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祝福の聖園

 クレスがなんとかフィオナを落ち着かせ、家具屋の女性と共にベッドを家の中に運び込んで朝食を済ませてから街に出ると、そこはかつてないほどの盛り上がりとなっていた。大通りはあまりの人の多さに先がまったく見えないほどである。


 そんな中で二人がやってきたのは、聖女が暮らす城の敷地内にある『聖エスティフォルツァ大聖堂』。別名、『祝福の聖園(プレア・ガーデン)』。


 ステンドグラスから柔らかい日が差し込す厳かな雰囲気の中、パイプオルガンの美しい音色と、聖歌隊を務めるシスターたちの賛美歌が見事にシンクロする。

 そして、シャーレ神の聖像の前で聖女ソフィアが一組ずつに祝福の言葉をかけ、結婚の見届け人として誓いの印を送る。


 それを受け、多くの花嫁たちが涙を堪えきれずにいた。

 それほどまでに、聖女に式を見届けてもらうことは特別に名誉なことだ。特に、この聖都で暮らす女性にとってはこれが最大の夢の一つである。


 聖女は聖書を閉じ、胸元に手を当てて告げる。


『――結婚とは、魂を結ぶための儀。この誓いによって心を一つにし、共有するのです。その繋がりは死ですら分かつことは出来ません。どうかそのことを忘れずに、生涯の伴侶を大切になさってください。皆さんの歩む未来に、綺羅星のごとき幸がありますよう、聖女ソフィアがお祈り致します。さぁ、希望を胸に歩み出してください』


 結びの言葉ですべての夫婦たちが頭を下げ、一組ずつ大聖堂から外に出ていく。祝福の鐘(カンパネラ)が街中に響き渡った。

 大勢の人々が花びらを投げて新たな夫婦たちの門出を祝福し、拍手を送る。


 その大勢の中――片隅には、クレスとフィオナの姿もあった。


「おめでとうございます! お幸せに!」


 そう声を掛けているのはフィオナ。

 彼女は輝くような表情で夫婦たちを祝い、見送っている。その瞳は羨望のものでもあり、どこか切なげな光を宿してもいた。


 クレスは拍手をしながら隣に声をかけた。


「俺たちもあちらにいられたらよかったんだが……すまない、フィオナ」

「ふふ、仕方ないですよ。聖女様の前で式を挙げるには、ずぅっと前から計画を立てて、申請をして、教会による厳しい審査の上で承諾を得なければなりません。今回は、とても間に合いませんでした」


 少し残念そうに答えるフィオナ。


「君も、やはり聖女様の前で式をしたいかい?」

「え?」

「であれば、来年の式に向けて準備をしておくのもいいかと思う。それとも、もう少し早くどこかで式を挙げようか? 俺はそういうことについて詳しくないからよくわからないが……ああ、セリーヌさんに相談してみてもいいかもしれないね。彼女ならそういうことにも詳しそうだ」


 淡々と今後のことを語ってうなずくクレスに、フィオナはキョトンとしていた。


「ん? フィオナ?」

「あの……クレス、さん。わ、わたしと、結婚式を、挙げてくれるんですか……?」

「え? ……ひょっとして、式は挙げたくないかな?」

「あっ、い、いえそういうことではなくて!」


 慌てて顔と手を振るフィオナ。


「クレスさんがプロポーズしてくれて、わたしと式まで挙げようと考えていてくれたこと……幸せです。とっても嬉しいです。けれど、や、やっぱり、クレスさんはあまり目立ちたくはないと思いますし、それに、式は本名でなくてはいけませんから……」

「……ああ、そうか……」


 言われて気付くクレス。

 神に誓う神聖な場で、真名を隠すことなど許されない。だが本当の名前で式を挙げれば、クレスが『勇者』だということはすぐにわかってしまうだろう。そうなれば混乱は避けられない。

 例えクレスがそのことを覚悟して臨んだとしても、周りが平静を保てないだろう。下手をすれば、フィオナとの式を台無しにしてしまう可能性さえあった。そんなことになれば、フィオナだけでなく彼女の周りの人間さえ不幸にしてしまう。


「……すまない、フィオナ。俺のせいで……」

「あ、ち、違います! 気になさらないでください! わ、わたしはいいんです!」

「いや、女性にとって結婚式は特別なものだと聞く。昔、ヴァーンやエステルともそういう話をしたことがある。なのに、それが出来ないのはあまりに心苦しい」

「クレスさん……」


 真面目な生き方しか出来なかった不器用なクレスにとって、それは本当に胸を締め付けられるような苦しさだった。自分だけのことならばどうとでもなろうが、愛する相手に我慢をさせてしまうのは、辛い。


 フィオナが、クレスの手を包み込むように握った。


「……わたしのために、そこまで考えてくれて、ありがとうございます」

「フィオナ……」

「でも、そんなに焦って結婚式をすることはないと思います。式を挙げなくても二人一緒にいることは出来ますし、婚約した後、すぐに式を挙げなくてはいけない決まりがあるわけでもないですから。だから、そんなに思い悩まないでくださいね」

「そ、それはそうだが……」

「何も、聖女様の前や、皆さんの前で大きな式を挙げる必要もありません。ヴァーンさんやエステルさんみたいに、わたしたちのことを知ってくれている方のみお招きしても良いですし……あっ、二人だけの式を挙げるのも素敵だと思います!」

「……そうか。そういうやり方もあるのか」

「はい! もちろん大きな式にも憧れはありますけれど、一番大切なことは、あなたの隣にいられることです。それ以上に求めるものは、何もありません。あの方たちは、きっと一番幸せな瞬間を迎えていると思いますが、わたしだってそれ以上にもっともっと幸せです! 自信を持って言えますよ!」


 胸を張って自慢げに宣言するフィオナ。そこに一切の陰りはなく、本音を話してくれていることがクレスにもよくわかる。


「だから――わたしのことを、離さないでくださいね。ずっと、そばにおいてください」


 微笑む彼女を――クレスは、自然と抱きしめていた。


「わっ。ク、クレスさん?」

「ありがとう。フィオナ、君が好きだ」

「……クレスさん」


 フィオナは少し戸惑った後、そっとクレスの背中に手を回した。


「……えへへ。わたしも、です」


 それから、二人はお互いの気持ちを分け合うかのようにしばらく静かに抱き合った。

 やがて身体が離れたとき、フィオナは言う。


「……クレスさん。わたし、やっぱり結婚式はもう少し後でいいかなって思いました」

「え? なぜだい?」

「結婚式を挙げるということは、魂を一つにすること。もう、そこから先は夫婦の時間になりますよね」

「ああ、そうだね」

「でも、わたしたちはまだあまり二人きりの時間を過ごしてはいませんし……その、せ、せっかく、恋人同士になれたので……」


 フィオナは少し気恥ずかしそうに目を伏せ、チラ、と上目遣いにつぶやく。 



「……もう少し、こ、恋人としての時間を、楽しみたいなって……思って、しまいました……」



 声尻が小さくなっていくフィオナ。


 クレスは小さく微笑む。


「――そうか。わかったよ。なら、今しばらくは恋人として君のそばにいよう。片時も離れない。どんなときもね。それでいいかな?」

「クレスさん……はいっ!」


 祝福の聖園で、新たな誓いを結ぶ二人。


 そのときクレスは、フィオナといるときだけは不思議と胸が熱くなることがあると気付いた。それが彼女への想いに起因するものなのか、それとも別の何かなのかはわからないが、ただ、大事にすべきものであると確信していた――。

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