愛もない話をしている様です」

 ダーナは、庭の草は薬草で虫除けの役目がある事を教えた次の日、虫は入らない筈なのに、家に入って来るのはなぜだろうと質問したり、商人から聞いた黄金の竜の話で、鱗は純金製で手に入れれば高く売れると言い、早く見つけないと誰かに全部持って行かれてしまうだろうから、おじさんたちも探しに行くべきだ、と言った事などを話した。

「なるほど、直接の知識はないものの、あちらさんとしては少し耳障りだったかも知れんな」

「ええ、そうですね。それも今日で終わりになる・・・私もあちらに世話になったお礼を言わないといけませんね」

「アハハハハ」

 久しぶりにエッセルが愉快そうに笑った。するとドアの外からスージーの声がした。

「ただ今戻りました」

 ダーナが指をパチンと弾くとドアは開いた。来客はドアの前に来るまでの間に、術が掛けられているか否かをスキャンされている。術が掛かったままだと、指を弾いてもドアは開かないのだ。

「おじさまの笑い声が聞こえましたけど、楽しいお話しをしてたのかしら?」

「ああそうだとも、楽しかったよ」

「残念だわ、私も聞きたかった」

「ほう、君も向こうで楽しかっただろう?」

 エッセルはわざと言った。

「そうね、それなりに。あの黒のおじさまは、ああ見えても女の子みたいな物が好きなのよ。お花やお菓子が大好きなの、今日は一緒に押し花を作ったのよ」

 スージーの話にダーナとエッセルは驚いて顔を見合わせた。今までそんな話しの一切を耳にした事がなかったので、意外過ぎると思ったのだ。黒い衣装を纏ったイ・スニからは想像すら出来ない事であった。彼らは仕えていた先帝が崩御されてから喪に服し、衣装の色すべてが黒に変わった。それは、専属雇用契約が皇太后が存命中であれば続くからであり、魔術師や呪術師に至る者たちまでも黒を着ているのだ。因みに、現皇帝に仕える彼らは白っぽい色の衣装を着用している。長官であるエッセルは金の刺繍が入ったローブ、ダーナには銀の刺繍が入っている。

「スージー、黒のおじさまは明日からしばらく、留守をするって言ってなかったかい?」

スージーは留守をするなど、ひと言も聞いた覚えが無かった。

「えっ、そうなの?おじさまは何も言ってなかったわ。だって、今度焼き菓子を持って来るって言ったら、楽しみにするって」

「そうなんだ、君には言わなかったんだね」

 ダーナはスージーの反応を見ながら言うと、スージーは両頬をぷくっと膨らませた。

「兄さんは意地悪だわ!おじさまは私には嘘を言わないもの、私に嘘を言っても何の得にもならないでしょ?」

 スージーはイ・スニを信じて疑わない様である。ダーナは机の上に広げてある、皇太后府の探索計画書を指して言った。

「ここをご覧、予定では明日イ・スニとヨンジャ、他にもう一人が帝都を立ってフォンハイへ行く様だよ」

 スージーは計画書を覗き込み、そこに書かれてある彼の名を見つけて驚いた。

「嘘!おじさまは何も言わなかったわ。おじさまは焼き菓子を楽しみにするって言ったもの、確かめなきゃ・・・」

飛び出して行こうとしたスージーはダーナに止められた。

「やめなさい!君には寂しい思いをさせない様に、気を使ってくれたのかも知れないよ?それに、今から行っても遅い」

「遅いって、どういう事?」

「君がこちらに来る前に、魔術を使った波動があったからね。彼らは予定を前倒しにして出掛けてしまった様だ」

 それを聞いたスージーは肩を落としてうなだれた。一人の人間として認められていると思っていたのに、そうでなかった事実を知って裏切られたような、割り切れない気持ちになった。

「まあ、そんなにがっかりしなさんな。こちらとしても、君たちに行ってもらわねばならん。餞別にもならんが、今日の晩飯は私がご馳走するとしよう」

「えっ?君たちって、どういう意味なの?エッセルおじさま」

「ふむ、そろそろ君を開放してあげなければならないからね。君の能力を存分に発揮してもらわないといけない事態になるかも知れんからな」

「・・・・・・?」

 スージーは、エッセルが何の事を言っているのか理解出来なかった。そして、その不安そうな視線はダーナに注がれた。

「大丈夫だよスージー。君が君らしくあるために、元の君に戻るだけなんだから」

「何言ってるの?分からないよ、兄さんまで変な事言って・・・」

 ダーナはポケットからスージーのペンダントを取り出すと、彼女の額にぴたりと貼りつけ解除の呪文を唱え始めた。スージーは、温かく懐かしい不思議な感覚が満ちて来るのを感じた。頭の中では、今までの様々な出来事がぐるぐると回り始め、眠らせていた意識が起き上がって来るのを感じ、つい今しがたまであった何かが崩れ去って行った。そして、全てのパズルのピースが揃うと、背中を強く叩かれた様な衝撃で意識がはっきりとした。

「スージー!スージー・ホーン、大丈夫ですか?」

 眩暈を感じて体勢を崩した彼女をダーナは抱き留めた。


「ダーナさん?あれっ、私、変・・・」

 ダーナはゆっくりとスージーを椅子に座らせた。これで一部の人間を除いて、アンジュルが掛けた広域拡大魔法のすべてが解けた。一部始終を見ていたエッセルは、何度も術解除の場面を見てはいるが、今までにこんなにも魔力を使う解除は見た事がなかった。タフな魔力で知られるダーナでさえ、酷く疲れてしまっているのだ。遂にはダーナも足元が怪しくなり、とうとうそのまま床に座り込んでしまった。エッセルは鍵付きの引き出しから箱を取り出すと、中に入れてあった白く輝く美しい魔晶石をダーナに触れさせた。この魔晶石は魔力を回復させる力がある。肩で息をしていたダーナは呼吸が整うとスージーに話しかけた。

「スージー、君の精神状態はどう?」

「ええ、多分大丈夫です。だけど、頭が二つあるみたいで気持ち悪い・・・ここは皇帝の宮殿、この部屋はエッセルおじさまの部屋、あれは・・・」

 しばらくの間、天井を仰ぎながら確かめるために独り言を言い、二人を一人にする作業をしているスージーだった。

「君もこれに触れるといい、疲れが取れる」

 差し出された魔晶石に彼女は首を振って断った。それは、癒しが得意なエッセルの石をもっても、彼女の自然回復力以上の働きはないのである。アンジュルによれば彼女が無属性である故らしい。自然界にあって、そのすべてが彼女の力と癒しになる。目を閉じたスージーは深呼吸をした。彼女には、新しい何かで体中が満たされて行く感覚があった。そして目を開くと、すっと椅子から立ち上がり、二人に丁寧にお辞儀をした。

「エッセルさま、ダーナさん。今日から私はスージー・ホーンです。どうやら今まで、大変ご迷惑お掛けしていました、ごめんなさい。そして再び、宜しくお願いします!」

スージーは恥ずかしくて、改めて挨拶をしないといけないと思ったのだ。

「おお、まさに皇大師さまの仰る通りだ。スージー、今からは皇帝陛下の御為に力を貸してくれるね?」

「はい、喜んで!と言っても、何をすればいいのかしら?」

改まると余計に気恥ずかしさを感じた。

「それはこれから説明するとして、ちょっといいかな」

 エッセルには違和感があったのか「エッセルさま」と呼ばれるよりも「エッセルおじさま」と呼んで欲しいと言った。ダーナもその点では「兄さん」のままでいいと思っていたのだ。

「術が解けた事で他人行儀をされると、何だか調子が狂ってしまうからね」

「そうなんですか?では遠慮なく、エッセルおじさま!」

「うむ」

 エッセルは嬉しそうに頷き、新しく姪っ子が出来た様だと言った。それからスージーには、魔術師としても自覚出来る様にダーナから彼女のペンダントが返された。

「私が魔術師ですって?」

「そうだとも、君だけがただの見習い錬金術師だと思っていたんだ。君のご両親もとっくに気付いていたよ」

「ええっ、そうなの?私だけ・・・?」

 ダーナに言われ、アンジュルに教えられた事を思い返しては、錬金術とは確かに違っていた事にようやく気が付いたスージーであった。

「やだぁー!私って」

 これが、彼女の魔術師としての自覚の第一歩だった。


「やっぱり飲み込みが早いね」

 他人事ながらダーナは喜んだ。これから必要になる思念会話の仕方をスージーに教えたのだ。彼女はすぐに覚えて、両親や師匠であるアンジュルと会話を楽しんだ。

「便利ね。これを使って師匠やおじさま、兄さんが話をしていたのよね?」

「そうだよ、だけど切り替えはちゃんとしないといけないよ」

 ダーナに言われ、スージーはイ・スニの顔を思い浮かべて頷いた。特定の人物以外には使ってはならないと言う事である。彼女もその辺りの事情は薄々気付いていたのだ。

「はい。うっかり者の私だけど、充分に注意するわ。でも、呪術師はなぜ魔術も使えるの?」

「うーん、その質問の答えには少し時間が必要かな?」

 ダーナは少し困った顔をしてエッセルを見た。

「うむ、元々は同じ力を根っことしているんだ。けれどそれは、使い手の筋と言うのか、簡単に言うと人に得手不得手があるのと同じなんだよ」

 エッセルは豊かな顎鬚を撫でながらほほ笑んだ。魔術はすべての術の根源であり、それを自由に使えるのが魔術師であり、ある一定かつ特定の魔術しか使えないのが呪術師や錬金術師なのである。

「うぅーん、師匠はそんな事まで教えてくれなかったわ。それに、もし私が自由に魔術を使えるとしたら、なぜそれを使えない様にしたのかしら」

「知りたい?」

 再びスージーを座らせたダーナは、彼女の師匠であるアンジュルより伝えられた一つ一つを丁寧に聞かせてくれた。それはスージーが考えもつかなかった事でもあり、その力を封印していなければ、彼女はここにはいなかったという事実だった。

「私、どうしたらいいの?」

ここには彼女の両親も家族も師匠も居ない。

「君はどうしたい?」

「私は・・・」

 すっかり困惑しているスージーだった。優しく見守る二人は敢えて言葉を掛けないでいる。スージーは無意識にペンダントに触れていた。冷たい金属であるはずのペンダントは、自らが熱を発しているかのように温かくなっていた。そのペンダントの温もりが体に染み渡る様に、無意識の下でスージーの気持ちをはっきりと、そして強くさせていた。

「そうよ、私は他の誰でもない。私はわたし!正しいと思う事に力を使うようにするの。だから、おじさまと兄さんにお願いしたいの、間違った方向を向いたら正して欲しい」

「いいですよ、お安い御用だ。そうですよね?エッセルさま」

 エッセルは大きく頷いた。そして、スージーに左手を掲げてみる様に言った。彼女は言われるままに左手を掲げると、その手にはいつの間にかあの短剣が握られていた。

「どうしてここに?」

 アンジュルのレシピで出現させたエテルナードであった。あの後この剣がどうなったのか記憶に無かったが、彼女に譲られた護りの剣は術武器といい、意識的に出さない限りは腕の中で眠り、危機を感じた時や人以外と戦う時に具現化するというのだ。そしてまた不思議な事に、エテルナードは消えてしまった。この様に剣などの武器を手足や胴体にしまっておけるのは、上級魔術を使える者だけであり、帝室に仕える術者ならば当然の事でもある様だ。エッセルによると、アンジュル皇大師は短槍を持っているというが、それを実際に見た者は現在の宮廷内にはいない様だ。なぜなら、アンジュルが宮廷を離れて25年にもなる。エッセルは、彼が知っているアンジュルについてスージーに聞かせた。


 アンジュルが18歳の頃、当時有名な魔術師に推挙され宮廷に仕える様になったという。その理由となったのは、10代の初めより広域拡大魔術を成功させたり、低クラスの貴石を最高クラスに変化さえる術や、ただの金属を貴金属へと変化させる術が出来たからだと言うが、実際には錬金に至っていなかったようである。彼が皇帝の信頼を得たきっかけは、彼が30を前にして皇帝直属の魔術医になった頃、長年患っていた皇帝の病を完治させる事が出来たのであった。この功績により、アンジュルには皇大師の称号を授けられたのであるが、それまでの魔術医はその病を治せなかったと言われている。その事により尊敬を込め「アライザルの再来」と称されたのだが、術師の一部からは妬みや反感を買う羽目になってしまった。その上、術師同士の足の引っ張り合いが激化し、彼を含め魔術に磨きを掛けるどころではなかった様である。また、術師の最上位を狙うイ・スニが流した噂は、年を追うごとに尾ひれが着き、アンジュルを妬む包囲網を完成させ、とうとう彼を窮地に陥れる事に成功してしまったのである。それは結果的に無実のアンジュルを宮廷から去らせたが、同時に皇帝スナイダーに死を与える結果になったと言える。アンジュルとエッセルは仕える期間が入れ違いではあったが、エッセルの周囲には皇大師を信じて尊敬する者が多かったので、彼の様々な様子などを聞き知る事が出来たと言った。

