もう一つの作戦
『──ふむ、私と餌を分断することで補給を絶とうというわけか。人形にしては強力な結界を張る』
ミュウの結界──植物のカゴを叩いた竜の手を見つめてつぶやくパトリック。その表情は余裕でありながらも少々の苛立ちを含む。
そこへ、ベアトリスがオーラの竜を操り襲いかかった。
「はあああッ!」
膨張した左右の竜腕による強力な打撃。だがパトリックの竜は片腕で易々と防いだ。
「レベッカさんを返していただきますっ!!」
それでも果敢に攻め続けるベアトリス。
オーラとオーラのぶつかり合い。その衝撃破は結界内に広がって研究用の備品などを吹き飛ばす。
しかし打撃はおろか爪を使った攻撃も、ブレスによる魔力の放出も、パトリックの竜と肉体に大きなダメージを与えるには至らない。多少の傷など早々に癒えてしまう。
圧倒的な“差”を目の当たりにしても、ベアトリスは引かない。
「想像通り、ですわね。しかし〝魔力生命体〟を持つ貴方といえど、回復源を絶てばいずれ力尽きることは道理!」
『くっくっく。私相手に消耗戦を挑むとは想定外だったよ。このレベルの結界が使えることにも驚いたが、これではあの人形は戦えまい。そう上手くいくものかね?』
「何が言いたいのです!」
『信じがたい愚策だということさ』
そのとき、パトリックの竜がかぱっと大口を開く。途端にその口内で魔力が発光した。
「!! ──皆さん後ろにっ!!」
ベアトリスは瞬時に竜の腕を使って前面をガード。直後にパトリックの竜口から爆発的に高まった魔力が光線となって放出された。
『《インファナル・ブレス》』
闇色に光るブレスはベアトリスを覆い隠すように広がり、結界内部が一瞬にして灼熱の地獄と化す。
「──っ!! ──~~~~!!!!」
その凄まじい威力と熱量にベアトリスは身動き一つとることが出来ない。すべての魔力を防御に回し続け、必死に耐え続ける。背後でベアトリスの名を呼ぶクロエの声すらかき消されてしまっていた。
パトリックは一切攻撃の手を緩めずに悠々と語る。
『この霊体唯一の弱点は、身体そのものが魔力エネルギーによって保たれていること。その源が絶たれれば無力な骸と化すのみ。君たちの作戦は理にかなった実に堅実で有効なものだが……くっくっく。さて、私の魔力はいつ尽きるかな?』
業火のブレスは止む気配がなく、それどころかさらに威力を増していく。底知れぬ魔力の奔流はたった一人の少女に耐えきれるものではなく、とうとうベアトリスのオーラが揺らぎ始め、彼女の竜が悲鳴を上げる。
『安心したまえベアトリス。その身が焼け朽ちようと、私が美しい姿に再生し活用する』
「くっ……う、ぅぅぅぅ…………!!」
『最期に教えておこう。今の私の魔力量は……そうだな、君たちのレベルの魔術師で数えれば、ざっと1000人分といったところか』
「……!!!!」
目を見開くベアトリス。
次の瞬間──彼女の《竜焔気》は限界を迎え、竜は絶叫と共に燃え尽きるように崩壊した。
「!! 皆さん逃げてくださいっ!!」
膝を突くベアトリス。もはや、彼女を守るものはない。
『己の愚かさが解っただろう? せめて苦しまずに終わらるとしよう』
闇のブレスが弱まり、パトリックがその竜腕を振り上げる。
逃げることもできないベアトリスが無力に見上げるその先で──パトリックの竜腕はしかし止まったままだった。
『──使いどころを間違えていないかね?』
そんなパトリックの視線は──ベアトリスの背後へと向けられていた。
結界魔術を行使し続けるミュウの隣で、懐中時計を握り締めるクロエの身体から柔らかな魔力が解き放たれている。その足元には既に時計盤のような魔方陣が展開されていた。
まだ時間は止まっていない。だが、いつでも止められる状況にある。
『君の持つ時の魔術こそ、君たちの最後の希望であろう? 学友を守ろうとは尊いことだが、君の魔力量では精々数秒。それも二度ほどしか扱えまい。奥の手の切りどころはよく考えたまえ』
