終わりと始まり
そして実験は成功した。
パトリックが自身のクローン体に移した魂は正常に機能し、基本的な能力や記憶が保持されたまま、魔術さえ移行前と同じように扱えた。多くの“力”は“魂”に宿ることが判明し、それは後の魔術界にとって大きな発展の礎となった。
所長たるパトリックが第一被検体として実験を成功させたことで、国は実験を強行したその罪を訴えることはせず、むしろパトリックを賞賛した。
人々は大いに驚き、感動し、また安全性に問題がないと証明されたことで、まずは国の権力者や重鎮、才ある魔術師や研究者、重い病を抱える者たちから魂の移し替えが行われることとなった。その中にはいまだ眠ったまま目を覚まさないミュウも含まれていた。
『本当によかったぁ……所長、これでミュウちゃんも助かりますね!』
『所長! オレ、感動しました! 娘のために自分の命を掛けてまで研究を成功させるなんて、やっぱ所長は研究者の鑑っすよ!』
『最初はこんな研究出来るのかって疑問でしたけど……所長はやっぱりすごい方です。命を掛けて志願した甲斐がありました』
『私も、所長についてきてよかったです。ミュウちゃんはもちろん、リィンベルの発展に役立てて嬉しいです。所長、ありがとうございました』
所員たちは皆、ミュウが助かる事実と研究の成功をそのように喜んだ。
彼らも既に新しい肉体へ移る準備は済ませており、研究所には多くのポッドに様々な外見のホムンクルス体が用意されている。リィンベルのためならと身を粉にして働き、自分についてきてくれた彼らに、パトリックは言葉にせずとも尊敬の念を抱いていた。
『それにしても所長、ミュウちゃんのホムンクルス体はあの肉体でいいんですか? 今のミュウちゃんよりも、だいぶ成長した身体ですよね?』
『元々病のせいで肉体の成長が遅く、止まっていたからな。計算したところでは、本来あれくらいがちょうどいいだろう』
『所長、ミュウちゃんのホムンクルス体だけ細かいとこまでめちゃめちゃ気合い入れて設計してたからなぁ。そりゃあれくらい美少女になるっすよね。やっぱ愛すかね!』
『黙って作業を続けろ』
『ハイッ!』
こうして魂を移し替える研究は次々に成功し、リィンベルの街はかつてない活気に包まれた。年老いた権力者も、病を抱えた老人たちも、怪我に苦しむ人々も、皆が救われることを信じ、そして実際に救われていった。
やがて、ミュウの魂を移し替える日がきた。
その日は──リィンベルが終わる日でもあった。
パトリックに続いて魂を入れ替えた初期段階の被検者たちが、魂の崩壊に伴う暴走を起こして皆を襲い始めた。襲われた人々も強制的に魂を入れ替えられて、怪物の仲間入りを果たす。彼らの肉体と魂は魔力エネルギーそのものに変換され、人とも生物とも呼べない不死の存在になり果てた。
街の人々が暴走したホムンクルス体──不死者たちに襲われる最中、なぜかパトリックだけは正気を保ち、襲われることもなかった。
なんとか襲撃を逃れた人々は、街の中心──リィンベルパレスへと逃げ込んでいた。リィンベルの至宝たる魔道具によって避難するためだ。
そこに、パトリックとその妻の姿もあった。
『残念だがリィンベルは終わりのようだ。お前は子供を連れて外へ逃げろ』
『パトリック様! ですが、ですが……!』
『お前とその子がいなくなれば、ヴィオールの歴史まで終わる。未来を繋ぐことがお前の役目だ。ミュウは私が見つける』
『そんな……無理ですよ! こんな地獄で、パトリック様一人でどうやってミュウを!』
『問題ない。どうやら私は既に“仲間”のようだからな。だがこの“魂”がいつまでも私である保証はない。早く行け』
『パトリック様!』
妻と第二子を鏡の向こうへと見送るパトリック。
その際に、妻は涙をこぼしながら言った。
『必ず……必ず帰ってきてください! でないと私は、私を許せません!』
『善処しよう』
『約束ですよ! ミュウと一緒に戻ってきてくれないと許しません! 私……絶対に許さないから!』
そう言い残し、幼なじみの妻は消えた。