「皇大師さまは、さぞ口惜しかっただろうに」

 エッセルは立ち上がるとゆっくりと窓辺へ歩いた。当然の事であるがスージーは、師匠のアンジュルが宮廷でその様な仕打ちに合った事はまったく知らなかったのだ。

「師匠、かわいそう・・・」

「お可哀想だと思う?わたしは少し違うと思う」

 ダーナはスージーの目の前に立つと、それがあったからこそ皇大師アンジュルは狭い箱の中から出る事が出来、広々とした世界で人々の為に力を自由に使う事が出来るのだと言った。

「皇帝陛下にお仕えしているわたしが言うのはおかしいかも知れないが、本来の術使いはそうであるべきだと考えている・・・」

「私にはよく分からないけど、師匠はそれで良かったって事でしょ?それならヴェルダー陛下は、エッセルおじさまや兄さんたちを宮殿に縛りつける事はしていないの?」

「ああ、そうだよ。おかげで我々は自由にさせて頂いている。陛下の改革があったからこそ自由を得ているのだよ」

 振り向いたエッセルは穏やかに言った。だがスージーには、師匠アンジュルが不平等に扱われていた事に腹が立って仕方がなかったのだ。

「スージー、君が怒るとエテルナードも怒りを発するよ」

 確かにその様だ、左腕が熱を帯びてジリジリとしている。どうやら身体的危機でもなく、激しい怒りを覚えた時にも出て来ようとする様だ。ダーナは彼の術武器であるシュザヌにより、鋭利な刃物の存在を全身で感じ取る事が出来る。例え離れた場所であっても、体の中で術武器が共鳴して危険を知らせてくれるのだ。スージーが剣について新しく得た知識は、抑える為にも精神的な強さが必要であるという事であった。彼女は優しく左腕を撫で、気持ちを落ち着かせた。

「探索に行くには君の場合、必修事項がいくつかあるからね。スージーついて来れる?」

「うん!じゃなかった、ハイ!!」

何かが始まるという期待が心を奮わせた。

「まずは変化へんげだけど、要するになりたい動物をイメージするんだ、それを」

 ダーナの説明を最後まで聞かないうちにスージーはリスになっていた。これにはエッセルも驚いて口を開けてしまった。

「凄いよスージー。初めてなんだろ?」

 手放しで喜んだエッセルだったが、暫くその姿のままで部屋中を駆け回っているスージーに、ダーナは強制的に術解除を行った。ちょうど、カーテンから窓枠へと飛び移ろうとしていたところだったので、彼女はそのまま床に落ち、足を強かに打つけてしまった。

「痛ったぁー、兄さんったら酷いじゃない!」

 スージーの抗議には耳を貸さず、すまし顔のダーナはこれから覚えるべき点を説明した。その大半は実際に魔術を使う事であり、使う事で慣れるというものだった。そして、探索で最低限必要となるであろう魔術は全部試す事になった。


「ふむ。とにかく君は一通り出来るけど、発動詠唱が長いのが欠点だ」

「慣れていないから、仕方ないじゃない?」

「慣れとも違うな。もっと単純に、もっと簡単にすればいい事なんだよ」

 呪文の詠唱は五感に値し、一つ一つの事象を細かに順を追うのだが、緊急の場合それでは間に合わない。ざっくりと単純化して使える様にしないとならない。

「例えば、こんな風に」

 ダーナは最も単純化した例を見せた。彼はエッセルの机の上から一枚の紙を取ると「燃えろ」と言った。紙は瞬時に火が付き燃え尽きて消えた。術式では火の精を呼び出し、借りた力によって火を出現させ、紙に移し燃え広げ、その灰を消滅の宙に消し飛ばす。詠唱の単純化は頭でイメージし、命令形で唱える。

「なるほど、イメージしながら・・・」

 スージーも紙をつまみ、消えろと言うと紙は消えた。そしてまた、戻れと言うとその手には紙があった。自分でした事に驚いたスージーだったが、エッセルは魔術を使う時には細心の注意が必要だと言った。それは、どんな魔術でも人に害を与える事が出来る。特に人に対しては、正当な理由無く行使する事は避けるべきであるのだ。

「攻撃魔術の事?出来る事なら使いたくはないけど、身を守る上で仕方がない、というのは誰でも同じでしょ?」

「そうだとも、よく知る者にでもね」

 含みを持った言い方をしたダーナだった。

「それって・・・」

「君が思いついた人物と同じだと思うけど、術使い同士の戦いが一番恐ろしい。相手の技量を計り損ねるとあの世行きだ」

 スージーは背筋が寒くなる思いがした。

「怖いか?」

 エッセルは静かに訊ね、その恐怖心に付け込む事が出来るのが呪術の一つだと言った。欲望、嫉妬、裏切り、恐怖、それらを自由に操れるのが呪術師の特技でもあり、特に齢を重ねた呪術師は手強い存在だ。

「なぜ我々がスニ殿、皇太后さまを含めて阻止しようとしているか分かるか?皇大師さまも仰っていらしただろ?この国、広い意味では全世界を守るためだ。暗黒に支配されないためにも阻止しなければならん」

「もしかしてエッセルおじさまは、世界中が闇に飲み込まれてしまうと考えているの?」

「いや、実際にはどの様になるのか分からんが、一日中真っ暗闇という意味じゃないぞ」

 その世界は支配する側のほんの僅かな人間だけが、それから得た偽物の幸福に浸っていられるだけであり、強制的に力の支配を受ける圧倒的多数の側では、計り知れない苦痛だけがあり、何一つ希望でさえ持つ事は許されないとエッセルは説明した。

「わたしはそんな世界で暮らしたくはないですよ。未来はいつも輝いて夢と希望に溢れていて欲しいですから。スージーの考えはどうなの?わたしたちと一緒に皇太后さまのお考えを阻止するのか、それともあちらに協力して世界を支配する側に回るか」

 14歳の少女に対して難しい質問を投げかけたダーナだった。

「子どもだからって試さないでよ。私、師匠やエッセルおじさま、兄さんたちと国を守りたいに決まってるでしょ?それに・・・」

「それに?」

「もし、じゃなくて、本当に黒のおじさまたちと戦う事になったら、私も本気で戦うから。誰の為にでもなく、皆と私の為に」

 ダーナは大きく頷くとスージーを優しく抱きしめた。ダーナの温かさは正義の温かさだとスージーは思った。


 探索へ


 [あれから半年が経とうとしているのに成果が全くない。こんなに淋しい場所ばかり巡るなんて思ってもいなかった。時々は帝都に戻るけど今は恋しいかな。それに、その度に例の竜は存在しなかもって思うようになった。兄さんはどう思っているのかな?本心を言わない人だから]


 今では何冊目かの手帳を日記代わりにしているスージーだ。現在彼らが居るのは、帝都より西に離れたウエンストンという地で、ここは鷹の目と呼ばれる皇帝指揮下の情報分野に長けた術師集団により、竜伝説の地の一つと位置付けられていた所だった。鷹の目に依って掘り起こされた伝説の地を、一つづつ検証する実働部隊にダーナとスージーは在籍している。

「三週間も調べたけど手がかり無しだね。仕方ない、戻ろうか」

「はーい、賛成で~すっ」

 片手をあげたスージーにダーナはクスクスと笑った。

「おやおや、お疲れですなお嬢さん。帰りは鷹でお願いしますよ」

「もう!兄さんったら、意地悪なんだから」

 三週間前。ウエンストンに到着してすぐに、街の様子を上から見ようとしたスージーは鳩に変化した。宿屋の窓から飛び出し、街を一回りして戻って来ると窓が閉まっていたので、開けてくれるまで屋根で待っていた。ところが鳩を捕らえようと屋根に上った宿の主人が、そっと近づいて来ると網を投げたのだ。間一髪、スージーは網をすり抜け、開いた窓に飛び込み事なきを得たが、一歩間違えればスープか香草焼きになっていたかも知れなかったのだ。変化中は咄嗟な術解除が出来ない場合がある。もちろんその後、ダーナのお説教が待っていたが、安全が確保されている場所以外では、狩りの対象となる鳩などの動物にならないのが決まりである、というルールを身を持って知ったスージーであった。


 やがて二羽の鷹は西方の地より帝都の空に舞い戻り、そのまま宮廷の一室に飛び込んで行った。

「お帰り、二人とも。ナガレとレーニアが、たった今出たばかりだよ」

 エッセルの優しい声がした。戻って来る者がいれば行く者もいる。

「ただいまぁ!レーニアさんたちにも会いたかったなぁ」

「ただ今戻りました。エッセルさま、新しい情報とは?」

「うむ。早々だが、これを見ておくれ」

 エッセルが思念会話で、帰ったら見せたい物があると言っていた物だろう。一枚の古い地図と一遍の詩が書かれた小さな本だった。

「おじさま、それは?」

「うむ。これがヒントになる筈だ。それと、この地図も見て欲しい。ナガレと一緒に書き込んだ」

 彼はオルフェド全体が細かく描かれた大きな地図を床に広げ、更に実働部隊の彼らと、皇太后の探索隊が調べた土地に印や記号を付けていた。印は都市部には殆ど無く、森林地帯や草原地帯、更に湿原や砂漠にもあり、それが重なったり隣り合わせだったりしていた。

「やっぱり同じ様な場所を探しているのね?」

「あちらさんは多くの民間人を編成した人海戦術だが、その探索ペースも早くなって来ている。こちらは少数精鋭で、働きバチの様にあちこち飛び回っている状態だ。従って時間が経てばその差が大きくなるのは歴然だが、こちらとしては差を付けられる前に勝負を勝ち取る必要がある訳で、皇大師さまが教えて下さったこれを頼るしかないかも知れん」

 エッセルは、小さな本にも書かれている地名を記した古地図を、床の大きな地図に重ねて置いた。

「エッセルさま、そこはもう探索した場所ですよね?」

「うむ、そうだ。そこでこの本の登場だ」

 その本は、古代の国々の寓話や逸話が書かれているが、かなり以前から読む価値はないと評価され、書庫に眠らされ処分を待っていた本である。今回、その存在を知っていた唯一の人物、アンジュルの指示により再発見されたのである。

「皇大師さまが仰るにはスージー、君の父君が思い出すきっかけを与えれくれたそうだよ」

「私の父さんが?」

 スージーは、父が竜伝説の地へ行こうとしていた事を思い出した。

「この本を読んだ事がある皇大師さまは、本の後半に書かれていた竜に強い印象を持っておられた様だ」

 そしてその一節を読んだ。

「違えし契約は滅びとなりて世界を覆いつくす筈だった。だが、慈悲深い竜は哀れみの心を持ち、元のかの国のみを一晩で消し去ったのである」

「滅亡の一節ですね。その前にはどんな事が書かれていますか?契約について・・・」

「まあ、そんなに急くな、そこが問題なんだ」

 エッセルはその前のページを開いて彼らに見せた。驚く事に、見開きのそのページには何も書かれていなかったのだ。驚いた二人からは言葉が出なかったが、ゆっくりと本を閉じたエッセルは「推測するしかない」と言って仮説を立て彼らに説明をした。本を書いた人物は後世に戒めを与える為に「竜の章」を書いたと思われ、その根拠は何も書かれていないページが存在するという点だとい言うのである。何も書かれていないページには隠し文字の術など何も掛けれれてはいない。書かれていなければ想像するしかないのだ。アンジュルはこの点をどう読み取ったのであろうか、彼が持った強い印象とは何であったのか、エッセルは彼との思念会話では曖昧な答えしか聞き出せなかった様だ。

「謎を解くとしたら、リナやスタンはパズルの様に解くのではないかと言ってたよ。アンジュル皇大師さまは、現地へ行けばハッキリするだろうと仰っていらした。とにかく、ヒントは本と現地にあるだろうと」

「それでしたら、わたしに本をお貸し下さい。読み解いてみます」

 ダーナは真面目にその本を読み解こうと決めたその時、小首を傾げていたスージーが何かを思い付いたのか、急にクスクスと笑い出したのである。


「もしかして、肝心な事を忘れてたみたい」

「むぅ?」

 極めて真剣に考えていた時に、またもや笑われてしまったダーナだった。ダーナは不機嫌な顔のままでスージーに説明を求めた。

「気を悪くしたのならごめんなさい。私が思うには、契約は重要じゃないの。だって私たちは、皇太后さまのお考えを阻止する事でしょ?だからそれは向こうが大切なだけで、こちらには必要の無い事でしょ?」

