はじめての
結婚式を終え、ようやく森の家に戻ってきたクレスとフィオナ。
「クレスさん、お疲れ様でした。紅茶でも淹れますね」
「ああ、ありがとうフィオナ」
椅子に腰掛け、キッチンに立つフィオナの背中を見つめるクレス。
クレスはまだタキシードを、フィオナはエプロンの下にウェディングドレスを着たままである。せっかくだから、今日が終わるギリギリまではこの姿でいようと二人で決めていたのだった。
「――どうぞ、クレスさん」
「うん」
フィオナが淹れてくれた紅茶に口をつけ、気を休めるクレス。
隣に座ったフィオナも同じで、ほっこりと穏やかな表情をしていた。
「ふふ。なんだか、終わってみればあっという間でしたね」
「そうだね。まだ気持ちが昂ぶっているよ」
笑いあう二人。疲労はあるはずだったが、そんなことが気にならないほど心が充実していた。
それからフィオナがカップを置いて、少しうつむきがちに緊張した様子でつぶやく。
「あ、あの」
「うん?」
「わたしたち……もう……夫婦、なんですよね?」
チラリ、と視線を上げるフィオナ。
その発言を聞いて、クレスは改めてこの状況を実感した。
「――ああ。俺は君の夫で、君は俺の妻だ。ちゃんと、皆に認められた夫婦だよ」
「そ、そうですよね。わたしたち、本当に結婚したんだ……」
フィオナは自身の左手――薬指についた指輪を撫でる。
その瞳は大きな喜びと、同時に多くの感情を宿す。
やがて、フィオナは勢いよく顔を上げて言った。
「これで……ずっと、ずっとそばにいられます。わたし、クレスさんのことをもっと幸せに出来るように頑張ります! これからも、よろしくお願いしますっ!」
弾けるような笑顔を見せるフィオナ。
そんな彼女を見て。
クレスは、静かにこう返した。
「フィオナ。君を愛している」
「……え」
「俺は、きっと君にたくさん面倒を掛けるだろう。愛想を尽かされないよう、努力する。こちらこそ、これからもお願いします」
立ち上がり、丁寧に頭を下げるクレス。
礼儀正しい元勇者の言動に、フィオナは少し遅れて慌てたように手を振って立ち上がった。
「そ、そんなこちらこそです! わたしのほうがきっとたくさん迷惑をかけてしまうと思いますし、で、でも頑張りますからずっとお嫁さんでいさせてください!」
ペコペコと頭を下げるフィオナ。
「いや、戦うことしか知らなかった俺の方が常識がない分、迷惑をかけるはずだ。何か粗相をしたときは教えてほしい」
「クレスさんは大丈夫です! わ、わたしのほうこそ国の外に出たこともない小娘なのできっと呆れちゃうこともあると思うんですけど、いろいろ教えてください、です!」
お互いにまた頭を下げ出す二人。
やがて、どちらからともなく笑い出した。
その笑い声は大きくなり、温かな空気が二人の間を流れる。
フィオナが、そっとクレスの胸元に手を当てた。
「わたしも――あなたを心から愛しています」
視線が合う。
二人は静かに唇を重ねた。
そのタイミングで、街の方から鐘の音が聞こえてきた。
祝福の鐘。
一日の終わりを告げる鐘。
二人のためだけに、特別に鳴らされたものだ。
身を離す二人。
フィオナがくすっと笑った。
「もう、夢の時間は終わりみたいですね」
「名残惜しいが、そろそろ着替えようか」
「はいっ。わたし、お風呂を沸かしてきますね。少しだけ待っていてください!」
そのまま外に出ていく働き者の花嫁。
クレスの家には小さな離れの小屋もあり、そこには木造の浴槽が用意され、川の水が引かれている。
一人だった頃は水浴びで済ませることも多かったクレスだが、お風呂好きのフィオナが来てからは毎日のように入るようになっていた。彼女が魔術で楽に火起こしが出来ることも大きい。
「…………」
一人になったクレスは、多少緊張していた。
結婚式を済ませ、フィオナと夫婦になってから初めての夜。
式の終わりにヴァーンがこっそり言っていたことを思い出した。
『おい、いいかクレス。初夜は大事にしろ。男はともかく、女にとってそういうのはすげー貴重だからな。つーかお前らがまだなんもしてねーことにオレは驚きだ。結婚式で妊娠報告してもよかったくらいだぜ』
『大事にしろというのは、具体的にどうするんだ?』
『へへ、いよいよお前にこういうことも教えてやれるなァ! よし、まずはベッドについたら服をだな――。んで、そっからはこう――』
『――あら。楽しそうなことを話しているのね』
『うげぇっ!? おいエステル! 気配消してどっからでもわいてくんのやめろや! 暗殺者かてめぇは!』
『そういうことは当人同士に任せておけばいいのよ。いいからさっさと帰りなさい』
『ちょ、ま、耳引っ張んな痛ぇだろ! ぐあああああ! クレス! あ、あとはお前の勇者テクニックに任せたあああああ!』
そのまま引きずられて消えていったヴァーン。
回想を終えたクレスは少しばかり後悔していた。
「勇者テクとは一体……。もう少し聞いておけばよかったか……」
これからのことを考え、腕を組んで真面目に思い悩むクレス。
そこへフィオナが戻ってきた。
「クレスさん、終わりました。もう少し待っていてくだ――あれ? そ、そんなに真剣な顔をして、どうかしたんですか?」
「ああいや、なんでもないよ。じゃあ、風呂が沸いたら一緒に入ろうか」
「え?」
「ん?」
当たり前のように言ったクレスに対して、フィオナは少し意外そうな顔をしたが、それからすぐに笑顔に戻る。
「――はいっ!」
――そうして風呂から上がった後、寝間着に着替えたクレスとフィオナは、まだ真新しいベッドの上で向かい合って座っていた。どちらも正座である。
「フィオナ」
「……はい」
フィオナの肩を掴むクレス。
どちらかといえば、より緊張した面持ちなのはクレスの方であった。
「知っていると思うが、俺は、こういうことに知識がない。もっとヴァーンに聞いて勉強しておけばよかったと思っているくらいなんだ。ただ、とにかく君を大事にしようと思っている。だから、その……」
クレスにしては珍しく歯切れの悪い話し方であったが、それだけ彼が真剣であることをフィオナはよく理解していた。
だからフィオナは、笑顔でクレスの手を優しく握る。
「ふふ。クレスさんがそういう気持ちになってくれることが、わたし、嬉しいです」
「フィオナ……」
「大丈夫、ですよ。わ、わたしが……教えてあげられますから。……わたしも、は、はじめて……ですけれど……」
そう話す彼女の顔は真っ赤になっていたが、クレスを安心させるためにそんな言い方をしたようだった。どんなときでも、フィオナは常にクレスの手を引いてくれる。
既に心が――魂が繋がっている二人にとって、はじめての時間は幸福なものとなった。