クロエの額から一粒の汗が流れる。
パトリックの見立ては正しい。
たとえ魔力が全回復したとて、今のクロエの実力ではその程度が限界だった。敵でありながら適切なアドバイスをするパトリックに内心で動揺しつつ、それでもクロエの瞳は揺るがない。
パトリックは小さく嘲笑う。
『ならばお手並み拝見といこう』
そして、振り上げたままの竜の腕を鋭く振り下ろす。
クロエは懐中時計を強く握りしめ、呼吸を整え、前を向いて魔力を解放した。
「──“止まれ”っ!!」
パトリックの足元で時計型の魔方陣が発光し、クロエの声に従うようにオーラの竜がぴたりと動きを止めた。
『愚かな選択を』
「いいえ……今が使いどころなんですっ!!」
パトリックの時間が止まる刹那。
クロエの強い意志が宿る瞳を見て、パトリックは何かに気付いたような顔をした。
──三人。
一人足りない。
『──!!』
振り返ろうとしたパトリックの身体は完全に停止する。もう言葉すら発することは出来なくなった。
パトリックの背後で、ぐにゃりと空間が歪む。
そこにレナはいた。
「悪いオトナは反省して」
周囲に同化して姿を隠していたレナが出現した瞬間、空間をドンッと振るわせるほどの膨大な魔力の波がわき起こる。その細腕には四枚の闇のリングが重なり、今もなお急速に魔力を凝縮させていく。
自由を奪われた完全なる時の狭間では、その一撃を貰うほかはない。
「《魔王拳》──クアドラプルバースト!!」
渾身の拳を繰り出すレナ。
それは無防備なパトリック──ではなく、彼が顕現した竜へとクリーンヒットする。
ズドンッ!! と唸るような衝撃。
パトリックの竜体に闇のリングが四つ刻印された瞬間にクロエの時の魔術が解け、竜の体は前方へと吹き飛ばされる。そして一つ目のリングに触れると同時に魔力の爆発が起こり、2連続、3連続と立て続けに爆発。そのたびに威力を増す爆熱は、最後の4連続目になると業火そのものへと変貌した。
『──ッ!!』
オーラの竜を纏うパトリックの肉体もまたその衝撃に巻き込まれ、彼と竜は異常なほどの爆炎に包まれたまま、ミュウの結界壁に衝突して倒れる。その威力の凄まじさは以前レベッカに手加減して使ったときは比較にならないほどであり、ベアトリスやクロエは目を閉じて爆風に耐えた。
『ぐっ……!? ──がはっ!!』
起き上がろうとしたパトリックの口から、まるで血液のようにボタボタと魔力の塊が吐き出される。同時にパトリックの竜もまた苦しげな声を上げ、とうとうその内から一人の少女を吐き出した。
「! レベッカさんっ!!」
すぐに動いたベアトリスが、竜の両腕で気絶したままの少女──レベッカを受け止める。
ドロドロとした粘液のようなもので覆われていたレベッカは、まるで消化の途中だったかのように制服が解け落ちて下着が露わになっており、顔や腕などあちこちに火傷に似た痕が残っている。駆けつけたクロエとベアトリスが二人でその粘液を拭い取るが、それは触れるだけで二人にも鈍い痛みを与えた。
そこでぬっと現れたミュウがレベッカに口づけをする。するとレベッカの身体が淡く光り、身体の火傷が綺麗に癒えていった。
最後にレナが駆けつける。
「レベッカは!?」
「……ええ、無事ですわ! 息はあります!」
「レベッカさん……よ、よかった……間に合ったんですね……!」
ベアトリスがレベッカの呼吸や鼓動を確かめ、レナとクロエはホッと安堵の表情を見せる。
無表情のミュウは、レベッカから壁際でうずくまるパトリックへと視線を移した。続けてレナたちも警戒態勢のままパトリックを見る。
「ごめんねミュウ。全力で殴っちゃった」
「ゆるす」
「と、とにかく作戦通りですねっ! 上手くいきました!」
「ええ。魔力を枯渇させて勝機を狙う……そう思わせての短期決戦。たとえ彼の身体が無敵であろうとも、《竜焔気》で生み出された竜は別物。それは私がよく解っていることです」
レナたちの本当の狙いは、そこにあった。