パトリックと勇気ある魔術師たち、そして街の自警団だけが残り、魔道具『星天鏡』を使って生き残った人々を街の“外”へと転送した。
その間にもリィンベルパレスは襲撃を受け、塔を守っていた魔術師や自警団員も、そう長く生き残ることは出来なかった。
こうして襲われることのないパトリックだけが生き残り、彼は一人、己の研究所にたどり着いた。
そこに──もう彼の部下は一人も存在していなかった。
その姿、形が変わっていても、パトリックには誰が誰なのかすぐにわかる。〝魔力生命体〟の不死者と化した元研究員たちは、同じ不死者たちによって運び込まれてくる死体を次々に実験ポッドへしまって魂の移し替えを行っていく。
『よく働くことだ』
そうつぶやきながら彼らの横を抜け、パトリックは娘の元へ向かう。
自分が実行する手筈であったミュウの魂の移し替えはまだ終わっていないはずだった。だとすればミュウもまた──という容易な想像は、果たしてその通りになった。
ミュウは──ある空のポッドの前で心臓を貫かれ、血を吐いて事切れていた。
パトリックは静かに娘の亡骸を抱える。あれ以来眠ったまま意識のなかったミュウが苦しんだ様子は見て取れなかった。
さらにもう一つ。ミュウが倒れていたのは、ミュウのためにパトリックが造ったホムンクルス体を培養していたポッドの前であった。
『……本当によく働く』
パトリックは振り返り、死後も変わらぬ元部下たちの姿をもう一度眺め、それから娘の遺体を研究用の新しいポッドに移した。
おそらくは、他の被検者たちのようにミュウの魂も強制的に入れ替えられている。暴走しているだろうミュウのホムンクルス体を確保すれば、魂が完全に崩壊する前に元の肉体へ戻すことも可能なはずだった。そのためにも、ミュウの生来の肉体を治療・復元して保存する必要があった。
しかし、ミュウの新しいホムンクルス体は見つからなかった。
研究所を出たのか。街で誰かを襲っているのか。または襲われているのか。魔力エネルギーそのものとなった肉体が何かのエラーで消滅していてもおかしくはない。そもそも殺されてしまった時点で、ミュウの魂はもうこの世界には存在しないのかもしれない。“魂”の研究はまだ不明瞭な点が多い。
パトリックは再び自身の指をメスで傷つけ、血液を用いた魔術によって娘の居場所を捜した。ホムンクルス化した影響なのか、魂を感知することは出来なかった。
ひょっとすると──塔から逃げ延びた人々の中に紛れ込んでいたかもしれない。だとしたら、ミュウは自分と同じように正気を保ったまま適応している可能性もある。
『まったく研究のし甲斐がある』
パトリックは、ミュウの元の肉体を丁重にポッドで保管し続けることにした。
ホムンクルスの身体そのものには問題がない。しかし魂を入れ替えたことで問題が生じた。その問題も個体によって異なる。単純な研究不足。改良すべき点はいくらでもある。
パトリックは異界となった自身の研究所を見渡す。
『お前たちの研究は決して無駄ではない。必ず未来で生きる』
物言わず怪物となり果てた元部下たちに、その言葉が届くことはなかった。
いつか、ヴィオールの子孫が、リィンベルの末裔たちがここにたどり着く可能性がある。
いつか、娘の魂をこの肉体へ戻す日がくる可能性がある。
パトリックは笑う。
今よりも魔術と科学の発展した未来。そのときがくるまで今までと変わらず過ごせばいい。
何も変わらない。
たとえわずかでも可能性さえ存在すれば、あとは研究を続けるだけだ。
『研究者が奇跡にすがるか……くく。我ながら女々しいことだ』
代償として肉体を回収されたパトリック自身は元の体に戻ることは不可能だったが、むしろ都合がいい。この身体でなければこの不死の国で生き続けることは出来ず、人でなくなった今であれば時間などいくらでもあるのだから。さらにホムンクルス体への転移による延命が不可ならば、ミュウの元の肉体の病を完治させる術を見つけ出す必要もある。それはパトリックに尽きぬ意欲を与え続けた。
こうしてパトリックは、独り、異界で研究を続けた──。




