ありがと。さよなら
ついにパトリックを撃破し、彼の研究所から脱出を果たしたレナたち。
「きゃあっ!?」
「クロエそっちダメ! こっちから行こう!」
「は、はいっ! ありがとうございます!」
崩れ落ちる土砂に飲み込まれそうになったクロエを、レナが手を引いて助ける。
ベアトリスが声を上げた。
「レナさん! 残り時間は!?」
「先生から預かった時計、壊れて動かなくなっちゃった! もう時間わかんない!」
「大丈夫ですっ、わたしが覚えてます! 急げばまだ十分間に合います!」
「ホント!? さすがクロエ!」
「それを聞いて安心しました! 皆さんもう少しです! 頑張りましょう!」
「うん!」「はい!」「おー」
今も地鳴りの続く地下道は既にあちこちが土砂や瓦礫によって塞がれてしまい、易々と進むことは出来ない。体力も魔力を使い果たして疲労困憊のレナたちにとって、体一つで障害物を乗り越えていくことは困難を極めた。それでもレナたちは互いに声を掛け合って、諦めずに進み続ける。
──ゴゴゴゴゴ……!
地を震わせる音がさらに大きくなり、そしてそれはレナたちへと近づいてきていた。
音がいっそう迫力を増す。
ベアトリスが、道の先を見つめながらつぶやく。
「この轟音……まさかもうここに……!! ──皆さんっ!!」
次の瞬間。
地下道の先から、大量の水がレナたちの方へと流れ込んできた。
「きゃあああああああっ!?」
クロエの悲鳴が響き、すぐに水の轟音にかき消された。レナが掴んでいたはずのクロエの手の感触はもうない。
「クロエっ!! ベア! ミュウっ! ──わぷっ!?」
道を塞ぐ大量の土砂さえ容易く飲み込んでしまった水の勢いは、今のレナたちに抵抗出来るものではない。視界は水に覆われ、体はぐるぐると回転して方向さえわからなくなる。研究所の方まで戻されてしまえば、おそらくもう地上へ戻ることは不可能に近い。
──なにも見えない! それに、息が……っ!
暗い水の中で必死にもがくレナ。
このままではみんな死んでしまう。クロエを、ベアトリスを、ミュウを、そしてようやく助け出せたレベッカを、友達をここで死なせてしまうわけにはいかなかった。
そのとき、レナは暗闇でかすかな光を見た。
それは己の指──王冠型の指輪から発するものだった。まるで、自分の力を使えと言っているかのように。
「…………っ!!」
気付いたレナが指輪に口づけをすると、指輪から膨大な水の魔力が溢れ出し、それは大きな泡のようになってレナを包みこんだ。
──《バブル・エール》。水の中を自在に動く魔術である。
「これなら……! クロエ! ベア! ミュウ!」
レナが一時的に使えるようになった水の魔力を放出すると、周囲の濁った水が浄化されて透明度を取り戻し、水にさらわれるクロエたちの姿が見えるようになった。
レナは水泡を操って水の中を素早く移動し、クロエたちに触れることで自身を包む泡と同じものを皆に纏わせ、さらにお互いの泡と泡をくっつき合わせた。
「みんな大丈夫!?」
「ごほっ、ごほっ! ──レ、レナさんっ!? あれ? 息がっ? こ、これはっ!?」
「授業を思い出して! 〝エレメンタル・スフィア〟!!」
レナの発言に、クロエたちはハッとする。
「これ、レナの友達の魔術! この泡に入ってれば息も出来るし水の中を自在に泳げる! 行こうっ!」
「〝エレメンタル・スフィア〟……そっか! は、はいっ!」
「なるほど……! 助かりましたわレナさん!」
「いこう」
レナたちは《バブル・エール》を操って、水の流れに逆らい地上へと向かう。それでも、激流の中で暗い地下道を進むのは容易ではない。
「《ミュウズ・プラントΩ》」
そこでミュウが魔力を振り絞り数本の蔦植物を顕現させ、そのうちで一本で行く先の安全を調査しながら、さらに後方からレナたちを押し出すように支援する。
授業で学んだことは、〝エレメンタル・スフィア〟で学んだ技術は、確かにレナたちを生かした。
そしてようやく古代都市リィンベルの街中心部──大広場まで戻ってきたレナたち。泡ごと地上に飛び出たタイミングで、《バブル・エール》の泡は弾けて消えた。
「──ぷはっ! はぁっ、はぁっ……ありがとう、コロネット……」
レナは指輪に向かってつぶやき、そして友人らの無事を確認する。
「クロエ! ベア! へーき!?」
「はふっ、はぁっ……は、はいぃ……! だいじょうぶ、れす……!」
「けほっ……少し水を飲んでしまいましたが、問題ありません。さぁ、リィンベルパレスの『星天鏡』まであと少しです! まいりましょう!」
「うん!」「はい!」
レナたちは濡れた身体で立ち上がる。
そして走り出そうとしたところで、レナがつぶやく。
「…………ミュウはっ!?」
その言葉を発する前に、クロエとベアトリスも同時に気付いていた。
レナとクロエ、そしてレベッカを抱えるベアトリス。ここには四人の姿しかなかった。
全員同時に、崩壊した大広場の穴を見た。
いまも地下水か何かが溢れ出す穴はすべてを飲み込む暗黒と化しており、さらにその大穴は亀裂が入って広がっていく。
「ミュウ! ミュウーっ!!」
レナがいくら呼びかけても、そこからミュウが出てくることはなかった。その間にも穴が大きく崩れ、レナたちは後ろに下がるしかない。
「ミュウさん……! も、もしかして、上手く泳げなくて……!?」
「いえ、あのミュウさんに限ってそれは……!」
するとそのタイミングで、穴の中からシュルシュルと三本の細い蔦植物が現れた。それはレナたちの方へと伸びてくる。
「! これミュウの! ミュウっ!」
レナが蔦を掴むと、蔦はレナの腕に絡みつき、さらに頬の辺りまで伸びてくる。
レナの頭の中に、彼女の声が響いた。
『ミュウ。のこる。いっしょに』
「え?」
『ありがと。さよなら』
それだけを告げて、レナに触れていた蔦は役目を終えるように萎れて消えた。
クロエとベアトリスも、レナと同じように愕然とした顔をする。二人の元へ伸びていた蔦も同様に枯れていた。ミュウの言葉は、全員に届いていた。
「ミュウ……どうして……!」
「ミュウさん……そんな……」
ベアトリスが、神妙な顔でつぶやく。
「……決めた、ということでしょう。故郷の地に。そして、父親の元に残ることを──」
「「……!!」」
「最初から、そのつもりで来たのかもしれません。このときを、ずっと待って……」
ベアトリスの言うことは、レナとクロエにもよく理解できた。
ここは、ミュウにとっての特別な場所。その事実を、レナたちはもう知っている。
助けに戻る時間はない。そして、助けに戻ることをミュウは望んでいない。
だから──
「……帰りましょう」
ベアトリスが、ぎゅっと拳を握って言う。
「私たちは、生きて帰るのです。そうしなければなりません。ミュウさんが──彼女が最後まで力を貸してくれたそのお気持ちを無駄にしてはいけないのです」
ベアトリスは、穴に背を向けて走る。
レナも、クロエも。
溢れ出しそうな気持ちを抑えて走り出した。
「ミュウさん……せっかく、仲良く、なれて……っ!」
クロエがポロポロと泣き出す。
レナは目元を拭い、何も言わずに走り続けた──。




