少女たちの夜明け
◇◆◇◆◇◆◇
──魔術都市ノルメルト、リィンベルパレス内。
子供たちの帰りを待つリィンベル講師陣と、そして一部の生徒たちが、言葉もなく静かに最後の時を迎えようとしていた。
魔道具『星天鏡』に施された封印は、いつでも完了出来る状態にある。
未だに、そこから戻ってくる少女たちの姿はなかった。
「…………」
学院長シーナは目を閉じ、深い呼吸をして、そしてゆっくり目を開けた。
「エイミ先生」
「…………」
「エイミ先生」
シーナからもう一度名前を呼ばれ、エイミは、ようやくうなずいた。
そしてエイミが鏡の方へと手をかざす。
すべての講師陣が己のすべての力──全魔力を目の前の鏡に集中させていた。
バチバチ、と鏡が強力な魔力を湛える。
強固な封印。
再び永いときを重ねなければ二度と解除出来ないであろう、堅牢な守り。そのための縛り。
発動は、シーナの声と共に行われる。
その一声で、すべての者は強制的に諦めなくてはならない。
そして、その時は来た。
「──時間です。封印を完了しま──」
まさにそのタイミングで──『星天鏡』が目映い光を放った。
それは封印魔術によるものではないと、すべての講師たちが理解していた。
だから各々手を離す。魔術を止める。
白い光の向こうから──人影がこちらへとなだれ込んできた。
「わっ!?」「あうっ!?」「きゃっ!」
どさどさと鏡の前で折り重なるように倒れる少女たち。
一番下で潰れていたクラス長が苦しげな声を上げる。
「お、重たい……ですわぁ……」
「あっ、ご、ごめんなさいベアトリスさん! えっと、か、帰ってきたん、ですよね?」
「そうだよクロエ。あ、よかったミュウもいたっ! もう! ほんとに帰ってこないかと思ったじゃん!」
「ミュウさん……よかったです、帰ってきて、くれたんですね……! もう、あんなギリギリで! 驚きましたよぉっ!」
「本当に。レベッカさんも無事のようですね。ふぅ……全員無事に帰還出来ましたか。なんとか、クラス長としての役目は果たせましたね」
それぞれの無事を確認し合い、ホッと胸をなで下ろすレナたち。皆が満身創痍と呼べるひどい状態であったが、しかし命は守り通した。
そんなレナたちを遠巻きに見つめていた講師たちはしばし呆然とし、それから真っ先にエイミが走った。
「──皆さんっ!」
エイミはへたりこむようにその場に座り、レナたちをまとめて抱きしめた。
「よく……よくぞ諦めずに、全員でっ、再びこちらへ戻ってくれました……! 貴女たちは、リィンベルの誇る素晴らしい生徒です!」
眼鏡が外れて落ちたエイミの顔に流れる涙を見て、レナたちはしばらくぼうっと呆けた後、それぞれにエイミの身体を抱きしめ返した。
途端に講師たち、そしてレベッカの友人たちが集まってくる。
「こんなこと……奇跡だ!」「フランベルグの娘まで!」「よく戻ってきてくれた! なんて子たちだ!」「みんな大丈夫ですか!? 急いで治療院へ!」「全員だ! なんとしても全員助けるぞ!」「レベッカ! 生きてるよね!?」「生きてるよレベッカ! うぁぁぁ~~ん!」
学院長シーナが大きく息を吐いた後、最後にゆっくりとやってきた。そして口を開く。
「ヴィオールさん。封印は?」
ベアトリスは、小さく首を横に振った。
「おそらくは、もう。講師の皆様の命を捧げる必要などありません。使用を制限する簡易的なもので十分かと思います」
「……そうですか。貴女方の顔を見ればわかります。……彼は、ようやく眠れたのですね」
シーナの視線が向いたのは、ミュウ。いつものようにぼうっとした顔で、ミュウはこくんとうなずいた。
レナがシーナの方を見上げて言う。
「ごめんなさい先生。時計、壊しちゃった」
「よろしいのです。貴女方の時間は、これからも続いていくのですから」
その笑顔と言葉で、レナたちはようやく元の世界へ戻ってきたことを実感したのだった。
◇◆◇◆◇◆◇
心身の激しいダメージと憔悴、魔力の欠乏。そして生還の安堵。
それらによってあの後すぐに意識を失ったレナたちは、講師たちによってすぐに『国立治療院』へと運び込まれた。
