聖女の瞳
「――おっ、いたいた! やっぱここだったか!」
そんな声と共に、クレスとフィオナの元へ見知った顔の二人がやってくる。
「オーイ『グレイス』さんよ! フィオナちゃんも一緒だな!」
声を掛けてきたのはヴァーン。その後ろにはエステルの姿もあった。
「ああ、ヴァーンとエステルか。おはよう。君たちもここに来ていたのかい」
「おはよーさん。エステルが二人はここにいそうだってな。ご存じのとーりコイツの勘はよく当たるからよ」
「なるほど。さすがだなエステル。君は昔から鋭いところがあった」
「おはようクーちゃん。褒めてもらえるのは嬉しいけれど、今日の午前中ならここが一番の見所というだけよ。フィオナちゃんも、おはよう」
「あっ、お、おはようございましゅ……」
何気ない挨拶だったが、フィオナはクレスの隣でそっとうつむき、顔を隠してしまった。
ヴァーンはそれを覗き込むように近づく。
「んぁ? フィオナちゃんどーした? せっかくのカワイイ顔がみえねーぞ」
「あ、い、いえ、その……」
「んん~? ――ああ、なるほどな! 昨晩の痴態を思い出して恥ずかしがってるわけだ!」
「うっ! う、ううっ……」
ハッキリしすぎなヴァーンの指摘にびくぅっと身をすくめるフィオナ。その顔はじわじわと紅潮している。図星のようだった。
そんな反応にヴァーンは大いに笑う。
「ハハハ! いいねいいねぇ! やっぱこれくらい清純な子が一番だよなぁ! 安心しろフィオナちゃん、ありゃむしろ男たちにとって好感度急上昇だぜ?」
「え? そ、そうなんですか……?」
「おうよ! 普段は淑やかな子が酔うとエロくなるなんて最高じゃねーか! いやぁオレも昨晩は何度もフィオナちゃんのたわわなボディを思い出して興奮のるつぼに――」
「お願い死んで」
「ふがっ!? んごおおおおおおおおお──!?」
エステルが瞬時にヴァーンの顔を掴み、鼻と口を凍らされて何も言えなくなったヴァーン。呼吸さえ出来ずに悶え苦しむ彼をエステルが追い打ちで蹴り飛ばし、ヴァーンはゴロゴロと丘の坂道を転がっていった。
エステルは手を払って言う。
「華やかな場を穢されてはたまらないわ。ごめんなさい、フィオナちゃん。男がみんなああだとは思わないでね。クーちゃんのように誠実な男もいるのよ。ただ、クーちゃんほどの男性は稀だということも覚えておいて」
「は、はい……」
「失敗は大切なことよ。そこから学べることがたくさんある。それに、好きな相手だからこそ情けない姿を晒しておくべきだわ。そういうところも受け入れてくれる相手でなければ、結婚なんて出来ないでしょう」
「あ……そ、そうかもです…」
「私も、以前は貴女のように酔ったものだわ。大丈夫。フィオナちゃんに合ったお酒や飲み方は、私が教えてあげる。クーちゃんもほとんど飲まない人だものね」
そんな慰めの言葉に、フィオナの顔が晴れていった。
「エステルさん……はいっ! ありがとうございます!」
「素直な良い子ね。クーちゃんにはもったいないくらいかもしれないわ。魔術師としての力も申し分ないし……そうだわ。いっそ、私の新しい相棒にしてしまおうかしら。美少女魔術師姉妹として、一緒に各地を回りましょう」
「ええっ!? そ、そんな、わたしにはとてもっ」
エステルにぎゅっと手を握られてあたふたするフィオナ。どうやら気に入られたらしい。
そこへクレスの手が割り込む。
「いや、待ってくれエステル。それは俺が困る。フィオナと離れたくはない」
「あら、クーちゃんも大胆なことを言うようになったのね」
「片時も離れないと誓ったからな。たとえ君でも彼女は譲れない」
「あら……ふふ、なんだか妬けてしまうわね」
「え、えへへ……クレスさん……」
赤面しながら嬉しそうに微笑むフィオナ。エステルは小さく微笑んで続ける。
「でも安心して。それならクーちゃんも連れていけば解決よ。三人で楽しい旅をしましょう」
「え? いや、そこまでは考えていなかったが……ちょっと待ってくれ。ヴァーンはどうするんだ?」
「知らない名前ね。そんな人いたかしら」
あっけらかんとつぶやくエステル。
既に記憶からその名を抹消しかけていたエステルの背後から、いつの間にか戻ってきていたヴァーンがぬっと顔を出す。その口元はびしょ濡れになっていた。
「エステルぅぅぅ……間違っても口はやめろ口は! すぐ割れたからいいもののマジで死ぬだろうが冷血女!」
「死んでほしいと思ったのだから間違いではないわ。けれど知らず知らずのうちに手心を加えていたなんて、私はやっぱり優しすぎる美少女魔術師ね……」