「ふむ、そうだと言えばそうだが」

「えーっと、簡単に言っちゃえば、私たちが契約を交わされる前に竜を封印すればいい事なのよ。そうですよね?おじさま」

 スージーの発言に目からウロコが落ちた様なエッセルとダーナだった。

「そうか、そうだとも!私たちは契約に捕らわれ過ぎていた様だ。契約される前に封印してしまえばいいのだ」

「なるほど、確かにそうだ。で、封印魔術についての知識は?」

「問題はそこなの。どんな封印魔術が有効か私には分からない」

「それなら今から封印術を覚えようか?」

 ひと言で封印魔術と言っても多種多様である。封印される側の魔力によりその方法も全く違う。一通りの封印術を知っているダーナは、即席でも知らないよりはましだと思い、スージーに教えるつもりでいた。ところが彼らを遮る様にエッセルが重要な事実を告げた。

「今、皇大師さまと思念会話したのだが、相手が竜となるとアンデッドを封印するのとは訳が違うと仰られた。つまり、それは・・・」

「それは?」

 ダーナとスージーが同時に訊いた。

「拡大魔術でないと封印は無理な様だ。アンジュル皇大師さまも、先の術で未だに完全回復が出来ていないそうだよ」

 皇太后派を欺く事には成功した彼らだが、皇帝派を支える最重要人物が使えない状態なのは痛手である。皇帝派に属する術師全員を集めても、到底竜の力には太刀打ち出来そうもないのだ。

「我々の礎となるお人がだめだとなると、この先どの様な手を打つべきなのでしょうか」

 ダーナの表情は固かった。エッセルは竜の封印について、現状を皇帝陛下にお知らせすると言って部屋から出て行ってしまった。皇帝は何と返事をするのだろうか、きっと皇太后派より先に竜に辿り着き、この危機を乗り越えて欲しいと言うだろう。皇帝にとって、魔術師も持ち駒の一つである事には変わりがないのだろう。

「ねえ、兄さん。お願いがあるの」

 エッセルの後ろ姿を見送ってスージーが言った。

「ん?」

「兄さんの知っている封印術を全部教えて!」

「知ってどうするの?」

「私がやる!」

 今までに見たことがないくらいな真面目な顔で、スージーがダーナを見つめている。

「やるって言っても、君は・・・」

 ダーナはその先を言わなかった。言ってしまえば、彼女を傷つけてしまうと思ったのだ。

「兄さん、遠慮しないで!私、師匠に言われたの、兄さんを助ける様にと。何が出来て出来ないかわからないけど、私やってみる」

 彼女の瞳は正直だ。真っすぐな気持ちをダーナに向けている。

「君は本当に純真だね。こんなわたしでも、師匠に言われたからと言って、約束を守ろうとするなんて・・・」

「えっ、どういう意味?兄さん」

 ダーナは力なく床に座り込んだ。その表情にはいつも見せる思案深さでなく、苦悩に満ちたものだった。

「今まで、何度君に話そうかと思った。けど、君の偽りのない瞳の前では言い出せなかったよ」

 苦しそうな表情をしているダーナに、話さなくてもいいと言いたかったスージーだった。しかし、決心した彼にそれを言う勇気が無かった。

「わたしは・・・わたしは皇大師さまを追い出した張本人の息子なんだ」

「張本人?それって」

「ああそうだ。このわたしはイ・スニの息子なんだ!」

 衝撃的な発言であった。スージーは一瞬、目の前が真っ暗になった気がした。


 ダーナは、父のイ・スニと母であるアメリアの間に生まれたが、両親は正式な結婚をしていなかった。その頃のスニは出世欲の強さからか、出世の障害となり得る母子を遠ざけ、立場を利用して宮廷内の裏工作に勤しんでいたのだ。従って、息子であるダーナに会いに来る事は一度たりとも無かった。二人がどの様に出会い、なぜ結婚しなかったのかは誰も知らないのである。アメリアはダーナが物心がつく頃に、靴職人のヤーン・シュトラウスと結婚して幸せに暮らしていたが、その生活は長くは続かなかった。アメリアは新しい命が宿った事を知り、楽しみにしていた矢先に流行り病で帰らぬ人となってしまったのである。残されたダーナを男手で一つでなんとか育てようとしていたヤーンだったが、血の繋がりの無い子を養うよりも彼は新しく家庭を築く道を選んだのである。そして、知人を通じて宮廷に出仕しだしたばかりのエッセル・ナッハにダーナを託したのであった。エッセルの子どもたちは既に大きくなっていたので、彼は喜んでダーナを迎え入れ、温かな家庭で教育と躾、そしてたくさんの魔術を教え育ててくれたのだ。ダーナは自分の生い立ちを初めてスージーに明かした。ダーナが日頃軽蔑しているイ・スニを「姑息な呪術師」と呼んでいる意味がやっと分かった気がしたスージーだった。

「すまない。スージー、わたしを許して欲しい」

 師匠アンジュルにしたように、スージーを前にして額をこすり着けるように頭を下げたダーナだった。

「やめて!兄さんは謝る必要はないよ。だって、そうでしょ?兄さんは私には何も悪い事をしていないじゃない。それに兄さんは、私の兄さんだもの」

 スージーの目からも自然と涙がこぼれた。そして彼女はダーナの骨っぽい体をぎゅっと抱きしめた。

「これで心のつかえが取れたね?ダーナ」

 いつもの優しい声が響いた。いつの間にかエッセルが戻ってきていたのだ。彼は、ダーナがアンジュルに対して、実の父親がした事を負い目を感じているのを知っていたのだ。

「申し訳ありませんでした。エッセルさま」

 エッセルは黙ったままダーナの肩を抱き、彼を床から立ち上がらせると、陛下のお達しがあった事を告げた。

「アンジュル師を中心に、私たちが力を合わせてスージーに協力せよ、と陛下が仰られた。よく聞いてくれスージー、君の力は計り知れない。持てる力を全て出し切れる様に準備して欲しいのだ。それには、私も周りの術師の皆も協力を惜しまないだろう」

 エッセルの偽りのない言葉は勇気くれる。

「はい。私が必要であるならば惜しみはありません。おじさま、私にもおじさまの魔術を教えて下さい」

 即刻、その時よりエッセルの魔術特訓が始まった。竜の所在については、レーニア、ナガレ、スタン、リナが当たり、ハウザー他の皇帝派の術師たちも魔術の鍛錬に快く協力してくれた。復習を兼ね、初歩の防御術の防壁を張る事から始められ、癒し、中和、無効化、更に透視、透過、変化、そして、スージーが初めて体験した幻惑、誘惑、恐怖など心理戦を戦うのに必要な術と物理的な火炎、水煙、嵐、超重力、破壊波などの攻撃魔術も教わった。


[ナギさんの攻撃魔術には毎回驚いちゃう。普段はとても温和な人なんだけれど、一度火が付くととにかく強くて凄い!兄さん以上よね?ナギさんはリミッターを外すんだと言ってたけど、それは秘めている力を一気に全開に出来るという事でしょ?私もナギさんを見習って、もっといっぱい練習しなくっちゃね!]

 手帳に書き込みながらスージーは、ふと母の言葉を思い出した。それは、頑張り過ぎると心に余裕がなくなるという言葉だった。

「そっか、そうだよね。余裕がなければ、勝てるものも勝てなくなるね」

 独り言を言うと、スージーは久しぶりに家族を想っていた。今までは毎日が忙しく変化に満ちていたので、故郷を想う暇がなかったとも言える。しばらく物思いに耽っていると部屋をノックする音がした。いつもならノックの前に声を掛けるダーナである。しかしその時は、いつもと違う感じがしたのでスージーは自らドアを開けた。

「兄さん何かご用・・・」

 ドアを開けるとそこには、ダーナでなく皇女タチアナが微笑んで立っていた。

「こんにちは、我が妹スージー。今日は宮廷に来ない日だと言うので、こちらから参りました」

「タチアナ!どうしてここに?」

 タチアナは、スージーが皇帝旗下の見習い術師として宮廷に出仕しだした頃、たまたまバラ庭園で出合ったのがきっかけで仲良しになり「スージー」「タチアナ」と呼び合う様になった。そして彼女たちは、時々庭園で待ち合わせをしては、女の子らしい会話を楽しんだりしていたのだ。だがその後、スージーがタチアナが皇女だと気が付き遠慮をすると、特別扱いはしないようにとタチアナが言った事で、二人の間柄はそのままになっている。どうやらタチアナは、一般市民の様に話をする友が欲しかったようだ。

「ええ。父上が『術師たちが間もなく出発するであろう』と仰っていらしたの。だから、わたくしなりにあなたを励まそうと思って来てしまいました」

 微笑むタチアナは美しく、すらりとした体型も金色の髪もその美しさを輝かせている。既に、近隣諸国の王族や皇太子たちより結婚を申し込まれているという。

「ありがとうございます、タチアナ・・・姫」

「姫さま、どうぞこちらにお掛け下さい」

 ダーナはお茶を運んで来るとテーブルに置いた。

「ありがとう。ダーナ、あなたを前にすると誰もが四角四面になってしまう様ですよ。ねっ、スージー」

 スージーは返事に困ってしまった。

「そんな事はありませんよ、姫さま。もっとも我々は本物の兄妹以上の仲ですから」

「あら、そうなの?わたくしはこれでもスージーの姉ですのよ?」

 タチアナは鈴を転がすような美しい声で笑った。彼女は随伴者を家の外に待たせ、自由な会話を楽しむために一人でこの家に入って来たのだ。そこまでの信用を勝ち得ているスージーにダーナは驚いていた。それから三人は、最近流行りの話題で一時間以上もお喋りを楽しんだ。

「ああ、本当に楽しかったわ。この辺でお暇しなければ、父上が機嫌を悪くすると思うの。でも、母上はもっとゆっくりしてくればよかったのに、って必ず仰るのよ。つまり父上は、女性同士のお喋りがとても大切なものだと、お分かりにならないの」

 不満気に言う表情も魅力的なタチアナである。スージーとは二つ年上だけなのに、彼女の大人びた言動と美しい立ち居振る舞いに胸をときめかせる男性が多い。そして、ここにいるダーナもそんな一人でもある。宮殿に帰って行くタチアナ一行に防御魔術を掛け、この一件が片付いたら再びゆっくりと会う事を約束した。

「絶対に勝って戻ってらっしゃい。約束よ」

 一方的な約束を取り付け、タチアナは心の片隅に複雑な思いを巡らせながら馬車の窓から手を振った。見送る二人も笑顔で手を振ったが、やはり心の中には一抹の不安も感じている。

「姫さまも善き友の一人ですね、スージー」

「はい、もちろんですとも。タチアナ姫のためにも頑張りましょ!ねっ、兄さん」

 ダーナは少し頬を赤らめ微笑みを返した。


 次の日、ダーナとスージーの姿は都にはなかった。彼らは先発隊と合流する為にベノムという町にいた。乾燥した砂漠地帯にあるオアシスの町だ。湖畔をぐるりと取り囲む豊な緑地があり、人々の大半はオアシスの北側にある台地のように広がった大きな岩山に住んでいる。その住まいは岩山をくり抜き、その中に部屋を幾つも作り、お互いの住居にも行けるように、通路や階段が何本も張り巡らされ、住人達はその中を迷わずに行き来している。つまり、岩山が一つの集合住宅になっているのだ。その上、住居部分の冷却のためにオアシスの水の一部を引き込み、地下の貯水槽に巡回させている。今では住人が増えたために、岩山の住居だけでなく湖畔の緑地帯に住んでいる人も少なくはない。彼らが拠点として使っている一軒の屋敷も豊かな緑に囲まれた緑地帯にある。その日、先発隊で来ていたリナが、夕刻近くに一人の女性を伴って帰って来た。

「ただいま。あら、ダーナにスージーじゃないの。いよいよ真打の登場ね」

「リナさんお帰りぃ!」

「お帰りなさい。少し見ないうちに冗談が上手くなりましたね、リナさん。そのお連れの方は?」

 リナは連れの女性を古代学の研究者だと紹介した。歳は30を少し過ぎた位のその女性は、日焼けした肌に緑色の瞳を持っている。この町に住みながら、古代の国と文書を研究しているという。当然、竜の棲む地について詳しく案内もしてもらえるという事で、知り合って間もないこの女性を、自分たちの探索隊に加えてもらえるようにここに連れて来たのだと言った。

