不要の花
「……何の……つもりだ……」
肉体は崩壊し、頭部のみになったパトリックがつぶやく。その頭部ですらも、崩壊は止められない状態にあった。
「…………」
そんな彼を──その頭部を抱いたまま無言で歩くのは、ミュウ。
彼女を包んでいた泡の魔術は弾け、足首が浸かるくらいまで研究所内の浸水が進んでいる。そんな研究所の奥に向かって、ミュウは歩いた。
奥の広い部屋に入ったところで、ミュウが壁際のスイッチを叩く。すると硬く重い扉が閉まって浸水を遮断した。もうしばらくは耐えられそうな状況にある。
たどり着いたのは──一人の少女が収まった巨大なポッド。その前だった。
パトリックが、もう一度つぶやく。
「何の、つもりだと……訊いている……」
ミュウは、何も答えずにじっとパトリックの顔を見つめる。
パトリックの表情に、忌々しげな嫌悪が宿る。
「……ふざけ、るな……。人形ごときが……同情の、つもり、か……?」
「…………」
「なぜ……もどって、きた……。なぜ、“ここ”に、つれて、きた……」
「…………」
「こたえろ……人形……」
ミュウは。
ポッドを囲うように置かれていた無数の花から、一輪を手に取る。
「おはな」
そして、わずかに表情を柔らかくした。
「ありがとう。パパ」
その表情とつぶやきに、パトリックは静かに目を見開いた。
◇◆◇◆◇◆◇
──まだ、魔術都市リィンベルがその栄華を極めていた頃。
国家特別研究室であったこの『シュタットハイヴ研究所』には、パトリックをトップとして多くの研究者が籍を置いていた。その多くは才能豊かな魔術師でもあり、魔術を利用した高度な実験によって世界をリードする最先端の研究を行っていた。
『……また来たのか』
若くして所長となった在りし日のパトリックは、とても面倒臭そうにそう言った。
彼の前に立つのは、幼き実子──『ミュウ・フェミア・ヴィオール』。
物心ついたばかりであったミュウは、その手に花を一輪持っていた。そしてその花をパトリックへと差し出す。
『不要だと言っている』
『…………』
『ここはお前が来るところではない。研究の邪魔だ。去りなさい』
花を持った手を、おずおずと下げるミュウ。
彼女は、この頃からとても物静かなで感情の起伏に乏しい少女だった。父親に拒絶されようとも、悲痛な面持ちを浮かべることはなかった。
しかし多くの研究員は彼女の内心を察した。
『可哀想っすよ所長。せっかく娘さんが来てくれたんじゃないすか』
『そうですそうですっ。研究所の花が枯れていたのに気付いてから、こうして毎日花を替えにきてくれるなんて、可愛すぎるじゃないですか~♪』
『いつもお花ありがとうね、ミュウちゃん。今日もお父さんのお仕事見ていきなよ。所長、いいですよね!』
ミュウの肩を持つのは若き所員たち。日の光も当たらない研究所で長く働く彼らにとって、可憐なミュウの存在は花のように嫋やかな清涼剤として愛された。当然厳しいセキュリティの施された研究所ではあったが、所長の血縁たるミュウは生体認証によって特別に出入りすることができた。
部下たちの勢いとパワーに押されてか、やがてパトリックがため息を共に折れる。
『……好きにするといい。研究の邪魔さえしなければね』
パトリックの言葉に皆は喜び、女性の研究者が花瓶を持ってきて笑顔でミュウの前に差し出す。ミュウはそこに新しい花を生けた。
幼きミュウの日課は決まっていた。
朝、屋敷内で育てている花々に水をやる。
昼、専属の家庭教師から一般学問や魔術教育を受ける。
おやつの時間は決まってアイミーの果実を食す。
それが終わると自由時間。育てている花の中から一輪を選び、父親の働く研究所へ持っていく。
父親はそうではなかったが、他の皆は自分が来ることを喜んでくれた。だからミュウはその行為を続けた。
他に出来ることは何もなかった。
──『先天性魔力崩壊症候群』
それは生まれつき体内の魔力異常によって身体細胞が損傷し、機能を消失していく不治の病。いずれは身体全体を蝕んでいき、最期には骨すら残らず魔力の塵と化す。
ミュウの場合は、生まれた頃から声帯が壊れていた。いつまでも“言葉”を発しないミュウを不思議に思った母親によってその難病は発覚した。
『──そうか。では次の子を産め』
妻から急ぎその事実を知らされたパトリックは、興味なさげに研究資料をめくる。
パトリックの妻──ミュウの母は愕然とした。
『……え? パトリック、様?』
『言葉を持たぬなど魔術師にとって致命的だ。アレはもう跡継ぎには出来ん。次の子を産み、育てよ』
『ま、待ってください、パトリック様! それではあの子は……ミュウは……!?』
『好きにしなさい』
妻は絶句し、ただ涙をこぼす。
それ以来、パトリックは屋敷でミュウの話をすることはなかった。
ミュウは賢い子供だった。ゆえに、物心ついた頃から自分がどういう存在なのかをよく理解していた。父親にどう思われているのかよく解っていた。
それでも、必要とされたかった。
だからミュウは、父親の研究を手伝えるようになりたかった。
そのために日々勉学に励み、魔術師としての才を花開いていった。ミュウの魔力は特に自然──植物に強く作用し、わずかな時間で種を発芽させ、花を咲かせることが出来るようになった。ミュウはその花をパトリックの元へ毎日持って行った。いつか、自分の力を役立ててもらいたいと思っていた。
──そんなある日、研究所にミュウが訪れない日があった。
『所長、今日は娘さんまだですね? いつもならとっくに来てる時間なのに』
『ミュウちゃんどうしたんだろう? 体調でも崩してるのかな? 心配だなぁ』
『所長! オレ、捜してきましょうか!?』
『必要ない。お前たちは研究を続けろ。ようやく実験の成功が見えたところだろう』
ミュウの不在で動揺する所員たち。
この頃の『シュタットハイヴ研究所』では、既にホムンクルス体のカスタマイズ技術は完成、確立され、“魂”の領域まで踏み込んだ最中であった。後は、魂を移し替える術を形にするだけ。
『この研究が我々を次代へと導く。お前たちは今、自分たちがどれほど重要な立場にいるのか理解しているか? その才と時間は研究にこそ注がれねばならない。その自覚があれば小娘一人に構う暇などないはずだろう。私の妻たちに任せておけばいい』
所員たちは何も反論できなかった。
この研究所は国の、リィンベルの今後を左右する大きなプロジェクトの先頭に立っている。一人一人が選ばれたエリートであり、実験成功のために多くを犠牲にしてきた。なんとしても研究を成功させ、リィンベルの民らを救わなければならない。皆がそういう覚悟でここに来ている。
一人の勇気ある女性所員が進言する。
『……そうです。私たちはそのためにここにいます。けれど、ミュウちゃんも大事なリィンベルの民です。ミュウちゃんを救うためにも、ミュウちゃんを大切にすることは間違っていないと思います!』
その言葉に、他の所員たちも続く。皆の想いは一致していた。
『…………』
彼らを言葉で説得する時間や手間を冷静に思考したとき、パトリックは自ら動くことが最も効率的であると判断した。
『……お前たちは研究を続けろ』
ため息と共に研究所を出て行くパトリック。所員たちは『はい!』と大きな声で応え、彼を見送った。