命が無事であったことは奇跡という他なく、精密検査を行った結果レナたちは当然ながらそれなりの治療期間を要する入院を余儀なくされ、国家最高レベルでの手厚い治療が施された。
──入院三日目。
レナが“初めて”ベッドの上で目を覚ますと、見知った同級生たちの顔があった。
「──あ、レナさん! よ、よかった。起きたんですねっ。すぐお医者さんを呼びますね!」
「クロエ……?」
隣のベッドから心配そうにこちらを見つめていたのは涙目のクロエ。左目には眼帯が着けられていた。そしてベッドにつけられていたコールボタンで医者を呼ぶ。
「おはようございます、レナさん。丸二日。よく眠っておられましたね。私たちも、目覚めたのはつい先ほどなのですが」
「ベア……」
「……ふん」
「あ、レベッカも……」
向かいのベッドにはベアトリス。そしてその隣で、窓の方を見つめるレベッカがちょっと気まずそうな顔をしていた。
「……ミュウは?」
「ご安心ください。ミュウさんも無事ですよ。ミュウさん」
ベアトリスが呼びかけると、奥の窓際で朝陽を浴びるように立っていたミュウがこちらを振り返る。その両手にはいっぱいにアイミーの果実を抱えていた。そしてもぐもぐと頬が膨らんでいた。
クロエが苦笑しながら言う。
「あ、あはは。ミュウさん、こっちに戻ってきてからも以前と変わらず普通に過ごしていて……というか、い、以前よりもすごく元気になったみたいなんです」
「そうなのです。驚くべきことにミュウさんだけは入院が必要なかったようで、既に本調子といったご様子ですわ。特別なご事情のせいもあるのでしょうが」
「…………」
ぽけーっとした顔でひたすらもぐもぐアイミーを食べまくるミュウ。とことこ歩いてくると、レナのベッドのサイドラックに果実をどかどか置いてくれた。
「あ、ありがと。えっと、後で食べるね」
小さく親指を立てるミュウ。
そこでクロエがちょっぴり不安そうに言う。
「レナさん、身体は大丈夫ですか? レナさんが一番ボロボロだったって、先生やお医者さんが言っていて……いつ起きるのか、すごく心配で……」
「ん……ちょっとふらつくけど、平気かな。クロエは? その眼帯……」
クロエはそっと左目に手を添えながら、笑みを浮かべて返事をする。
「あ、これは魔術の影響で両目に負担が掛かってしまったみたいで。一日おきに片方ずつ目を休めたほうがいいって」
「そうなんだ。クロエ、すごい頑張ってくれたもんね。ありがとう」
「い、いえそんな。わたしよりレナさんたちのほうがっ」
「うぅん。だってクロエがいなかったら、レナたちみんな揃って帰ってこられなかったもん」
「そうですわね。クロエさん、今回の生還はあなたのお力があってこそです。どうかご自身を誇ってください」
「レナさん……ベアトリスさん……は、はい。ありがとうございます」
「それに、レナなんて一度死んじゃったんでしょ? 未だに自覚はないんだけど……ありがとうクロエ。聖都に帰ったら、レナの新しい親友がすごいって自慢するね」
「しん、ゆう…………え、えへへ。そ、そんな……」
ぽぽっと頬を赤らめて、とても嬉しそうにほにゃ~とした笑みを浮かべるクロエ。
「レナも、クロエが困ってたらいつでも助けるから。まだいじめっ子が出てくるようならいつでもぶっ飛ばしてあげるし」
とレナが一人の人物に視線を向けると、全員の視線も同様にそちらへと向く。
注目の集まった少女──レベッカはぎくっと反応して、何度も迷うように逡巡した挙げ句、ため息をついてからゆっくりレナたちの方を向いた。
「レベッカさん」
ベアトリスが、背を押すように優しい声色でささやく。
レベッカは口元をむずむずさせながら、ひねりだすようにしてつぶやいた。
「………………ごめん。全部。ごめんなさい」
じわじわと、レベッカの顔が赤く染まっていく。
「あと…………助けに来てくれて、ありがとう………………」
たったそれだけで。
レナもクロエも、そしてベアトリスも笑い出す。レベッカはその反応でさらに赤くなっていった。