「こんにちは、みなさん。パメラと申します。私は主に古代文書の研究をしていますが、今回はリナさんからジャミルの森をご案内する役目を受け賜り、みなさんとご一緒することになりました。宜しくお願い致します」

 自己紹介をしたパメラは、部屋にいた他の術師には目もくれず、ダーナとスージーを見比べるように視線を往復させた。

「そうですか、わたくしたちにご協力して頂けるのですね、ありがたいことです。こちらこそ宜しくお願いします。パメラさんに案内して頂けたら迷子になる心配はないですね」

 ダーナはパメラの視線を気にする事なく淡々と言葉を発した。

「早速ですが簡単に説明させて頂きたいのです、宜しくて?地図はありますか?」

 パメラの要求にスタンは一枚の地図を選び、部屋の真ん中にあるテーブルに広げた。オアシスをを中心に描かれている地図だ。パメラの指先は、彼らが居る緑地帯から岩山を迂回し、広大なジャミルの森を指している。

「行動の無駄を省くために敢えて森の中を進みます。この森は皆さんもご存知だと思いますが、迷宮の森とあだ名されている恐ろしい所です」

 森の中で迷うと、二度と森から離れられなくなると言われている。彼女の指は広大な森林地帯を避けることなく、ある一点へとなぞって行った。

「この辺りが古文書に記された地、ヴェスティナ神殿です。今は遺跡ですが」

「ほほーっ、さすがに詳しいようですね」

 ナガレは感心したのか、大きく頷いたが思念会話でちょっと胡散臭くないか?と全員に語りかけた。するとダーナが、ここは一つ乗ってみましょうと応えた。

「パメラさん、明日の朝にでもすぐ出発出来るのかしら?」

 レーニアが訊くと、一瞬の間があってからパメラがもちろんですと言った。彼女もまた、こんなにも食いつきの良い集団に驚いた様子であった。

「そうですか、分かりました。善は急げですから夜明けには馬で出発しましょう」

 ダーナが決定すると、スージーがすぐに反応した。

「私、ティモシーさんに馬を揃えてくれるように頼んで来るわ」

 まるでピクニックに出掛ける子どもの様に、楽し気に部屋を出て行くスージーを見たパメラは、遺跡に行くのは何人かと尋ねた。

「今出て行ったあの子と、ここに居る全員ですよ。何か気になる事でも?」

 少し訝し気な表情をしたナガレだった。

「あっ、いえ別に。子どもが同伴となると予定の時間よりも、時間がかかるかも知れませんから」

「子どもは足手まといだと?だったらオレは40過ぎのオッサンだ。オッサンも体力ないから足手まといだろ?」

 少し意地悪く言うナガレにパメラは微笑んだが、敢えてそれについては何も言わなかった。そして彼女は明朝の再会を約束をすると、挨拶もそこそこに帰ってしまった。多少の後味の悪さを残した感じはあったものの、何かを考えていたナガレが口を開いた。

「なあ、リナ。あのパメラって人、俺たちが国の術師だと知ってるだろ?」

「あー、多分。知っていると思います」

「多分?ふむ」

「えっと、その点についてなんですが」

 リナは椅子を寄せて座ると、パメラについて話し始めた。この町でも、先に来た皇太后の調査隊が金をばら撒き、情報の提供を募ったようだ。町は俄かに活気づき、大量の情報が寄せられたという。だが、まともな情報というよりは、大量の偽情報が集まった。それを見かねたパメラは、自ら情報整理の役目を買って出たという。その中より、幾つかの本物と思しき情報を選ぶと調査隊に渡したと言った。そして、皇太后の調査隊はそれに基づき他の町へと移動して行ったという。ちょうどその頃に来た鷹の目が、酒場で資料をまとめていたパメラと接触し、好感触を得たという報告により、急遽責任者としてリナが呼ばれ、パメラと会い正式に協力を依頼することになった。その時、成り行きとはいえ、リナは自分の身分を詳しくは言わなかったと言い、パメラもそれを聞くことはなかったと言った。

「まあ、知っても知らなくてもよいでしょう。わたしたちがその場へ行く事が出来ればいいのですから」

「ふむ、そうだな。ここは鷹の目を含めて複数の人間の出入りがある。年代もそれぞれ違うし、相手もたいして警戒心を抱く事はなかろう?」

「ええ、そうだと思います。この集団は探検好きな親戚の集まり、とでも思ってくれていたらいいですね。私もそれを期待しています」

 リナは想像したのか、はにかむように笑った。

「探検家一族か、なかなかいいなぁ。でも、爺さんは遅いから置いて行くって言うなよ?ダーナ」

 ナガレはニヤニヤしてダーナを見た。

「ナガレさんには言いませんよ。スタンには言うかも知れませんが」

「酷いなダーナは。オレと歳も変わらないのに爺さん扱いしないで欲しいよ?」

 地図をまとめていたスタンは笑っていた。実際にはスタンはダーナより4歳年上の24歳である。それを聞いたレーニアは、私はお姉さんでいいのよねとクスクスと笑った。因みに彼女は彼らの「母」と呼ばれてもおかしくはない年齢でもある。

「もちろんですよ、レーニアさん。女性には年齢がありませんものね」

 頬を少し染めて言うダーナに、お世辞が上手くなったと口を揃えたナガレとスタンだった。気さくな年上の彼らは、帝室に仕える者として相応しい地位には着いてはいない。それは、彼らは単純に帝国内の地位と言う物には殆ど興味がなく、固執もしていないからだ。ただ、魔術師としての名誉があればそれだけで良いと言う。魔術を自由に使い、研究も自由にしていたいという欲望だけが理由である。そんな訳もあり彼らは嫉妬や裏切りという、お互いの足の引っ張り合う前時代的な物事には無縁だが、宮勤めの面倒な事一切は、若いダーナに押し付けている状態なのである。現皇帝の術師たちは、帝室お抱えと言えども自由な生活が保障されている。だが、そんな彼らでも月に何度かは宮廷に顔を出し、新しい術の開発状況の報告や、弟子の育成について議論したりしているのだ。管理されていない分、実に真摯に魔術に取り組んでいる彼らであるのだ。

「皆さん、お食事の準備が出来ました!今日はミミさん特製の蕪のスープもありますよ」

 スージーが食堂からの伝言を伝えると、彼らは待ってましたとばかりに食堂に移動して行った。

「明日の為にもたくさん食べて体力をつけましょう」

 珍しくダーナがそんなことを言ったので皆に囃し立てられた。明日は決戦の日となるかも知れないのだ。


 対決へ


 ジャミルの森は思ったよりも深かった。ノーホースの森よりも木々が密集し、視界が効きにくい特徴がある。道なき道を進み、時に立ち止まり現在位置を確かめた。そうして進み森に入って3時間あまりが経とうとしていた頃だった。パメラが隊列を止め小休止するように要求した。

「ん、どうした?さっきも休憩したばっかだろ?」

 ナガレの言葉にパメラがとにかく休憩を、と言ったので一行は歩みを止めた。パメラは馬を降りると隠れるように大木の陰へと向かったので、誰もが生理的な現象だと思った。しかし、スージーだけがそっと馬を降りて彼女の後を追った。スージーは思念会話で、様子が気になるから見て来ると言ったのだ。スージーはパメラに気付かれないように、大木の幹の陰から様子を伺う事にした。パメラは見られている事には全く気付いていない様子で、手近な枝を折ると天を仰いで何やら呪文を唱え、それが終わると葉をちぎっては辺りにまき、深々とお辞儀をして再び呪文を唱えた。スージーは一連の行為を思念で報告するとそっと戻って来た。

「何かの儀式だろうか」

 スタンが首を捻った時に、パメラが何事もなかったように戻って来た。

「おっと、戻って来たぞ。すっきりしたかい?」

 ナガレのヤジに少し笑っただけで、パメラは隊列の先頭に戻って馬を進めた。しばらく進むと大木を挟んで左右に分かれる場所に出た。パメラは躊躇なく左へと進んだが、その時突然スージーが異議を唱えた。

「パメラさん待って!ここは右に行くべきよ。右に行った方が遺跡に近い筈、ですよね?」

 パメラに続いていて左に行ったリナは馬を止め、どういう事なのか彼女に説明を求めた。もちろんスージーにも理由を聞いた。スージーは森の出身なので、初めての森でも方向感覚が鋭敏なのだという。従ってこの森でもホーム同様に分かるというのだ。それを聞いたパメラは苦虫を噛み潰したような顔をした。

「パメラさん、なぜ何回も遠回りさせたのですか?私たちを遺跡から遠ざけたい理由って何ですか?」

 パメラは俯くと、口を堅く閉じてしまった。

「何だと?スージーはそれを分かっていたのか?だったらもっと早く言えよ」

 ナガレが口をへの字にしている。

「ごめんなさい。私、パメラさんを信じていたかったからです」

「ふむ。最年少があなたを信じていたかったと言いました。パメラさん、あなたは本当は誰なんです?ここらで正体を明かした方があなたのためだと思います」

 ダーナも声を上げると、さすがにパメラは口を開いた。

「分かりました。神殿に着いたらお話しします」

 それだけ言うとパメラは馬を返し、表情を強張らせたまま遺跡へと進んで行った。しばらく進むと木もまばらになり、とうとう広々とした空間に出て来た。その真ん中には所々崩れ落ちた巨大な石造りの建造物があり、かつてそこが広大な敷地を合わせ持った神殿であったことが窺えた。だがそこには、すでに誰かを乗せて来た馬が繋がれていたのだ。

「先客がいるね、誰だろ」

 レーニアが言葉に出しながら、嫌な予感を思念会話で語った。

「ふむ、国の関係者だな。アンタ知ってたんだろ?パメラさんよ。いい加減に正体を明かしたらどうなんだ?」

 先に馬を降りたナガレがパメラの馬の手綱を取ると、パメラは観念したのか素直に馬から降り、ナガレの目を見てはっきりと、ヴェスティナの巫女だと告白した。

「はあぁ?!代々神殿を守るという巫女だと?その巫女がなぜこんな事をするんだ」

 ナガレの詰問に苦々しい表情を浮かべ、パメラは吐き捨てる様に言った。

「私は、私なりに掛けてみたかったのです。こんな辺鄙な場所に張り付けられている、我が身を恨んだ故です。あなた方にはお分かりあるまい?」

「ええ、我々にはあなたのご苦労が分かりません。が、しかしそれ以上の苦労を解決しなければならなくなりました」

 ゆっくりと馬から降りたダーナは、その場の仲間たちに急いで行動に移すように思念で指示をした。

「よしっ、リナはダーナと後から来い!俺たちは先に行く、スージーも先に行くぞ!リナっ、落とし前はキッチリ着けて来いよ」

「はい!」

 彼らは馬から飛び降りると、走って神殿の入り口を目指した。神殿の作りから言うと入口付近には祭神の石像がある筈であり、ここには例の竜が祭られているので竜の像を探せばよかった。

「あった!ここに竜の像があるぞ、だけど・・・」

「ん?どうした?」

 発見者のスタンは、そこには入り口らしき場所が無い事に気付いた。神殿の庇部分のが崩れ落ち、構造物の内部には入れなくなっていたのだ。

「仕方ないわね、ちょっと待って」

 レーニアがポシェットから何かを摘み出すと「フーッ」と息を吹きかけた。すると、飛ばされた何かは蝶のようにキラキラと舞いながらある地点に向かって飛んで行った。

「追うわよっ」

 彼らがそれを追って行くと、入り口とは違う場所であったが、巨石の間に人一人が通れる隙間がある事が分かった。

「行こう!」

 四人は真っ暗闇の中へ、光を出現させては奥を目指し進んで行った。神殿の内部は長年の風雨にさらされてか、劣化が激しく殆どが崩壊していた。地上部分はただの飾り物であるのだろう、修復の手が入った形跡さえなく、地下へと進む階段部屋だけが手入れされているようだった。しかし、そこも土臭く湿った空気で満たされている。どこが何なのか全く分からない内部で、彼らは僅かにしか残っていない術師の痕跡を辿りながら下って行った。そして地下深いある場所まで来た時に、彼らは気配を消すことにした。なぜなら、その先には例の術者が居る筈なのだ。会話も思念だけで行い、各自が戦う準備をした。

 《ビビッてかっこ悪い所を見せられないな》とスタンが思念で言うと《色気を出しでる場合じゃないだろ!シールド出せよ》とナガレが上げ足を取る。《バカね男共は、スージーも呆れるでしょ?》レーニアがニヤリとするとスタンは首をすくめ、ナガレが舌を出した。そして彼らは更に進むと、僅かに声が聞こえて来るようになった。《呪文だな?アイツ、まだ奴を復活出来ないんだ》《間に合いましたね!わたしも急いでそちらに向かいます》ナガレの思考にダーナの思考が割って入った。《おう!腕が鳴るだろ?なら、早く来いよ》ライトを消し四人は声のする方へと細心の注意を払って進んで行った。