「お前のどこが優しいんじゃああああああい! ついでに美少女ってトシでもねぇだろが!!」
「花嫁たちの迷惑よ。また凍りたくなかったら黙っていなさい」
「てんめぇぇぇ……いつかぜったい泣かしたる……!」
背後で私怨を募らせるヴァーンを無視して涼しい顔のエステル。クレスもフィオナも唖然としてしまった。
「あ、あのぅ……ところでお二人は、何のご用事でこちらに……?」
おずおずと尋ねるフィオナに、エステルが「あ」と気付いて答える。
「忘れていたわ。もうすぐ“聖闘祝祭”の当日枠の申し込みがあるから、クーちゃんも一緒にと思って探していたのよ」
「――ああ。そういえば昨日別れ際にそんな話をしたね」
思い出すクレス。ヴァーンがオーバーリアクション気味に頭を抱えた。
「かぁ~っ! おいおい『グレイス』さんよぉ、やっぱやる気なかったな? だが残念だ、このオレが来たからには逃がさねーぞ! オラ、さっさとメシでも食って申し込み行くぜ! ついてきな!」
「ヴァ、ヴァーン? 本気で俺とやる気なのか?」
「たりめーだろ! もう勇者も魔王も関係ねー。聖剣のためなんて打算もねー。ただの男同士のケンカだ! 昔みたいによ、全力でやり合おうぜ! んで、フィオナちゃんに男らしいとこ見せてやれ!」
ニッと無邪気な少年のように笑って力こぶを作るヴァーン。それは、昔クレスが一緒に冒険をしていた頃と何も変わらない姿だ。
エステルも、そしてフィオナも明るい笑みを浮かべている。
もう、難しいことを考える必要はないようだ。
クレスはうなずく。
「――ああ、わかったよ。がっかりさせると思うが、許してほしい」
「バーカ。おら行くぞっ、まずはウマイモンで腹ごしらえだ! へへ、フィオナちゃんにこっそり酒飲ませちまおうかなぁ~?」
「今日が貴方の命日ね、おめでとう。さようなら」
「嘘だよバカヤロウ! やめっ、やめろエステルこら! 戦う前に死んじまうだろ! お前マジでヤベーヤツだなッ!?」
いつものようにじゃれ合うコンビを前に、クレスとフィオナは顔を合わせる。
「クレスさんっ。わたし、応援しますね!」
「それは百人力だな」
そうして二人は、ヴァーンとエステルの背中を追いかけて歩き出す。
――そのとき。
フィオナの全身を、ピリッとした感覚が襲った。
「――!!」
即座に振り返るフィオナ。
だが、そこには華やかな式に盛り上がる者たちしかいない。その場の誰もがこちらのことなど気に留めてはいなかった。それに、先ほどの感覚は一瞬で消え去っている。
しかしあの感覚に、フィオナは覚えがあった。
あれは、強い魔力による波動。フィオナクラスの魔術師になると、心身の魔力そのものがアンテナの役割を果たし、何者かが自分に向けて発した魔力の“うねり”を瞬時に察知することが出来る。先ほどのそれは一瞬だけの微弱なモノではあったが、その“奥”に高い魔力の波を感じられた。
「……ん? フィオナ、どうした?」
「あっ、い、いえ……」
クレスも、そしてヴァーンやエステルも“それ”に気付いた様子はなかった。
先ほどの気配にこちらへ敵対するような意志の魔力は感じられなかったため、特に気に留めることもないかと、フィオナはすぐに笑みを取り戻す。
「ごめんなさい、なんでもありません。行きましょう!」
「あ、ああ。うん」
クレスの手を引いて駆け出すフィオナ。そんな彼女の横顔をクレスは不思議そうに見つめた。
――そうして四人が祝福の聖園から去って行くのを、たった一人だけが“視て”いた。
祝福の聖園、聖エスティフォルツァ大聖堂。その入り口から。
「――ソフィア様。こちらでのお役目は以上です。大変お疲れさまでした。続けて“聖闘祝祭”の会場へ向かいます」
「……」
「……ソフィア様?」
世話係のメイドによる二度目の呼びかけで、聖女ソフィアはようやくハッと気付く。
「え、ええ。移動ですね。承知しています」
「はい。馬車を手配しておりますので、どうぞこちらへ。昼食もご用意しております」
「ありがとうございます。シスターの皆さんも、どうかご休憩なされてくださいね。星々の輝きあらんことを」
花の咲くような麗しい笑顔を見せる聖女ソフィアは、メイドとシスターたちの世話を受け、法衣姿のままゆっくりと歩き出す。その微笑みと所作に皆が見惚れていた。
彼女の握る聖杖の宝石が、淡く光る。
聖女はぽつりとつぶやいた。
「…………フフッ。みぃーつけたぁ♪」
聖女の瞳は、真実を映す。