 そこは最深部であろう広大な天然の洞窟だった。篝火が煌々と焚かれ、突き当りの中央には石の祭壇が設けられていた。呪術師イ・スニはその前に片膝を着き熱心に呪文を唱え、脇にはヨンジャとウンスクが同じ様にして呪文を唱えているようだ。四人は洞窟の端の闇に紛れ姿勢を低く、息をころして少しずつ進んで行った。洞窟の壁の一部が、僅かだがパラパラと剥がれ落ちた音がした。彼らはすぐには気付かなかったが、祭壇の向こう側の薄暗い壁には、目を凝らして見ると確かにそれは存在していたのだ。半ば岩肌と同化しているが立ったままの姿でいる。そして、その壁が剥がれ落ちる量も段々と増えて来ているようだ。

 《ヤバイぜ!このままだと復活しちまう》飛び出して行きそうなナガレをレーニアが引き留めた。《落ち着きなさいよ!準備は出来たの?みんな、いい?》四人はお互いの顔を見合わせ、攻撃力や防御力が充分であることを確認した。《思念会話のリンクは解かないでね。ダーナ行くわよ?》《はい。くれぐれも焦る事がないようにお願いします。わたしたちも、すぐそこに着きますから》《じゃあ皆、防御を最大にして!スニは私たち三人で、スージーは封印に専念。頼んだわよスージー!》スージーは鼓動が早まるのを感じながら大きく頷いた。彼女は無意識に胸ペンダントを握りしめていた自分を励ました。《さあ、行くわよ!》四人が闇より飛び出そうと腰を浮かした瞬間、金切り声が響いた。


「スニめ!恥を知れいッ!!」

 その場の全員の視線が洞窟の入り口に注がれた。そこにはダーナとリナ、そして巫女のパメラが暗闇から姿を現した。

「おやおや、誰かと思えば欲深い巫女殿ではないですか。伴を連れてのお出ましですな?」

 何食わぬ表情でイ・スニは振り返った。

「おのれスニめ!何を言うか。私をたぶらかしてそのままで済むと思うなよ」

 パメラは鬼の形相だ。

「たぶらかす?はて、何を指して仰っていらっしゃるのか分かりませんね」

 スニは鼻で笑った。

「スニ殿、あなたはご自分のなさった事がお分かりになっていらっしゃらない」

「ほほぅ?シュトラウス副術師殿、私が何をしたと言うのかな?まだ何もしていないのではなかろう?」

 イ・スニは面倒くさそうにダーナを見つめた。

「あなたは、あなたは以前にもそうやって言い逃れをしてきたのではありませんか?」

 ダーナの握り拳が震えている。地上でパメラとどんな話をして来たのは分からないが、彼の心は怒りで満ちているようだ。

「全く持って君の言わんとする事が分からぬのだが・・・なあヨンジャ殿、彼の言っている意味が分かるかな?」

「さあ、さっぱり分かりませんが」

 ヨンジャは大げさに両手を広げて見せた。

「そうです。あなたはいつも、いつまでも責任を取る事はしないのですから。あなたは卑怯者です!イ・スニ正術師殿」

 ダーナの言葉が気に障ったのか、イ・スニは唇を歪めた。そして、ヨンジャとウンスクに呪文を唱え続けるように指示すると、自分は現皇帝の術師たちを倒すと宣言した。

「小賢しい!君たちが、束になって掛かって来ても私には勝てまい。応援部隊を含めて、だ」

 スージーの姿を認めてか、彼は余裕たっぷりに微笑んだ。

「分かりました。反省もしない、責任も取らないあなたのような人をクズと呼びます。恥ずかしながらそのクズを父親として持ったわが身を呪います。さあ、決着をつけましょう父上殿!」

 その場の全員の視線がダーナに注がれた。彼の真一文字に結ばれた唇からは、固い意志が感じられる。父であるイ・スニとは、いつか争う事になるのが分かっていた様な感じがした。

「ふぅむ。以前にも息子だ娘だと名乗る輩がいたな・・・君が本当に私の息子であるならば、その力を示してみろ!」

 不敵な笑いを浮かべたイ・スニに、ダーナは少しも怯まなかった。


「老獪な呪術師ほど手を焼く存在はない」エッセルの言葉は真実だった。イ・スニの魔力は尽きる事がないと思われるくらいだった。一人でナガレ、レーニア、リナ、スタン、ダーナの5人を器用に相手にしているのだ。「剣を手にして闘わない魔術師同士の戦い」を見た事が無かったパメラは、目の前で何が起こっているのか理解出来ない様子であった。ただ、両手だけを使って空を切ったり防いだりしているのだから。その上、その度事に地面が揺れ轟音が響き、突然に突風や雷、火炎が吹き荒れるという、地上ではあり得ない事象が起こっているのだ。

「なっ、何なの?」

 恐怖に怯える彼女は、もはや立ち上がれないでいる。しばらくすると、天井部分からも岩交じりの石粒が振って来るようになった。いち早くそれに気が付いたスージーは彼女に防御魔術を掛けた。

「まさか・・・あなたも魔術師だったの?あなたからは魔力を感じなかった・・・」

 パメラは目を丸くした。

「はい。でも私は役目が違ますから」

 スージーはパメラに微笑むと、祭壇の向こう側の壁へと向かって再び意識を集中させた。スージーはダーナとイ・スニのやり取りの前から封印魔術を開始していたのだ。巨大な竜を復活させないために、繊細な効果呪文を繫げながら有効範囲を広げる。簡単に例えると湿布薬をペタペタと貼り広げていくような感じだ。どうやらヨンジャとウンスクの二人の復活魔術よりもスージーの封印魔術が勝っているようだ。彼女の封印魔術は復活魔術を透過させない特性がある。その上、先に術を掛けていた呪術師の呪文でさえ徐々に覆しているのだ。《兄さん、天井が崩れ始めてるよ。大丈夫かな?》《分かった、急ぐ・・・》イ・スニと闘っているダーナたちは苦戦しているようだった。どんなに大きくダメージがあるはずの攻撃でも、スニの前では弾き返されるか中和されてしまう。正攻法が効かないとみると魔術師の彼らは、あれこれと技を組み合わせては攻撃している。それも延々と続き、お互いが体力と精神力を消耗してきているのは確かであった。最年長のナガレは、効果が大きな攻撃を連続しているために、特に体力が低下している。また、効果は薄くても累積していく技を使っているリナはまだまだ元気がある。防御魔術を最大に発揮し、全員を堅守しているレーニア、彼女は厚みのある防御壁を展開出来る唯一の術師でもある。そして、攻守を上手く切り替えて立ち回るスタンがダーナを支えてくれている。《俺はそろそろギブアップだ。しっかし、なんていうスタミナなんだ?スニの野郎は》《わたしも驚きです》《てか、ダーナの父上だろ?当たり前じゃないか、血筋は争えないもンな》《ちょっと男共!力抜いてんじゃないわよ》《集中ですよ?》彼らにはまだまだ明るさと希望があった。


 突然「ドーーーン」と耳をつんざく大きな音と衝撃が洞窟に響き渡り、天井から大きな岩の塊落ちて砕けた。

 《チクショウ!本当にヤバイぜ。復活か、封印か、落盤か、どれが先だ?スージー、あとどの位かかる?》

「・・・・・・」

 ナガレの質問にスージーからの返事は無かった。

「スージー!!」

 振り向いたナガレは目を疑った。スージーが彫刻のように動かなくなっていたのだ。彼は咄嗟にスージーに駆け寄ると彼女を揺さぶった。

「オイッ、しっかりしろ!」

「はっ・・・」

 スージーはすぐに意識を回復した。彼女は流れ込んで来た大量の情報、竜が人間にまつわる積年の感情などで混乱していたのだ。スージーは軽い眩暈で、額を押さえ大丈夫だと言った瞬間、再びの落盤が起こり祭壇を破壊し尽くした。岩の破片が大きく飛び散ったのを見て、ヨンジャとウンスクは呪文を唱えるどころではなくなり、命惜しさにスニを置いて一目散に逃げ出して行った。それを見て、スニと魔術師たちは闘うのを止めた。

「クソッ、邪魔を・・・お前は竜に何をしたいのだ!!」

 苛立ったイ・スニは声を荒げ、血走った目をダーナに向けた丁度その時だった。とうとう竜を包んでいた岩肌がガラガラと全て崩れ落ち、竜は遂にその全身を現した。漆黒だった竜の体は、その鱗の一つ一つに光を帯び、光が全身を巡ると黄金色に輝き出し、遂には獰猛そうな目にも光が宿ったのだ。

「あはははッ。あれを見ろ、私の勝ちだ!復活させた私がこの世界の王になるのだ!!さあ黄金の竜よ、この私を王と認めるのだ!」

 勝ち誇ったスニは、竜により自分が新たな王となる事を宣言した。しかし、竜は彼には見向きもしないで何かを見つめている。

「どうした?黄金の竜よ。早く私を王として認めよ!」

 いくらスニが騒ぎ立てても、竜は彼よりも剣を握りしめているスージーを見つめていたのだ。それに気づいたスニは愕然とした。

「なぜだ?なぜ、ただの人間のお前が・・・」

 竜と対峙している筈なのにスージーには恐怖心が無かった。スニは、彼女が剣で竜を傷つけるのではないかと思ったのか、剣を奪おうと飛び掛かったその瞬間、ガラガラという岩がぶつかり合う音と伴に、スニの体の半分が岩で覆われてしまった。竜が尻尾で岩を搔き、スニ目がけて投げつけたのだ。驚きと苦痛でスニの顔は激しく歪んだ。

「ううっ・・・助けてくれ・・・」

「父上!」

「おじさま!」

 ダーナとスージーが駆け寄った。

「おじさま、大丈夫?」

 スージー声を掛けると、スニは小声で何かを言っている。

「父上、何を仰りたいのですか?」

「おじさま、何?何を言っているの?」

 スージーが間近に寄った瞬間、スニは半身を捻ると彼女の剣を奪い取りダーナの太ももに突き立てた。

「アウッ!」

 不意を突かれ、短い悲鳴を上げたダーナは痛みを堪えた。

「おじさまっ、何てことを!ああ、兄さんごめんなさい」

 スージーは剣を抜くとすぐに治癒術を掛けた。魔術師個人の武器で傷つけられた場合、その持ち主だけが傷を治す事が出来るのである。スージーの剣でダーナを傷つけることに成功したスニは声を上げて笑った。

「アハハハ・・・気味がいい。ダーナよ聖人ぶるのはやめろ!お前が私の子であるならば、呪術を極めるべきだ。そうだ、エッセルなんかと組むのはやめるんだ。分かるだろ?親子なら、分かったら私を助けるのだ!王であるこの私を助けろ、助けるんだ!!」

 それを聞いてか、竜は声なき咆哮を洞窟に響かせた。例えようのない不快な強振動である。それにより、落石の度合いが早まってしまったようだ。彼らは残っている魔力で降って来る岩塊を防ぐのがやっとの状態である。いつまで洞窟の天井がもつのだろうか、そう思っているうちにとうとう彼らがいる真上の岩盤が大きく剥がれ出した。誰もがここで最後を迎えるのだと感じた瞬間、とても眩しい光に包まれ目を開けていられなくなった。そして、気が付くと周りは静まり返り草木の匂いで包まれた。


「ここは?」

 やっと目を開くことが出来たリナが周りを見回すと、全員が神殿の脇の草むらの上に居た。陽の光を浴び、キラキラ光る葉が眩しい。

「外か・・・取りあえず助かったってコトだな?」

 緊張が解れ、膝から崩れ落ちる様に地面に手を着いたナガレは大きく息を吐いた。術師一の強心臓と謳われているこの男も、味わった事のない恐怖で体が麻痺してしまったかのようである。

「瞬間移動に感謝だわ、使ってくれた人ありがとう!」

「オレも感謝する!これでもまだ、やりたい事がたくさんあるんだから」

 レーニアも体力の限界なのかその場にへたり込み、スタンも草の上に身を放ち四肢を伸ばした。

「兄さん傷は大丈夫?」

 スージーはダーナのケガの具合を心配したが、彼は父であるスニを心配そうに見つめているのでそっとしておくことにした。イ・スニは眠らされたのか目を閉じたままである。彼は自身に防御魔術を掛けていたが、それ以上のダメージを受けてしまった様である。長い間疎遠だった親子関係が、この先変化はあるのだろうか、それはまだ誰も知らない。フッと短く息を吐くと、ダーナはどこかぎこちなく微笑んだ。

「わたしも瞬間移動で助けてもらい喜しく思います。本来ならば、わたしの役目ですけれど」

「ええっ、ダーナじゃない?」

 リナの声が上ずると、その場の視線がスージーに集まった。

「もしかして私がって?いやだぁ、私がそんな事出来る訳ないでしょ?」

 スージーは手を振って否定した。彼女には全く身に覚えが無かったのだ。ただ、あの時は無我夢中で全員が助かって欲しいと願った事は確かである。脱力感にさいなまれていたパメラは、それでも自らの意思で立ち上がるとスージーの目の前で突然土下座をした。

「ちょ、ちょっとどうしたのパメラさん・・・」

「ありがとうございました。スージーさま」

「さま?やめて下さいよパメラさん。スージーでいいですから」

「いいえ、いけません。巫女たるこのパメラ、あなた様のお力を見くびっておりました。申し訳ありません」

 パメラの言葉が意味する所は分からなかったが、スージーはとにかく早く屋敷に帰ろうと提案した。全員が激しく疲労している上に負傷者もいるからだ。そして彼らは、夕刻までにベノムの屋敷に戻って来ることが出来た。


 帰還へ


「スージーの回復の早さは凄いよね?」

 食後のお茶を飲み、まったりしながらリナが呟くと、何たって皇大師さまのお弟子さんだからとスタンが応えた。大人たちは帰りの道すがら回復術を使ったが疲れを口にした。しかし、スージーは何の回復術も施さなかったのに、屋敷に着くと全員の馬を小屋へ連れて行き、餌やりなどの世話をして元気に動き回ったのである。

「あの子って、若いだけじゃないわ。本当に底なし魔力っていうのか無限って感じよね?どこから湧いてくるのか不思議だわ」

 レーニアは今までに出会ったことが無いタイプだとも言った。

「ええ、わたしも驚きました。わたしよりも何倍も、いや何十倍もの魔力の持ち主だと分かりました。さすがに皇大師さまが見込まれた人だと、つくづく思いました」

 ダーナも大人たちの話の輪に入った。

「なあ、ダーナ。アンタは皇大師さまからあの子を託されたんだろ?他に何か言われなかったのか?」

 回復に使った石を片手で弄びながら、ナガレはダーナを横目で見た。

「はい。守ってあげて欲しいと言われました」

 ダーナはアンジュルが心配する以上に、スージーを守らなければならない事を自覚したのである。

「ふむ。俺も今日の事で、あの子が恐ろしい存在だと気が付いたよ。あの子は俺たちにとっても悪魔にも天使にもなれる、だから悪い奴らに渡しちゃならんよ、絶対にな」

「ええ、本当にそう思います。今更ですが、スージーはノーホースで、ただの錬金術師として暮らして居れば幸せだったのかも知れない、と思いました」

「ううむ、そうかもな。でも、いずれはバレちまうだろうよ?あの途轍とてつもない力じゃ・・・」

「そうよね。だって最後の方、全部がスージーだけの力だったってあの子は思っていないもの」

 リナが肩を竦めた。

「オレにもあんな魔力があればいいなって、憧れちゃったよ」

「あーん?スタンには絶対無理だから。ムリムリ!」

「レーニアさんったら酷いな。オレだって自分のキャパ(容量)くらい分かってますよ?」

 口を尖らせたスタンの目は笑っていた。羨ましく思ってもそれだけの事である。


 ―――彼らは屋敷に着いてすぐに、パメラから彼女が目撃した事実を知らされたのだ。馬の世話でその場には居なかったスージーについてである。それは洞窟で、防御魔術をスージーに掛けられてからの話だ。

「竜が居た壁が剥がれたのは彼女の魔力の影響です。あの壁は竜が自らの身を守るために張り巡らせていたものです」

 なぜ自らを守る為に、あの洞窟で長い眠りについていたのだろうか。巫女であるパメラの伝承口伝では、ベティナを最盛期にまで押し上げた存在であった竜が、大魔術師アーラジルにより封印されそうになったという。その最大の理由は、人間の欲にまみれた権力争いが原因であった。竜の存在が邪魔になった権力者がアーラジルに封印を命じたのである。大魔術師アーラジル、この国で言うアライザルが権力者側に着いた事により、竜の助けがなくとも王国の安寧は約束されていると解釈された為だが、実際には全くの誤解であったという。そして国王は、他国に竜が渡ることがないようにと、厳重に封じてしまう事に決めた。封印が決行される日、竜を世話していた一族、現在の巫女の家系が竜を逃がそうとしたが失敗し、結果的にアーラジルとその一派が竜と戦う事になった。地上での戦いは壮絶なもので、多くの建物や人々が犠牲になり、その有様を嘆いた竜が地下洞窟に逃げ込み、岩と同化をする道を選び今日に至ったという。それが今日、どうして竜が目覚める事態になったのだろうか。パメラの解釈によると、同化が解けた原因はスージーの魔力に竜が反応したからだという。

「竜は待っていたのです。人間の協力者が現れるのを」

 パメラは興奮している様子だった。人間の協力者とは竜と言葉を交わし、伴に地上に楽園を築く力があると言われている無属性の魔術師だ。通称ゼロ魔と言うゼロの魔術師の事である。過去のアライザルがそうであったように、スージーがそれに当てはまるようだ。

「私は見ました!確かにあの竜がスージーさまと会話を交わしていました。彼女こそ本物の大魔術師、ゼロの魔術師なのです」

 術師たちは信じられないという表情をしていた。というのも、昔から存在が噂だけであったゼロの魔術師が実在するという事、それも彼らがよく知るスーシーがそうだと言うのだ。呆気に取られている彼らに、パメラは構わずに話を進めた。

「皆さん、皆さんはあの竜があの後どうなったかご存知かしら?」

 彼らがあの眩しい光に包まれた時、脱出出来なかった竜は大量の岩塊で押し潰されたか、潰されなくても埋もれてしまったのだと推測している。だが、パメラの表情には悲しむ様子が微塵もなかった。

「私は驚きと興奮で震えが収まりません、今もです!あのシーンを思い出すと涙さえ出てきます。何て素敵な出来事だったのでしょうか!」

 再び興奮して涙を零したパメラは、あの大きな竜がスージーの短剣に吸い込まれたと言ったのだ。パメラはそう話すと満足したのか、別れの言葉を口にすると帰って行った。あの時、術武器を手にしていたのはスージーだけであった。他の術師たちはスニと戦っていたので誰も手にすることはなかった。そこで問題になるのが、なぜスージーだけが術武器を手にしていたのだろうかという疑問である。術武器は万能であるが格闘には向いていない、従ってあの短剣で竜を倒せる訳がなかったのだ。―――


「スージーの剣について、わたしの想像ですが」

 しばらくの間、考え込むようにしていたダーナが口を開いた。

「あの子はまだ術師としての日が浅い、しかも自分の力が自覚出来ていない。一時的にしろ身の危険を感じたと考えられます」

 だがあの時、ダーナの剣シュザヌは不思議なことに何の反応もしなかったのだ。シュザヌが反応しなかったのは、怒りや恐怖の感情が無かったという意味でもある。しかし、ダーナの解説にその場の全員が納得したようだったが、スタンが仮説を立て、単独で封印しようと考えたのではないかと言った。あり得ない話ではない、事実そうなったのだ。

「それは本人に確認しなければならないわね、私も報告書を書く上で聞かないといけないもの」

 リナはその点をスージーに直接聞く事に決め、紙の束を数えて揃えた。そんな所に風呂上りのスージーがやって来た。

「リナさん、レーニアさん。お風呂空きましたよ」

 お茶が入ったポットを手に、スージーは空いたカップに茶を注いだ。

「ありがとう、スージー。ねえリナ、髪をすぐに洗いたいの、私が先でいい?」

 立ち上がったレーニアにリナは頷いた。

「あっ、兄さん、黒のおじさまが目を覚ましたそうよ。鷹の目のウイズさんが言ってたけど」

「そう?ありがとう」

 立場を考えてのことだろうか、ダーナは素っ気ない返事をした。

「ダーナ。アンタ見に行ってもいいんだぞ、心配だろ?俺たちには遠慮はいらん。アンタが今更向こう側に寝返るなんぞ考えられんし、考えたくもないからな」

「あはっ、イヤだな、ナガレさんは。わたしがエッセルさまと皆さんを裏切れないのを知っているでしょ?」

「うーむ、まあ、そうだろうけど。本当の親子なら・・・」

「ナガレさん、わたしの父は、後にも先にもエッセルさましかいらっしゃいませんよ」

 複雑な表情をしたダーナだったが、ナガレが危惧しているのは感じている。仮に今、スージーを手元に置いたまま彼らを裏切れば、完璧にこの国を奪う事が出来てしまうのだ。だがそれはダーナの良心が許さない筈である。彼が感じた洞窟の中に居た時のあの嫌な感覚、あれはスニの呪術であった事は確かだ。皆には話していないが、スニが誘いの呪術を発動させて引き入れようとしていたようだ。ダーナは対抗する為にも、ずっと父親代わりでいてくれたエッセルを想い、彼の呪術に引き込まれるのを防いでいたのだ。

「わたしも風呂に行ってきます。ナガレさんも行きますか?」

「あん?俺は後でいいよ。スタン、先に行ってくれ。何だったら一緒にバスタブに浸かって来てもいいぞ」

「やめて下さいよ。ナガレさん?未成年が居るのをお忘れなく!」

 スタンは慌てたが、スージーには大人たちのジョークが通じなかったようだ。

「男子用のバスルームが3つで女子用が1つだなんて差別よね?」

 ニヤニヤしながらレーニアは居間を出て行くと、ダーナも続いて出て行った。ダーナは彼が居ることでリナが質問し難いのではないかと考えたようだ。

「相変わらず分かり易い人ね、ダーナは」

 リナはスージーを座らせると、報告書をまとめる為に聞きたい事があると言った。

「何ですか?答えられるかしら」

「固くならなくてもいいわよ。面倒な事は若手がやらなきゃならないから・・・」

 そして彼女は、なぜエテルナードを出したのかと聴いた。

「ううーん・・・」

 唇を尖らせ唸ったスージーだが、分からないと言った。そして彼女は不思議な体験をしたことを話し始めた。

「あの竜が話しかけて来たの。あなたなら分かってくれるだろうって」

「分かってくれる?」

「はい。この時を待っていた、とも言ってました」

「で、何の話をしたの?」

 ナガレとスタンも興味津々だ。

「昔の話でした、あの例の話。誤解からああいう結末を迎えてしまったとかで、あの子は凄く悩んで苦しんでいたみたいです」


 遠い昔。この地ジャミルにあの竜は移って来た。竜族は長命で、かつ不思議な能力を持っている。人間とは余り接触することが無かったこの竜は、ある日若者と知り合い仲良くなった。人間を理解しようとする竜と野望を持った若者。この珍妙な組み合わせがベティナ王国を興したのである。若者は王となり権力を思うままに振るった。月日が経ち青年は老人になり、その寿命も尽きかけようとした時、王は竜に不死身の体にして欲しいと頼んだ。竜も友を失いたくない一心で彼を不死身にした。それ以降も国は益々発展し、王は満足だった。更に年月が過ぎると、国民は王に対しての不信感を持つようになってしまった。そのころ竜を世話していたのがアージラルで、兄弟の様に仲良く暮らして来た。低い身分だったアージラルに魔力を少し分け与え、その使い方を教えたりしていたようだ。アージラルは竜からもらった力で権力を得た。それからの事だ、彼ら三人の歯車が微妙に噛み合わなくなってしまったのは。人間同士の欲望が欲望を生み、誤解から疑心暗鬼になり、ある事無い事に右往左往し、遂には勝手に友で()()()竜を封じてしまう事にしたのだ。正当な理由もなく封じられるのが本望でない竜は地上に出て来た。少しでも人間に理解してもらおうと思ったのだ。しかし、それを反逆行為だと罵った王は、アージラルに封印を命じてしまったのである。逃げ回る竜に大勢の魔術師が襲い掛かり、美しかった街並みは見るも無残に破壊されてしまった。竜は地上に出た事を悔やみ、ジャミルの森深くのヴェスティナ洞窟に籠ると自分で自分を封印してしまったのだ。竜が偶然にも竜語が分かる人間に出会ってしまった事による悲劇でもあった。


「ほおぉ、パメラの話と殆ど同じだな。これで人間側と竜側からの話、両方を聞けたってコトだ」

「でもなぜ、スージーには竜の話が分かったの?」

「分からない、分からないけど分かった」

「竜はオレたちみたいな言語を使っているのか?喋ってはいないように見えたが」

「そうなのよスタンさん。彼は思考を送って来たの、私たちの思念会話みたいに」

 竜が思念を送るなどとは誰も考えつかないことである。しかもそれを受け取り、理解出来る人間は極まれであるようだ。巫女たちの先祖は、竜の言葉が理解出来る人たちだった。竜がこのジャミルの森にある洞窟で眠りにつき、その後に神殿を作って祀ったのである。この時、それを代々見張る目的の為に巫女制度が作られ、一族の中より選ばれた女子が終身でそれに当たる。巫女に選ばれると、この地から一歩たりとも出られなくなり、生活も制限される極めて窮屈な暮らしをしなくてはならなかった。代々の巫女はストイックな生活を強いられて来たようだ。多くの時間が流れた今、その暮らしぶりは少しづつ変化していると伴に、彼女たちの能力である竜との会話力の低下がある。現在の巫女であるパメラは、竜の思念を会話だと分かるくらいで内容は殆ど理解出来ないようだ。

「それで、エテルナードに封じたのはなぜ?」

「信じてもらえないと思うけど、彼が望んだの。ああっ、そうだ!だからエテルナードが勝手に出たのよ」

「ってそれ、まさかの共振?」

「共振って、滅多にあるもんじゃないだろ?」

「なんですか?それ」

 スージーは初めて聞く言葉だったが、簡単に言うとこの場合、術師が使う術武器と封印する相手の波長が合致し、お互いを呼び合う現象が起こる事を指すが、その原因は術武器の成分に起因するとされている。

「と言うことは、エテルナードに竜の成分が使われているとか?」

「そうだ。それもかなり強力な素材だと思うよ、俺たちが持てないくらいの。つまり、スージーが無属性だから持つことが出来るとびきり凄い()()だ」

 武器を構成する素材を耳にしたことでスージーは戸惑った。師匠のアンジュルがなぜそれを選んでスージーの術武器としたのだろうか、彼女には理解出来る筈がなかった。

「スージーは混乱して分からないかも知れないけど、あなたは魔術界の逸材なのよ。つまり、選ばれた人ってことね。もう、あなたは私たちを飛び越してトップに居るわ」

 スージーは驚いて立ち上がった。

「もう!からかわないで下さいよ、そんな事無いじゃないですか」

「はいはい、落ち着こうね」

 スージーの肩に手を置き、優しく言ったスタンだった。スージーは改めて椅子に座ると、周りの皆は心配そうな顔をしている。彼らはふざけてはいない、真面目にスージーと話をしているのだ。

「ごめんなさい。私、よく分からないんです」

「こちらこそ驚かせてごめんなさいね。でもね、スージー。あなたは無属性であるが為に、とても貴重な存在なのよ。だからゆっくりでもいいから、理解して欲しいと思う。周りの大人たちは、あなたのことは必ず守るし、分からないことがあれば力になるわ」


「ああーっ、もう!!」

 その時、ナガレが痺れを切らせたように立ち上がった。

「リナの話がまどろっこしくって、分かり難いったらありゃしねぇ!単刀直入に言うと、だな。今日のあの竜は、俺たち大人が必死になっても、封印出来るかどうか分からん代物だったんだぜ。それに竜が封印して欲しいって言っても、はいそうですか、で出来る訳がない。竜が剣に呑まれたってんじゃなくて、アンタの術で剣に吸収されたんだよ。それに、あの瞬間移動!」

「瞬間移動?」

「おうよ!アンタがあれを使ってくれなきゃ、今頃みんなあの世に居るさ。わわっ、スニの野郎と一緒の墓かよ?ってさ」

 それを聞いたスタンとリナはクスクス笑いながら頷いている。

「あれは私?私の術?・・・皆を助けたい一心で師匠を想って、地上にって・・・」

「そうだよ、ありがとな。普通の瞬間移動はせいぜい自分だけか、良くて二、三人ってとこなんだ。あん時は、俺たちの魔力は尽きかけて、単独でも逃げ切れんかったかも。こうして生きてられんのはアンタのおかげだよ」

「ありがとうね、スージー」

「ありがとう、スージー恩に着る」

「そ、そうなんですか・・・夢中だったから分からなかった。きっと師匠も手伝ってくれたと思うの」

 ほっとした顔を見せたスージーだったが、その横顔には少し逞しさも加わったようだ。


 リナがスージーから聴いた話を細かに記録し、何枚か書き終わった頃にダーナとレーニアが戻って来たが、彼らの手にはアルコールの入った飲み物が握られていた。

「兄さん、それ、お酒?」

 ダーナは軽く頷き、椅子に座ると口に含んだ。スージーは酒を飲むダーナを初めて見た。彼女の記憶では今までに酒を口にすることがなかったのである。

「大丈夫だよ、スージー。わたしだって酒くらい飲める大人だよ」

「でも、兄さん・・・」

「スージー。大人はね、どうしても飲みたい時があるのよ。今日は黙って見逃してやってよ」

 レーニアが優しく言った。それがどんな時なのか、スージーにはまだ分からなかった。

「私、先に休みますね。スタンさん、兄さんのこと頼みます」

「おや?スージー俺には言わないのか?」

 ナガレがわざと不満そうに言った。

「ごめんなさい。ナガレさんもお願いします」

「コラッ!いい年して若い娘をからかうんじゃないのッ」

 レーニアに言われてナガレは舌を出した。

「スージー、ダーナの事は私たちに任せてくれていいわ。お休みなさい」

 リナに促され部屋を後にしたスージーだったが、今までに見た事がないダーナの様子を少し不安に思ったのである。


 翌朝。スージーが食堂へ行くと朝食の時間というのにダーナが姿を現さなかった。

「おはよう、スージー。ダーナのヤツなら心配しないでもいいぞ」

 大人たちは小さく笑っている。あれから何かあったようだが、彼らは何も言わなかった。食事が終わりスージーが席を立とうとすると、スタンがダーナのお見舞いに行くといいと言った。「お見舞い」という言葉にピンと来なかったスージーは、そのままダーナの部屋へ行ってみる事にした。ノックをしても返事が無く、ドアを開けると部屋の中には誰も居なかった。

「兄さん居ないの?兄さん!」

 その声を聞きつけたリナが部屋に駆けつけて来た。

「ダーナが居ないの?」

「はい。朝早くからどこへ行っちゃったのかしら」

 リナは思念でダーナの不在を他の術師に伝えた。ナガレとスタンはスニを捕らえている部屋へと駆けて行き、レーニアは検索術を使い周囲をくまなく探す事にした。スニが捕らえられている部屋、それは厳重な警備と術が掛けられ、不用意に近づくと弾き返されてしまう。格子の入った窓から覗くとスニはベッドに横たわったままであった。彼は、竜に投げつけられた岩塊により足を骨折し、起きることもままならなくじっとしているのである。もちろん、手当と看護は受けているのだが、魔力は封印されたままである。

「ここには居ない・・・と、すればどこへ行った?スタン思い当たるか?」

「いいえ、レーニアさんがそろそろ見つける頃でしょ。戻りましょう」

 彼らはこの部屋に何の手も加えられていない事を確認し戻って行った。これは念のための行動であるが、エッセルの提案でもある。身内を疑う事はしない彼らだが、今回の場合は事情が事情であり皇帝もそれを認めている。

「居たわ!オアシスの畔、大きなヤシの木の下。一人で居る・・・散歩かしら」

 レーニアの脳裏にはゆっくりと歩くダーナが見えた。

「私、行く!」

 叫ぶが早いか飛び出して行ったスージーだ。スージーにはダーナの行動が理解出来なかった。今まで、団体行動中に行先も言わず、勝手に出掛けるようなまねを一度もしたことが無かったのだ。走りながらスージーは心の中で叫んだ「兄さんのバカ!こんなにも心配させるなんて」


 家の間を抜け畔への道を走り、葦が茂った湿地を掻き分けて進んだ。バサバサと音を立てて走るスージーに水鳥たちが驚き一斉に飛び立った。それを目にしたダーナはふと我に返り「しまった」と思った。しかし、葦の間からスージーが見えると、彼は心底ほっとしたのだった。それはまだ、自分を必要だと思う人がいたと感じたからである。

「兄さーん!」

 スージーが走りながら呼んでいる。ダーナは手を振った。スージーはダーナの前まで来ると立ち止まった。

「兄さんったら、何してるのよ!皆、心配しているんだから」

 スージーは息を切らせ、目には涙を浮かべていた。

「ごめん、心配させちゃったね。帰ろうと思っていたんだ」

 ダーナはスージーの前では素直になれると、その時はっきり感じることが出来た。ダーナの湿った上着の裾を握ったスージーは、大きく頷くと分かっているからと言うように引っ張って歩き出した。そして、ダーナはそのまま彼女に引かれる形で屋敷まで帰ってきたのである。

「お帰り、ダーナ」

 大人たちは優しくダーナを迎えてくれた。何も言わずにレーニアはダーナを抱きしめ、ナガレは軽く肩を軽く叩くとメシ食って来いよと言った。

「その前に、風呂だろ?」

 泥だらけのダーナにスタンは微笑んだ。暗い時間この屋敷を抜け、湿地に足を取られて転んだのは誰の目にもそれと分かる。

「私、お湯を入れてくれるように頼んで来るね」

 リナは、はにかみながら部屋から出て行った。

「皆さん、心配掛けてごめんなさい!」

 ダーナは全員に向かい、腰を折って頭を下げた。

「いいって事よ、頭を上げな」

「そうよ。アナタも普通の人間なのよ。年長者の私たちが事務的な事をやらなくても、文句の一つも言わないでいてくれた。若いのによくやってくれてるわ、これからは我慢しないで何でも言いなさい」

 大人たちの言葉の意味は、ダーナを縛り付けているものから解き放つものだった。昨夜、レーニアと酒を酌み交わし、その後もナガレとスタンを加え飲みながら議論した。彼らの意見は対立をするものでは無かったが、遠慮をして本音で語ろうとしないダーナに非難が集中してしまった様である。そこで「いい子」であり続けるダーナに、そこまで抑えつけなくてもいいだろうという結論で、大人たちは「ちょっぴり不良のススメ」を授けたという。酒の力を借りてダーナが本音で語る事を促し、私生活を含めて大論争になった。物こそ飛び交うことが無かったが、充分に腹を割って話すことが出来たようである。深夜になって散会し、部屋に戻ったダーナはベッドに入っても興奮が収まらず、ほとぼりを冷ますために、まだ暗い時間に屋敷を出て湖畔まで行ったのだ。ダーナは大人になる前からずっとオトナとして生活してきた。彼はいつしか、自分を抑える事が大人のたしなみである、と思うようになっていたようだ。

「なあスージー、アンタはコイツがクソ生意気だとか、いけ好かない野郎だって思った事あるかい?」

 ナガレは真面目に質問した。スージーは少し考えてから、あったと答えた。

「ええーっ、ウソだろ?」

 信じられないという表情でスージーを見たダーナだった。スージーだけには、一度もそう思われていないと思っていたようだ。

「一度だけ。ノーホースの森で、兄さんが落ちて来た時」

 スージーはダーナと初めて出会った日の事を思い出していた。森の中で突然、樹上から真っ黒な塊が落ちて来た。その木には、岩の様な実がならないのは知っていた。不気味に思いスージーが枝でつつくと、それがダーナになった。そして、ダーナが彼女たちが住むノーホースをへき地だの何なのと、初対面の彼女にいきなり文句をつけたのだった。

「あっ、あの時?思い出しました。あれは見られていたとは思ってもいなかったから。その・・・つまり、失敗を照れ隠しで言ってしまった訳で・・・ごめんなさい!」

 ダーナは顔を赤らめて頭を掻いた。鳥になって飛んで来たものの、皇大師の居場所がおおよその目星しかつけていなかったので、一旦木に止まり改めて探そうと思ったそうだ。そして、適当な木の見つけ枝にとまった瞬間、折れかかっていたその枝が折れてしまい、咄嗟に岩に変化して落下したというのだ。

「折れかかった枝にとまった?ふぅん、ダーナも案外普通だったりするんだね。何だか急に親近感が湧いてきたよ」

 スタンが意外だと思ったようだ。

「ということは、わたしの事を親しく思われていなかったのですね?ショックです」

 ダーナは肩を落とした。その様子を見たナガレはダーナの前に来ると、彼の頭に手を乗せ髪をクシャクシャにした。

「そんな訳ないだろ?皆、アンタの事は親しく思ってるのさ!良く出来たヤツだよアンタは。まあ、誰もが一度はクソ生意気な小僧だと思ったと思うけどよ?考えてみろよ、真面目なアンタを信用したから、無理だったかも知れない今回の件も、力を合わせてやり遂げる事が出来たんだろ?」

 ナガレの感想に大人たちは頷いた。

「何だか今更な感じがしますね。前までは単にエッセル師のお弟子さんとして見ていたけど、今では私たちの大切な仲間の一人ですものね。横の繋がりが強くなったと言えるのでしょうけど」

 戻って来たリナも感想を言ったが、今回の件でより強い絆が生まれた事を全員で実感したようだ。


「さあ、俺たちもレヌネに戻るぞ」

「女子たちは楽していいなぁ、オレたちは飛んで行かなきゃならない」

 報告をまとめる為にリナ、レーニア、スージーの三人は先にスージーの瞬間移動を使いレヌネへと帰って行った。残った三人はここに来た時のように、鳥になって戻るのである。ところが、そんな彼らの元に訪問者が現れた。パメラである。

「お願いがあって来ました。私を帝都へお連れ下さい!」

 パメラは巫女は竜と伴にあるべきという点から、竜の居ない神殿はもはや意味が無いのだと主張したのだ。封印した剣を持つスージーは既にここには居ないが、パメラはスージーに奉仕することが竜に奉仕する事だと信じている。

「アンタの言う事が分からんでもないが、アンタがここから居なくなって困る人もいるだろ?」

 ナガレが心配になって聞くと、パメラは一族の者たちからは反対の声は無かったと言った。

「巫女制度はこの狭い地で限定されていましたよね?最初はベティナの王命で」

 現在のオルフェドに至るまで数百年間、巫女制度は続いていたが、それを現在の国の中心人物が知っているのだろうか、ダーナはふと疑問に思った。

「そのことだけど、昨日エッセル師との会話で、師が陛下にお聞きすると仰ってたけど」

 靴ひもを結び直していたスタンが口を挟んだ。ダーナは早速エッセルに思念会話で聞くと、陛下がその巫女を都へ招くようにと仰られたと言った。

「ベノムの行政官に届け出てから、改めて都に正術師を訪ねて来る様にして下さい。我々は歓迎しますよ」

 ダーナはパメラに伝えた。彼らが後から知った事であるが、皇帝は巫女制度については知らなかったという。

「それでは、また帝都で会いましょう」

 彼らは屋敷の前で別れた。スタンが、パメラは帝都でダーナの家に住むのだろうと言うので、ダーナは寂しいならハッキリ言って下さい、と応戦して笑いを誘った。

「ああ、そーだ。ダーナ、本当に帰る前にオヤジさんに会わなくてもいいのかい?」

 ダーナを見張る密命を受けていたナガレが、少し躊躇いながら言った。

「はい。本当にもういいです、あの人は過去の人ですから」

 昨晩のあの荒れ様で吹っ切れたのか、きっぱりと返事をした。

「ふむ。そうか、あの人は皇太后府から解任され、流刑に決まったよ。エッセル師はアンタには言わなかったんだな、優しい人だ」

 ダーナは胸が熱くなった。国中を騒がせたイ・スニと配下の術師たち全員が解任となり、それぞれの罪により刑が科せられ皇太后府は完全閉鎖。首謀者である皇太后はその責任から、国境近くにある不落の砦に幽閉されることに決まった。

「今度こそ本当に帰るぞ!」

 ナガレは白頭鷲になると空高く舞い上がった。続いて二羽の鷹が帝都を目指して飛んで行った。


 変革へ


 彼らが帝都に到着したのは昼少し前だった。皇太后が引き起こした事件の後始末で、帝都は騒がしいかと思われたが全くの平穏無事であった。これは前日に、皇太后の探索隊全て即刻解散と皇帝が勅命を発し、帝都に残っていた術師たちが不穏な動きを見張っていたからである。帝都以外のある地方では、その地にいた探索隊が、不当な解雇だと役所に訴え出たというが、割り増し賃金を与える事で収まったようだ。その探索隊は昼夜を問わずの移動や、食事や休憩を満足に取れずに多くの脱落者を出したようだが、それを指揮していたのがイ・スニであったいう。彼は自分たちだけがあのベノムにとどまり、一般人の探索隊員に偽の情報を与えては、次々と移動させていたのである。帝都が無事であった事に安堵した彼らは、揃ってエッセルに帰還の挨拶をした。

「お疲れ様、皆無事で良かった。君たちにはゆっくり休んで欲しいが、そうは行かなくなってしまった」

 エッセルはこれから始まる魔術界の改革で、出仕している術師たちを含め全体が管理下に置かれるかも知れないと言った。

「管理下とはどういう事です?エッセル師」

 スタンが今回の事で、自分たちにも規制が入るのだと思った。

「まだはっきりとはしないが、術師を取りまとめる所を明確にする。例えば魔術庁が創設され、そこに登録した場合のみ活動出来る」

「魔術庁ですか?すると、我々術師は国に再び管理されるという事になりますね、エッセルさま」

 エッセルは頷いただけでダーナの質問には答えなかった。エッセルは、彼の同胞たちがヴェスティナで竜と相対していた頃、御前会議に出席をして皇帝と重臣たちに、魔術師界の再編成を進言していたのである。それは、皇太后派の一掃後、国を強くして行く上で一般兵士の他に、魔術師が必要になってくるのではなかろうかと考えたのである。魔術師がその力を使う事で国の守りになり、その反対に国の脅威にもなり得る事を知らしめた訳だ。皇帝ヴェルダーはエッセルの考える真意を汲み、早急に組織改革を始める様に下知したのであった。

「エッセル師が薦められるのなら、俺たちは協力しますよ」

「うむ、ナガレにも是非、協力してもらいたい。我々も住みやすい国を作るために」

 過去には魔術が使えるというだけで差別された不幸な時代もあったのだ。魔術師も国民として普通に暮らせる国が理想であり、いつの時代にもその想いは変わらないのである。そしてエッセルは今朝、竜にまつわる顛末を極秘扱いとして、皇帝に報告し提案書を差し出していたのであった。


―――「竜の魔術師出現についての提案書」

 古代より魔術師の中で、ゼロの魔術師のとされる人物の定義は「竜族と繋がりのある、またはそれに関連した術武器を持つ魔術師であり、主に回復術に長けた者、またはいずれの属性にもまたがった者であること」とされている。今回対象とされる人物は、ノーホース出身スージー・ホーンである。先帝であるスナイダー帝に仕えた魔術師、アンジュル・スカーム皇大師の弟子として修業を積んだ経歴がある。

 一般的には0は何も無い事を意味するが、魔術師の場合は無限を意味する。伝説では、最良の組み合わせである竜と伴に、地上に楽園をもたらす存在だと伝わっている。今回の場合、ヴェスティナ洞窟にて自己封印中であったエンシェントドラゴンの一種である光の竜、またの名である黄金の竜を呼び覚まし、自らの術武器である宝剣エテルナードに封印をした。この竜はかつてのベティナを隆盛に導き、滅亡させた同じ竜である。封印理由については――中略――竜を構成する成分が含まれているが、それを使った術武器は他の魔術師では扱うことが出来ないとされ、竜を吸収した現在のエテルナードの破壊力は未知数であり、国一つどころか世界を滅ぼす事が簡単に出来ると推測される。術武器は術者の体内に収められているので、この場合スージー・ホーン自身が鞘でもある。また、術武器を奪うために術者の命を絶ってしまうと、術武器はその時点で消滅する。本人には自覚が無いが、彼女がゼロだった為に竜を吸収して、史上最強とされる竜の魔術師になったのである。依って、スージー・ホーンは国家で庇護すべき対象であると提案する。提案者:魔術部門主幹エッセル・ナッハ正術師

 

これを読んだヴェルダー帝は大そう驚いた様子だった。それは、文面にあった名前が、娘であるタチアナ姫の知る人物でもあったからだ。

「ふむ、由々しき問題でもあるな。エッセルよ、お前はどうしたい?述べてみよ。まさか、余に始末しろと言うのではあるまいな?」

 皇帝は顎を撫で、堅くなった表情を無理やり解そうとしているかであった。

「滅相もございません陛下。陛下の御為になるよう、その者を御み足近くに置いて頂きたいのであります」

 エッセルは髭が床に着くくらいに頭を下げた。

「諸外国の手の届かぬ所に置いて頂きたく存じます」

「・・・うむ、そうか。余もそう思う、近くに置くとしよう」

「有難き幸せでございます」

 エッセルは彼の言い分が通りホッとした。彼は、スージーが自分の手に余る存在になってしまった事に気がつき、皇帝に委ねたのであった。

「ところでエッセルよ、あの男の子どもについてだが」

 皇帝がダーナについて切り出した。予想もしていない事だったので、エッセルは胸に氷を押し当てられる思いをして、ヴェルダー帝の質問に淡々と答えた。

「ふむそうか、そうであろう。余とて悪魔ではない、ただ危惧しただけだ。それについては判断を含め、全てお前に任せる事にしよう」

皇帝はその言葉を置くと部屋から出て行った。エッセルは深々と礼をして見送り、冷や汗を乾かすためにも庭に出た。風に吹かれ、久々に仰ぎ見た空はどこまでも美しく青く澄んでいた。

「私は正しい、間違えてはいない。これでいいのだ、これで・・・・。ああ、そろそろ皆が帰って来る時間だな、戻るとしよう」

エッセルは声に出して自分自身に言い聞かせ、魔術師部屋に戻って行ったのであった。―――


「エッセル師、大雑把でもいいですから基本案ってあります?あれば見せて頂きたいのですが」

「そりゃあ、あるだろうよ。エッセル師はアンタと違って緻密な計算が出来っからな」

ナガレはスタンをからかって笑った。ナガレくらいの年齢になると色々と面倒な事は避けたくなってくるのだ。更にエッセルの改革についての話しは彼の心を冷やす物でもあったのだ。心中は穏やかではないが大人しく従っていれば何とかなると言ったところだろう。小さな波紋が隅々まで広がり、やがては大きなうねりとなって魔術界に何かを引き起こすのかも知れない。ダーナの心には暗闇の様な大きな不安が襲い、彼はそれをどうしたらよいのか分からないでいた。

「エッセルさま、申し訳ございませんが、体調が悪いようなので帰らせていただきます」

ダーナはお辞儀をすると、誰の顔も見ないで帰って行った。見たくはなかったのだ。この様子を見ていたナガレは、エッセルに聞こえるように言った。

「遅かりし反抗期、かな?」

エッセルは心がチクチクするのを感じた。そして再び心の中で自分は正しいと言い聞かせ、ナガレとスタンに訊いた。

「今、何とかしないとならない。君たちも分かってくれるだろ?」

「俺は大体に於いて賛成だ。今のままだと変わらず使い捨てにされちまう。魔力を持って生まれた意味が無い」

「師の言わんとする所は分かります。オレの師匠も賛成するだろうと思いますよ。魔術師の牙城と城郭を頑強にする時期がやっと来たってことですね」

彼らはお互いに頷き合った。

「お帰りなさい。お昼ご飯を一緒にいかがかなと思って。あら、ダーナがいないわね、どうしたの?」

レーニアとリナがやって来た。彼女たちは今回の記録をまとめ、魔術部門の上部組織に書類を提出してきたのである。

「ん?そう言うそっちもスージーがいないじゃないか?」

「あー、スージーは姫さまとランチよ。羨ましいでしょ?スタン」

「それはそうだけど、ダーナは体調が悪いって帰ったよ」

「まあ、大変だわ。泉に落ちたから風邪でも引いたのかしら」

心配するリナに、ダーナに何があったのかとエッセルが尋ねた。彼らが、ベノムの屋敷での出来事を詳しく話すと、エッセルはしばらく目を閉じて深いため息をついた。

「そうか・・・。私はあの子の善き父親であろうとしていた。それが、あの子にとって重圧でしかなかったとは。私は期待し過ぎていたのだな」

エッセルは少しの間、床の一点をぼんやりと見つめていた。彼は初めてダーナの琴線に触れた気がした。ダーナが実子や弟子たちよりも、魔術師として育て甲斐のある逸材だったのは間違いなかった。そんな彼に、魔術師は自由にあるべきだと教え、権力者の道具になってはいけないとも教えていたのだ。エッセルは思い返すと、先程のあの反応は仕方ないことだと思うしかなかった。彼は、ダーナとの溝はどうしても埋めなくてはいけない事くらい分かっている。だがしかし、その方法はというと良い案が浮かばなかった。

「エッセル師もたまには一緒にいきましょうよ」

気心の知れた彼らから声を掛けられ、エッセルはその相談でもしようかと思った。

「ああ、行こうか。色々と君たちの意見も聞きたいからね」

彼らは下街へと出かけて行った。

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